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     × × ×     


 三番手の伏原くんは『カプセルトイ』という作品を紹介してくれた。

 くしゃみをすると女性に変身してしまう主人公が、男と女の二つの姿で憧れの同級生に接近していくマンガだとのこと。

 主人公(女)の姿は変身体質の原因になったVRゲームの案内嬢に似ており、本来の姿とは似ても似つかないそうだ。正体を隠しているのもあって、作中でも他人(主人公の知人)として扱われているとのこと。


「まあ入れ替わりモノのように元々生きている人になりかわるというわけではないので、そのあたりはお好みで。ちなみにお色気マンガなので主人公も脱ぎます」

「あ、そうなんだ」


 すごくどうでもいいことを教えてくれる伏原くん。

 あとでアマゾンをチェックだけしておこう……と心の中で決意していたら、彼から「6巻から該当ですから気をつけてくださいね」と耳打ちされてしまった。おのれ。心を読むなんてほめられないよ。


「カプセルトイといえば、39話は見物だったな」

「きゃー! 女性の姿でラブレターを受け取る回ですね! 相手が強面の番長なのに案外素直な性格なのもあって楽しくデートしちゃうんですよね!」

「不良から守られてドキドキするのも、これ以上格好良いこと言われたらヤバイって赤面させられるのも、どっちも名シーンだよな!」


 にわかに語り始める同志たち。

 二人の希求する萌えポイントとはそういうことだったのか。うーん。ぶっちゃけドン引きポイントに近いから口には出したくないなあ。萌える気持ちは十分にわかるし、こうして内容を耳にしているだけでもシチュエーションを想像して楽しめるくらいなんだけどね。


 ナンパ野郎に迫られるシーンについて語っている二人をよそに、こっそり伏原くんのコップにせんべいを入れておきつつ、ふと先ほどの彼の言葉を思い起こす。

 そもそも他人の心の揺らぎでなぜ萌えるんでしょう。


「――しかし五郎さん、もし主人公の福浦が一生あのままならどうなっていたんでしょうね」

「そうだな。女の時でもあのスケベぶりだから、特に変わらないんじゃないか?」

「小生としてはやはり肉体に引っ張られるのではないかと思います。現に番長にはドキドキさせられているわけですから」


 彼は自分でそう言ってから、カッターシャツのポケットからメモ帳を取り出すと「帰宅してから読み直します」とメモを取り始めた。

 その隙に五郎さんもこっそり伏原くんのコップにせんべいを入れている。二人とも『カプセルトイ』を読み直したいと感じたようだ。


「そういや小山内はまだ読んでなかったみたいだな。ネタバレしてたらすまん」

「いや。むしろ適度なネタバレだったから余計に読みたくなったよ」


 こちらの返答に、なぜか伏原くんが「あーありますよね。ネタバレのおかげで読みたくなること」と絡んでくる。

 たしかに、とあるキスのテクで女の子をいてこましちゃうマンガなんて、ラスボスがムリヤリニューハーフにされた元チンピラでなければ食指が動いていなかったかもしれない。何だかんだでそこ以外も楽しめたからラッキーだった。

 あのキャラも、他の女の子に好意を向けられている主人公にジェラシーを感じていたりするのが、TS的に美味しいところなんだよね……ああ、こういうのを伝えればいいんだ。絶対に恥ずかしいじゃないか。


 一巡したので、次はまた五郎さんの手番となる。

 ところが、当の五郎さんが「福浦の成長体……納豆……」と呟きながら、やたらとグラマーな女性を描くのに力を注いでいたため、しばらく待たされることになった。納豆って何のことなんだろう。


