桜雨の予感
桜の花びらが、風にさらわれて舞っていた。
「今年も咲いたな」
そんな独り言を漏らすのは、ゼミの帰り道。
隣にはいない。いてくれたらいいと思う人は、いつも、みんなの中心にいて、俺の隣には来ない。
芹沢紬。明るくて、誰にでも優しくて。そういう人だからこそ、勘違いしちゃいけないと、自分に言い聞かせていた。
でも、それでも、惹かれてしまう。
「佐伯くん、お願い。紬、飲みすぎちゃって」
ゼミの飲み会の夜、誰かに頼まれる形で、俺は彼女を家まで送ることになった。酔って寝ている彼女は、いつもの元気な様子とはまるで違っていて、なんだか無防備で——。
「蓮くんって、優しすぎて、ずるいよね」
その一言が、俺の中に残る。
翌日から、俺は紬と距離を取るようになった。
彼女の気まぐれな言葉に、期待しそうになる自分が怖かった。
けれど、紬の方が近づいてくる。「ねえ、最近避けてない?」と、少し拗ねたような顔で。
「寂しいって思っちゃうの、変かな?」
心が、ぐらりと揺れる。
ある日、ぽつぽつと雨の降る中、俺は紬に傘を差し出した。
「……あの時の“ずるい”って、どういう意味だった?」
紬は俯いて、小さく笑った。「蓮くんって、誰にでも優しいんだと思ってた。でも、違うんだって、あの夜、気づいちゃって……」
「私だけに優しくしてくれるの、ずるいよって意味」
春の終わり、桜は散り始めていた。
「もう、隠さない。俺、ずっと好きだった」
「……うん、私も。ずっと前から、ずっと」
あの焦れったい時間があったからこそ、今、手をつなぐ意味がある。
桜雨の予感は、やがて小さな恋の始まりに変わった。