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12-1 女の子ラヴァーズ


     × × ×     


 純然たるTSは現実においてありえない。なぜなら現状いかなる方法を用いても我々を満足させることができないからである。

 かつて老人は自らの本にそう記して死んだ。

 最期まで奇跡を信じたのに、奇跡は振り向いてくれなかったようだ。

 死を迎えたことで老人が「輪廻転生」という女性化のチャンスを得たかどうかは、各々の宗教観に依るとして、その死が世間から忘れ去られた頃に「1つ目の奇跡」が発見されたのは、他人である私の目から見ても十分に可哀想だった。

 仮に老人が生きていたならば、現実となった純然たるTSに一体どのような評価を与えただろうか。

 それを知ることは実のところ容易いのだが、知ったところで何にもならない気もした。



     × × ×     



 7月末日。僕たちは三宮の片隅にあるライブハウスに来ていた。

 とはいってもそんなに大きなハコではない。ビルの地下に設けられたコンクリート打ちっぱなしの空間に、テーブルと椅子、そして楽器とスピーカーが並んでいる。

 後方の窓口では飲み物と軽食が売られており、お客さんが多いだけあって売れ行きは良さそうだった。

 もっとも客の大半はステージに上がるバンドの関係者らしく、今日のステージもライブというよりは身内の発表会に近いのだとか。


「だから心配しなくても大丈夫だよ!」


 僕はピエロメイクをばっちり決めた仲田さんから背中を叩かれる。

 さらにロリータファッションのドラムさん、米海兵隊のマーパットを身につけているベースさん、忍者の格好をしたギターさんにも声をかけられた。

 3人ともコスプレしているわりにチャラさがにじみ出ているせいか、オタクおよび大学生特有の内向きの空気をまるで感じさせない。

 仲田さんも彼らの中にいると大人のように見えた。


 ちなみにメンバーの中ではギターさんだけが男性であり、彼には初対面から「俺、良子狙ってるから」と牽制球を投げられていたりする。

 別に盗塁するつもりはないので、「がんばってください」と答えておいたけどね。


 仲田さんに待望の春の兆しが見えてきたのはさておき、またギターさんが他の女子たちにパシリみたいな扱いを受けているのも、ともかくとして。

 ――ここで一つ、内なる自分にクエスチョンを出してみよう。

 こんなライブハウスにおいて、なぜ僕と五郎さんはステージの脇で待機しているのか?

 さらには、どうして2人とも白衣とヒゲメガネを身につけているのか?


 これらの疑問に答えるためには、まず4日前のことを思い出さなければならない。

 ステージ上のおじさんバンドが村下孝蔵『夢のつづき』の演奏を終えようとしており、地味に時間は押しているんだけど、とにかく回想に入らせてもらう。そうでもしないと手足の緊張を抑えられない気がした。



