第十話 『バッカじゃないの?』
時が流れて昼休みになったわけだが…………今日ほど無駄な疲れが溜まった一日はないと胸を張って言える。胸を張って言いたくはないのだが。
授業が終われば、恋の話が大好物の女子共がわんさか集まって来て質問攻め、孤独な男子共は妙に嫉妬心が籠った視線で俺を睨み付け、まるで宗教裁判かのようにひたすらに尋問したり、挙げ句の果てには他クラスが面白半分(面白八割ぐらいかもしれない)で見物に来たり、散々な一日であった。
こんな経験は初めてだ。クラスの連中がこうも一気に接してくることは、特に四年生になってからは一切と言っていいほど無かった。何せ“出来損ない”というレッテルを貼られ罵られてきたこの一年間、俺は友人がそれほど出来なくなっていたからな。だから今回の件でクラスメイトがこうも気軽に接してくれたのは正直嬉しいが、それと同じくらい不安に駆られていた。
こう、俺という人物を今まで見てこなかった連中が、急に俺のことを過剰に意識し出す。こんなにも心変わりが早くて手のひら返しが巧みな奴らと、今後上手く接していけるのかどうか。
「バッカじゃないの?」
と、同じく渦中の人物である凍瀧後輩に相談して(相談料として昼食を奢って)みたのだが、呆れられて貶されて一蹴されてしまった。
け、結構真剣な悩みだったのだが……
「人間なんて誰でもそんなもんよ。周囲の状況に完璧に流されない人間は独裁者か漫画家くらいなもんよ」
「独裁者は解らんでもないが、何故漫画家なんだ?」
「何年間も休載して気まぐれで再開する、自己本位じゃない」
「それって一部の漫画家だろうし、すごい偏見だな……」
相談相手を間違ってしまったのかと心配になる。これなら多少高い奢りになっても曲直や蘇狐に聞いてみるべきだったか……
なんてことを考えていると、凍瀧後輩は俺の目の前にエビフライを箸で掴んで突き出してきた。なんて行儀の悪いことを。
「失礼なことを考えてるでしょ? 頼る人選をミスしたとか」
「…………なあ? 俺ってそんなに顔に出てるのか?」
「そう思っていたことは否定しないのね……ええ、それはもうバッチリ。百面相どころか千面相もいいところよ?」
俺はどこかの落語家の寄席芸よりも巧みに表情を変化させているのか……それは考えていることがばれるのも道理だ。折角の機会だし改めようかな……
「改めようとか考えてるならやめた方がいいわ。もう既に顔に出てるもの」
どうやら意識して直すことが叶わないようだ……
これは生まれつき持った才能だったか。どうせなら極めて落語家を目指すのもありか。
「くだらないことを考えてそうだから話を戻すけど、人間なんて流されてなんぼよ。人間関係なんかころころ変わるわ。私だって、アンタとこうやって一緒にのテーブルでご飯が食べられるなんて、少し前じゃ考えられなかったじゃない。それに手のひら返しがすごいからって、そう簡単に裏切られることなんて滅多に無い。アンタの場合今がスタートじゃない。最底辺からの脱出よ? クラス替えもしたばかりなんだし。気負わずゆっくりと、まずはそんな心変わりとか深く考えないで、軽く帰りの挨拶を交わせばいい出だしよ」
「……………………ほえー……」
「な、なによ?」
「いや、意外と真面目な話になったな、と。あとお前から説得力のある話が聞けるなんて思ってもみなかったから」
「また今後も精一杯勝負を挑んであげようか?」
「スイマセンでした凍瀧後輩様」
必死に誤ったところ、食後のデザートに抹茶のアイスクリームが食べたいとねだってきたので奢る羽目になったが、それなりに今の話はためになったから安いものだ。
よく人間観察をして過ごしてきたものだから、心変わりとかの心情の変化に敏感になりすぎていたようだ。そうだよな。人間関係だ何だのいっても、俺らはまだ学生だ。そこまで気にすることはないのか。
「ところでアンタ、この周囲の視線、何だと思う?」
凍瀧後輩が訝しそうに周りの生徒たちを見渡していた。
俺もつられて辺りを見渡してみると、こちらを指差して何やらヒソヒソと小声で会話をしている集団がいたり、こちらに張り合うかのような視線をぶつけて食べさせ合っているカップルの姿が目についたりした。ああ、これはあの噂が浸透しきっているいい例だな。
「例の台本、みんなの耳にも入ってるんだろうよ……ま、俺の台本の内容とは全く違う噂だったが」
「……台本? 噂?」
反芻するように聞き返してきた凍瀧後輩。
何故だろう、嫌な予感しかしない。
「お前、ヘルマン会長から何か聞いてないか?」
「生徒会長から? うーん、昨日電話が一件あったくらいだけど」
「電話?」
「うん。『明日貴女にサプライズをお届けします。』とかなんとか」
ヘルマン・フォン・マテウスこの野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 一切合財はしょった上に投げやり感バリバリじゃねぇか!! 何が任せておけだ!! 職務怠慢にもほどがあるわ!!
