9
「んーぁ…………」
目を擦る。不愉快な光が視界に飛び込んでくる。朝が来たようだった。
ぼんやりとした意識が僅かに覚醒すると、天井に見覚えが無いことに気がつく。首を動かして周囲を観察しても同じだった。布団から這い出る。
「……どこだ?」
汚いというほどでもないが、整頓されているというわけでもない。それなりの古さの伺える……アパート?
自分が今居る空間がどこだか分からなかった。勿論自分の部屋ではない。ならここは……誰の家だと言うのだろうか。
「……うるさいな」
何かと思ったら、外からバタバタとした騒音が聞こえる。ヘリコプターのような音。窓を開くとティルトローター機が双発のプロペラを空に向けてぐるぐるさせていた。
「……安全保障ってやつかい?」
冗談ともかく、何故あれがあんな直ぐ近くでホバリングしているのか。誰のか知らないリモコンを握り、誰のか知らないテレビを点ける。
『今朝10時過ぎ、臨時的な「土曜国会」中だった議事堂が何者かに占拠されました』
映像が映る。複数台の爆装したティルトローター……窓の先に見えるのと同じヤツが国会議事堂の周囲を取り囲んでいる。無数のドローンもいた。
『また日本全国に同型の戦闘機やドローンが現れ、街を徘徊しています』
……どうやら、あそこで滞空している一機だけではないようだ。
『首謀者や目的、理由などは今のところ一切不明ですが、これらの機体には絶対に近付かず自宅から出ないで下さい。また政府より外出を控えるよう、国民へ強く要請が出ています』
謎の家に、謎の攻撃。全く、世界はどうなっちまったんだ?
……分からない。恐怖に震えたいところだが、戸惑いのほうが強かった。取りあえず水道の水で顔を洗い、口をゆすぐ。歯ブラシがあったが自分のではない。部屋を観察してみると、俺のスマホと日光に照らされている何かが落ちていた。
「モデルガン……?」
手にとってみる。ずっしりとした重みがあるが、本物とは思えない装飾がなされていた。観賞用だろうか? もしかしてこの部屋、何かのデスゲームとか社会実験とかそういう……
「っ!」
気が付くとその場に倒れていた。頭に激痛が走る。何だ……何かが頭に当たった……狙撃?
刹那、玄関のドアが大きく開く音がした。まるで蹴り飛ばしたような……そのまま何かがこちらへ走ってくる。真っ黒な装備に身を包んだ男たち。こちらを取り囲んで銃を向けている。
「……何故気絶していない」
「いってぇな! 何すんだよ!」
「撃て」
幾つものライフルが火を吹いて、弾丸が俺の体を叩いた。
「ぐああああああ」
「………………発砲止め。おい、銃を捨てろ」
「ああ……?」
「銃を捨てろ」
未だに先のモデルガンを握っていることに気が付いた。
「まず名乗れよ、そんで謝れ」
更に頭に一撃、銃弾が撃ち込まれる。そのまま複数人に無理矢理抑え込まれた。膝が首に食い込んでいく。
ナイフを手首に刺してきた。
「Ouch!」
悲鳴とともに男が吹き飛んだ。誤って引き金を引いたのだ。……本物、なのか?
「……Missile!」
誰かがそう叫んで俺から飛び退く。次の瞬間何かが窓ガラスを突き破って部屋に飛び込んできた。煙が部屋に充満していく。ミサイルじゃない……鼻と口を押さえながら窓に飛び込む。コンクリートの地面が近づいてくる。……大丈夫、死なない!
「うげっ!」
頭から落ちた。滅茶苦茶痛いが気は失ってない。近くの角からライフルを構えた兵が現れる。ヤツがこちらへ発砲する前に、俺が向こうを撃ち抜いていた。気を失っている。
「……やるじゃん、俺」
体が勝手に反応していた。とにかく今はこのテロリスト共から逃げないと。
「……っ!」
時折追いかけてくる敵を撃ちながら走る。住宅街のようだがここがどこかは知らない。どこに逃げれば良いかも分からない。物陰から兵が飛び込んでくる。警棒のようなもので殴られる。
「ぐああッ」
痺れる。電流が体を流れたようだった。どうにか跳ね除け、もう一撃叩き込もうとしてくる馬鹿に前蹴りを叩き込んだ。怯んだところをすかさず射撃で気絶させる。
「はぁ、はぁ……」
更に走り続ける。こいつら……何者なんだ。テロリストだが軍だか知らないが何で俺が狙われなきゃならない。他にもおかしなことだらけだ。あの家もそう、この銃もそう、謎に俺が強いのもそう……何か変な夢でも見てるんじゃないのか?
