第六話 『倒さずにいられない』
ピアス男の手から放たれた灼熱の弾丸。木造の机は灼熱の弾丸に貫かれて燃え上がり粉砕してしまった。相当分厚い木で形成されていたはずだ。先程座っていた席にあった机だから間違いない。
なのに、呆気なくそれは塵と木片へと姿を変えた。ただの一撃で、ただのビー玉で。
本能が脳に危険信号を告げる。さらには肌が焼けつくような何かを感じ取っている。冷や汗と震えが一向に止まらない。
ヤバイ、ヤバイ、殺される。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ――――
思考が完全に停止する。こんな時こそ判断力が、洞察力が、適応力が、理解力が、考察力が重要視されるっていうのに。
後輩だっているんだぞ。俺は先輩なんだぞ。後輩は女の子なんだぞ。俺は男なんだぞ。守ってやらなきゃいけない存在なんだぞ。守らなきゃ灯莉に殺されるぞ。俺が、俺が、俺が守らなきゃ――――
「“貫灼弾”!!」
混乱に頭が支配されている判断の下せない状態の俺に、ピアス男は一切の情け容赦なく炎の塊を投擲してきた。
不味い、ヤバイ、不味い、ヤバイ、不味いヤバイ不味いヤバイ不味いヤバイ不味いヤバイ不味いヤバイ不味いヤバイ不味いヤバ――――
「“瀑布泡海”!!」
体が貫かれるイメージが浮かんだ瞬間、目の前に何層にも組み上げられた水の壁が出現した。水の壁は俺に迫ってきた炎の塊を鎮火させた。
「あぁ?」
「躾がなってないわね。何の挨拶もなく殺しに来るのはいただけないわ」
ピアス男と俺の間に入り込んできたのは、青い髪をなびかせた一つ下の少女だった。
お前も何の断りもなしに俺に攻撃してくるじゃないか……って、おい!
「何やってるんだよ……!」
「能力もまともに使えない“出来損ない”を庇ってんのよ。文句ある?」
「大有りだ! 俺なんかに構ってないでさっさと逃げろ!」
俺は後輩に怒鳴り散らした。あのピアス男はヤバイ、躊躇いなど微塵も感じることなく人を殺せるような目つきをしている。俺は今迄に色んな人間を見て、観察して、考察して、洞察してきた自信がある。そのどの人間にも当てはまらない気のふれた人間、いかれ狂った狂人。
そんな奴を相手にすること自体がまず間違いなんだ。それに気付いてくれ後輩。頼むから逃げ出してくれ、勝負を投げ出してくれ、俺を見捨てても構わないからなりふり構わず生き延びてくれ。
「アンタも私を舐め過ぎよ。現に今、私はコイツの攻撃を防いだわよ」
「確かにそうだが…………アイツは正常でないし、尋常でない、異常だ。俺たちが敵うような相手じゃないだろう」
「……私はね、ゲームでも“にげる”だとか“退く”だとかの類のコマンドは一回も使ったことが無いのよ」
突然後輩は自分のゲームに対する信条を語りだした。
「私はこの人生はゲームだと思ってんの。やり直しの効かないハイレベルなゲーム。だからさ、私の頭の中にはそんな考えはこれっぽっちも無い」