     × × ×     



 7月26日。

 ドライアイス事件から一夜明けて、田村とその日の掃除を終えた僕は、帰りに伏原くんの家まで本を返しに行こうと考えていた。


 というのも、近ごろあの子が全く姿を見せないのが心配だったのだ。

 指折り数えてみれば、第6回『このTSFがすごい!』選抜大会の日から一度も『むらやま』に来ていないことになる。

 メールを送っても、ダエモンさんが返ってくる始末。


 五郎さんは「班の件で拗ねてるんだろ」とそっけないふりをしていたけど、メールを受け取ってもらえない状況には気を揉んでいるみたいだった。

 伏原くんの家に行くつもりだと伝えると、わざわざイラスト入りの手紙を渡してくれたほどだ。曰く「当番で出られないから代わりに」とのことだった。


 彼の期待に応えるべく、さっそく僕は地下鉄で田辺へと向かった。

 田辺駅の出口から以前案内された道を進み、例のマンションまでやってきたところで、一応伏原くんに電話をかけておくことにした。

 結果は――相変わらずつながらなかったので、仕方なく令状なしで強行突入させてもらうことになった。


「すみません。息子さんの友人なのですが」

「あらあら」


 伏原くんのお母さんは僕をあっさり通してくれた。

 ところが案内されたのは、なぜか伏原くんのお兄さんの部屋だった。


 お兄さん……ここで目にした光景を、早く記憶から消し去ってしまいたい。男らしい肉体の男性が『鉱これ』のサドちゃんに生着替え中だった。

 サドといってもSではなく佐渡のことなので、別に女王様な格好ではない。


「な、なんだテメエ!」


 金髪のウィッグに金色の和服を身につけたお兄さんが悲鳴を上げる。

 むしろなんだお前と叫びたくなったのは僕のほうなんだけど、あまりにも衝撃的すぎて声が出なかった。

 お母さんが「あんたのお友達なんでしょ」とお兄さんに説明すると、お兄さんは顔を真っ赤にして僕たちを部屋から閉め出し、ドアにカギをかけて、


「そんな奴、知らねえわ!」


 それっきり何も言わなくなってしまった。

 実はお兄さんの手料理を何度か食べさせてもらっているんですけどね……ともあれ、その手料理を分けてくれた弟さんに会わねばならない。


 僕はあの子にそっくりのお母さんに「明佳くんはいますか」と訊ねてみる。

 すると、彼女は目をキョトンとさせて、


「ハルカ? ウチにそんな子いないけどお……あなた、家をまちがえてるんじゃない?」


 冗談としか思えない発言をしてくれた。

 そんなはずはないです。息子さんとはお友達なんです。以前、僕はこの家に泊めてもらったこともあります。覚えていないんですか。

 色々と告げてみたけど、彼女は要領の得ない返答しかしてくれなかった。


 そのうち「ご飯を作るわあ」と体よく追い出されてしまい……それ以上の追及をあきらめた僕は、窮余の策としてマンションの近くで伏原くんの帰宅を待つことにした。

 家の前を張っていれば、そのうち顔を合わせることもあるだろうと踏んだのだ。我ながらストーカーみたいだな。


 マンション近くの公園に座して、左右に行き交う人々を見守りながら、その中から身長の低い少年を探す。会社員、子供、主婦。なかなか見つからない。

 やがてスマホの時計が七時を回った頃――人影がこちらに近づいてくるのが見えた。


 低い背丈、華奢な体格、切りそろえられた姫カット。

 仏頂面がいくらか和らいでおり、ほんのり笑っているようにも見えた。


「鳥谷部さん?」

「差し入れ」


 彼女はコンビニの袋から野菜ジュースを取り出した。

 ありがたく受け取ると、彼女は「ずっとここにいるつもりなの?」と訊ねてくる。

 話によれば五郎さんに様子を見に行くようにお願いされたらしい。


 だからって、わざわざ田辺まで来てくれるなんて。当時の僕は8分の嬉しさと2分の申し訳なさでいっぱいになった。


「ずっとというか、伏原くんに会うまでだね」

「伏原くん?」

「ここのマンションに住んでいるんだ。というか、鳥谷部さんも一度来たよね。ほら、僕たちの体が入れ替わっていた時に」

「……来た気がするけど、その子のことは知らない」


 彼女の答えに、僕は思わず「は?」と生返事してしまった。

 いやいやだって、知らないも何も。あの子と知り合ったのは君のほうが早いくらいなのに。あの子を下の名前で呼んでいるほどなのに。


 ここまでくると、僕にも何かが起きているとわかってきた。

 具体的には「石室」関連だろうと。自分の意見が認められなくて拗ねた彼が、大掛かりなかくれんぼでも仕掛けたんじゃないかと。

 もっとも、彼がそんなことで拗ねるほど単純な子ではないことくらい、僕も五郎さんもわかっているはずだった。


「小山内くん。何がどうなってるの」


 鳥谷部さんは混乱しているみたいだった。


「あー。今の鳥谷部さんには信じがたいかもしれないけどさ」

「何でも話して」

「僕と五郎さんの大切な友達が、なんか消えちゃったみたいで。石室の力なのか神隠しなのかはわからないけど、とにかく彼を探しているんだよ」


 我ながら下手くそな説明である。

 しかし、鳥谷部さんは「手伝う」と即答してくれた。両手を握りしめており、妙にやる気にあふれているほどだ。


「え、なんでまた」

「だって、今のはいつもの嘘じゃないから」


 こちらの目をじっと見つめてくる彼女。

 その瞳はあまりにも真剣で、もしかすると僕はこの子に一生敵わないんじゃないかと思わされた。上半身を中心に火照りを感じる。まずい。このままだと変なことを口走ってしまいそうだ。


