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婚約破棄は場を選びましょう

作者: 瑠璃ひより
掲載日:2026/03/27

「アーリャ・アルマス、お前との婚約を破棄する!」


 華やかな卒業パーティーの真っ最中、公爵令嬢アーリャの婚約者、レオン・フォート侯爵令息はそう吠えた。

 会場の楽団が演奏を止め、着飾った貴族たちが一斉に二人を注視する。

 レオンの腕には、男爵令嬢の庶子であるリリスが、震えるようにしがみついていた。


 アーリャは手にしていた扇を閉じ、背筋を伸ばして婚約者を見据えた。


「レオン様、急にどうなさいましたの。大勢の方が見ていらっしゃいますわ」


 アーリャは淡々と、しかしはきはきとした口調で問いかけた。

 その態度はどこまでも礼儀正しい。

 対するレオンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、リリスの肩を強く抱き寄せた。


「白々しいぞ! お前がリリスにどれだけ酷い嫌がらせをしてきたか、俺はすべて知っているんだ。教科書を破り、階段から突き落とそうとし、さらには夜道でごろつきに襲わせようとしただろう!」

「レオン様ぁ、もういいんですぅ。私さえ我慢すれば、アーリャ様もいつか分かってくれると思ってぇ……」


 リリスは大きな瞳に涙を溜め、甘ったるい声を出しながらレオンの胸に顔を埋めた。

 レオンは彼女を庇うように一歩前へ出る。


「リリスはこんなに優しく、清らかな心を持っている。それに比べてお前はどうだ。高位貴族の特権を振りかざし、罪のない者を虐げる。そんな女、侯爵家の次期当主である俺には到底相応しくない!」


 周囲の貴族たちは顔を見合わせ、ざわつき始めた。

 非難と好奇の視線がアーリャに突き刺さる。

 しかし、アーリャはその罵倒をすべて聞き流した。

 彼女はスッと口角を上げると、満面の笑みを浮かべた。


 アーリャはまず、会場の正面に座る国王と、その隣に座る第一王子に向き直った。そして優雅な動作で、深く一礼した。


「国王陛下、並びに王子殿下。この度は、私共の稚拙な余興にお付き合いいただき、誠に恐縮に存じます」


 次にアーリャは、周囲で見守っていた貴族たちに対しても、扇を手に会釈をした。


「皆様、お騒がせいたしました。私の婚約者の、この茶番劇をお許しくださいませ!」


 朗々とした声が会場に響き渡った。

 断罪を続けていたレオンは、目を見開いて固まった。リリスも泣き真似を止め、呆然とアーリャを見ている。


「な、茶番だと……? 何を言って……」

「まあ、レオン様。まだ役になりきっていらっしゃるの? 本当に素晴らしい演技力ですわ。皆様、いかがでしたか。卒業という良き日に、皆様に刺激的な楽しみをご用意したのです。リリス様も、その迫真の演技、実に見事でしたわよ」


 アーリャはパチパチと手を打ち鳴らし、心底楽しげに笑った。動揺するリリスの横に歩み寄り、その肩を軽く叩く。


「皆様、どうかパーティーにお戻りください。これはあくまで、私の家の権力とレオン様の正義感を題材にした、趣向を凝らした冗談(ジョーク)にございます。あまりに真に迫っていたため、驚かせてしまいましたわね」


