第十六話 『興味が湧きました』
そろそろ、落ち着いてきました。
「んじゃ、後頑張れ」
それが萌さんの別れ際の言葉だった。あの人の教師としての態度が如何に真摯でないかが窺えてしまい、誠に遺憾である。
さて、萌さんのことはもういいとして、こっちも本来の目的に、仕事に戻ろう。
萌さんのことを頭から追い出し、目の前の扉に意識と神経を集中させる。俺の目の前にあるのは、非常階段を思い起こさせるような、重く開きそうにない鉄の扉。実際に開けることは子供でもできるだろうが、扉の奥から感じる不確かな威圧感が扉をより固く重く思わせる。むしろ何も考えていない子供の方がこれを開けられるのかもしれない。
「はぁ……厄介事を引き受けたもんだよ、我ながら」
なんて呟いてみても、扉の奥からは勿論のこと、周りからも何の返事も帰ってきやしない。独り言とは正しくこれだ。いや、一人でぶつぶつ言ってりゃ何だって独り言なんだが。
一応、覚悟はできたな緒虚幽忌? なんて、自分に問いかけてみる。答えは帰ってこない。自問自答の難点である。仮初めの答えだけが返ってきて、まともで真面目で正しい解答なんて出やしない。答えが返ってくるとか言ってるおめでたい奴は、一度真面目に自分と向き合ってみることを進める。どうせ、自分に都合のいいことしか返ってこないことが直ぐに解るから。
さーて、虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。ここはいっちょ勇気出して行ってみようか。虎児がいることが明白なんだ。骨折り損のくたびれ儲け、そんな結果には成りやしない。成り得ないんだから。
その虎児がどれ程強大かは解らないが。
覚悟を決めて扉の取っ手に手をかける。そのまま力を入れても固くはない。さっき萌さんが鍵を開けてくれたのだから当たり前だが。取っ手を回し、全力で押し開けた。後のことなど考えず。
扉を開けてまず目に入ってきたのは、マンションなどに見かける、それこそ非常階段のようなものだった。いつまで続いているかは解らないが、それほど深くはなさそうだった。手摺から下を覗くと。数回折れた階段が行き着く先である最下層が見えてしまっている。
なんだ、意外と簡単には辿り着きそうだな、そんなことを思いながら階段を下っていく。
「…………」
何だか、奇妙だな。
“SADM”の反応が全く無い。ここに入ろうとすれば、迎撃用の能力を備えた“SADM”が門前払いしようとしてくるんじゃなかったのか?全くそんな感じはしないし、人が住んでいるのかも謎だ。
まさか罠だったりな、はっはっは……まさか、な……ははは……
なんて心配も、どうやら杞憂に終わったようで(自ら死亡フラグを立てた気がして不安だったのだが)、恐らく地下三階の位置するこの部屋に辿り着いた。もう下へいく階段はない。
そこにあるのは、鍵穴一つない金属製の扉が一つ。少し安っぽい作りの雰囲気が漂っているのは気のせいだろうか。
「さーて、二度目の挑戦です……」
無駄に声に出してみる。気合いを入れるという意味もあったが、こうでもしないとちょっと寂しい気持ちが溢れてしまいそうだったからだ。
さっき、女子に冷ややかに痛め付けられて、精神的にはボロボロだから……
そんな精神的にはぼろ雑巾状態で、虚勢を張っていなければいけない状態で、恐らく最後であろう扉に手をかける。
「お邪魔しまーす……」
一応人様の縄張りに入る訳だから、しっかりと礼儀として(それが相手に通じているとは思ってないが)挨拶をして侵入しようと試みる。女子になんて単語を使っている時点で疚しさが溢れてしまうのだが。
ドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開けると――――
「………………んな……!?」
そこには、見る者を戦慄させるような光景があった。
「こ、これはっ……!?」
辺り一面、人形尽くし。
それもただの人形尽くしではない。人形をしまうために用意された棚やクローゼットは存在しているが、その存在意義を疑うほどに、床に敷き詰められた大量の人形たちが俺の視界の大半を占めていた。