ひたすら逃げる。何一つ分からないが、唯一つ分かることがあった。……俺は何かを忘れてる。それも重大で重要な何かを。
この逃避行の先にそれは見つかるのだろうか。
―――――――――――――――――――――
暇そうなやつらが行き交う昼の駅前。
さっきやっていたニュースが嘘かのように、ごく普通に人々が歩いていた。
ある程度人通りのある場所のほうがかえって安全な気がして、ここを歩くことにしたのだ。
あいつらが正規軍ならあまりに目立つことを嫌がるのではないか、という希望的観測である。最もさっきの襲撃を考えるに、本当に安全かは甚だ怪しいが……
「いやー、テロ騒ぎでさっさと休みになると思ったんだけどなぁ」
「馬鹿、戦争でもなきゃ休みになんてならねぇよ」
「そうは言うけどよぉ…………もう戦争だろ、これ」
直ぐ傍を駆け抜けていくドローンを指しながらサラリーマンたちがぼやく。
ティルトローターもドローンも特に誰かを攻撃するわけでもなく、ただ周囲を飛び回っていた。何の目的があって首謀者はこんなことをしているのだろう。
ポケットに入れた拳銃を弄ぶ。どこに行くでもなく彷徨っていると、目の前から吾妻高校の制服を着て歩いてくる女子が見えた。土曜日だってのに制服でお出かけとは……と思ったが、まあ部活とかあるんだろう。生まれた時から帰宅部の俺には関係のないところだが。
気持ち脇に反れて歩き去って行こうとすると、そいつがこちらに駆け寄ってきた。
「うっはー、空良くんじゃん!」
わざわざ目の前でぶんぶんと手を振っている。が、知らない。誰だよ?
「ちょうどいいや! ね、遊び行こ!」
いきなり腕を引かれ、無理矢理近くのカラオケ屋に連れ込まれる。何なんだ、おい!
店員の指した部屋に押し込まれる。混乱しきっていると、マイクとマラカスを抱えたその生徒が部屋に入ってきた。
「……お久しぶりです。依途さん」
「え、いや。なにこれ?」
マラカスを置く。
「覚えていらっしゃらないと?」
そう言われてその女子をつぶさに観察してみる。薄縁の眼鏡、長い髪。そんな知り合い……いただろうか。だいたい、俺に女子の知り合いはいない。……いや夜海さんくらいか。
「薄情ですね。悪くないお人柄と思っていたのですが」
そう言われると罪悪感がある。
「南です。吾妻高校生徒会……草薙さまに仕えております。あなたを保護した際、食事をお持ちしたのですが」
「……ああ!」
有った。そんなこともあった。確かにご飯貰った。何で忘れたんだ俺。……いや、そもそも保護?されてたんだ?
「この状況下です。貴方にも協力を頂こうかと草薙が貴方を探していたのですが、見つからなかったのです」
「はぁ」
「……あまり自覚が無いようですが。重要人物なんですよ、依途さんは」
「そう言われるのは悪くない気分だけど……その勧誘の為にここに連れてきたのか」
「はい。少し失礼しますね」
南さんとやらはタブレットを取り出すと、誰かに連絡を取り始めた。
「南か。どうした」
「はい。依途さんを発見しました」
「本当か!」
タブレットの画面をこちらに向けてくる。
「依途! どこにいた!?」
「起きたら知らない家にいた」
「拉致だと!? 許せん、どこのどいつだ!」
「お前が言えたことかよ」
草薙がこほんと咳払いする。無かったことにはならないからなてめー。
「お前も知ってるだろうが、現在国民に重大な危機が迫っている」
「ああ。うるさいプロペラが日本中で回ってるらしいな」
「それもそうなんだがな。……これを見てくれ」
どこかの島。要塞の如く武装されている。
「これは真代島。第二次大戦時、東京湾に作られた人工島。本土防衛の為の第四海堡。
現在は武装も解除されたが……今日の朝6時頃、この島が何者かによって占拠された」
「何者か?」
「ああ。正体は一切不明だが、現地にいた人々は全てドローンに撃たれるか脅されるかして要塞内部へ連れて行かれたらしい」
「兵士でなく?」
「ああ。……というより、この島の制圧において歩兵の目撃情報がない」
……んな馬鹿な。
「本土からの偵察機も送られたが、熱光線で落とされた」
「ビームだと?」
「当然真代島にそんなものは無かった。犯人が設置したんだろう。
ドローンもティルトローターも全てそこから発進している…………魔法のような技術力だ」
「その島を占拠している奴らを排除すればいいのか?」
「まあ、確かにそれもどうにかしなければならないが。それよりも喫緊の課題がある」
「何だ?」
画面の向こう、一段と深刻そうに草薙が発した。
「国外の複数の勢力が混乱に乗じて動き出した」
「何のために」
「異形の確保、永久機関の奪取、関連情報の取得、そして……対象Xの発見」
「X?」
「ロストブラッドはある個人によって引き起こされた、という説がある。馬鹿げた話に聞こえるが、信じているやつも少なくない。その犯人が……」
