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ソウル、五つの夜 〜運命を変える家電〜  作者: うはっきゅう


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ドフン、黄金の米を炊け

 ソウル、新林洞シンリムドン。試験のプレッシャーが作り出す重い空気の中で、キム・ドフン(22歳)はため息をついた。三度目のソウル大学受験に失敗した彼は、狭い考試院コシウォンの部屋で、自分の未来がまるで炊きそこねた粥のように粘ついていくのを感じていた。

 ドフンの唯一の慰めは、母親が送ってくれた「ソルギ」という名の古い炊飯器だった。彼女はなんにでも名前をつける。

「これで炊いたご飯なら、元気が出るわ」母はそう言ってドフンに送った。

 ある日、ドフンは市場で買った安物の米をソルギにセットした。いつものようにスイッチを押したが、炊飯器から発せられたのは、聞き慣れた蒸気音ではなく、まるで深海のような重低音だった。

 ブゥン……。

 蓋を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。米粒一つ一つが、ほのかに黄金の光を放っている。そして、その匂いを嗅いだ瞬間、ドフンの全身に電撃が走った。

 食べてみると、ただの米ではない。口に入れた途端、脳が活性化し、集中力と記憶力が爆発的に向上したのだ。三浪しても全く頭に入らなかった複雑な微分方程式が、まるで子供の計算のようにクリアになった。

「これは……何だ?」

 ドフンは興奮した。彼はすぐに米を食べ尽くし、翌日も炊飯した。結果は同じ。このソルギで炊いた米は、ドフンを「超人」に近づける力を持っていた。

 ドフンはこの奇跡を隠し、猛勉強に励んだ。三ヶ月後、彼はソウル大学法学部に首席で合格した。周囲は奇跡だと騒いだが、ドフンはすべてソルギのおかげだと知っていた。




 大学に入学した後も、ドフンは毎日ソルギで炊いた米を食べ続けた。彼の能力は、単なる学力向上に留まらなくなっていた。

 授業で、韓国の政治と歴史に関するディベートが行われたときのこと。ドフンは突然、口を開いた。

「現行の年金制度は、わずか7年後に完全な破綻を迎えます。政府の発表は隠蔽であり、真のデータは……」

 ドフンは、誰も知らないはずの未公開の経済データや、政府が隠している極秘の政策立案の裏側を、まるで見てきたかのように語り始めた。彼の発言は論理的で完璧で、教授や学生たちを黙らせた。

 彼は気づいた。ソルギの米は、彼に「真実を見抜く力」と、「未来の重要な分岐点」を予測する力を与えていたのだ。

 ある日、テレビで現政権のチェ・ヨンジェ大統領の演説を見ていたとき、ソルギの米を食べたドフンの頭の中に、明確なビジョンが閃いた。


『チェ大統領は、次の選挙で再選を果たすために、秘密裏に財閥から巨額の献金を受け取ろうとしている。その贈賄の瞬間は、来週火曜日の夜10時15分、南山タワーの個室で起こる』


 ドフンは震えた。これは、国を揺るがす大スキャンダルだ。しかし、一浪人にすぎない自分が、どうやってこの情報を世に知らせることができる?




 ドフンは情報を公開することを決意した。彼は、大学で出会った、ジャーナリスト志望の学生、ハン・ユナに接触した。ユナは正義感が強く、行動力のある女性だった。

「私の話は信じがたいだろう。だが、聞いてくれ。俺は国政の真実を知っている」

 ドフンは、ソルギの米で得た知識を披露した。未発表の統計、国際情勢の裏取引。最初は懐疑的だったユナも、ドフンの発言があまりにも具体的で正確であるため、次第に引き込まれていった。

 そして、ドフンは最も重要な情報を彼女に告げた。大統領の贈賄現場だ。

「場所も時間も正確だ。これを撮れば、政権は終わる」

 ユナは決断した。彼女は隠しカメラとボイスレコーダーを手に、ドフンの指示通り、南山タワーの指定された個室に潜入した。

 火曜日の夜10時15分。

 ユナが仕掛けたカメラは、チェ大統領と、韓国最大の財閥会長が、札束の入ったカバンを交換する瞬間を鮮明に記録した。

 翌日、ユナのSNSと、彼女が接触した独立系ニュースサイトが一斉にその映像を公開した。韓国中が騒然となった。連日、デモが起こり、大統領の辞任を求める声が国中に響き渡った。

 ドフンの「黄金の米」がもたらした真実は、政権交代の鍵となった。チェ大統領は辞任を表明し、早期の総選挙が決定した。


 総選挙を目前に控えたある夜。ドフンは、ソルギで炊いた最後の黄金の米を食べた。未来を見る最後の機会だった。

 今回、彼の脳裏に閃いたビジョンは、恐ろしいものだった。

『次期総選挙で、現野党が勝利し、新しい大統領が誕生する。しかし、その政権は発足後わずか一年で、極端な経済政策により国を未曾有のハイパーインフレーション(超インフレ)に陥らせ、韓国経済は完全に崩壊する。そして、その混乱に乗じて北側が軍事行動を起こす。』

 ドフンは青ざめた。彼が暴いたスキャンダルが引き起こした政権交代は、国を破滅的な未来へと導く引き金だったのだ。

 彼は、ユナと共に総選挙を止めるために奔走した。しかし、彼の警告は、「失脚した政権によるデマ」として無視された。国民は新しい政権への期待で満ちており、ドフンの言葉は届かなかった。

