第三章 ミサーラの罠
時期王妃として本格的な正妃教育を受けるため、結婚を控えた私は王宮に入っていた。
正妃教育では、マナーや礼儀作法はもちろんのこと、ライゼン王国の歴史、医術、剣術の基礎、外交の礼法、魔導書の解読、そして──魔物の生態学を学ぶ。
他国ではあまり習うことがない、魔物の生態学を学ばなければいけないのには理由があった。
ライゼン王国の領地は、魔物の出没地帯の最前線に位置しているからだ。
私の亡き父は、魔物を『脅威』とだけ見ず『生態系の一部』として魔物の研究を奨励していた。
そんな父にとって、動物とだけではなく魔物とも話せる私は誇りだった。
私自身も魔物と話すのが好きで、幼い頃から森の奥で傷ついたグリフィンの翼を包帯で巻き、オオカミの群れが飢えていたときには鹿の群れを誘導して餌場を移したりしていた。
けれど、私が魔物や動物と話せる事は、父との『秘密』だった。
なぜなら──ライゼンでは魔物や動物と話す者は『堕天使の血を引く者』と呼ばれていたからだ。
この『秘密』を知っているのは父と、王宮のごく一部の人間だけ。
私は誰にも『秘密』の事を話さず、ただ静かに彼らの声に耳を澄まして生きてきた。
誰にも会わず。
社交界の評判が落ちる事も厭わず。
もともと人見知りで他者とのコミュニケーションは苦手だった私にとって、その静けさはちょうど良かった。
けれど、その静けさがミサーラに罠を仕掛ける隙を与えてしまう事となる。
ミサーラは私を『悪女』に仕立て上げるべく罠を張り始めた。
まずは軽い暴行事件の偽装。
それは、ある天気の良い春の日。
珍しく私のもとを訪ねて来たミサーラから散歩に誘われ、私は嬉しい気持ちで王宮のローズガーデンを歩く事にした。
そよ風が心地よくて、美しい薔薇達を眺めながら、中庭に居た従者や来客に挨拶をしながらすれ違う。
いつもより機嫌の良さそうに手前を歩くミサーラを見て安心していると──彼女は突然、地面へ倒れこんだ。
「み、ミサーラ!? 大丈夫!?」
私はミサーラを助けようと慌てて手を伸ばす。
しかし。
「酷いですわ……お姉様っ、いきなり押し倒すなんて……!」
ミサーラは地面にへたり込みながら、はらはらと涙を流して泣き始めた。
私たちのその姿を見た周囲の人々は、私がミサーラを押し倒したと思い込む。
「か弱い妹を押し倒すなんて……非道な」
「酷い姉だ」
「自分が殿下の婚約者だからって、偉そうに。妹を苛めるだなんて」
ヒソヒソと聞こえる、冷たい言葉達が私を貫いた。
「ち、違います! 私は妹を──」
助けようとしたんだと主張しても、誰にも信じてくれなかった。
今なら、その理由が分かる。
ミサーラは私と反対に社交的で、侍従や侍女にさえも優しいふりをして振る舞っていた。
それに引き換え私は、人見知りだったせいで周囲の人に必要最低限のコミュニケーションしかとって来なかったし、愛想笑いも苦手だったから、もしかしらた冷徹な人間に見えていたかも知れない。
それが『自分より美しい妹に嫉妬する姉』という像を作り出し、ミサーラの「お姉様に押し倒された」という証言を周囲の人は信じてしまったのだろう。
その出来事は瞬く間に国中に知れ渡り、フジャーロ殿下の耳に届くのに時間はかからなかった。
次いで行われたのが、傷害の偽装だ。
ミサーラは仲良くなったフジャーロ殿下に、気を許したフリをして自らつけた腕の痣を見せて、姉につけられたと泣きながら話したそうだ。
昔から姉に蔑ろにされてきたと言って、子猫のようにフジャーロ殿下に縋り付いて。
その話を知ったとき、私はフジャーロ殿下がその嘘を信じ込んだことに心底驚き、失望した。
フジャーロ殿下は何があっても私の味方をしてくれると、信じていたのに。
私の慢心だったのだろうか。
そして、こんな事もあった。
王宮の廊下の端で、ミサーラに虫がいるから追い払ってほしいと頼また時のことだ。
「お姉様ぁ! 左のほっぺに虫がつきましたわぁ! 払ってくださいまし!」
頬には虫がついているようには見えなかったけど、ミサーラの気が済むならばと、私は右手を上げた。
そのときだった。
王宮の廊下を、フジャーロ殿下が横切ったのだ。
ミサーラは自分の左頬を自分で叩いて音をたてて、ワザとらしく床へと倒れ込む。
「痛いっ……痛いですわ……! どうして叩くのですか……!? お姉様っ……!」
泣きながら頰を押さえて私を見上げるミサーラを見て、フジャーロは血相を変えて私達のもとへ駆けつけ、私の右手を折れそうなほど強く掴みあげた。
「ケルダ! ミサーラに手を上げるとはどういうことだ!!」
「フジャーロ殿下……!? い……いいえ! 私は決してそのような事はしておりません……!」
その後、いくら弁解してもフジャーロ殿下は私の言葉を聞き入れてはくれず。
「この悪女め」
鋭い眼差しを私に突き刺して、フジャーロ殿下はミサーラを抱えてその場を歩き去ってしまった。
掴まれた手首に残った赤い痕は、痛みはすぐに引いて、暫くしたら跡形もなく消えたけど。
心はもっと痛くて、傷が残った。
そして、最後の極めつけが『魔導書の複製』だ。
ライゼン王国では『魔導書の複製』は大罪である。
魔導書は複製するだけでその魔法の力が強まり、時に暴走すると言われているからだ。
その力は国を滅ぼすと言われている。
王宮図書館の最奥にある禁断の書庫──『黒の契約書』という魔物と契約するための禁忌の魔導書。
その原本をミサーラは私の筆跡を真似て書き写し、複製した魔導書を私の机に置いた。
そして偶然を装って、王宮の監察官に発見させたのだ。
「お姉様は魔物を操る呪文を練習していた」
「お姉様の部屋からは、魔物の鳴き声が夜な夜な聞こえてくる」
「お姉様は魔物の群れを呼び寄せ、国を脅かすつもりだった」
──すべてがミサーラの口からフジャーロ殿下の耳へと、蜜のように垂れ流された。