「Xというわけか」
「ああ。そのXは日本にいるとしている組織が多い。
結果としてそういう奴らがこの状況下で活動を始め、更に国外からも集まろうとしている」
今のところ、ドローンもティルトローターも一切の攻撃をしていない。他にも警戒をしなければならない対象がいるわけか。
「そいつらが果たして何をしでかしてくれるか、分かったもんじゃない。直接的な破壊活動に出る可能性も否定出来ん。決して充実した戦力じゃないが、我々も防衛に出る」
「それで俺にも戦え、と?」
「ああ、そうだ」
「馬鹿言え。俺がどうして戦える」
せいぜいこのよくわからない銃くらいしか俺は持っていないのだ。自分の身を守るので精一杯である。
「馬鹿はお前だ。シルエスタを救ったならこの国も救ってみせろ」
「シルエスタ? それが何の関係が…………」
言い終わる前に、視界が光に覆われた。
「うわあああ」
轟音。辺りを焼く炎。数拍置いて、これが爆発なのだと気が付いた。瓦礫の山からどうにか這い出る。
「南さん、大丈夫か!?」
「は、はい……」
同じく埋もれた彼女を引く。眼鏡が割れていた。
「見えるか?」
「だいじょうぶ……」
しかし何の爆発だ、これは……
「とりあえず外に出よう」
「ええ」
カラオケ屋だった廃墟。どうにかコンクリート片の山から脱出する。
『依途空良、依途空良、出てこい』
俺の名を呼ぶ声がする。目の前にでっかいロボットがいた。
「…………あぁん?」
辺りにはさっき俺を襲ってきたのと同じコスプレをした兵士がこちらに銃を向けて立っていた。
『依途空良、貴様にはシルエスタ侵略及び不法武力保持の疑いが掛かっている。身柄を拘束する。武装を放棄し、両手を挙げて膝を付け』
「お前ら誰だよ、さっきから散々撃ちやがって」
『……』
「ありゃ米軍だな。日本語が俺より上手い」
あいつらの代わりにタブレットの向こうの草薙が答えた。
『繰り返す。武装を放棄し……』
「気に入らん。断る」
グレネードが放たれる。再び視界が光に覆われた。
…………見たことがある。街。そして火。俺は昔、これに立ち向かったことがある。忘れていた。噴煙の向こうに銃口を向ける。引き金を引くと、煙を吹き飛ばして弾丸が飛んで行った。
『…………ッ! レーダー破損! レーダー破損!』
「思い出した。この銃の使い方……」
視界が開ける。火に包まれた街、兵士たちがライフルを向けている。拳銃を自分のこめかみに突きつけた。
「撃てッ!」
奴らのライフルより先に俺の弾丸が頭を貫いた。肉体が膨張する。収縮する。人でなくなる。
余波で奴らの弾が消し飛んでいた。
「何度目だろうな。死ぬのは……」
「やれ、英雄!」
「うるせぇッ!」
弾丸を無視して駆け、雑魚から叩き潰していく。一撃一殺のリズム。
「Fuck!」
「お前こそFuck!」
ライフルごと殴り付けると銃身が割れた。後はあのデカブツだけか。
「何考えてそんなもん作ったか知らんが……」
両腕を重ね放たれたキャノンを防ぐ。跳びあがって蹴りつけると装甲に穴が空いた。
「火力と装甲は戦車以下……」
その場を必死に逃げながら機銃を放ってくる。効くわけがないどころか、当たるはずもない。軽く機体に跳び乗ってみせる。
「機動性はジープ未満……」
優しく蹴りつけるとバランスを崩して倒れた。
「バランサーに問題あり、と……欠陥兵器この上無いが……」
装甲をこじ開ける。震えるパイロットの姿があった。
「まぁ、ロマンは褒めてやる」
パイロットごとコクピットのコンソールを潰した。これでよし、と……
「やったようですね」
南さんが声をかけてくる。
「ああ……しかし、米軍に襲われなきゃならない」
「お前が異形だからだろ。どこからバレたか知らんが」
本当にそうだろうか? そのためだけにあんなデカブツまで持ってきて、民間人まで巻き添えにしたのか? 事が終わったあとの外交問題なんか酷いことになるだろうに……
「Hey, boy」
声に振り返ると、やけにでかい人影があった。
「I came to pick you up」
「……強化外骨格?」
両の拳を握って胸元で構えるボクシングスタイル。こちらに駆け寄り、殴りかかってくる。すんでのところで避け、肘を叩き込む。めり込んでいく様な感覚はあるものの、やがて止まってしまう。……効いてない?
カウンターのアッパーを貰い、コンクリに叩きつけられる。
「クソがよ……」
「Liquid armor is invincible!」
何と言ったかわからない。
「おい、通訳。アメリカ語を翻訳しろ」
「液体装甲だそうだ…………ん?」
近くを飛んでいたドローンから何か音声が流れる。
『始めまして、愚かで愛しい人類諸君』
低い男の声。敵の動きも止まっている。
『私はエルハイル。これより人類全ての主権を握る者』
エルハイル……?