後輩の周囲、正確には後輩の足下から水が後輩を中心とした渦を巻くように発生していく。その量は膨大、バケツ数杯程度の容積を遥かに超えた量の水、それはとどまることを知らずにドンドン発生していく。
「アイツは所謂ボスよ。倒さずにいられない」
「…………ほぉ、なかなか面白い餓鬼がいやがるなぁ……! 俺の“貫灼弾”を消し去るほどの液体を操るとはなぁ! だがぁ? てめぇの水じゃあ俺の炎は蒸発させて相討ちってのが関の山みてぇじゃねぇかぁ!!」
「そう見たいね。実際、私は炎が相手だと能力を全開に出来ない。私の能力の真骨頂は水じゃないんだから」
後輩の周りの水がまるで意思を持っているかのように動き出した。水は細く伸びていき、一本、また一本と触手のように形を変化させていく。
それもただ水が触手の形を成しているのではない。触手の一本一本が渦巻いている。その勢いは凄まじく、ただの液体といえども、あれと真っ向から衝突したらただでは済まないだろう。
「ほぉ、自分の実力が最大限に発揮出来ないと解っていながらも、逃げずに勝負を挑んでくるたぁ大した度胸ぉしてるじゃねぇのぉ!」
ピアス男は後輩を凝視しながら両手に炎の塊を形成した。その大きさは先ほどより数倍巨大化している。その上、その熱量も大きくなっている。十数メートルは離れているというのに、肌が焼けるような熱風が俺たちを襲ってくる。
「そんじゃあよぉ、おっ始めるかねぇ! “貫灼弾”!!」
ピアス男の両手から炎の塊が二つ射出された。やはりその大きさは先ほど防いだものよりも大きい、後輩はこれを防ぎきれるのか――――
「“瀑布泡海”、“氾濫”!!」
後輩の事を危惧した瞬間、炎の塊の前に一本の水の触手が立ちはだかりそれらと激突した。しかし、炎の塊の威力に水の触手が押されている。
そう思った刹那、その触手が爆発し、大量の水がピアス男へ向けて噴出された。その水の激しい勢いに炎の塊は一瞬で消え去り、ピアス男もその水の流れに飲み込まれていった。
「仮にも、私は症状Bの上位クラス。あれぐらいの炎を消し去れなくてどうしろって言うのよ?」
後輩、お前まさか、あのピアス男と真っ向から立ち向かうつもりか!?
「馬鹿野郎!! さっさと逃げるぞ!!」
後輩の手を引いてこの場から撤退しようと試みる。しかし、後輩は俺の手を弾いてそこから退こうとはしなかった。それどころか先程よりも前進して、激流に飲まれ倒れているピアス男を睨み付けている。
ゆっくりと起き上がったピアス男はそんな無謀な後輩を見て、玩具を見つけたように不気味な笑いを浮かべた。
「いい度胸ぉだぁ…………ただ殺すだけで終わらなそうだぁ!!」
ピアス男は歓喜の叫び声を発し、両手をズボンのポケットに突っ込んだ。そのポケットから抜け出した手の中には、先程のビー玉とは違い、一粒一粒が極端に小さくなったオレンジの弾が大量に握りしめられていた。
あの大きさから判断するに、あの弾はエアガンなどでよく使用されるBB弾だろう。
「“貫灼散弾”!!」
ピアス男はそれを後輩に向けて盛大にぶちまけた。すると、そのBB弾の全てが赤く輝きだした。
まさか、あれ全部炎になっているのか……!?
