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 年をとってから授かった初めての子供ということで、俺――藤堂明良は両親を含めた親戚一同から大変可愛がられていた。地域の大病院の一人息子というこの上なく整った環境で育った上に、優秀な父も類まれなる美貌を持つ母も、忙しい時間の合間を縫ってできる限り接してくれた。だから俺は彼らの希望にはできるだけ応えたい、むしろそうするのが当然だと思っていた。


 俺の顔は美しいのだと、周囲の人間は言う。しかし、美しく人目を引かずにはいられない母の顔を見て育った俺は、自分の顔をそれほど秀でたものには感じられなかった。仮に美しかったとしても、それは母の功績であって俺の力で得たものではない。生まれついて持ったものよりも、俺自身が努力して手に入れたものを褒めてほしかった。


 だが、そんな願いとは裏腹に、ほとんどの人間は俺の能力には興味がないようだった。それぞれにぞれぞれが俺を畏れ、敬い、羨み、妬み、怒り、蔑んだ。小さいころからその視線には敏感になっていたが、それを具体的な形で目にしたのは中学1年生の音楽の授業だったと思う。


 その時の音楽のカリキュラム――確かリコーダーだ――が苦手だった俺は、まともに吹けなかったどころか音すら出せていないという具合で、傍から見ても不出来なのは明らかだった。しかし、成績が出てみて驚いた。俺の通知表はほとんどが最高値の5ばかりで、例に漏れず音楽も同様。あのメロディーにすらなっていない状態で、成績優秀という判定が出たのだ。流石におかしいと思って音楽の女性教師に尋ねると、はきはきと何の後ろめたさも感じていない様子で返された。曰く、


「藤堂くんの顔で音楽ができないなんて恥ずかしいでしょう。今回はオマケしてあげたわ、次はもう少し練習しなさいね」


 つまり、俺の顔では低評価をつけにくいと、俺の本来の実力は「恥ずかしい」のだと、彼女はそう言ったのだ。自分が否定された気分だった。彼女に悪意がないのがわかったから尚更に。


 だったら反抗すればよかったじゃないか、と考える人もいるだろう。黙って引き下がるなんて馬鹿馬鹿しい、申し出て本来の評価をつけ直してもらえばよかったと。できることなら俺だってそうしたかった。けれど、俺は藤堂医院の一人息子で、将来、地元の人間のおよそ8割が一度は利用する藤堂医院を背負う立場にいた。考えなしの幼稚な振る舞いをすることで、俺の評価が下がるだけではなく、親を始めとする様々な人間に迷惑がかかってしまうであろうことは自明の理だった。クラスメイトの大半が将来の患者という状況で、感情を露わにしていいはずがなかった。


 人にはそれぞれの役がある。誰しも家族に見せる顔と友人に見せる顔は違う。むしろ電車で偶々隣になった人に友人のように接したら不審に思われ、興味がない他人に優しくする義務なんてないのが普通だ。


 俺は、少し違った。ほとんどの地元の人間に何かしらの関わりがあって、無愛想で無関心に過ごしていることなんてとてもじゃないができなかった。常に親愛の情をこめた顔で過ごし、どんな人に対しても優しくする義務があった。


 美しく優しい人間として、生活せざるを得なかった。


 そのことから決して逃げようとは思わなかったが、本来の「藤堂明良」が抹消されているという事実に神経が削られていたのも確かだった。




「可愛い人、綺麗な人、美しい人が媒体の絵って、なんだかちょっと虚しいんだよね」


 だから、初めてゆかりと会話をしたとき、俺はいつものごとく嫌味を言われたのかと思った。中学1年生のあの一件は、生まれ持った顔によって得をした出来事だったが、常に身を助けてくれるだけではなかったから。


「どうして?」

「美しさって永遠じゃないから。美しい人が絵になるってことは、つまり『これがこの人の限界だよ』って決めちゃってるような気がするの。もうその人の未来は潰えたんだよ、って」


 俺は目の前の冴えない女生徒を見遣った。虚しい、と言ったその口は微かに微笑んでいて、それがどうしてか悲しげに見えてならなかった。絵画の対象に対する慈悲や憐みが垣間見えて、どうやら悪意を込めて言っているわけではないと気付く。自意識過剰な自分にあきれつつも、少しほっとした俺は彼女に問いかけた。


「じゃあ沼野さんは美人が嫌い?」

「そんなことはないよ。自分が美人に生まれてたら、って事あるごとに妄想する。だから、いろんな人に綺麗だって言われてる藤堂君が羨ましいよ」


 なんだ、結局この女も他と変わらない。綺麗になりたいと望むだけ望んで、しかしそこに付与される周囲からの視線には無頓着だ。何かを持つということにはそれなりの責務が生じるということを、この女はまるでわかっていない。そういった諦観が俺を襲う。


 普段の俺なら、適当に相槌を打ってとっととその場を去っていただろうが、この時は違った。一度気を緩めていたところで失望したから、余計に気分が悪くなったのだろう。つい「それは違う」と言いかける。