『現在日本国内で起きている国会議事堂の占拠、全国的な航空戦力の配置、そして真代島の占領は全て私の意思によるものである』
「It doesn't matter!」
液体野郎が演説を無視して殴りかかってきた。想像よりも早い拳を避け頭部へ右の蹴りを叩き込むも、ダメージは入っていない。足を掴まれ地面に何度も叩きつけられる。
『それだけじゃない。世界にとって致命的な……いや「非致命的な」現象も私が起こした』
「人形がよぉッ!」
手刀で自らの脚を斬る。ヤツの拘束から抜け、もう片脚で地面を蹴って気の乗ったブローを入れた。瞬時に失った足を再生し着地、ラッシュを叩き込む。
……このおっさん、装備に頼ってるだけじゃない。大振りの打撃は確り避けてやがるし、細かいステップとジャブでこちらの行動を阻害してくる。
『……ロストブラッドの元凶は私だ。私が諸君の死を殺した』
力を溜めた、牽制でない一撃を振り下ろす。ヤツが待っていたとばかりにステップを踏む。読んだ通りだ、そのまま屈んで足元を刈ってやる。
『さて、ゲームをしよう。
ついさっき、世界の各地域に「塔」を立てた。これは7月7日日本時間0時に爆発し、全ての陸地を光で包む。
何、誰も死なない。私は死が嫌いだからね。だが地球上の文明は全て滅びるだろう。人類が永い時をかけて紡いだ物語は無に帰す。群れを作ってマンモスを狩っていた頃に戻るわけだ。今の君たちには耐えられないだろうね』
仰向けに倒れたその脚を掴んで地面に叩きつけ、浮いた体に先よりも鋭い肘を見舞った。
『「塔」の爆破を止めるには方法は一つ。先の制限時間までに私のところに来たまえ。真代島の要塞、その一番上にいる。別に誰でもいい。……そうだな、その暁には人類へのプレゼントを考えてもいい』
仰向けに倒れたその脚を掴んで地面に叩きつけ、浮いた体に先よりも鋭い肘を見舞った。
『だがこの島には、君たちのかっこいいおもちゃを好き勝手にぶつけても近寄れない。頑張って策を練ってくれ』
大きく吹き飛んだリキッドアーマーが受け身を取って立ち上がる瞬間、近くにいたドローンをひっ捕まえて投げつけた。腕で防がれて爆風が広がる。更に隙ができた。体を捻りつつ翔ぶ。回転と落下の勢いを使った手刀をヤツのアーマーへ叩き込む。
『それと今の話を信じたくなるように、これからちょっとした出し物をしようと思う。話は以上。では、楽しいゲームを』
表面の金属装甲を裂き、ドロっとした液体が吹き出した。
「No!」
防御力を失った駆体に拳をぶつけると弾丸のように直進して、近くを飛行していたティルトローターに激突する。真っ赤な薔薇が空に咲いた。
「ビューティホー」
南さんが歩いてくる。
「それ、英語のつもりですか?」
「うるさい」
「付近の敵は一掃したようだな。…………今諜報部から連絡が入った」
「どうした?」
「展開中のプロペラ共の一部が市民への攻撃を行ったそうだ。被害地域は……現在確認中」
そんな…………まさかこれがヤツの言ったイベントなのか?
「被害はこの国だけじゃない。他国でも……高校に来てくれるか? 作戦を立てたい」
草薙の言葉に仕方無く頷く。……思い出しちまったからな。俺に才能があるって。
歩き出す。身体が人に戻っていく。けれど……どうして俺にそんなものがあるのか。それは未だ思い出せなかった。
―――――――――――――――――――――
『こちら草薙。聞こえるか』
通信機から草薙の声が聞こえる。
「ああ」
『所定の位置には着いたか』
「でかい観覧車とでかいロボのフレームが見える」
本牧埠頭。暴風に波が荒れ狂い、港は激しい雨に打たれていた。
『では、任務を再確認する。お前には真代島に直接乗り込み、エルハイルを確保して貰う』
「……」
『今回、我々吾妻高校生徒会、自衛隊、RExはこの件に関して同盟を組むこととなった。
話した通り、我々は主戦力を防衛及び警戒に回す』
「よくも連携が取れるものだな」
『国民の保護のためだ。交渉は紛糾したがな……真代島に関しては海外の軍隊様にお任せしたいところだが、そうもいかない。先日行われた国際会議の結果通り、多くの国の軍が一応協力を決定し、スフィアフォース……地球連合として真代島に向かっているのだが。
まともに連携が取れていない上、要塞の防御力は鉄壁だ。航空・海上・海中戦力のいずれも接近出来ていない』
嵐のような風雨に晒されながら、埠頭の先端へ歩んでいく。
『まあ接近出来たとて、エルハイルに会うまでに撃破されるのが関の山だろう。そこで異形の超人たるお前の出番なわけだ、依途』
「バケモノはお前も同じだろ」
『俺は指揮をとらねばならないからな』
「剱は。俺より強いだろ」
『あいつなら指示を待たずに突っ込んでいった。猪め』
組織に向かない女である。
『真代島までの接近方法だが……泳げ。先ず唯一封鎖されていなかったその埠頭から海に飛び込み、海中を移動して真代島に辿り着くんだ』
「簡単に言ってくれる……」
『変身すればどうってことはない。潜水艦や潜水艇は漏れなく発見、撃破されているらしいが、泳ぎなら問題無いだろう。クロールでも平泳ぎでも犬かきでも好きにしろ』
先端に辿り着く。荒れる波が爪先を濡らした。
『さぁ行け。世界を救ってみせろ、英雄』
変貌する。酷く冷たい水の中へ。
「……」
冷たい海から這い上がり、真代島へ上陸する。纏った海水を洗うように雨粒が俺を叩く。
「こちら依途……上陸したが?」
返信は無い。通信機は壊れていた。
「チッ……」
周囲に一切人はいない。要塞島というだけあって多数の兵器が置かれているが、どれも大戦時の遺物のようだった。前方、島の中心には目的の要塞が見える。その上部、マズルフラッシュやビームの光と音が滝のような雨の向こうに見える。ここからは見えないがスフィアフォースを迎撃しているのだろう。
一方島内に展開されているのはプロペラ共だけのようだ。巡回しているが回避は容易である。一気に駆け抜け、壁面の薄そうな所をぶち破って侵入した。
「…………そういや南のやつがここは世界遺産だとか言ってたっけ」
まぁ、建物に気を遣ってやる余裕もない。内部を見渡すとマニアが喜びそうな内装や機材の数々に満ちていたが、生憎俺は歴史にもミリタリーにも疎い。弱っちい銃を撃ってくるドローンをはたき落としながら進んでいく。本当に敵の本拠地なのか疑わしいほどに無防備だった。あの大艦隊が上陸してくることはないと踏んでいるのか、それとも……
警戒を強めながら進んでいく。薄い雨音と自分のある音だけが聞こえていた。
階段。エルハイルは最上階にいるらしい。登っていく。
「…………」
本当に罠の一つもないのか?