 窓の外に目を向ければ、相変わらず雨が降り続いている。この感じだと当分は出ていけそうにないなあ。

 何となく窓に近づいてみる。

 すると伏原くんもひょっこりついてきた。


「ずっと雨ですね」

「そうだね。なんか気分まで悪くなってきたし、半日くらい女の子になっちゃいそうだ。他の生徒にバレたら大変だから、早く学校の寮に入れてもらわないと」

「ふふふ。『くもりのちゆき』ですね」

「わかってくれて良かった」

「そりゃわかりますよ」


 彼は当然とばかりに胸を張る。

 何となく「TS博士だね」と褒めてみたらイヤな顔をされた。


「ところで……さっきの話ですけど、センパイも、あのままだったら乙女になってたんですかね」

「ん? あのままって、6月のあれのことかな」

「はい。センパイがトリセンパイになっていたのは2日ほどでしたけど、あれがずっと続いていたら、どうなったんでしょう」

「あのままか……」

「もしかすると、他の男の子に恋をしていたかもしれないですよ」


 伏原くんは柔和な笑みを浮かべる。湿気の多い日なので、夏ウサギみたいな毛がいつもよりモフモフしており、さっき他の女子に撫でられまくっていた。出家すればいいのに。


 鳥谷部さんの肉体で他の男に恋をする――個人的には、あんまり考えたくないシチュエーションだ。

 自分が女の子になって恋をするならまだしも、彼女になりかわった上で他の人に恋をするのはなんだか許せない。

 おそらく「仲の良い友人」としては身勝手な感情なんだろうけど。


「……できれば、そんな恋はしたくないよ」

「そうですか」


 伏原くんは意外そうな表情を浮かべると「ちなみに小生はこんな公式を考えていたりするんですよ」とメモ帳を見せつけてきた。


 心の女性化=(社会的圧力+身体的圧力)×経過時間


 自分が文系なので文字通りにしか読めないのもあるけど、まあそうだろうなという感想しか出てこなかった。大体のTS作品はこの公式に則って作られている気がする。

 これに反論を寄せてきたのは、イラストを描き終えた五郎さんだ。


「いや、いきなり発情するパターンもあるだろ」

「それは身体的圧力に含められます」

「他にも魔法で恋心を植えつけられるとか、たまに女っぽい話し方しかできなくなる作品もあるじゃねえか」

「小生的には自分から女性らしい仕草や口調を選んだほうが萌えますが、たしかにその点は修正の余地がありますね……」


 伏原くんは「+特殊事情」とメモに追加した。


「そんなの付けたら何でも特殊事情に含められるぞ」

「そりゃそうですけど。でも仲田さんの話だとこういう『決まりごと』を用意しておくと石室を扱いやすいらしいですよ」

「へえ、そうなのか」


 不意にあの話が出てきた。

 僕は、その仲田さんのおかげで少しだけ晴れてくれた気持ちを快晴にするために、この子に一歩だけ踏み込んでみることにする。ずっと訊ねたかったこと。


「……そういえばさ、なんで伏原くんは石室を使わないの?」

「へ?」


 彼はキョトンとしていた。


「だって、あれを使えば、ちょうど今話していたことをみんな体験できるんだよ。別に長期でなくても女の子の気分を味わえるし」


 まさにTS好きにとっては夢のような代物だ。

 なのに、彼が使わないのはなぜか。五郎さんは今すぐでなくてもいいと話していたけど、この子の気持ちはまだ知らない。僕たちみたいに6月に体験したならまだしも、彼なんてまだなったこともないというのに。


「小生は……」

 彼は悩むような素振りを見せてから、ニマッと笑みを浮かべて、


「小生は今が好きなんですよ」


 そんな答えを出してきた。

 さらに「知らないからこそ妄想できるところもありますし」と続けてくる。

 その目はどこか寂しげでもあり、妙に自慢げでもあった。


「大体、あれからセンパイが苦しんでいるのを間近に見てますからね」

「え、僕が苦しんでるって」

「センパイはわかりやすい人ですもん。いまいちTSFを楽しめていないのがよーく伝わってきました。けど好きなものは好きだから苦しいみたいで」


 彼は「だからセンパイ好みのマンガを作って差し上げたかったですし、こうして新しい作品を知れる大会もやってみたり」と耳打ちしてくる。

 照れることもなくさらっと告げられるあたりに彼の底知れなさを感じた。

 むしろ照れてしまったのはこっちで、つい「恩の押し売りなんてやめなよ」と返してしまいそうな自分の口を抑えるはめになる。


 ぶっちゃけ伏原の奴、お前の気を引くのに必死だから、もうちょい何とかしてやれよ。

 またもやイラストの制作に必死になっているマッチョマンの、ほんのひと月ほど前の台詞が妙に突っついてくる。あーもう。気にせず話を続けよう。


「つまり伏原くんは女の子になりたくないわけだね」

「そんなこと言ってませんよ。やっぱりなってみたいです。でも、いつでも元に戻れる状況では心から楽しめないですよ。絶対に何をやってるんだろ自分ってなります」

「仲田さんは?」

「あの人はまともじゃないですから。それに……」


 伏原くんはそこまで言ってから、おもむろに窓を開けた。

 彼の小さな手に雨粒は落ちてこない。

 夕立だったようですね。彼は空を見上げながら、そう笑った。


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