第十七話 『何を言ってるんですか!?』
「加賀美、有枢です」
宣言通り、二時間後に俺たちは初体面を終えた。もう夜であるというのに、俺は何をやっているんだろうか。いつもならゴールデンタイムの健全と言い切れない番組を梯子しながら、コンビニの新作缶コーヒーに舌鼓を打っていたはずなのに。
それがどうして、関節が粉砕されるのをギリギリ回避しながら二時間も部屋の掃除が終わるのを待っていたのか……まあ、対面できたからよしとしよう。
最後の扉を開けると、そこは実に女の子らしい内装をした部屋があった。壁紙は桃色、ベッドも黄色などの明るい配色。ところどころにぬいぐるみが配置されていて、小学生くらいの女の子の印象が与えられる部屋だった。
そして、この部屋の主はそんな印象を決して裏切らない風貌をしていた。真っ白なワンピースを着ている小柄な女の子。それよりも、顔が童顔すぎる。パッチリとした瞳も際立っているし、何より体が発達しきっていない。まだ成長段階、と言ったところだろうか。
いや、別に出るところが出てないとかじゃないぞ? 身長とか、手足の細さとかだぞ?
「有枢ちゃんだね。本当に、一つ下の学年か疑いたくなるね」
「まだ十二歳ですから」
ぶっちゃけたな。数えで十二歳だったら、学年的にはまだこの学園にも入れない小学生だろうに。例外的な飛び級なのか、ババアの気遣いなのか。
それにしても、小学生みたいな印象ってのは強ち間違いじゃなかったなみたいだな。我ながら無駄な観察眼であることだ。
「それで、お話というのは……」
「ああ、まあその前に。俺も名乗っておかないといけないな。緒虚幽忌だ。よろしくね」
二時間やら関節云々は置いておいて、礼儀だけは守っておこう。
俺はゆっくりと有枢ちゃんに右手を差し出した。握手を求めているものだと察してくれたのか、有枢ちゃんも恐る恐る右手を出してくれた。ちょっと怖がっているみたいなので、強くは握らず優しく握手をしようと努めた。
小さい。柔らかい。なんというか、年相応の手だ。こんな小さなか弱い女の子が引き籠ってしまうのは、何だか嘆かわしい。
「おっと、お話だったね。聞きたいことは色々とあるけど、まずは“SADM”についてかな。好奇心抑えらんない」
「“空虚な友達”のことですか?」
「あ、そうか。症状Bだから特異病名もあるんだったね。ふむ、“空虚な友達”か。確かに、聞いたことのない能力だ」
頭の中の“SADM”についての知識を呼び起こす。学園関係者の能力なら大体は把握しているつもりだったが覚えがない。この子に関する資料は隠匿されていたんだろうな。大方、ババアが隠してやがったんだろう。
「わたしの能力は、そんなに珍しいですか?」
「どうだろうね。俺自身、知識としてあるものの、実際に見た数は少ないから何とも。まあ、遠隔操作型ってのは何個か知ってる」
見たことはなくても、知ってはいる。無駄に資料を調べまくった結果だ。努力の賜物である。
遠隔操作型と言ってしまえばそれまでだが、その中でも意外と多くの区別が見られる。操作する対象が無生物か生物か、というのが大きな括りで、そこからさらに分類される。もっとも、無生物操作の方が圧倒的に多いのだが。
生物を操作できるとなると、“鳥千舎”があったな。確か、数年前まで学園にいた症状Cのセイドム・ユーザーの能力だ。鳥類を自分の命令通りに動かせる能力だったかな。洗脳とはちょっと違う方法らしいが、そこははっきりと書いてなかった。発動条件は、一度その鳥に触れる、だったかな。
それで、無生物を操作するのが、有枢ちゃんの“空虚な友達”。
「“空虚な友達”は……人形操作、でいいのかな?」
「は、はい。わたしが人形と認識したものが、操作対象となります」
「え、発動条件はそれだけ?」
「いえ。発動させる条件だと、シールを貼ることが最大条件です」
なるほど、マーキングか。そりゃあ無暗矢鱈に人形を動かせたら反則級の能力だろうに。
となると、ここにある人形すべてにシールが貼ってあるのか。全く気付かなかったな。どこに貼ってあるのだろうか……あとで観ておくか。
うーん、と考えながら唸っていると、有枢ちゃんが口を開いた。
「あの、こちらも聞きたいことが……」
「ん? 何かな?」
「よくトラップを掻い潜れましたね」
うーん、と再び唸りだす俺。え、トラップ?何それ聞いてない。いや、正確には聞いていたんだろう。あの侵入者撃退用だと思っていた“SADM”が、人形遠隔操作用“SADM”だってことが解ったのだ。なら、その人形事態に侵入者撃退用の能力があるべきだ。
「トラップというと、具体的にどんな……?」
「フレディみたいな人形や、さっきのドラくんに引っ掻かれたり、噛みつかれたり」
「ドラくん、って……何?」
「ドラゴンのドラくんです」
さっきの威圧的なファンタジーなモンスターアームか!!