一歩踏み出すごとに疑念が強くなっていく。大体、エルハイルとやらの行動理由も不明だ。世界を滅ぼしたい理由があって、滅ぼすだけの力があるのなら早くそうすればいいのである。「塔」に本来文明を滅ぼすだけの力はないのではという推論が会議にも出たが…………
諸々考えるに、このゲーム自体に意味が、エルハイルの目的があるのではないか。ヤツが快楽主義者か精神破綻者でない限りはあり得そうだ。もし異形の存在を知っているなら、単独潜入の可能性も考えるだろう。その上でこんなザルな警備を敷いているのなら……踊らされているのなら。
……なら俺は、ヤツの描いた物語の駒でしかない。
「来たか」
声の方。これから登る階段の上に剱がいた。俺のいる踊り場を見下ろしている。
「もう着いてたのか」
「当然だ」
一歩ずつ、こちらへ降りてくるその音が反響する。
「待っていたんだよ」
「は?」
踊り場を踏んで俺に寄る。
「自衛隊も生徒会も気がついていない。『誰が物語を書いているのか』」
「?」
「答えろ。ヤツは何故こんなことをしている」
「ヤツ? エルハイルか? そんなの俺が……」
「とぼけるなよ。エルハイル? そんなヤツはいない」
「じゃあ誰だって言うんだ……」
「……本気で言ってるのか?」
「は?」
「ヤツが誰か、本当に分からないのかと聞いている!」
叫ぶ。エルハイルが誰か俺が知ってるとでも言うのか? そんなはずが無い。見当もつかん。
「お前の部活の部長、ここまで言って分からんか?」
「部活?…………帰宅部に長はいないはずだが」
俺、部活になんか入ってたか? んな馬鹿な。俺はおおよそあらゆる活動が嫌いなのだ。
怒声を上げていた剱が一転、考え込むような表情をした。眼光は鋭いままだが視線が低く下がっている。
「…………全て、……が仕組んだことか」
「おい、よく分からんがさっさといかないか? その疑問は現代文明より優先されるのか?」
「……依途、先に行け」
「え?」
「用事が出来た。先に行け」
こちらを見ないでそう言った。
「戦力の逐次投入は悪手じゃないのか?」
「いいから行け。さっさと行け」
理屈は知らないが……そう言うなら仕方ない。歩き出す。
「悪いな、依途」
刀が抜かれる音がした。
―――――――――――――――――――――
「おめでとう。勇者」
要塞の最上階。暗い部屋。仮面がそう言祝ぐ。趣味の悪い椅子の上で拍手してみせる。
「臭い芝居はよせ、道化め」
「…………」
「全て話して貰うぞ…………未神蒼」
言うまでもない。私の知る魔法使いはただ一人。世界が狂ったのなら、それはこいつ以外に有り得ない。
「うん。やっぱり一番最初に来たのはきみだったね、剱ちゃん」
「悪いが依途には眠ってもらっている。貴様のご指名のようだったからな」
「なんだ、分かってるの?」
「いや。貴様の口から聞かない限り、全て私の妄想に過ぎん。さあ話せ。貴様がやろうとしていることの全てを、洗いざらいだ」
「…………」
「もしわたしの推測通りなら…………貴様は、貴様は本当に許されないことをしようとしている。何百発ぶん殴っても気が済まん」
自分でも体温が上がっているのが分かる。斬り殺したくなるほどに。
「……何も言わずにここから去ってくれないか? 少なくとも、きみとは戦わずに済む」
画面の向こうの表情は見えない。
「抜かせ。殺すぞ」
「殺せないよ、きみには」
その一言で確信した、未神の目的を。……こいつは、依途に自分を殺させようとしている。
「……推測通り、というわけか」
耳につけていた通信機を投げ捨てる。抜刀。有無を言わさずに斬りかかる。翼に防がれた。
「貴様ッ! 分かっているのかッ! それがどれだけ依途を傷付けるのか!!!」
「問題無いよ。全部……無かったことになる……」
「キサマァッ!!!」
追の二刃、しかし未神を捉えない。
「……ごめん」
背後を振り返ると、翼があった。掌に光が灯っている。光は波となって私の全身を貫いた。
「……」
……………………まだだ。まだ倒れるものかよッ! 無理矢理立ち上がる。全身の虚脱感を気合でねじ伏せる。
「そんな馬鹿な……生身で耐えられるはずがない」
「努力を舐めるなよぉッ!」
刀を鞘に納める。全身の気を昂らせる。
「そんな物語はッ! 私が断ち切るッ!!!」
居合。一刀に全てを賭ける。
「…………っ!」
音、光、熱、振動。あらゆるエネルギーが拡散していく。
「…………」
羽が散る。片翼が斬り落とされる。…………届かなかった。
「……きみの勝ちだ」
「気休めはやめろ」
最早動かない体に未神の波動が叩き込まれる。壁を突き抜けて、雨粒の注ぐ空が見えた。
「…………依途」
お前が、お前の手で。下らない物語を否定してみせろ。
荒れ狂う海に抱かれていく。光が遠ざかっていった。
―――――――――――――――――――――
「……よお」
片翼をはためかせ、仮面を付けたエルハイルがそこに立っていた。大きく崩れた壁が雨空を取り込んでいる。
「おめでとう、二人目の勇者」
一人目……剱はここにはいない。敗れたのか。
「ゲームはきみたちの勝ちだが…………それではつまらないね」
翼から放たれた羽根が光の矢となってこちらに向かってくる。俺の元いた場所を貫いた。