相当の歴史を感じさせるブリキの人形、職人が丹精込めて作ったであろう木の人形、糸を用いて両手で操るための人形、どこかの外国土産のような奇抜な人形。多種多様な人形が所狭しとすし詰め状態。
この空間においてただ解るのは、ここが外界から完全に遮断された別世界の状態であるということだ。
うーむ、どうしたものか……何がどうしたって、足の踏み場がない。これだけの人形を踏もうものなら、所有者は固より製作者にまで申し訳ない気持ちになる。個人的なものではあるのだが、やはり罪悪感というものは無視できない。
「これは、参ったな……」
立ち往生と言うのだろうか。これ以上前に進むことができない、と言うか踏めない。こんな未踏の地(持ち主がいる時点で、未踏ではないのだが)に踏み込む勇気は、残念ながら持ち合わせていない。
扉を開けた状態で唸っていると、何か響くような音が聞こえてきた。
『何用だ、小童……』
ドスの効いた、と言うか、地ならしでも起こしそうな重低音が、内臓を抉るように響き渡った。あれ、こんな情報聞いてないんだけどな。
「あーっと、どちら様ですか?」
『それは我の台詞だ。小童、もう一度だけ問うぞ。何用だ……』
「……こ、ここの住人さんに、少々伺いたいことがございまして」
あまりに重圧的な声に、ついつい敬語になってしまった。
『……見たところ、学生だろう。我が主に聞きたいことなど、高が知れている』
こちらへ疑問を投げかける声の主の雰囲気が変わった。少しは気を許してくれたかな、なんて安直なことを考えたものだ。
そんなことを考えた瞬間、人形の草原の地面を引き裂くように、床からファンタジー漫画なんかでよく見る異形のものが飛び出してきた。俺の記憶と判断能力が鈍っていなければ、あれはドラゴンとか呼ばれる類のものの前足ではないのだろうか?
その竜の前足は垂直に飛び出した状態から直角に曲がり、発掘作業に使う採掘機のような巨大な爪を突き立ててきた。
「えーとですね……その、あれですよ。俺、“SADM”に興味があるっていうか、“SADM”の使い方を知りたいというか。できればご教授いただきたいなと。何でも、撃退用の“SADM”が使えるとか!」
『――――ほほう、主の能力に興味があると?』
途端、竜の指はくるっと回り、俺の顎を下から撫でるように爪を立ててきた。
『我が主の心的外傷が、“SADM”にもあると知っての無礼か?』
「……ここに引き籠っちゃった理由の一つ、ですよね?」
『なるほど、何も知らずという訳ではないようだ。なればこそ、配慮というものがあろう? 主の傷を暴いて尚、我が主と語らおうというか、小童』
爪が僅かに喉に食い込む。これで怪我一つ……もう戻れないし、言いたいことを言わせてもらおう。
「両親いないってのは、親近感湧くんですよ。あと、ババ……学長に拾われたってのもね。俺の場合、事故だったんですけど。それでも、似たような感じはするんですよ。そんな境遇の人が、こんなにも強いって噂の“SADM”を有しているなんて、聞き捨てならないです。純粋にご教授願いたいってのもありますけど、さっき言わなかった一番の目的として、話し相手になりたいんですよ。誰も信じられない状況下に陥った者同士として」
『――――――――』
竜の腕がゆっくりと引かれた。少しは警戒を解いてくれたのか、な? 正直、冷や汗もんだ。だって状況としては、“少しでも妙なことを口走ったら喉元ザックリ”なんて……おおう、思い出しただけでまた冷や汗が……
『変わった人、いや奇妙な人、いや物好きな人、かな』
すると、先ほどまで重低音を響かせていた声は一変して優しい温和な声になった。これは一変なんてもんじゃない、豹変だ。激変と言っても差し支えない。なんなら突然変異とも。
『奥まで来てください。わたしもあなたに、興味が湧きました』
その一声を鶴の一声とするかのように、床の人形たちが一気に壁に引き寄せられるかのように床から引きはがされた。その光景、まさにモーセの十戒の再現。中央に人一人通れるであろう幅の道が形成された。しかも、壁に張り付くように寄せられた人形たちの内数体は、まるで卒業式のようにアーチを描いていた。
これは、歓迎されてるんだよな、一応…………?
