水曜日の放課後
水曜日の放課後はいつだって辛い。どうしようもなく胸が痛くなって、何も考えられなくなってしまうから。
「咲喜、帰ろうよ」
「ううん、今日は先に帰ってて」
いつもなら一緒に帰るけど、今日は特別。
今日は、あの日からちょうど一年が経つから。
*
私と透はいつも二人だった。幼い頃から二人で、何をするにも一緒。幼稚園から高校まで、一度もクラスが別になったことないのがちょっとした自慢。
「なぁ、俺らっていつも一緒だよな」
「なんか腐れ縁って感じだよね」
あの時は腐れ縁とか言ったけど、本当は嬉しかった。素直になれなくて、ごめん。
ずっと続くんだと思っていた。いつだって透は側にいてくれる。私を守ってくれる。
でも、それは甘えだった。
あの日は、雨が降っていたのを覚えている。
水曜日の放課後、靴箱を出て傘を開いたところで私は鞄が軽いのに気づいた。
「あ、体操服だ」
傘をたてかけて、私は教室に体操服を取りに戻った。
すこし遅い時間だったためか、校舎には人気があまりなかった。
聞こえるのは、雨音とシューズが廊下を叩く音だけ。
階段を昇りきり、教室の戸の前に立ったところで、中から話し声が聞こえてきた。
「俺さ、ずっと前から好きなんだ」
透の声だ。私はそっと扉に耳を近づける。
胸が、痛いよ。
「そうなんだ。でも、突然すぎてびっくりしたよー」
相手の人の声、知ってる。相沢さんだ。
相沢さんは、私と違ってクラスの人気者だし、美人。
こんど会った時、おめでとう。そう言おう。
「あれ?」
なんで? なんで私泣いてるの?
せっかく透が告白してるのに。祝福してあげなくちゃいけないのに。
私は走り出した。廊下に、みっともない足音が響き渡る。
「咲喜っ!?」
後ろから声が聞こえる。透だ。
でも、私は振り向けない。こんな顔じゃ、素直に祝福してあげられない。
私は、そのまま走り去った。
家に帰っても、私の悲しみは止まらなかった。身体中全部の涙が、私からあふれ出る。
やっと気づいた。
私、ずっと透のことが好きだった。
「でも、もう遅いよね」
うぬぼれじゃないけど、多分透も私のことが好きだったんだと思う。でも、私が透の気持ちに応えてあげられなかったのが悪いんだ。
どうしよう。明日から、ちゃんと笑えるかな。
突然、携帯の着信。相手は透。
私は迷ったけど、震える手で通話ボタンを押した。
「もしもし・・・・・・」
「咲喜ちゃん? 私相沢だけど」
何で透の電話から相沢さんが?
「実は・・・・・・」
私の世界は、その瞬間に崩れ去った。
翌日の私は、周りから見ても明らかなほどに憔悴していたと思う。
昨日の夜に聞いた言葉が、耳から離れなかった。
信じたくない、全部嘘なんだ。
聞きたくないと、耳をふさぎ、見たくないと、目を閉じる。それではなにも変わらない。ただの逃避だということはわかっている。
でも、向きあったら、自分は壊れてしまう。
重い気持ちのまま家を出る。
いつもなら、透を家まで迎えにいくのだけど、今日はそういう気分にはなれなかった。
バスの時間も一つずらした。隣の席の空白が、やけに大きく感じられた。
靴箱でシューズに履き替えていると、声をかけられた。
「咲喜ちゃん」
相沢さんだ。
「おはよう、相沢さん」
自分ではいつもの調子で言ったつもりだったけれど、相沢さんの表情を見て失敗したんだとわかった。
「昨日は突然ごめんね。あんなことを言うつもりはなかったんだけど・・・・・・」
相沢さんの声が遠くに聞こえる。
私の中でいろいろな感情が渦巻いている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「ごめんなさい・・・・・・!」
気づけば、私は相沢さんから逃げるようにして走り出していた。
私は、臆病者だ。
その日の夜、透からメールがきた。
期待と怖さ。二つの感情が入り交じる。
「どうしよう、透・・・・・・」
透からのメールだというのに、私は透に助けを求めている。
駄目だ。このままじゃ、私はいつまで経っても変われない。
メールを、開いた。
《滝本さんへ。
この前はごめん。変なところを見せちゃったね。俺は、ずっと滝本さんと一緒だったし、滝本さんのことがずっと好きだった。けれど、滝本さんはそうじゃなかったね。多分、俺のことを友達というか家族というか、そういう風にしか見てなかったんじゃないかな? だから、俺はそれを変えるために相沢さんに告白することにした。もちろん、これが滝本さんにも相沢さんにも失礼だってことはわかってる。けれど、俺だけが一方通行で滝本さんに好意を抱いていたんじゃ、二人とも先に進めないって思ったんだ。
勝手なことを言うけれど、相沢さんは悪くないんだ。俺が勝手に告白しただけだから。恨むなら、俺を恨んで欲しい。
好きだから離れたくないけど、好きだからこそ離れなくちゃいけない時もある。これが、俺の出した結論です。どうか、滝本さんも幸せになってください。好きな人を、見つけてください。 透》
いつもの咲喜ちゃんじゃなくて、滝本さん。これが、透の覚悟なんだってわかった。
でも、違うよ。私は、いつだって透のことが好きだった。けれど、私の想いは透に伝わってなかった。
私がもっと素直になっていれば。私が「好き」って透に言えていれば、きっとこんな結末にはならなかった。
お互いに好きだったのに、お互いに不器用だった。
私たち、もっと素直になるべきだったね、透。
その後、私は二人を呼び出して全部を話すことにした。
透を好きだったこと、自分のわがままさ、臆病さについても。
透は困ったような照れたような顔をしていた。
相沢さんはなにも言わなかったけれど、私を抱きしめてくれた。
悲しかったけれど、すっきりもした。
そして、私は前に進めるとそう思った。
*
今日は特別な日。
透との通学路を、思い出しながら帰る日。
あの日のことがあって、私は強くなれた。
あのときの全ての感情が、私をつくっていったのだから。
「あれ?」
靴箱を出て、空を見上げる。
晴れわたった空が、私を迎え入れた。