「さぁ、変身したまえ。勇者なら魔王を倒してみせろ」
何度目か分からない。中身の詰まってない頭に銃口を突きつけた。引金はもう重くもない。
「ふふ」
死を纏う。生を叫ぶ。
「始めよう。これで終わりだ」
更に羽根の矢がこちらを射抜こうとしてくる。直進しながらそれを避け、拳を叩きつけた。……が、見えない壁に阻まれる。
「そんなものじゃないはずだ。きみの力は!」
更にその障壁を殴りつける。何度も殴りつける。両掌で気を叩きつけた。
「そうだ、それでいい!」
ヤツの放った光を避ける。
「二度死ね(セカンドデッド)…………!」
幻の黒炎を纏う。天井を蹴って加速しながら右足の急降下キックを叩き込む、ヤツを押し込んでいく。左足での蹴りで離脱しつつ障壁を叩き割った。
「……さぁ、来い。世界を救ってみせろ、主人公」
エルハイルという仮面を被るそいつに歩み寄る。
「……っ! なぜ変身を解く!」
そいつの襟首を掴んで思いっきり殴る。怒りのままに何度もぶん殴る。更に力を込めて拳を叩きつけると、仮面が砕け瞳が見えた。
「無駄なことはよせ! 早く私を殺してみせろ!」
「それはてめぇだぜ……」
光の波を放ってくる。黒炎でそれを弾く。焔は更に燃え盛り、渦巻いて加速していく。
「今のお前なら私さえ殺せるだろう…………」
「……」
「それがお前だけの才能だ! さぁやれッ!」
黒炎を解き放ち、新たな力を抱いて翔ぶ。バカなそいつの仮面に右の拳を叩き付けた。
仮面が塵と化す。綺麗な白髪と潤んだ瞳が晒される。
「そんな…………神殺し(エンドオブエンディング)が発動しない…………」
「そんな能力は、俺にはない」
「きみのデストルドーはそんなものか!?」
「デストルドー? 忘れたのか? もう俺にそんなものはない」
「まさか……思い出したのか……きみは!?」
忘れるはずがない。俺を救った女の顔を。
「俺は今生きる希望で戦っている…………聖なる生と性」
いや、かっこつけた。忘れた。それでも忘れられなかった。
「未神蒼。俺はお前を殺さない」
「そんな、そんなはず……」
「人の記憶を消して自らを殺させようなど……下らない」
「何故思い出せる……」
「剱のバカに斬られてな。目が覚めたらスマホが落ちていた。……短冊の写真が写ってたよ」
未神の短冊にはあったのは「依途くんの物語がこれからも楽しくありますように」、「依途くんが何も思い出しませんように」、そして「依途くんが世界を救ってくれますように」……全て俺のことだった。
「……関係無い! いいからぼくを殺せ! そうでないなら、塔を爆破させる」
「もうやめろ。つまらん筋書きを進めようとするのは。すでに目的は見当が付いてる」
「まさか。短冊にだってそんなことは……」
「言ったよな。「未神に何かあったら安全装置が働く」、だろ?」
「!」
いつかの部活で未神はそう言った。安全装置により、ロスブラの仕様が固定化される。
「お前の力には不安定な部分があった。消滅したり、ファントムが生まれたりな。この先、更に何かが起きるかもしれない。ロスブラが解けちまう可能性だってあったのかもしれない。
自分が生きてる限り、世界が危険に晒されている……だから死を以て固定化を行おうとした。違うか?」
「……当たってるよ、全部」
案外冴えてるじゃないか、俺も。
「だが分かっただろう? 人の死なない世界だけじゃない。きみの才能もきみを好む人々も全て失われかねない。ぼくは死ななければならないんだ。その為にぼくは今まで、きみを戦わせていた……」
「俺の能力の開花を待っていたと?」
「神殺し(エンドオブエンディング)。ぼくを殺し得る力」
俺に与える物語に戦闘が含まれていたのはそれが理由だったのだろう。
「……依途くん。お願いだ。ぼくを殺してくれ。自分の利益のためにそうするのが嫌なら、この人の死なないやさしい世界のためだと思ってくれればいい。
これは最初から決まっていたことなんだ。きみにしかぼくは殺せない。……ううん。死ぬならきみにされたい」
「……」
「殺してよ」
雨が吹き込んでいる。未神を濡らしていた。頬を流れ行く雫。
「思春期同好会の……最後の作戦だ。きみの手でぼくを屠ってくれ」
皮肉めいた笑顔。
「……作戦名に希望は?」
「我が願い、死すら殺せ(キリング・デッド)」
「!」
「……死ぬな。殺せ。その絶望を殴り殺せ。それが出来たら他人の絶望も共に殺せ」
いつか俺が書き散らしたつまらない一節。
「未神。俺が殺す。お前の下らない絶望を。つまらない物語を」
「……無理なんだよ。ぼくが生きている限りは世界は」
「俺のリビドーを舐めるなよ」
「…………え?」
絶叫する。未神が言葉を失っている。
「デストルドーの向こう側ッ! 生と性! 我が心身に満ちる希望ッ! 衝動! 情熱!! 拘泥!!!」
「な、何を…………」
「未神蒼ッ!!! 俺はお前を愛しているッッッッ!!!!!」
駆ける。抱く。唇を奪った。
「っ」
彼女の髪が見慣れた黒に戻っていく。翼が俺の背を突き破ってはためいた。
「その、羽……」
「片方だけ、だがな」
「どうして……」
「幻影が夜海の剣を模倣したように。俺もお前の力を真似しただけだ」
