「もっと低く低く」
地元球団が優勝した翌日のことだ。
球場の近くにある商店街では、球団の優勝を祝ってバーゲンをしていた。
十年ぶりの優勝なので、破格の安値だ。出血覚悟の大サービス!
といっても、すべての商品が対象ではなかった。例外もある。たとえば、これからの季節にぴったりの、売れ筋商品とか。
しかし、商店街のあちこちではお客さんたちが、そういう商品に対しても、「もう少しまけてよ」と交渉している。
そんなお客さんたちの中には、地元球団のレプリカユニフォームを着ている人も少なくない。自分は熱心なファンだと、お店側にアピールしている。
――せっかく優勝したんだから、もう一声。次に優勝するのは、十年後になるかもしれないんだぞ。
すると、お店側も「しょうがないですね」とまけてくれたり、「では、次に優勝した時ですね」とまけてくれなかったり。
本日の商店街は、いつもの何倍もにぎわっていた。優勝おめでとう、優勝ありがとう。安くしすぎて、利益はほとんど出ないと思うけど、本日の売上が楽しみだ。一日あたりの過去最高を更新しちゃうかも。
で、午後になる。
ある男が商店街に現れた。この男もレプリカユニフォームを着ている。
以前から欲しいと思っていたコートを、買いに来たのだ。
しかし、そのコートはバーゲンの対象外。この値段だと予算オーバーだ。もう少し値段を下げて欲しい。
となると、あとは交渉次第だ。
このコートの値段を下げてくれるよう、男は交渉を始める。
男には秘策があった。
こういうこともあろうかと、片方の手にキャッチャーミットをはめている。
さらには、キャッチャーマスクと、キャッチャーのプロテクターも。家から、この格好で来たのだ。
そして、秘策を実行する。
「もっと低く低く」
ジェスチャーを交えながら、店主と交渉する男。
まるで、「キャッチャーがピッチャーに声をかけている」場面だ。ピッチャーが球をうまく扱えていない時、キャッチャーはこういうことをする。
「もっと低く低く」
野球の試合では基本的に、高めの球よりも、低めの球の方が打ちにくい。低めの方が、相手バッターを打ちとれる可能性が高くなる。
「もっと低く低く」
交渉が長引いている。
といっても、「絶対にこれ以上はまけない!」と、店主が言っているわけではなかった。どうやら店主の方も、この交渉を楽しんでいるみたいだ。
なにせ、この店主もレプリカユニフォームを着ている。ピッチャーになりきって、「低めは危険だと思います。高めで勝負すべきです」などと返している。
そうしている内に、他のお客さんたちが集まってきた。交渉中の二人を囲んで、どちらが勝つのかを見物し始める。
少しして、お客さんの一人が口にする。
「なんだか、野球の試合っぽくなってる♪」
その声は楽しそうだ。
お客さんたちの中には、レプリカユニフォームを着ている人が多い。
そして、交渉している二人はまるで、ピッチャーとキャッチャーのようだ。
それをみんなで囲んでいる、この状況を言い表すなら、
「『マウンドに輪ができる』というやつだな♪」
別のお客さんが言った。
野球の試合ではピンチの場面になると、ピッチャーを励ますために、仲間たちがマウンドに集まることがある。まるで、その場面の再現だ。
これが決め手になったのか、ついに店主が値下げに応じた。キャッチャーはコートをお買い上げだ。
この結果に、みんな笑顔になる。
こんなことがあったよと、さっそくお客さんたちの何人かが、インターネットのSNSに書き込んだ。
すると、夕方には商店街のあちこちで、
「もっと低く低く」
キャッチャーの格好をして交渉するお客さんたちの姿が・・・・・・。
商店街のあちこちで、笑顔の輪ができていた。
次回は「マフィア」のお話です。