 しかし。彼女は無邪気に、何の下心もなく言ってのけたのだ。


「でも、藤堂君がすごいのはそこじゃない。自分の意見をしっかり持ってるところの方が、本当は羨ましいんだ」


 彼女が自分の言った言葉の重みに気付いていたとは思えない。ふとした時に話した、実のない雑談。そう処理され、きっとこんな会話をしたことすらすぐに忘れられてしまうだろう。でも、それでもかまわない。俺を、ただの藤堂明良として見てくれたその言葉を、光景を、彼女自身を、俺は絶対に忘れない。厳重に鍵をかけて、心の奥底に大事に仕舞っておこうと決意する。


 誰にも言わない、誰にも邪魔させない。俺だけの大切な記憶として。




 俺はゆかりと同じ高校に行きたいと思った。ずっとに傍にいられなくてもいい、同じ校舎で同じ空気を吸えるだけでいいから、一緒の高校で学びたいと。時々廊下でばったり会って、それほど仲良くないから会釈で通り過ぎて、でもたまには挨拶してくれて。本当にそれだけでいいから、俺は彼女の近くで高校生活を送りたいと願った。初めて心から何かをしたいと思った。


 しかし、そんな俺の希望も両親の前では無意味だった。彼らは環境の整った私立に行ってほしいと言い、当然そこはゆかりの志望している高校とは別の場所。何度も交渉したが両親を説き伏せることはできず、望み通り私立の名門高校に行くことになった。その代わりと言ってはなんだが、俺は彼らが提示したところではなく、ずっと遠い学校を受験することの許可を得た。


 俺はどうしたって結局はこの地元に帰ってくることが定められている。ならば、高校ぐらいは、藤堂医院の一人息子ではなくただの藤堂明良として――ゆかりが見てくれたありのままの自分で、選択し生活したかった。二人ともやはり難色を示したが、すでに一度息子の願いを退けていることもあって、送り迎えをつけて通うならいいと言ってくれた。


 ゆかりのことは一切話さなかった。彼女のために地元高校を願ったなんて知れたら、親戚がどれほど煩く言ってくるかわからない。話したところで家格が違うから無理だと言われるのが関の山で、そんな現実から目を逸らしたかったというのもある。もし彼女が医者にでもなってくれたら話は違うのに、と身勝手なことを思いながら、俺は自由へのチケットを手に入れた。




 だが、高校に入っていざ自分らしく振舞ってみると、周囲からの評価は散々なものだった。美しいと言われる顔で客寄せパンダになるつもりはなく、地元で常に笑顔を絶やさなかった反動か、まんべんなく他人と付き合いたいとは思わなかった。それが裏目に出たのか「無愛想で怖い」「見ているだけで充分」という考えが広まるころには、俺は一つのどうしようもない真実を受け止めなくてはならなかった。つまり、皆は「優しくて美しい藤堂明良」が好きなのであって、俺自身の性格や人となりや趣味なんかはどうでもいいのだ。ゆかりは「自分の意思をはっきり持っているところが羨ましい」と言ってくれたけど、周りはそうではなかったらしいということを、改めて認識し直した。


 クラスでは美術品のような美しさを愛でる対象としての立ち位置が確定され、人間としての個性は無言で抹消された。


 怖かった。地元では、俺は藤堂医院の息子として、そして自分自身の努力の結果として人々から大切に扱われ守られていた。ある意味支配者で、上に立つ人間として存在していた。けれど、一歩外の世界に踏み出してみると美しいだけのただのモノでしかなく、生き物とすら認識してもらえなかった。俺は誰よりも弱く、人権は簡単に剥奪された。


 綺麗に化粧をした女たちが俺に群がって話しかけてきても、競売品を競り落としているようにしか見えなかった。自分の気に入った美術品を、どれだけ早く奪い取れるか。そのために告白という手段を用いているようにしか感じられず、尚更俺は表情を消すようになった。




 そんな時、不意に見覚えのある背中が俺の前に現れた。まさか、まさか。でも、あれは間違いなく俺が焦がれつづけた、彼女の。


 しばらく後をつけて行って、彼女の背中を見つめ続けた。廊下を曲がるときにちらりと見えるゆかりの横顔に、俺は信じられないほど安堵する。間違っていなかった、とかではなく、彼女は本当に実在したのだ、という類の。話したことがあるのだから、俺のその時の感情はどう考えても可笑しいものだったが、自分の人間性が否定された世界で何の因果か現れた彼女の姿に、形容しがたい尊いものを感じたのだ。


 ゆかりは職員室に入り教師と何か話している。高くも低くもない平凡なその声音に俺は再び安堵し、泣きたいような笑いたいような、訳のわからない衝動をどうにか抑え、延々と彼女の後姿を追っていく。たどり着いたのは旧校舎の美術室。彼女は中学生時代美術部だった、ということを思い出し、鍵を開ける彼女の肩を触った――本当は触ったつもりだったが、うまく自分の感情をコントロールできなかったらしい。思いのほか強く掴んでしまい、痛い、という小さな声が耳朶に響く。しかし俺は謝りもせず、ただ「沼野さん」とぼんやりと呟くしかできなかった。


『美術室の獣』ではたくさんのアクセスとお気に入り評価、ありがとうございました。明良視点は長く最後まで書ききるのに時間がかかるため、連載という形で投稿させていただくことにしました。今後は一定の場面までかけたら掲載する予定です。

時間がかかってしまうかもしれませんが、今作もどうかよろしくお願いします。

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