 アーリャの堂々とした説明に、戸惑っていた貴族たちの間に安堵の笑いと拍手が広がった。

 国王も首を傾げつつ、アーリャの機転を察してか、鷹揚に頷いて演奏の再開を促した。


「アーリャ、お前、何を勝手なことを!」

「レオン様、本当に面白いものをありがとうございました。皆様を楽しませるという大役、見事に果たされましたわね」


 アーリャは食ってかかるレオンの言葉をにこやかに遮った。


「それでは、私はこれにて失礼いたします。お二人とも、どうぞそのままお幸せにお芝居を続けてくださいませ」


 呆然と立ち尽くす二人を背に、アーリャはドレスの裾を翻した。彼女は一度も振り返ることなく、軽やかな足取りで会場を去った。


 ◇◇◇


 卒業パーティーから数日後。呑気にお茶を楽しんでいたレオンとリリスは、突如侯爵家の私兵に取り囲まれた。


「おい。楽しいお茶会を邪魔するなんで失礼じゃないか?」


 眉根を寄せるレオンに、兵士長は淡々と告げた。


「フォート侯爵様が若君を呼び出していらっしゃいます。呑気にお茶会など楽しんでいる場合ではございません。それから、婚約者様も連れてくるようにと

「リリスも……?」

「きっと正式にお義父様が私たちの結婚を認めてくださるのよ! 早く行きましょう!」


 そう言って相好を崩すリリス。ならばと渋々兵士についていったレオンが案内されたのは、父の執務室ではなかった。


 罪人を監禁する、日の届かない牢屋である。


「若君、並びに婚約者様。お手を」


 兵士長は感情の読めない顔で淡々と手錠を差し出した。


「どういう事だ!? 俺は侯爵令息だぞ!」

「正確にはもう……いえ、こちらは侯爵様からお話なさることですね。貴方は既に我々への命令権を持たない」


 有無を言わせず乱暴に手錠を嵌めていく。痛みにリリスは悲鳴を漏らした。

 流石にレオンは声をあげなかったものの、苦痛に顔を歪める。


 兵士長が扉の脇の兵士に目配せする。

 重厚な扉が開くと、入室したのは父侯爵その人だった。

 彼は机に書類を叩きつけると、冷徹な視線を二人に向けた。


「レオン、およびリリス・マイン。自身の犯した罪の重さを理解しているか」

「と、父様、一体何を言うんです! こんな手錠まで嵌めて、俺は侯爵家の跡継ぎなのですよ!」

「レオン様の言う通りですぅ! 私たちは愛し合っているだけなのに、どうしてこんな怖い場所に連れてくるんですかぁ!」


 リリスは涙を流して侯爵を睨んだが、彼の表情は微塵も動かなかった。短くため息をつき、レオンの顔を覗き込む。


「お前は、あのパーティーがどのような場であったか忘れたのか。国王陛下と第一王子殿下がお出ましになり、我が国の権威を諸外国に知らしめる晴れ舞台だったのだぞ。そこで私情による断罪劇を始めるとは、正気の沙汰ではない」

「それは……アーリャがリリスをいじめていたからで、正義のために……」

「黙れ。証拠もなしに公衆の前で高位貴族を貶める行為が、どれほどの不敬に当たるか分からんのか」


 侯爵はレオンの胸ぐらを掴み、低い声で言葉を続けた。


「あの場をアーリャ嬢が機転を利かせて収めなければ、お前はその場で近衛騎士に首を跳ねられていた。国王陛下父子への不敬罪も甚だしい。彼女が冗談(ジョーク)だと言い張ったおかげで、辛うじて国家としての体裁が保たれたに過ぎん」


 レオンの顔から血の気が引いた。リリスはガタガタと震え出し、言葉を失っている。侯爵は二人を突き放し、冷酷に処分を伝え渡した。


「まずリリス・マイン。お前は根拠なき偽証でアーリャ嬢、並びにアルマス公爵家の名誉を著しく傷つけた。後ろ盾もなく、身分も低いお前に慈悲はない。公爵家の訴えと王国法に従い、公衆の前で死罪が決定している」

