未来を映すプロジェクター
ソウル郊外の古い雑居ビル。その地下倉庫に勤めるイ・ジスの生活は、まるでモノクロ映画のように単調だった。仕事は骨董品やガラクタの整理。夢も希望もなく、ただ日々をやり過ごすだけ。
ある日、埃にまみれた隅の棚から、異様に美しい機械を見つけた。レトロなデザインだが、素材は見たこともない合金でできている。それは小さなプロジェクターだった。
「何だろう、これ?」
好奇心に駆られ、ジスは電源を入れてみた。カチリ、という微かな音と共に、部屋の壁に映像が映し出される。
そこで笑っているのは、未来の自分だった。
最初の映像は、ジスが高級なレストランで豪華な食事をしているシーン。
次は、ブランド物の服を身にまとい、海外の空港を闊歩している姿。
「え、私が? こんな未来が待ってるの?」
ジスは興奮した。退屈な日々を抜け出し、成功を手に入れる未来。
しかし、映像はそれだけでは終わらなかった。
ある夜、プロジェクターが映し出したのは、一人の男性だった。
彼はカフェで楽しそうにジスと話している。穏やかな笑顔、知的な横顔——ジスは一目で心を奪われた。名前はパク・ミンジュン。どうやら、この未来でジスと深い関係になる、運命の相手らしい。
ジスは、プロジェクターの映像を道しるべとした。レストラン、服装、行動パターン。未来の自分になりきることで、人生は劇的に変わり始めた。
まず、自己投資を始めた。未来のジスは流暢な英語を話していたから、英会話学校に通い始めた。未来のジスは投資の知識を持っていたから、経済学を学び始めた。外見も、未来の映像に合わせて洗練させていった。
そして三ヶ月後。ついに運命の日が訪れた。
プロジェクターの映像で知った、ミンジュンとの初めての出会いの場所。ソウル市内の小さなブックカフェ。指定された席に座り、コーヒーを飲みながら待った。
やがて、カフェのドアが開き、映像で見た通りの男性、パク・ミンジュンが入ってきた。彼の目はこちらに向けられた。
「あの……イ・ジスさん、ですよね?」
彼は映像で見た通りの優しい声で話しかけてきた。
「はい、パク・ミンジュンさん」
二人はすぐに打ち解けた。未来を知っているジスは、初めて会ったにも関わらず、彼の好きなもの、苦手なこと、仕事の悩みまで、まるで長年の恋人のように自然に会話をリードした。ミンジュンは驚き、そして魅了された。彼は、ジスこそが、自分がずっと求めていた相手だと確信した。
恋は急速に進展した。プロジェクターは、二人がデートする場所、告白のタイミング、すべてを教えてくれた。ジスは、ただプロジェクターのシナリオ通りに演じるだけでよかった。
プロジェクターの力で、ジスの人生は完璧なものになった。ミンジュンは有望なIT企業の経営者で、ジスは彼のサポートで成功したデザイナーになっていた。二人は誰もが羨むカップルとなった。
付き合って一年が経った夜。ミンジュンはプロポーズをしてきた。
指輪を受け取り、ジスは幸福感に満たされた。プロジェクターが教えてくれた未来は、本当に実現したのだ。これで、彼女の人生は約束された。
その夜、幸せの絶頂にいながらも、ジスはふと疑問を感じた。
「このプロジェクターは、一体何だろう?」
彼女はプロジェクターを起動し、壁に質問を投げかけた。
「あなたは、私の未来を映しているのよね?」
壁に映し出されたのは、いつものように輝く未来の映像ではなかった。映像はノイズに包まれ、やがて、一本の映像記録のようなものが映し出された。
その映像の中には、ジスとミンジュン、そして、あのプロジェクターを開発したと思しき科学者たちが映っていた。
その映像には字幕がついていた。
『仮想未来シミュレーター「ロードメーカー」。被験体:イ・ジス。目的:潜在能力の最大解放と、最適な人生の構築。このシミュレーションは、被験体の人生に介入し、最も成功し、最適なパートナー(パク・ミンジュン)と結ばれるよう、環境と行動の「答え」を提供する。』
ジスは息を呑んだ。
科学者の一人がカメラに向かって話す。
「ロードメーカーは、被験体イ・ジスの人生を、完璧な物語として『投影』しました。彼女は今、その物語のシナリオ通りに行動している。しかし、最も重要なのは、被験体の未来ではない」
映像は切り替わった。映し出されたのは、パク・ミンジュンが、他の科学者たちと話している様子だった。
「イ・ジスという被験体は、最高のパートナーと最高の人生を送っていると信じている。計画は成功だ。これで、我々は彼女の持つ『遺伝情報』と、彼女の行動によって引き出された『潜在能力』の全てのデータを入手できる。さあ、このデータを使って、次の『ロードメーカー』を起動させよう」
ジスの手から指輪が滑り落ち、床を転がった。
プロジェクターが映していたのは、彼女自身の未来ではなかった。それは、彼女の全てを引き出すために作られた、緻密なシナリオだった。ミンジュンとの出会いも、成功も、恋愛も、すべてが、彼女の能力やデータを最高効率で引き出すための「舞台装置」であり、ミンジュン自身もその「舞台装置」の一部、あるいは開発者の一人だったのだ。
ジスの涙がプロジェクターのレンズに落ちた。映像はそこで途切れ、プロジェクターは静かに光を失った。
壁には、ただの漆喰の白さが残った。
彼女の人生を変えたふしぎなプロジェクターは、彼女に本当の未来を与えたのではなく、誰かのための、完璧な実験データを与えるために存在していたのだ。
窓の外では、彼女の「運命の恋人」であるミンジュンが、笑顔で彼女のアパートを見上げていた。その笑顔が、今はひどく、冷たい役者のそれに見えた。