え? ということはあれか? 凍瀧後輩はあの噂について何も知らないで俺の呼びかけに応じたってことか? それは非常に不味い……!! もしばれたら俺の安全が保障できない。ヘルマン会長が流したであろう噂は間違いなく後輩の自尊心に傷を負わせるようなものだ。助けてやったはずの人間に助けてもらったことになってるんだからな。それを説明しようとしてもその前に俺が危険に晒される。それだけは回避しなくてはならない!
「アンタ、何か知ってるの?」
「イ、イヤ? ナニモシラナイヨ?」
「片言になった上に顔が引きつってるわよ? 何か隠してるわね?」
むしろ朝登校してから今に至るまでにこの噂を耳にしない方が驚きなんだよ!! どう対処したらいいのか検討もつかねぇ!!
まさか、ヘルマン会長、任せておけって、この根回し? 凍瀧後輩に一切噂についての情報を与えないように……!
「早く教えなさいよ」
「…………えーっと……」
考えろ俺、この場を脱出することが叶う手段、唯一にして最善で最良の方法を閃くんだ。
どうあってもいつかは凍瀧後輩にばれるのは確実だ。ならばこの一時だけ、俺が食堂から立ち去るまでの間の時間が稼ぐことが出来れば俺の勝利だ。
まずは何も言わずに立ち去る。これは最悪の策だな。凍瀧後輩の能力なら俺を文字通り足止めすることも容易い。校則に“学園内での大掛かりな能力の行使を禁ずる。”なんてものがあるが、凍瀧後輩はそれを気にせずに能力を使ってくるに違いない、俺の襲われた経験上確信が持てる。
次に誤魔化す。気のせいだと諭してみる。恐らくこれも失敗に終るだろう。なにせ俺の思考は顔でばれるらしいからな。苦しい言い訳は逆効果になるであろう。
最後に思いついたのが、噂の内容を変更して話す。俺と凍瀧後輩の位置関係を変えれば難なくこの話を流せる予感がする。凍瀧後輩が俺を救った、事実に相違ないじゃないか。
というか、この切羽詰りまくった状況ではこれぐらいしか絞りだせない。
「んー?」
そろそろ後輩が武力行使に移りそうだ。ええい! ままよ!
「実は昨日の――――」
「あれ? 何だ緒虚、昨日さんざそこの後輩と乳繰り合ったってのに、今日は食堂でイチャイチャか?」
その時、俺と凍瀧後輩の間に冷たい風が吹き荒れた。
いや、決して比喩表現なんかじゃなくて、本当に寒気が吹き荒れている。
「け、袈裟丸っ……!?」
「ん? 昨日その子お持ち帰りしたんだろ? さっき節度はしっかり守れと言ったばかりだろ?」
こんの…………!!
「何余計なことを口走ってやがるメイドオタク!!」
「んなっ……!? てめぇそれは学園じゃ禁句だっつったろ!!」
「喧しいっ!! お前のせいで俺の“素晴らしき目論見”が水泡に帰したじゃねぇか!!」
「知らねぇよ!! どうせ策に溺れた浅はかな計画だったんだろうが!!」
「何だとぉ!? てめぇの実家の郵便受けに新約聖書とコーランをぶちこんでやろうか!!」
「仏教徒の集いし俺んちの寺にキリスト教とイスラム教を持ち込んでくるな!!」
「じゃあてめぇの寮の部屋の前にメイドさんのフィギュアを飾っておいてやるよ! これで隠す必要がなくなって開放的な気持ちになれるだろ? 感謝して敬え! 俺の思いやりに涙しな!」
「さっきから人の嗜好を散々暴露しやがって……! 人のこと言えねえだろプラモオタク!!」
「ばっ、あれは暇つぶしだ!! こう、なんだ、手を動かしてないと気が落ち着かないというか……!」
「ほほー? それじゃあお前のベッドの下に隠してある“職人謹製、内部まで完全再現、究極の白鷺城”は撤去しちゃっていいんだな? どうせ愛着なんか篭ってないんだろうし?」
「は!? 何でお前がその存在をって曲直かああああああああああああ!! あの野郎あれほど秘密にしておけよと賄賂まで渡してやったというのにあっさりばらしやがった!! しかもよりによって重度のメイドオタクに!!」
「だからメイドメイドうるせぇんだよお前!! それに俺はああいう“萌えメイド”とかいう腐った信仰者じゃないって何度言えば解る!! 俺は本場英国のアンティークメイド服とか着用した中世の正統派メイドが好きなんだよ! ミニスカートなぞ論外だ!!」
「おっ? とうとう自らの口で自分の恥ずかしい性癖をのたまったな? この変態め!!」
「はっ!? しまった!?」
醜い貶し合い、恥ずかしい趣味の暴露、俺と袈裟丸のことを知っている奴等にとっては慣れたものだが、流石に食堂で騒いでいると後輩や先輩もいて、何やらこちらを訝しげに眺めていた。
無論、それは凍瀧後輩も例外ではなかったのだが、
「誰と、誰が、乳繰り合っていたって…………?」
そこで俺はようやく思い出した。ここでするべきだったことは袈裟丸との口論なんかではなかったことを。
今のこの空間、正確に言えば俺が座っていたテーブル席の辺りが凄まじい冷気に覆われていた。その寒さに袈裟丸も気付き、その冷気の発生場所に目を向けると、袈裟丸もようやく今の状況の不味さに気付いたらしい。
凍瀧後輩の握っているコップの中の水がボコボコと沸騰して、その凍瀧後輩の頭からはいつも以上の煙が立ち、足下にはいつ発生させたのか解らない水溜まりが出来ていた。
その足下の水も渦を作ってうねり、冷気はまるで極寒の地の吹雪を連想させるような勢いだった。というか寒い、吐息がだんだんと白くなってきた。
「おい袈裟丸、お前が余計なことを言うからこうなった。責任とれ」
「え? 俺のせい?」
「当たり前だハゲ。何とか俺を逃がせ、お前が囮になって」
「そんな忠君的な行為をお前にしてたまるか。第一、俺の“SADM”で防ぎきれるか解らん」
「おいおい、それしか能の無いお前が自信無くしてどうするんだよ」
「余計なお世話――――」
ピンポンパーン!