「“瀑布泡海”、“奔流”!!」
その弾け飛んでくる数多の殺人弾丸に対して後輩の行動は素早かった。
後輩は水の触手を三本を自分の前方に集め水の塊に形を変化させ、水の塊を布のように拡げて飛んできた炎の弾丸を全て包み込んで飲み込んだ。
ピアス男はその光景を目の当たりにして、怖じ気づくことなく狂喜にうち震えていた。
「うっひょぉおおおおおおおぉ!! やるぅ!! だったらこいつだぁ!!」
ピアス男は懐から取り出した大きめの弾を五つ無造作に放り投げた。
「何度やっても同じ――――」
突然後輩の手が止まった。理由は俺からでも解ること。
ピアス男が放り投げた弾がビー玉でもBB弾でもなく、ゴム玉。所謂スーパーボールだったからだ。
ゴム玉はあちこちの壁や床やテーブルに高速でぶつかって跳ね返り踊っている。これだけの速度で乱反射されてはどこからくるかが検討もつかない。
しかも、これらが目に見えないところから襲ってくる危険性がある。
それに対する後輩の行動はシンプルだった。
後輩は俺の傍に駆け寄ってありったけの水を集めて、俺たちを囲うような円を描くように水を這わせて、その水を空へ向けて噴水させる。これで円柱状の水のシェルターが完成した。
「ほぉ? ふぅむ、なるほどなぁ……」
後輩が形成した水のシェルターは五つの乱反射弾幕全てに対処できた。直前までゴム玉だったのもあって威力が弱いのが幸いしたようだ。
その様子を見ていた男は、口端をこれでもかと吊り上げ歯をむき出しにして笑っていた。そう、あれはまるで、自分の勝利を確信した強者の笑貌。
「緒虚幽忌ぃ、どうやらお前が攻略の鍵のよぉだぜぇ!!」
ピアス男はまたしても玉を二つ取り出した。それを時間差で一つ一つ投擲してきた。それも速度は先ほどよりも遅い。
「今更何を……」
後輩は水の触手を一本だけ伸ばして、今度は炎の塊を防ぐのではなく貫き爆散させた。一転集中された渦巻く水の触手はコンクリートを破壊できる。一度見たことがあるからその威力は充分に把握しているつもりだったが、改めてみるとより恐ろしく感じられる。
「おやぁ? いいのかぁ? 一発残ってるぞぉ?」
「……?」
ピアス男が放った炎の塊は二つ、後輩が爆散させたのは一つ、数が合わない。さっきまで確かに存在していたのに―――
「実はなぁ、一発だけゴム玉だぁ」
その声を聴いた瞬間、俺の背中に何かが押し当てられた。
「“貫灼焼夷弾”」
それが件のゴム玉だと解った時には手遅れだった。熱量で粘着性が高められたゴム玉は俺の背中に密着し、燃え上がるようにドォン!と爆発した。
「がっ、はっ!?」
「えっ―――」
ゴム玉だった炎の塊は、俺の後ろの壁に当たる瞬間に元に戻って反射、そして辺りの熱量で溶けたゴム玉をもう一度炎に変えたのだろう。なんて高度なテクニックをやってのけるんだ……!
「威力は極小だがぁ……不意の衝撃は慣れたもんじゃねぇだろぉ?」
確かに、服は完全に焼き尽くされたわけじゃないし、火傷もそこまで酷いものではないし肌も爛れていない。
だが、このダメージは初体験だ……後輩の能力も食らったことがなかったから、体の耐久力が相当弱体化しているようだ。
しかもこんな時に限って、俺の能力は発動しなかった。
「お、まええええええええ!!」
後輩が吠えた。今迄に見たことのない形相で。
「守ってやれよ凍瀧要ぇ……症状Bの上位クラスって自分で言ってただろぉがよぉ!?」
それを聞いた後輩の顔が悔しさで染まった。あれだけ自信満々に、余裕綽綽と言い放った言葉を守りきれなかったのだ。俺もその気持ちは解らないでもない。
だが後輩、今は意気消沈としている場合じゃないぞ!!
