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11-3


     × × ×     


 次の日。五郎さんに連絡してみると、『オレはいるぞ』とのことだった。

 オレ「は」……つまり他の人はいないらしい。

 いったい、いつになったら伏原くんにマンガを返せるのやら。いっそ田辺まで出向いて手渡しするべきかな。

 僕は『傾城太平記』をカバンに入れて『むらやま』に向かった。


「おう。来やがったか」

「連絡した以上は休めないよ」

「そりゃそうだな」


 忘れ物カウンターには五郎さんが立っていた。

 特に人が来る気配もないので、連れ立って中に入ることにする。


 ドアを開けると、やはりエアコンが効いておらず、けれどもそんなに暑くもなく。

 むしろ足元までモワモワした白煙が流れてきたことにビックリさせられた。

 当然ながら『第2保管室』に火の気はない。ケトルはすでに布を被っている。


「おい小山内、なんなんだこりゃ!」

「いや、僕が知るはずないでしょ」

「そりゃそうだ!」


 五郎さんは真顔で手を叩いてから「まさか火事じゃねえよな?」と部屋の中で火種を探し始めた。

 もっとも、仮に火事なら温度が上がっているはずだし、忘れ物の焦げた匂いが充満しているはずである。何より天井のスプリンクラーが作動していない。


 どことなくヒンヤリとした空気に、五郎さんの口から出てきたのは「ドライアイスか?」の七文字だった。


「ご名答!」


 机の下からそんな答えが返ってきたのは、その直後である。

 例によって大学生らしいオシャレな格好で、机の下から飛び出してきた彼女は、


「あんまりにも暑いから部室を冷やしておいてあげたんだよ!」


 僕たちにバケツに入ったドライアイスを見せびらかしてきた。中からぶくぶくと煙を出しているのは水と反応しているからだ。


 どうやら床に置いておくことで床一面を煙で埋めていたらしい。冷房の用途を満たしているのかは微妙なところだった。

 当の仲田さんは下着の透け具合からして汗をかいているみたいだし。二酸化炭素中毒を避けるためなのか、奥の窓も開け放たれている。

 特に目を惹くわけでもない下着はともかくとして、ずいぶんと用意の良いことだ。


「もう……仲田さん。大学生にもなって変なイタズラはやめてくださいよ」

「オレもビックリしたぞ」

「ごめんごめん。ライブの残りをもらってきたから有効活用したくてさ。ほら、まるで雲の上にいるみたいに見えるでしょ」


 彼女は歌番組の歌姫のようにいそいそと歩いてみせる。

 仲田さんのバンドではスモークマシンじゃなくてバケツでスモークを焚いているのか……春に結成したばかりらしいけど、なんか脳内のイメージが学生のチャラい感じからコミックバンドに変わってしまいそうだ。


