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目を覚ます。どこだ、ここ。あーくそ、最近意識失い過ぎだろ……辺りを見渡し自分の格好を確認する。どうやらここは牢屋で、俺は捕らえられているようだった。

……牢屋? なんで?

部屋の真ん中に格子が置かれ、向こう側にはドアがある。独房と呼ぶに広すぎた。何故こんなところに……記憶を辿ってみる。確か未神と海に行って……そうだ、未神が消えたんだ。その後俺も気絶した。何者かに襲われたのか?

「やぁ。非行少年」

「ん?」

ドアが開き、格子の向こうにこちらを見下ろす制服の男が現れる。……見飽きた、いつもの高校の制服。

「オレがだれか、もちろん分かるよな?」

「知らないな」

「はっはっ」

制服から見るに同じ学校なのは分かるが……知り合いではないようだ。奴が眼鏡を光らせる。

「オレは草薙。この吾妻高校生徒会副会長だ」

「……悪いが生徒会長の顔も覚えていない。副会長では覚える道理がない」

「ふむ。ヤツを知らない生徒がいるとはな」

「そんなことはいい。何故その副会長さまとやらに監禁されなきゃいけないんだ」

ポケットに感触がない。銃は盗られているようだった。

「そんなこと、聞かなくても分かるんじゃないのか?」

「……」

「お前には力と実績がある」

草薙が俺の銃を取り出した。

「これはお前のだろう、ヒーローくん?」

俺の異形化のことを知っている。何だ、こいつ?

「だんまりか。やれやれ、仲良くしたいんだがな」

「拉致監禁しといてか?」

「おいおい。監禁はお前たちもしていたろ?」

……夜海の件か。何故そこまで知っているんだ、こいつ。

「さて、説明に入ろう。ここがどこか分かるかね?」

「知るか」

「つまらんやつだ。……叢雲高校の地下室だよ」

「お前こそつまらない冗談だな」

「事実だ」

俺の知る限り、教育施設で牢があるのは少年院くらいだ。ほんとにここがいつもの学校だってのか?

「オレたち吾妻高校生徒会はとある目的のために武装化し、設備を整えている。この牢屋はその一つだ」

「目的? 学生運動でも始める気か?」

「独立国家の樹立」

……笑いさえ出なかった。

「冗談を言っている訳ではなさそうだな」

「本気だよ……我々は我々の信ずる楽園の為に銃を取る」

「共産革命なら別の国で頼む」

「おいおい、違うよ。この国の政権を乗っ取りたいわけじゃない。あくまでもう一つ国を作る、それだけのことさ」

「……なぜそんなことを?」

「決まっている。楽しいからだよ」

冗談なのか、本気なのか。或いは正気なのか。

「元より諜報機関を創り、政権に靴を舐めさせてやろうと思っていたのだがな。ロストブラッドで気が変わった。そんな小さい野望でオレの気は済まん」

「それで国を作ろうと?」

「ああ」

「……ついていけんな」

こいつの話がどこまで本当か俺は知らない。が、嘘でも真実でもあまり関わりたいタイプの人間じゃない。

「自分だけマトモぶるなよ。お前はこっち側なんだぞ?」

「はぁ?」

「シルエスタに介入しただろう?」

……そこまで知ってるのか。

「お前はとっくに、この国の法規の中に居ない。今さら一般人になど戻れはしないんだ……」

「……根っこは今でも小市民のつもりなんだがな」

「もしそうなら……あの未神とかいう生徒が本体か?」

未神のことも知っているようだ。……だがその口ぶりから察するに、あいつの正体までは知らない。そういうところか。

「あれは見つからなかったが……」

……未神は、妙な言葉を残して消えた。『ここまでのようだ』、と。その意味は分からない。今の俺にとってあいつの行方が最重要事項だった。こんなやつに構ってる場合じゃねえのに。

「まあいい。依途、提案だ。オレと手を組まないか?」

「はぁ?」

「生徒会に入れ。一緒に国を作ろう」

何の迷いもなく、草薙はそう言った。

「そんなこと……」

「断言する。オレの国はこの地球上のどの国家よりも強く、民に優しく、幸福になれる」

「…………」

「シルエスタに介入したのは、国民が虐げられるのが許せなかったからではないのか?