「「「ん?」」」
また口論が始まりそうな俺と袈裟丸だけでなく、今にも怒りが爆発しそうな凍瀧後輩までもがその音に反応して顔を上げた。
それもそのはず。何せこの学園で校内放送が流れる時に限ってとんでもないことが起きる、それがこの絢楼学園だ。そして俺たちはそれをよく理解している。
『…………あれ、もう喋っていいんですか? えっ!? もう流れてるんですか!? ち、ちょっと待っ、きゃっ!!』
ドンガラガッシャン! と、何かの機材やら荷物が崩れ落ちた音がした。
放送室の椅子から滑り落ちたのが把握出来てしまう声と音であった。
『あたた……す、スイマセン…………あ、改めまして、せ、生徒会執行部会計、榎譜茅乃、です! 学園内にいる生徒は、すぐに講堂に集まってください! それではお願いします! ………………はぁー疲れたよぉ……また失敗しちゃったし……また会長に怒られ――――あれ? マイク入ってる? うそ!? な、なし!! 今のは無しですぅ!!』
ブツッ、ピンポンパーン!
マイクが乱暴に(緊張していた上に慌てていたからだろうが)切られた音がしたあとに、また不吉なチャイムが鳴り響いた。
「…………とりあえず、一時休戦ってことで……講堂に行こうぜ?」
ここで袈裟丸が後輩をなだめようとしてきた。ここが活路だと見いだしたのだろう。
「……解ったわ。茅乃ちゃんが講堂に行けって言ってるからね。後でヘルマン会長を交えて話し合いといきましょうか」
「ああ、その方が手っ取り早くて助かる」
「ええ……じっくり、じわじわと、ね……!」
凍瀧後輩は俺たちに背を向けて食堂を後にした。それと同時に俺と袈裟丸の口から漏れる安堵の溜め息。命の危機って奴は何度経験しても慣れるもんじゃないな。いや、慣れてしまってはいけないものなのだろうが。
「……おし、じゃあ俺たちも行くぞ」
袈裟丸が首を鳴らす。授業中の座ったままなどの硬直状態から解放されると、気持ち良さそうに体の節々を鳴らすのはこいつの癖だ。伊達に一年前からこいつと戯れているわけではない。
「おう」
袈裟丸の呼び掛けに俺は軽く適当に返答をした。それに対して袈裟丸が何かしらの文句を言うことはない。伊達に一年前から俺と戯れているわけではないな。
灯莉は四年目の付き合いであっても、俺のこのだらしない返事の仕方を強制させようとしてくるが、それはそれで長い付き合いだということにもなる。
「先に行っていいぞ。片付けをしてくるから」
「あいよ。そんじゃあ出口で待っててやるよ」
袈裟丸は手をヒラヒラと降りながら食堂から姿を消した。俺はそれを確認してから食器の片付けを開始する。
それにしても、生徒会のイベントね…………怪しい臭いがぷんぷん漂ってくるな。またヘルマン会長が何か(俺にとって)面倒なことを企てている予感がする。
理由は至極簡単、凍瀧後輩にこの噂について隠していた理由が明確に解っていないし、俺が凍瀧後輩を助けたという噂に変えた真意も未だに不明であるからだ。予測がついていない訳ではないが。
ただ面白半分で思い付いた遊戯を行動に移す、そんなことをしたヘルマン会長を俺は見たことがなかった。俺を助けた原因はヘルマン会長にメリットがあったから、砕碼先生の頼みを実行している理由は会長に利益が発生するから。あの人は徹底的な利己主義だ。自利本位と言っても過言じゃないほどに。
何かまだ残ってる、まだ終わっていない。そう思いながらも俺は講堂を目指して食堂を後にした。
袈裟丸僧次、イギリス製アンティークメイド服を着たメイド喫茶を探し求める。