1話「誓いの灰燼①」
冷たい霧が森を覆い、夜明け前の光がまだ世界を染めきれずにいた。
私は馬車の窓に額を寄せ、遠ざかっていく我が家――ルヴァンシュ公爵領の城館を見つめていた。
濃い霧の向こうで、塔の尖端が霞に溶けていく。
隣でメイドのミラが、落ち着かない様子で膝の上の手を握りしめている。
「エリスティア様……やはり、お考え直しを」
「……あの子は自殺なんてしないわ」
「わたくしも、そう思っております。でも……貴方様はルヴァンシュ家の“宝石”ではありませんか。こんな危険な――」
「そんなこと、今はどうでもいいでしょう!!」
怒りで思わず馬車の床を踏み鳴らす、そのたび、木の板が怒りを吸い込むように軋む。
「春には、リオナと一緒にご両親のお墓に行こうと約束したのよ!それなのに……養子に引き取られて半年後に“自殺”?そんなの、ありえない!」
ミラが慌てて身を乗り出し、震える私の体を抱きしめた。
「すみません……エリスティア様。お二人の絆を、私はずっと見てまいりました。リオナ様の死がどれほど不自然か、わかっております」
「……ごめんなさい、取り乱したわ…。」
私は震える息を整え、深く吸い込む。
これから向かう場所では、感情を少しでも見せてはいけない。
“復讐”を成すためには、笑顔と沈黙だけが武器になるのだから。
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私は――エリスティア・フォン・ルヴァンシュ。十六歳。
ルヴァンシュ公爵家の長女にして、世間から“ルヴァンシュ家の宝石”と呼ばれている。
しかし私は真底向いてなかったのだ、貴族という肩書きが。
子供の頃から街へ勝手に街に出てはスリ師の少年に技を教えてもらったり、暴君なガキ大将に喧嘩を習い弟を練習台に技を磨く、そんな公女だった。
そんな問題児を、両親は早く嫁がせようと“ルヴァンシュ家の宝石”という呼称を適当に広め、社交界では沈黙を貫けと命じられた。この件以外での両親には至極真っ当で優しかったため、私も恩義に報いてニコニコと適当に相槌を打ち、我が家の体裁を守ることにした。
おかげで軽薄そうな自称紳士何人からかお声はかかった、が――。
正直誰にも興味がわかなかった。
なにがルヴァンシュ家の宝石だ、私から見ればこの社交界で真の宝石はたった1人。
私の幼馴染――リオナ・フォン・エルトリアだけだ。
リオナのエルトリア伯爵家は我が家と格差があると大人たちにいわれたが、子どもの私たちにはそんな差は関係なかった。
むしろ捻くれ者な私の唯一無二の親友であった。
「ねぇエリス、星の海には誰がいると思う?」
リオナの屋敷に泊まった夜、彼女は窓辺に座り、星雲を指でなぞりながら言った。
「あれはガスよ」
私は本をめくりながら淡々と答えた。
「もう!エリスは想像力が足りないの!」
私は苦笑し、肩をすくめた。
「じゃあ教えてよ、リオナ先生。誰がいるの?」
「死神よ。人の魂を星に変えるの。だから空はあんなにきれいなの」
「……死神をそんなにロマンチックに言う人、初めて聞いたわ」
「だって素敵じゃない? 実は死神は殺すだけじゃない、とてもロマンのある神様って話よ? 死んでも誰かを見守る光になれるなんて美しいでしょ?」
その無邪気な笑顔が好きだった。
リオナはいつだって、絶望の中に希望を見つける少女だった。
彼女の両親が海難事故で亡くなった日も、リオナは泣かなかった。
葬儀の最中、頬をこわばらせながら私に微笑んだ。
「あの海は無人島が多いから……。お父様とお母様、きっとどこかの島で王様になってるのよ」
その強がりが痛かった。
私は孤児院に入れられる予定のリオナを必死に止め、両親に「彼女を私たちの家に入れてあげて」と頼み込んだ。元気になるまで私がそばにいなければ。
しかし、王の従姉妹である母の養子にすることは親族に反対され、結果、引き取り先が見つかるまで我が家で生活することになった。
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三年が過ぎた頃、リオナを養女にしたいという家が現れた。
北の辺境、アルヴァレスト侯爵家。
貿易で巨万の富を築いたが、私は心配で仕方なかった。
アルヴァレスト家は貿易で財をなしたが、違法な商品にも手を出しているという噂があったからだ。
「リオナ、本当にアルヴァレストでいいの?」
「もちろんよ! 専属のメイドも、家庭教師もつけてくださるのよ?
それにね、姉妹一人ひとりに専用の離れがあるんですって!」
「専用の……離れ?」
「ええ。本邸から三本の通路が伸びていて、それぞれの娘が一軒ずつ住めるの。
もう二人、養女がいるみたい」
私はそこに強烈な違和感を感じた。
わざわざ養子のために三軒も離れを……?
しかし期待に満ちたリオナに対し、この後ろ向きな考えを伝えるのは気が引けた。
リオナはこの3年ですっかり元気になった、養子先の家族とも立派にやっていけるだろうほどに。
でも私は…。
「ねぇ、リオナ…。このままウチにいて何か一緒に仕事でもしない?」
思わず口をついて出た私の希薄な提案にリオナは口を尖らせた。
「そりゃエリスは仕事で男性並みに生きられるでしょうけど…。私はダメ、早く良い家から嫁がないと。」
「私の手伝いでも良いの、賃金も払うし。」
「エリス。」
リオナのいつになく真剣な目に思わずたじろいだ。
「ダメなのよ。私が子どもを残さなかったら、お父様とお母様の血がここで途絶えてしまうの。
それだけは…、それだけはダメなの。」
私は自分の思慮の浅さに恥ずかしさをおぼえた。
「…ごめんなさい。」
「謝らないで!心配してくれる気持ちはすっごく嬉しいの!」
そう言って、リオナは私を抱きしめた。
「毎週手紙を書く。三ヶ月に一度は帰るわ。なんてったって、私の家は――貴方だもの」
リオナはウインクし、寂しげながらもいつもと変わらない笑顔を振りまき、荷物整理に戻っていった。
しかしリオナが養子に出て半年後、手紙が唐突に途絶えた。
それから何通も手紙を送ったが、返事は返って来なかった。
あの子は約束を違える子ではない、忙しいならそれもきちんと教えてくれる律儀な子だ……。
私はついに意を決し、ルヴァンシュ家に乗り込む準備をはじめた。
そんな日の翌朝。
我が家に届いたのは、私の決意を嘲笑うかのような文字が刻まれていた一通の手紙だった。
――リオナ・フォン・アルヴァレスト
アルヴァレスト邸にて自死。
遺体、埋葬済み。