オレの国でそんなことは起きない。寧ろ故国に銃を向けられた者の最後の希望となろう!」

「……本気なのか?」

「ああ。何度だって言おう。オレは徹頭徹尾本気だ」

思い知った。世界を変えようなどと目論むやつは確かにいるのだ。未神にしろこいつにしろ。

「……お前の理想は分かった。だが何故俺を使おうとする」

「大きな夢には、大きな障害がある。……敵がいるんだよ。自衛隊というね」

「自衛隊だと?」

「正確にはその一部。自衛隊特務機関、通称「御影」。奴らはこの学校を狙っている」

息を呑む。事のスケールが酷く拡大してしまったた、そんな感覚。もう引き返せないのだと、そう突きつけられているようですらあった。

「以前から武装を進めているオレたち生徒会に、シルエスタに介入した未神とお前、関与してないと言いきれない夜海。吾妻高校生には多くの異分子が結集している」

「……どうなってんだ、この学校」

「お前が言うな。……危険人物だらけだが、一方貴重な情報源となりえ、更に異形でもある。政府は変身者を欲しがっているんだ」

「……拉致してくる可能性もある、と」

「ああ。戦力としてでも研究材料としてでもいい。一刻も早く多くの変身者を確保しなければならない。それは国防に関わる、という訳だ。だから先んじて保護をさせてもらった」

檻の中に叩き込んでおいて保護とは。

「向こうも一枚岩と言いきれない。お前を捕まえてどうするかは知らないが……少なくともここよりろくでもない扱いだろうな」

……確かに、危険で有益な化け物を丁寧には扱ってくれないだろう。人体実験などごめんだ。

「オレに協力したくないならそれでもいいが。少なくとも自分の身とこの学校を守るのに、戦っても良いだろう?」

確かにこいつらのためでなく、自分のためならば共闘するだけの理由になる。拉致監禁も人体実験よりはマシと思ってやってもいい。

……だがもし、本当に自衛隊と戦うのなら。それはこの国と戦うのと同義だろう。その後はどうなる? 一生戦うことになるんじゃないのか?

だいたいこいつの言っている情報はどれほど正しい? 何か適当な嘘で、俺を戦力として用いようとしてるのでは…………幾ら考えても、あらゆる可能性は可能性のままだった。

「……まぁいい。時間はやる。この国に飼われるか、オレと共に戦うか。考えておけ、お前の人生だ」

無数の思考と疑念、不安が頭に渦巻く。……俺はどうすればいいんだ。 

……なぁ、未神。教えてくれよ。お前は今どこにいるんだ。


―――――――――――――――――――――


牢屋に入って二日が経った。

手足の枷は外されていた。思いの外ベッドは柔らかい。暇を持て余し、近くに置かれていたPCの電源を入れ動画を見ていた。まるで厚遇されているのかと錯覚するほどだったが、それでもここは牢屋の中だった。

ドアを叩く音が聞こえる。

「どうぞ」

ご丁寧にノックまでして、銃を肩にかけた生徒が入ってきた。

「お食事です」

女子生徒が格子の底の小さな枠を開け、食事を届けてくれる。

「ありがとう」

果たして礼を言うべきなのか知らないが、とりあえず伝えておく。誘拐犯に感謝しているようだった。

「……諸々の事情は聞いていますか?」

その子はメガネの位置を整えると、俺に話しかけて来た。

「完全にとは言わないが、まぁ」

「では、草薙くんの目的も」

「ああ。国を作るだとか」

「……何故、彼が国を作ろうとしているか知っていますか?」

「楽しいから、そう言っていたが」

彼女が首を横に振る。はっきりとした意思がその表情にはあった。

「彼は人類の行末を案じているのです」

「人類?」

「ええ。ロストブラッドは大きな混乱を世界にもたらしました。シルエスタ共和国の件だけではありません。不死を理由に、抑えられていた火種が一気に燃え上がる。「死なないのだから撃っても良いだろう」と。戦火が激化すれば、多くの人間が文明的生活を失いかねません」

有り得そうな話だった。いや、既に起こった事実である。

「大量の難民を受け入れたがる国はありません。 草薙くんはそういった人々の受け皿を作ろうとしているのです」

「受け皿……故国を失った者のための国……?」

「ええ」

驚いた。そんな理念があいつにあったとは。

「……将来的に、この国からも難民が出ないとは限りません。

……ロストブラッド以降の混乱に関して、この国はまごついてばかりいます。今後の「トラブル」に対してどれほど対応出来るか、甚だ疑問です。自衛隊特務機関「御影」が我が校に対しちょっかいをかけてきているのは、半ば独断だと考えているのです」