そういうことにして、俺はそこを進むことを決心した。さあ、いよいよ対面だ!!
◇ ◇ ◇
そうやって活き込んだのが、三十分ほど前の話である。
「話すんじゃないの!? いい加減開けろよこのハイセンスな扉!!」
ドンドン!! と、まるで借金取りのように扉を一心不乱に強めのノックで叩き続ける俺は、一体どれほど惨めに映っていることだろう。少なくとも、曲直がこれを見たら抱腹絶倒間違いなしだろう。奴のSっぷりは筋金入りだ。
因みに、ハイセンスと言うのは、そう表現する以外にどう表現すればいいか解らなかったのだ。なんというか、近代的と言うか、未来的と言うか、前衛的と言うか。ピンクとか黄色とか、あまりにもファンシーすぎるデザインに驚愕を禁じ得ない。
「も、もう少し待って……ち、ちゃんとお話しするから、あと百二十分くらい」
「二時間も待つのか!? 何だったら一度出直してくるよ!?」
「そ、それはダメ! あなたみたいなタイプ、さっき記憶しちゃったから、一回出ちゃったらもう入れないから……」
「―――――っ!! ええい! 乗りかかった船だ! 三時間でも四時間でも、半日でも待ってやらあ!!」
自棄というのはこういう状況を言うのだろう。自暴自棄とは違うのだが、どうでもよくなってしまうのが同じなので、やはり近似値を示している。
「ご、ごめんなさい! 人を招くのは数年ぶりで……」
「あー……二、三年くらいだろ。じゃあしょうがないか」
「あ、それじゃあ、フレディとお話ししていてください」
――――フレディ?
一体それが何なのか尋ねる前に、“それ”は俺の前に現れた。
『やあ、ボクフレディ!』
気さくに自己紹介をしてのけた。
二足歩行で目の前に現れた、ポメラニアンのぬいぐるみが。
『どうしたんだい? ボーっとしちゃって?』
「いや、いい。他人の“SADM”は色々と見てきたが、こういった類のものは初めてだったからな」
なるほど。調書にも書いてなかった引き籠りの“SADM”は、そういう系統の能力か。となると、問題は動力だが……さて、どういう条件で動いてるのか……
『何か視線が訝しげだよ? もっとフレキシブルに行こうよ!』
こんな感じに、と言ったフレディは、自身の右腕を関節を無視するように折り曲げた。人間で言うところの、右肘の関節を逆に曲げて手の甲を肩につけている感じ。
そういう意味で使うのか、フレキシブルって? いや、英単語的な意味なら正しいが、使用状況が納得いかない。日本じゃ精神面で主に使われるものを肉体面で使われるのは困る。
『それじゃあ楽しいしりとりをしよう! 最後に“ん”がついたら、手の指をフレキシブルに行こう!』
「指を折れってか!? たかが子供の遊びに指一本かけろってか!?」
『パスは膝をフレキシブルに!』
「あれか! お前二時間使って俺を五体不満足にするつもりだろ!?」
『節りとりの始まりだ!』
「名前からして変わってんじゃねえか!!」
この二時間、俺の多彩なボキャブラリーと話術で関節を守り切ったことに、誰か敬意を表してくれてもいいはずだ。
緒虚幽忌、勢いの突っ込みが板に付いてきた。