「何あれ、全身あるの!? っていうかどこにいるんだよ!? さっき腕だけ見たけどこの部屋に収納できるようなサイズじゃなかったぞ!!」
「“空虚な友達”の応用技、というか、本質です。あれは中身のない、つまりは綿の入ってない人形で、普段はカーペットに扮しています」
「…………何? そんなこともできるのか?」
「詳しく話すと、相当長くなるんですけどね。わたしの“SADM”の感化範囲と条件の応用なんですけど……」
有枢ちゃんは若干言い澱んでいるようだった。ふむ、何か言いにくいことでもあるんだろうか……聞き出しても問題はないだろうか。
まあ、ここまで来て“SADM”のことを聞かないってのは勿体無いよな。
「いいよ、多少長くなっても聞いてあげるから。いや、聞かせてよ」
「あ、解りました。それじゃあ――――」
有枢ちゃんは少し顔を綻ばせ、息を少し吸い込んだ。
「わたしの“SADM”、“空虚な友達”は感化範囲と条件が明確に規定されています。それはわたしの正確に起因しているのかもしれませんが、まだ判断材料としては十数年では足りないので放置しておくことにします。感化範囲についてですが、“空虚な友達”を動かすのに必要なものはシール、というのは先程お話ししましたが、それにも条件があります。一つは、そのシールをわたし自身で貼るということが一つ。もう一つは、人形の大きさによるシールの枚数です。例えば先ほどのフレディ、あれは二足歩行なので体長ではなく敢えて身長としますが、身長が三十五.三センチ、フレディが入るギリギリの円柱の半径は九.三センチ。そしてフレディに用いたシールは一枚でした。つまり、私の一枚のシールの感化範囲は、少なくともこの円柱、半径九.三センチで高さが三十五.三センチの円柱の内側ということが解ります。実際、様々な検証を行いました。その結果、わたしのシール一枚の感化範囲は、シールを中心とした半径百センチの球体の内側でした。その中で収まる大きさの人形であれば、例えどんな形状であろうと如何な重さであろうと、わたしが人形と認識さえしてしまえば問題はありませんでした。重さでの判別も考慮しましたが、どうやら重さは一切無関係のようでした。フレディとほぼ同型ではありますが、中に詰め込まれたものが綿ではなく砂である人形を使用しましたが、操作性能に変化は見られませんでした。何種類か中身を変えてみましたが、どうやら材質も無視できるようです。次いで、ドラくんの操作方法についてですが、これは重さが関係ないということと、シールの感化範囲の応用です。シールがその範囲でしか作動しないのであれば、そのシールを敷き詰めればなんら問題はないということです。さらに、ドラくんの中身は空洞です。重さは関係ないと言いましたが、薄さと言うものは非常に重要です。その皮となっている布地さえ能力で動かすことができれば、あとはなんら問題はありませんでした。シールをすべて二百センチ以内の等間隔で配置することで。あれほど巨大なドラくんも操作可能となりました。また、その布地だけ範囲指定できるのであれば中身があっても動かせるのではないか、という疑問が浮上しますが、わたしの能力の大前提条件として、“人形と認識する”といものがあります。つまり、“人形と認識したものすべて”を動かすので、中身まで感化範囲が行き届いていない場合、ただ装飾しただけの人形で終わってしまうことも実証済みです。それではと、次の疑問が浮上します。ただの布地だけのものをわたしが人形と認識できるのか、という点ですが、あれは元々空気を入れて動かすものでした。そのことを理解し、一度空気を入れて人形になった姿を確認していたことで発動が可能でした。綿詰めの人形の場合、綿を抜いた状態で動かせるのかどうか試しましたが、それは無理難題のようでした。ドラくんに関しては、感化範囲に空気が僅かに触れてることで問題がなかったと考えられます。最後に、人形の定義ですが、人形とは人の形、と書いて人形と読みます。ならば人形は人の形をしたものに限定され、わたしの能力の条件が追加されるのかと懸念しましたが、クマの人形などの言い回しが多用されているこの時代において、それはいらぬ心配だったようで杞憂に終わりました。定義と言えば、大きさ的にそれは人形と言っていいのかという当然の疑問がありますが、わたしが人形と認識することが大前提です。わたしは大きさで人形かどうかを判断しません。何かの材料を用い、人や機械の製作工程を経て、ある生き物の形を成したものが人形であるとわたしは定義しています。若干世間一般の常識とはずれたサイズを持った人形がありますが、そこは“SADM”の発動条件のさらなる大前提である、意志の現われであるためにカバーできました。さらには――――」
「ちょ、ちょっと待った! ストップストップ!!」
「は、はい! ご、ごめんなさい! わたし、こういう理屈と言うか、自分で分析したことを話すと、止まらなくなっちゃって……だから、あんまり人と上手く話せなくて……えうー……」
「あ、うん。ものすごい早口で捲し立てられたもんだからちょっと混乱しそう……って、そうじゃなくて! “SADM”の発動条件の大前提はなんだって!?」
「うえ?」
何故だか知らないけど、顔を覆って急に泣き出そうとしていた有枢ちゃんだったが、俺が補足すると泣き出そうとしていた顔は驚愕の色に染まっていた。何かまた変なことを言ってしまったのだろうか?