劣化複製。ダサいけど、神殺しよりずっといい。濡れた親友の頬を拭う。
「もう一人でこの世界を維持していく必要は無い。二人で支えりゃいい」
「……」
「もうロストブラッドが終わることも、お前が消えることもない」
「えとくん…………」
「俺もまた、物語を記そう」
今この瞬間、二人目の想像主に俺はなったのだ。創られた物語の主人公から、物語を記す者へ。俺を救った聖母を、愛しい親友を更に強く抱いてみせる。
……なぁ、もう一人の俺。お前の存在は無意味なんかじゃなかった。無価値じゃなかった。お前が俺に託した力が今この世界とこいつを救ったんだ。……「俺」が、物語を紡いだ。
「ぼくは、死ななくていいの……?」
「死なせるものかよ」
胸に顔を沈めて未神が慟哭し始める。結末は変わった。過去の絶望と、今の俺の努力で。
雨はやがて上がっていた。虹なんか、久しぶりに見たかもしれない。
―――――――――――――――――――――
一つの物語が終わった。
あの後、「塔」……核爆弾に似てるだけの何かは解除されたと世界中に通告された。ティルトローターとドローンも撤収しどこかへと消えた。真代島へはシルエスタ軍の小隊がゴールテープを切ったということにされ、拡大された国連ことスフィアフォースは解体されず逃亡したエルハイルの更なる凶行を防ぐ為練度を高めていくらしい。
まぁその辺りは兎も角、俺も最大の闘いを終えて無事日常に帰っていた。眠い目を擦って学校に行き、つまらん授業が終われば遠い部室へ文句も言わずに通う。
「はい、どうぞ」
ノックをするとそう返事がある。ドアの向こうには、いつものように面白くもなさそうな本をめくるあいつがいた。
「よお」
「やぁ、親友」
部室。昼下がり。微笑み。見慣れたようで、未だに見慣れない気もする。いつもの席に座る。あいつの席が五ミクロンほど近い気もした。
「まだ読んでるのか、その本」
「うん。まぁ聖書や経みたいなものさ」
本を畳んで机に置く。随分持ち上げられたものである。
「で、今日は何するんだ」
未神が黒板を指す。
「「詳説! エルハイルの謎に迫るっ!」…………」
昭和臭いテレビのフォントでそう書かれていた。
「面白い冗談だな」
「今日そんなのがテレビでやってたのさ」
未神がやったことの全てを理解してるわけじゃない。まあ聞いてて退屈はしなさそうだった。
「実はぼくも色々考えてたんだ、ということを確り主張していきたいと思ってね」
「聞かせてくれ」
未神が意気揚々と話し始める。
「エルハイルという仮面を被ってきみに自身を撃破させること……これ以外にも狙いはあったんだ。対エルハイルという共通の目的を与え、国際的な協調を強めさせること」
「何となく予想は着いてたが…………」
「そうなの? つまらないな、もっと驚いて欲しかったんだけど……」
「まあいいから。続けろ」
「うん。まあよくあるでしょ。宇宙人が来て地球がピンチ! 嫌いなあの国とも一時協力! みたいなの」
「そういうの、大体上手くいかない気がするが」
「まぁ何ともぐだぐだな会議と作戦を見せてくれたけど…………実際にスフィアフォースは出来たんだ。意味が無かったわけじゃない」
世界が滅びかねないってのに命令系統がまともに機能していなかったらしい。各国のお船同士で激突したり横転したり大爆発したり、航空戦力も偶然か必然か「誤射」が起きたりそれは散々だったのだ。東京湾は地獄と化していた。ロスブラが無かったら何人死んだか分からない。
「それと混乱に乗じて永久機関の情報を得ようとしたり、国内に攻撃を仕掛けようとしてくる勢力もあった」
草薙が懸念していたやつである。
「日本中、そして海外にも展開したティルトローターとドローンはこれの妨害、防衛のためだったんだ。後は国内国外の危険な勢力の鎮圧破壊牽制も同時に行った」
「とうとう民間人に攻撃したのかと思ったが……まさかそういう奴らだけを狙ってたとはな」
草薙たちが驚いていた。攻撃された被害者を調べれば調べるほどみんな黒かった、と。何なら防衛作戦中、鎮圧しようとした敵が機銃の掃射で吹き飛んだりもしたらしい。
「ぼくが死んだあと…………多少はマシな世界をきみに残しておきたかったんだ」
「……」
「お陰で余計な気遣いになってくれたけどね」
「当然だ」
未神がいつものようにジュースを入れてくれた。アセロラとベリー。一番最初に飲んだのと同じ。
「そうだ。演説で言っていた「プレゼント」とやらはなんだったんだ?」
「ん、AIだよ」
「?」
「今回のドローンやティルトローターに使われていたものだ。現状のAIよりも遥かに汎用性が高い」
「確かにどこの国も大喜びしそうなプレゼントだが……何故そんなものを?」
「前に話しただろ? このまま行けば人類の文明は崩壊する。労働を止める人々によって」
確かにそんな話をしていた。あの時は考えがあるとだけ聞いていたが……
「その労働を少しずつ、こいつに代替させていく。人の文明と快適な生活の維持に人を要らなくしていく」
「だが、それで職を失った人間はどうするんだ? 金が無くては……」
「そこだよ。その金はモノやサービスを得るためのチケットだろう?