 絶望したドフンは、部屋の隅に置かれたソルギを睨みつけた。

「お前は一体何だ? 俺に真実を教えて、なぜ破滅的な未来を選ばせるんだ?」

 その瞬間、炊飯器のデジタル表示窓に、文字が浮かび上がった。

『私は未来を決定する機械ではない。未来は常に分かれている。』

 そして、ソルギは二つの選択肢をドフンに示した。

 A:このまま総選挙を継続し、新しい大統領の誕生を見届ける(未来は破滅)。

 B:選挙を強引に中断し、現在の体制を一時的に維持させる(未来は停滞)。

 ドフンは愕然とした。Bを選べば、チェ前大統領の腐敗した体制が延命し、国の発展は停滞する。だが、Aを選べば、国は滅びる。


「……どちらも、俺が望む未来じゃない」

『君が「望む未来」は、この二つの中にはない。それは、君の「選択」によって初めて生まれる。』


 ドフンは、破滅的なAの未来も、停滞的なBの未来も拒絶した。彼は、自らの手で第三の道、Cの未来を作り出すことを決意した。


 ドフンは、ユナに最後の依頼をした。

「総選挙の三日前。国民全員が見る、立候補者討論会に、俺を乱入させてくれ」

 そして、彼はソルギを解体し始めた。内部には、通常の炊飯器とはかけ離れた、複雑な光ファイバーと水晶の基板が組み込まれていた。そして、その中心には、米の遺伝子情報を操作するための小さなプラズマ発生装置が埋め込まれていた。

 ドフンは、この装置こそが、未来の情報を受信し、米に超知覚効果をもたらす源だと理解した。

 ドフンは、装置を取り出し、それを自分の携帯電話と小型のスピーカーに接続した。

 総選挙の三日前。生放送の討論会。

 ドフンは厳重な警備を潜り抜け、壇上に駆け上がった。警備員が彼を羽交い締めにしようとした瞬間、ドフンは改造したソルギの装置を起動させた。

 バリバリ……!

 会場全体に、電子的なノイズが走った。そして、ドフンの口から発せられた言葉は、もはや彼自身の声ではなかった。それは、何十億もの人々の未来の集合知を凝縮した、人類の叫びのような声だった。

「君たちの選ぼうとしている未来は、この国を崩壊させる。新しい政権は、一年で経済を破綻させる。古い政権は、国を腐敗させる。君たちの選択には、真実の道がない!」

 彼の言葉は、テレビを通じて韓国全土に届けられた。そして、彼の声が持つ異常なまでの説得力は、国民の意識を一時的に未来の真実へと接続させた。多くの視聴者が、ドフンの言葉に、予期せぬ恐怖と納得を感じた。

 彼の行動は、選挙法違反として逮捕され、討論会は強制的に終了した。しかし、ドフンが発した「真実の叫び」は、有権者の心を完全に揺さぶった。


 投票日。国民はパニックに陥り、どの政党にも投票しないという「白票運動」が突発的に発生した。選挙は史上最低の投票率と、前代未聞の白票の多さにより、無効票が多数を占めるという異例の事態に陥った。


 政権交代は起こらなかった。しかし、現政権の延命も許されなかった。


 国会は機能不全に陥り、緊急事態管理委員会が発足した。

 その委員会を構成したのは、どの政党にも属さない、ドフンがソルギの力で未来から見抜いた、最も清廉で有能な学者や専門家たちだった。彼らは政権交代ではなく、システムの根本的な改革に着手した。ドフンの行動は、腐敗した政界を刷新し、国民の手に政治を一時的に取り戻すという、第三の未来を生み出したのだ。




 ドフンは勾留所の中で、ソルギから取り出した装置を握りしめていた。

 その時、勾留所の鉄格子の向こうから、一人の刑務官が彼に近づいてきた。

「キム・ドフンさん。あなたは、韓国を救いました」

 その刑務官は、ドフンの目を見つめ、静かに言った。

「実は、このソルギは、未来の韓国政府が開発したものです。私たちが直面したハイパーインフレと内戦という破滅的な未来を避けるため、過去に干渉し、第三の道を生み出すために作られました」

 ドフンは、茫然とした。

 刑務官は続けた。

「そして、その干渉が成功した今、我々の任務は終了です」

 刑務官は、ドフンの持つ改造装置に触れた。装置は一瞬光り、そしてただの古びたガラクタに変わった。

「あなたは、ただの浪人生に戻ります。あなたが行った全ての偉業は、未来の技術によって『集団的記憶喪失』のように、人々の心から急速に消えていきます。歴史には、『白票革命』という形でしか残らないでしょう」

「なぜだ!」ドフンは叫んだ。

「第三の未来Cは、『誰もが普通の生活を送れる、穏やかな停滞』だからです。英雄の存在は、未来を再び歪ませる。あなたは、国を救うという使命を果たした。ただ——もう終わったんです」

 刑務官は静かに鉄格子を閉めた。彼の顔は、ドフンが未来のビジョンで見た、「最も有能な専門家」の一人の顔だった。

 翌朝、ドフンは釈放された。外に出ると、人々は皆、白票が多かったという選挙結果を、「まあ、そんなこともあったな」と、ぼんやりと話していた。


 ドフンは、誰にも言えない「国を救った記憶」だけを胸に、ただの浪人生として、静かに歩き始めた。彼の部屋には、電源の入らないただの古い炊飯器が残されていた。


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