「俺の事は構うな凍瀧後輩!! 目の前のことだけに集中しろ!!」
怒号、咆哮、雄叫び、悲鳴、絶叫。どう取ってもらっても構わなかった。とにかく後輩に伝えたかった。何が何でも後輩を死なすわけにはいかないからだ。それが精神的な死であろうが肉体的な死であろうが。
「ああん? いいのかい凍瀧要ぇ。もしこのまま呆然としているよぉだったらぁ……? そこの男、半殺しにして拉致るぜぇ?」
ピアス男の言葉に後輩がピクッと反応し、ゆっくりと俯いていた顔を上げた。
「……させないわよ、そんなふざけたこと!!!」
「言ったなぁ? じゃあ今度は、守りきってみろやぁ!!」
「アンタ、隙が出来たら早く逃げなさいよ……解ったわね!?」
こうして、後輩の本気とピアス男の決闘が激化していった――――
◇ ◇ ◇
こんなに走馬灯がはっきりとしたものだとは思わなかったな。それにしても、ここ最近の記憶しか出てこなかったのは何故なのか。
俺的には、曲直と初めて出逢った日、蘇狐は灯莉と一緒に遊び出した思い出、砕碼さんに助けてもらった恩、あのババアにこき使われた悔しさ、クラスメイトたちとの懐かしい記憶。この辺りが出てくると思っていたのに、ほとんどと言っていいほど出てこなかったな。
走馬灯なんてのはやっぱり嘘だったのか。一番楽しい記憶が出てこないし、納得が出来やしない。
『ごめんね、ゆう君。ごめんね……』
…………走馬灯の基準なんかは知らない、誰がどんな理由でこんなものを見せ付けるかは知ったこっちゃない。
だが、今回ばかりは感謝しよう。
久しく、母の顔が見られたんだから。
嗚呼、それでも死ってのは避けられないんだな。目の前に迫ってくる炎に焼かれて殺されるんだ。
よし、折角死ぬんだ。何か有意義なことを考えて死んでいこう。
そうだな、死後の世界ってのは一体どうなってるのかを考えよう。
俺はつくづく思うんだが、死後の世界ってのは、絵本で書かれているような幸福が充足した極楽や、この世にはない苦しみを収束し限界を超えた苦行を課す地獄なんかじゃないだろう。
様々な宗教、多種多様な思想の中には、死んだらまた別の生を受け取りこの世に甦るだの何だの言っているが、じゃあ誰かそれを物的証拠で証明できるのかって話だ。
『私、一九三一年に死んだ渋沢栄一です。とっても日本に貢献しました!』とか、『一五七三年に死んだ武田信玄です。騎馬隊大好き!』とか、この時代でそんなことを宣言したところで何の証拠にもならない。狂人として扱われてしまう。
記憶転移なんて事象があったりするが、それは甦りや転生ではなく、ただの残留思念のようなものだ。ようは死んだらもうどうにもならないんだろう。
人は死んだら真っ暗な世界で、動くことも話すことも呼吸をすることも瞬きすることも食べることも考えることも生き返ることも禁止される。俺はそう考えている。
第二の人生なんてあるはずがないのだ。死者の魂の行き場は、魂のゴミ処理場。そのまま何もかもなくなり消えていくのだろう。
『ごめんね……』
母よ、出来るなら死んで貴女に逢いたかった。だが、俺の考えがもし正しいのならば、それは叶わぬ夢なのだろう。
「男は諦めが肝心。それは諦める所を見極めるタイミングが重要なのであって、何でもかんでも諦めてはいけませんし、今はその時じゃないのですよ?」
後輩の水の壁が蒸発しきり、俺たちが死を覚悟した瞬間、炎の塊が真っ二つに裂けて俺たちにあたることはなかった。
その後輩の水の壁が在ったところに、一人の男が空から降り立った。一瞬見えた顔つきはまさしくイケメンと呼ばれる部類の美男子、身長も一八〇センチ近くのうえに長い脚、澄んだ青い瞳と美しい亜麻色の長髪は目を惹くものだった。それに、この人には見覚えがある。
「なにぃ……? 貴様ぁ……」
「お久し振りですね、豪猪先輩。いや、今は重罪人、豪猪煉瓦とお呼びした方がよろしいですかね?」
ピアス男の顔に汗が見えた。先ほの後輩との戦いでは一切流さなかった汗を、この男の人と退治しただけで流している。
「ヘルマン・フォン・マテウスゥ……!!」
「僕の名前を覚えてくださっているとは、身に余る光栄。あなたが犯罪者でなかったらでしたが」
ヘルマン……ってことは―――
「生徒、会長?」
「ええ、皆さんの支持を受けて二度目の就任をいたしました、ヘルマン・フォン・マテウスです」
何故、学園の生徒会長がこんなタイミングでここに……?
「さて、僕の可愛い可愛い後輩たちに手を出した始末は、その身をもって精算して貰いますよ?」
ピアス男こと豪猪煉瓦、球体のものには目がない体質。