そもそも全員がモノやサービスを対価無く得られるのならチケットの意味が無くなる」
「……貨幣経済が終わる?」
「ま、いずれね」
本当に実現するのか……そんなことが。
「労働も経済も失せて、人は何をするんだ」
「好きなことをすればいい」
未神がいつもの、優しい笑みを浮かべた。
「古代ギリシャでは数学や哲学、芸術の発展が著しく、娯楽も充実していた。その理由の一端は、市民が暇だったことにあるとされる」
「ニートだったのか」
「ニートと呼ぶべきかは知らないが。労働を奴隷に押し付けることによって自由な時間を多く持っていたようだ。これから似たようなことになるわけさ。奴隷を機械に置き換えてね」
彼女がこちらに背を向けて立ち上がる。視線の先、校庭には生徒たちが走り回っていた。
「人はもっと自由でいられる。子どもでいられる。…………ネバーランド」
人類を救い、俺を救い、まだ夢が尽きない。笑える。
「どうしたの?」
「おまえは世界で一番傲慢な女だよ」
「そうだね……欲しいものが多すぎる。でも、元はと言えば全部依途くんのせいだよ?」
「そうだったな」
「ちゃんと責任取ってね」
「その言い方、肝が冷えるな」
未神が近くにあった短冊に触れる。「翼をください」……愛おしそうに笑んだ。
「親友。実は、きみにもプレゼントを用意したんだ」
「はぁ」
「屋上に来てくれるかな」
―――――――――――――――――――――
ドアを開けると風に包まれた世界がそこにあった。……屋上に来るのは久しぶりだな。
「おう」
未神が手を振る。その傍らに、陽射しをこれでもかと弾くマシンが置かれていた。メタルブルーの……バイク?
「早速だけど。これが昨日言ったプレゼントさ」
「……バイク?」
「まぁ概ねそうだね」
ぱっと見バイクのようだが、バイクと呼ぶにあまりに奇妙な形状をしていた。大体タイヤが無い。SFビークルのそれである。
「このマシンには重力制御機構が採用されている。陸海空、それから宇宙……きみの行きたい全ての場所にこいつは連れてってくれるよ」
「マジでSFじゃねぇか……」
「排気も車輪も無い。つまるところ、法上の車両に該当しない。峠を攻めてもお咎めなし」
「そんな趣味はないが……カッコいいな」
90年代のアニメに出てきたような、こういうマシンは大好物だった。
「気に入ってくれて嬉しいよ」
「しかし、何故これを?」
「海に行った時に言ってたでしょ? 旅をしたいって」
ああ……確かにそんなことを言ったな。
「本当ならぼくは消えてしまうはずだったから……このマシンだけでもきみに遺したいって思ってたんだ」
あの時の約束……未神は自分が死ぬのを想定した上でそれを果たすつもりだったのだ。俺なんかもう忘れていたのに。
「ありがとう、未神」
こいつはどれだけ……俺に与えるつもりなんだよ。
「きみのお陰で形見にならずに済んだんだ、親友。感謝したいのはぼくの方だよ。……さ、認証を。触るだけでいい」
機体の適当なところに触れる。光を放ち始めた。起動したのか?
『認証完了。以後貴方をマスターとします』
「しゃ、喋った」
「おめでとう。これでこいつはきみのマシンだ」
そのままカウルを撫でてみる。俺には上等過ぎるプレゼントだった。
「今までのきみの物語は……ぼくが用意したものだった。でもこれからは違う。きみが、きみ自身の手で紡ぐんだ。きみという人間の物語を」
ここからは未神が描いた物語じゃない。……俺も想像主になったんだ。こいつと一緒に記していくんだ。
「さ、今日はぼくが走らせるよ。ちゃんと運転覚えてね」
未神がマシンに跨る。
「後ろ、乗って?」
「お、おう……」
その後ろに俺も乗った。何かよくないことをしている気分である。
「ちゃんと捕まらないと振り落とされるよ?」
未神を抱くように両腕を交差させる。
「……だめだよ。もっと強く」
「ああ……」
未神の背に密着する。柔らかい感触。普段から薄く香る甘い何かが、更に強く俺の鼻腔を通り抜けていく。
「…………ったかいね」
「暑いだろ」
「ばか」
マシンが微かに震えだす。腕の中の小さな体も揺れていた。
…………そうだ。俺のあの本もそんな終わり方だった。死にたがっていた主人公が、自分を救ったヒロインと旅に出る。偶然か必然か知らないが、よく出来てるもんだよな。
「なぁ、未神」
「ん?」
「俺、また小説書くよ。才能も無いし、また絶望するかもしれないけど。書いてみる」
想像主らしいしな、俺も。
「そっか」
蒼天。鼓動。女神の微笑み。
「きみの物語は、これから始まる」
全てが走り出した。
―――――――――――――――――――――
「この物語はフィクションです。現実の人物、組織等と一切関係ありません」
「やめてくれ。お前が言うと洒落にならん」
「ふふ。誰かの現実は誰かの虚構ってだけさ」
了