 全くもう。たまによくわからないことをする人なんだから。

 一瞬でも「もしやフラれた腹いせに委員長に火を付けられたんじゃ」とか考えちゃったじゃないですか。

 昨日はあれで済んだけど、一人になって冷静になった彼女が何を考えているか、まるで想像がつかない。


「……煙といえば、変身すると出たりするよな」


 おもむろに床からドライアイスの白煙を掬い上げようとする、五郎さん。

 たしかに昔から変身といえば煙がセットだった。

 肉体が徐々に変化していく作品でなければ、特にマンガやアニメではもっぱら煙が用いられている。

 くしゃみをした拍子だとか、はたまた変身グッズを用いた時だとか……ついでに「ポンッ」と効果音が付けばカンペキだ。


「そういえば、どうして変身に合わせて煙が出るんだろうね」

「人間からガスが出るわけねえのにな。むしろ肉体の変化に合わせて血が飛び散ったりするほうが、まだリアルな気もするんだが……小山内のために描いてみるか」

「描かなくていいよ」


 五郎さんの絵だと恐ろしいことになりそうなので、押しとどめる。

 ガスといえば「まさかオナラなんじゃ」なんて思考も沸いてきたけど、こちらも夢を壊しかねないので口にはしないでおいた。

 オナラと共に女の子に変身するなんて考えたくもない。


 そんな僕たちの会話に仲田さんも乗ってくる。


「ボクとしては急激な新陳代謝に合わせて肉体が燃えている説を挙げたいところだね」

「それだとポンッよりボォッて感じになりますね」


 僕は何となく『魔法少女マジェスチャン』の少年たちが燃えながら変身する様子を思い浮かべる。

 肉体の変化に痛みを感じる二人がよりいっそう苦しむことになり、それではお姉さんを救えない気がした。


 人体発火現象といえば『むほうに無心』のライバルキャラが有名だっけ。

 あの作品にも今でいう男の娘キャラが出ていたような。


 いずれにせよ、TSモノにかぎらず半ばお約束化している表現なので、あまり真剣に意味合いを探っても意味なんてないかもしれない。


「案外、玉手箱の影響だったりしてな」


 五郎さんが冗談半分に放った言葉に、僕と仲田さんは「ああ」と手を叩いた。



     × × ×     



 ドライアイスのスモークが収まったところで、僕は今日も伏原くんの姿が見えないことを思い出した。

 五郎さんに聞いてみると、なんと「無断欠勤」だそうだ。


「今日はあいつの当番なのに、来ねえもんだからオレが代行してんだよ」

「そうだったんだ」

「だから小山内も暇つぶしに付き合ってくれよな。やることがないなら完成したばかりのこいつを読ませてやるから」


 彼はカバンからノートを取り出した。

 そこには30ページに及ぶ、マンガのネームと思しきものが描かれていた。

 なぜ思しきなんて半端な語句を用いたかといえば、それらがあまりにも上手く出来過ぎていたからだ。鉛筆とはいえ完成原稿並みに書き込まれており、はっきり言ってそのまま読めてしまう。

 今まで内容を詰めてきたぶん、話の流れはわかっているつもりなんだけど、不思議と財布からお金を出したくてたまらなかった。


「すごいよ、これ……五郎さんプロになれるよ……」

「褒めても何も出ねえぞ」


 五郎さんはちょっぴり嬉しそうにしつつ、「伏原のネームを仲田さんの助言で作り直したからな。オレだけの作品じゃねえ」と謙遜してみせる。


 それにしたって絵を描いたのは彼であって、その力は十二分に称えられるべきだ。

 絵の描けない僕としては、羨ましいとしか言いようがないんだから。

 こんな時だけ「石室」が脳裏に過ぎるけど――五郎さんの努力を見てきた身としては、バカなマネは止めたいところである。自分のプライドを守るためにも。


「伏原にも見せたいんだけどな」

「そういえば3日くらい来てないよね」

「オレは昨日休みだったから知らねえが……なんだ、あいつよっぽどあの件が気に入らなかったのか」


 五郎さんは訝しる。

 彼の言う「あの件」とは忘れ物班の正常化のことだ。

 当然、仲田さんは知らないので「いったい何のことだい」とアイスティーを飲み込んでから訊ねられた。


 若干面倒くさかったものの、二人がかりで話してみると――彼女は、


「それってさ、昨日の小山内くんの電話と関係あったりする?」


 またもや面倒くさい方向に話を進めてくれた。

 五郎さんも「やっぱお前ら仲良いんだな」と変に興味を抱いたみたいで、どうにもこうにも話すしかないみたいだ。


 とはいえ、やはり恥ずかしいので出来るだけ恋愛方面を感じさせないように伝えることにする。

 実際そっちより友情方面の話だったわけだし。


「なるほど。やっと河尻さんの件にケリが付いたのか」

「まあね」


 僕はそう答えて己を安心させようとする。

 あれで済んだものと思いたい。もう何も起きないでほしい。またいきなり鳥谷部さんの姿にされたらどうしてものか……今度はカラオケとか洋服店に突っ込もう。せっかくなんだから楽しまなきゃ損だ。


「……となると、やっと鳥谷部にも答えを出せるんだよな」

「え?」

「あっちもお友達なんだろ。早く手を出しておかないと他の奴に取られちまうぞ」


 五郎さんはほんのり肉食の色合いを出しつつ、なぜか僕にハッパをかけてきた。

 以前からそうだったけど、この人は他人の色恋沙汰が好きなんだろうか。まあ僕も好きなほうだけどさ。お互いにTS好きでありつつラブコメ好きでもあるんだよね。

 もう一人の同志も「え、なに小山内くんったらモテモテでハーレムなのかい」と色めき立っている。


「モテモテでもハーレムでもないです。ジュースを手に入れてきますね!」


 さすがにこれ以上、自分の話をするのはイヤだったので、僕は買い出しを口実に『第2保管室』から出ていこうとした。

 ところがどっこい、元プロップでスクラムを組んでいた五郎さんと、女性であることを活かして手を握ってくる仲田さんから逃げられるはずもなく。

 伏原くんが来るまでを条件に、ひたすら鳥谷部さんの話をするハメになった。




 もっとも――結局、この日もまた、伏原明佳が同志の会合に顔を見せることはなかった。

 おかげで、僕はまたもや彼にマンガを返却できず、仲田さんには「女の子を待たせちゃダメだよ」と夕方まで詰められることになった。


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