「えっと、“SADM”の発動は、その人自身の意思の現われです。症状C以上のセイドム・ユーザーは、特異病名を叫んでいませんか?」
そう言われてハッとする。急いで頭の中にある症状C以上のセイドム・ユーザーが能力を発動した時のことを想起しようとした。
真っ先に頭の中に思い浮かんだのは、先日のカフェ“HOPE”での一戦だった。ピアスだらけで印象的過ぎた豪猪、俺を守ろうと盾になってくれた凍瀧後輩、そして颯爽と現れた救世主ヘルマン会長。この三人の全員が“発動時に特異病名を叫んでいた”。自分で能力を使えたことがなかったから、自分で使ってみようなんて試みたことがなかったから、“それが当たり前なんだと勝手に納得していた”。今思えば、態々今から攻撃するぞと宣言しているようなことを何故揃いも揃って……
「特異病名、若しくはテンプレート化された副題、特異心傷というのですが、セイドム・ユーザーの大半は必ずそれらを叫びます。何せ“SADM”は、もう一人の自分のようなものですから。それに加え、“SADM”発動には強いイマジネーションが必要とされています。名前というのは印象付けに大変有効です。ですから、名前を叫ぶ、イコールその名づけられたものを思い返すには、実に有効な手立てなんです」
“SADM”発動に必要なのは、強いイマジネーション……集中力が大事であるって意味じゃ、モノクル教官にやらされていた瞑想は有効だったってことか。真面目にやってればの話だが。
「――――じゃあ何でだ? 何で俺は“SADM”が使えない? 何で勝手に発動するんだ……?」
「え…………使えないんですか?」
俺が頭を悩ませていると、本気で驚いたのか、暫く開口したままだった有枢ちゃんが疑問を投げかけてきた。
「そんなに不思議なことかい? 俺は症状Fだから使えなくてもしょうがないんだが――――」
「症状F!?」
有枢ちゃんは俺の言葉を聞くや否や、突如立ち上がって壁に接している棚の一番下をゴソゴソと漁り始めた。何だ何だ?
「こ、これ! これ見てください! わたしが作った“SADM”使用に必要な“S・I”を測る計測器です!」
「“S・I”?」
「“SADM・IMAGINATION”の略です。これは天上都市の研究者が使用しているもので、学園でモノクル教官ことウォレス・シンクレアさんが勤める研究所が発見したものです。まだ正式に天上都市で公開されていませんが、この数値が高ければ高いほど、より高位のセイドム・ユーザーになると言われています。まだ非公開とはいえ、もうほぼこの仮説は実証されています。恐らく一年もしないうちに学園にも導入されるでしょう。それで、わたしの“SADM”が侵入者を撃退する際にはこれを基準にしています。これで一定値を超えたセイドム・ユーザーに対してドラくんがさどうするようになってるんです」
聞きなれない単語と、モノクル教官の本名と、またしても早口で語られる有枢ちゃんの見解のようなもの。“S・I”か。ひょっとしてモノクル教官の診断はそれで下されていたのだろうか。あのタブレットに表示されていた診断は、有枢ちゃんが使っているものと同じものなのか? いや、学園には正式に使われていないって有枢ちゃん言ってたし……ひょっとして、モノクル教官は本当に最先端の技術を提供していてくれたのか?
「おっと、それで? その“S・I”がどうしたの? まさか俺って症状EかDくらいの力があるの? まあ一回くらいは能力使えたしね。それくらいは問題ないよ」
「E? D? 何を言ってるんですか!?」
Dでも十分見積もったつもりだったのだが、なぜか一括されてしまった。だって、特異病名が解ってないんだぜ、俺。そんな、Cとかに位置していてたまるか!
「あなたの“S・I”は、既にBの上位でもおかしくありません」
そんな爆弾発言が、俺の耳に飛び込んできた。
しかし、それだけで終わることはなかった。
「これじゃ、症状Aと言われても、わたしは納得できる数値です。もちろん、ギリギリのラインですけど」
加賀美有枢、何故か社交性に長けている引き籠り。