「ひっ……!? いや、嫌ですぅ! レオン様、助けて、助けてくださいぃ!」


 リリスは狂ったように叫び、レオンに縋りつこうとした。しかしレオンは、自分のことで精一杯であり、彼女を振り返ることすらできなかった。


「次にレオン。お前は廃嫡とする。さらに、二度と貴族の種を残せぬよう、その体を作り変えてもらう。一生、日の当たる表舞台に出ることは許されん」

「そんな……種を残せない体……? 俺が、フォート家の長男であるこの俺が……! 父様、どうにかならないのですか!?」

「どうにも出来ぬ」


 侯爵は苦々しく言った。その顔は、貴族の顔と父の顔がせめぎ合っているかのようだった。


「……お前のような息子を育てた私にも責任がある。寂しくはすまい。――受け入れることだ」


 レオンは絶望に顔を歪め、その場に崩れ落ちた。侯爵の合図で、数人の兵士がリリスの腕を掴み、無理やり引きずっていく。


「レオン様ぁ! 助けてぇ! 嫌ぁあああ!」


 女の叫び声が廊下に響き渡り、やがて聞こえなくなった。残されたレオンは、焦点の合わない目で冷たい床を見つめ続けていた。


 ◇◇◇


 卒業パーティーの騒乱から数日後、アーリャは王宮へと召喚された。

 案内されたのは豪華な応接室ではなく、国王が政務を執る私室である。重厚な扉が開くと、そこには国王と、傍らに控える第四王子の姿があった。


 アーリャはドレスの裾を静かに持ち上げ、完璧な所作で最敬礼を捧げた。


「アルマス公爵が娘、アーリャでございます。陛下、お呼び出しにあずかり光栄に存じます」

「面を上げなさい。急に呼び立てて済まなかったな、アーリャ嬢」


 国王は椅子に深く腰掛け、柔らかな、しかし威厳のある声で言った。

 彼は机の上の書類を片付けると、アーリャを真っ直ぐに見つめた。


「先日の卒業パーティーでの振る舞い、実に見事であった。あのような公衆の面前で、しかも我が息子の晴れ舞台で不祥事が起きれば、王室の面目は丸潰れになるところだった。お前の機転により、すべてが余興として収まったことに感謝する」

「恐れ多いお言葉にございます。私はただ、あのような喜ばしい場で、皆様の気分を害することがあってはならないと考えたまでですわ。あのような身勝手な振る舞いで、陛下の御心を煩わせたことを、私からもお詫び申し上げます」


 アーリャはきびきびとした口調で答え、再び頭を下げた。国王はその潔い態度に満足げに頷き、身を乗り出した。


「フォート侯爵とも話したが、レオンとの婚約は正式に白紙となった。お前ほどの才女が独り身でいるのは、国にとっても損失だ。どうだ、私の方で何か新しい縁談を探してきてやろうか。お前の望む条件があれば、可能な限り聞き入れよう」


 国王の提案は、断ることのできない実質的な命令であった。

 王が自ら縁談を差配するということは、それだけアーリャの功績を高く評価している証でもある。

 アーリャは少しの間、伏せ目がちに考えを巡らせた後、顔を上げて微笑んだ。


「陛下の温かいご配慮、有難く頂戴いたします。私のような者に新たな縁を繋いでくださるとのこと、これ以上の光栄はございません」

「ほう、何か希望はあるか? 家柄か、それとも容姿か」


 国王が興味深そうに尋ねると、アーリャは迷いのない瞳で答えた。


「条件は一つだけでございます。……どうか、空気が読める方にしてくださいませ」


「空気が読める、だと?」


 予想外の言葉に、国王は目を丸くした。アーリャは困ったように頬に手を添え、クスクスと鈴を転がすような声で笑った。


「ええ。もう二度と、公衆の前であのような恥を晒されるのは懲り懲りですので。場所と状況を弁え、周囲の空気を察して行動できる方であれば、他に多くは望みませんわ」


 その笑みは、春の陽だまりに咲く大輪の牡丹のように華やかで、それでいて凛とした強さを秘めていた。


「ふむ……良き条件だな。空気を読むだけなら得意な青年を知っておるが――」


 王は傍らに目をやった。

 堪らず赤くなり、顔を背ける第四王子。


 アーリャはそれに気づかないふりをして微笑んだ。


「それはとても、楽しみですわ」



お読みくださりありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
そりゃそうなるよね。 ならない場合は王家公認で、更にこれがプラスになる何かが有る時くらいだよね。
確かに当たり前のように書かれる断罪劇ってあり得ない話ですよね。
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