「……ジュースもらうね」


 僕は紙パックからストローを外そうとした。いつぞやのミルクティーのように失敗したくないので手先に集中力を傾ける。

 そのせいで、咄嗟の対応が疎かになっていたようだ。

 細くて冷たい右手をあごに添えられて、くいっと引き寄せられて。

 本当に軽く当てるように……鼻と鼻が触れ合った。

 女性マンガで「慣れていない人」にありがちだとされる、あの失敗だ。


「…………」

「…………」


 ものすごく気まずかった。

 それ以上に、いきなりすぎて心臓がおかしくなりそうだった。

 加えて行動に移した彼女の気持ちを考えると、もうパニックになりそうで、ぶっちゃけ今思い出しても変になりそうであって、当時の僕はそこから逃げ出すために、


「ふぁ、初めてはもっと大切な時に取っておこうね。たった一度きりなんだから、あっさり使っちゃったら惜しいよ」

「? 別に初めてじゃない」

「えっ」

「だって入れ替わった時にこっそりしておいたから」


 彼女は若干恥ずかしそうに「あそこで」と伏原くんのマンションを指さした。

 入れ替わっていた時といえば、あの鳥谷部さんが性欲丸出しだった頃で、つまり、あろうことか自分が眠っている間に――。


「け、ケダモノ!」


 思わず両腕を抱えた僕に、鳥谷部さんは平然と「小山内くんの身体のせいだから」と返してきた。まるで自分には責任がないかのような言い草だ。

 だったら、さっきのあれは何だったのさ。

 なんて、正面から訊いてしまえるほど僕はマヌケではなく。ただ知らないうちに初めてを奪われてしまっているくらいにはマヌケであって。


「今後、鳥谷部さんとは絶対に入れ替わらないようにするよ」


 当時の僕にはそうやって強がりを言うのが精いっぱいだった。



     × × ×     



 辺りが暗くなってきたあたりで、僕たちは田辺を出ることにした。

 伏原くんは相変わらず姿を見せていない。そればかりか、マンションの郵便受けから彼の名だけ消されていた。

 305号室:伏原忍ふくはらしのぶ奏多かなた

 かつては末尾に明佳と記されていたはずなのに。


「おかしい。明佳くんは死んだ?」

「死んだだけなら、いないもの扱いにはならないよ」


 僕は鳥谷部さんの問いに目を伏せながら答える。

 ここまでくると、今回の件が「石室」の力による現状の改変なのは明らかだった。

 けれども、その目的まではまだわからなかった。

 伏原くんが自らの人生を消して、いったい何の得があるのだろう。拗ねただけにしてはあまりにも規模が大きすぎるのが気になった。

 家族を含めて、他の人からは完全に忘れ去られていたのに、同志である僕と五郎さんには彼の記憶が残っているのも不可思議だった。

 何のために? 僕たちへの当てつけだろうか。

 僕は他の人の意見を訊いてみることにした。


「……鳥谷部さんは、世界から消えたいとか思ったことある?」

「ない」

「さすが元ガキ大将だね」

「ありがとう」


 彼女はふふんと笑みを浮かべた。別に褒めたつもりはなかったんだけどね。

 伏原くんだけがいない街から、地下鉄で日本橋まで戻ってくると、彼女とはそこでお別れになった。相変わらず門限が厳しいそうだ。あの時はめっちゃ怒られたもんね(僕が)。


 彼女と別れた僕は、五郎さんにメールを送った。彼にはマンションの件を伝えないといけない。

 もう夜だったため、彼とは『むらやま』を出たところで合流した。それから近所のトルコ料理屋に寄ることにした。立ち話よりはどこかで座ったほうが良いだろうという五郎さんの判断だった。


 伏原くんの存在が消えている――そう伝えると、五郎さんは「実は忘れ物班のシフト表からも名前が消えててな」とバクラヴァをフォークで切った。シロップまみれのパイ生地がバラバラになる。


「シフト表から消えてるとなると、図書部にもいないわけだね」

「だろうな。全くイタズラにしてはやりすぎだぞ」


 五郎さんは納得いかないといった様子で腕を組む。太い眉が心配そうに垂れており、内心ではかなり心配しているのが伝わってきた。

 自分だって心配ではあった。なにせ、どこにいるのかも不明なのだから。生きているのかもわからない。わからないことばかりだ。対してわかっていることは一つだけ。彼が同志であるということのみ。

 ここはひとつ、五郎さんにも訊ねてみよう。


「……五郎さんは、世界から消えたいとか思ったことある?」

「はあ? ねえよ」

「なら、言い方を変えるね。もし女の子になれるなら、今の自分の世界を放り出してもいいって思ったことは、あるかな」


 こちらの問いに、彼は「まさか」とつぶやいた。

 それは問いに対する答えではなく、彼の脳裏に浮かんだ「気づき」への反応だったのだろう。


「五郎さん、僕の考えが正しければなんだけど」

「いや、オレもたぶん同じことを考えているはずだ」


 お互いに冷たい水を飲む。

 口の中を十分に冷やしてから、今度はトルコのチャイで温める。甘味と香りが口の中を彷徨った。すっきりするにはこれ以上のものはない。


 あいつ。やりやがったんじゃ。


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