「痺れを切らして勝手に行動をしている、と?」

「はい。彼らは一定程度、独自に動ける権限がありますから」

そんな奴らが自衛隊にいるなんて話は知らないが……。

「しつこいようですが。是非私たちへ力を貸してほしいのです。

彼の掲げた理想は尊い。けれど、それがあまりに困難であることは明らかです。異能者である草薙くん以外は、多少鍛えた程度の民間人でしかない。このままでは……潰えてしまう」

「……」

「シルエスタで沢山の人を助けた。あなたにはそれだけの力がある。意思がある。

私たちでなく、この先多く現れるだろう生活を失った人々を助けると思って……」

言い切る前に、彼女が無線を手に取った。

「はい、こちら南……えっ!?……はい。はい。了解」

「何があったんだ」

「校舎に爆弾が見つかったそうです。御影の潜入を許した、ということでしょう。私は現場に向かいます。……そろそろ、事が起きるかもしれません」

そう言い残して彼女がドアの向こうに消える。銃声と振動がこの部屋にまで伝わってきたのは、それから5分も経たないうちだった。


―――――――――――――――――――――


「敵総数不明、既に相当数校舎内へ侵入しているとみられます!」

「各員、敵の目標は依途空良とこのオレ自身と見られる。またお前ら自身も情報奪取のために拉致される危険がある。注意しろ」

……爆弾騒ぎは囮に過ぎなかったわけか。まさかこうも分かりやすく攻撃を仕掛けてくるとは。これまでもスパイの潜入、構成員の拉致未遂など、色々やらかしてきたが、どうやら今度は本気らしい。

「……フンっ!」

体を異形化させ、駆ける。

「CP。敵の位置共有、オレの向かうべきポイントを指示しろ」

HMDを装着した生徒たちが走るのが見える。依途のいる地下室へ近付いた敵の防衛に専念したいが、それではオレ以外が壊滅しかねない。

「校内センサーフル稼働。敵の解析が終わりました」

敵総数21。多くは屋上や窓から無理に侵入をしてきているようだ。

「一階に防御を集中。敵は1~2名で密集していない。地の利を活かし奇襲をかけろ」

……ん、そこか。角に敵がいる。感じる。

「!」

奴らが出てくる。痒くもないカービンをフルオートで放ってきた。

「雑魚がッ!」

触手で薙ぐ。ボディアーマーを裂かれ倒れた。弾はAP、肉体を貫通し得ないロスブラ下においては正解だが……それでも異形を倒すには力不足である。

「……敵! 更に増援です!」

敵の反応に向け走る。

ここで負ければオレの計画もここまでだ。いつかくる混乱で多く生まれるだろう難民は、誰一人救えない。

オレは是が非でも勝たなければならないのだ。


――――――――――――――――――――


いくら叩いても、こじ開けようとしても格子はピクリともしない。この部屋の外で戦闘が起きているのは明らかだった。もし草薙達がやられたのなら次は俺だ。

「黙って待つしかないのかよ……」

もどかしい。変身出来なければ俺に何の力もない。本当にただのモブだ。……いやだ、そんなのは。

「くそ! 出せ、出せよっ!」

情けない拳を叩きつける。

「ってぇ……」

痺れる右手をさする。本来、俺の力はこんなものなのだ。今までは未神に下駄を履かせてもらっていただけ。現実に引き戻されたような気がして、酷く嫌だった。

「未神……」

情けなく呟く。あいつ……どこで何してるんだ。ふと見ると、格子の鍵を刺すところ……名前は分からないが、そこが僅かに歪んでいた。あれだけ殴ったのは無意味ではなかったようだ。

続けて殴る。ひたすら叩く。以前までの世界なら拳が砕けていただろう。やがて金属が軋むような、心地の悪い音がした。

「…………開いたか」

扉を蹴り飛ばす。部屋を見渡しても銃は無かった。仕方あるまい、このまま逃げるしかないか……

部屋の外に出る。学校にあったとは思えない、見たことのない設備が広がっているが今は見て散る暇は無い。出口に繋が理想な方へ必死に走る。そのまま廊下へ出ることが出来た。周囲には倒れた生徒や以下にも特殊部隊然とした黒い装備の男たちが倒れていた。

……決着が着いたのか? が、激しい足音が聞こえる。誰かがこちらへ走ってきている。これが御影の奴等なら一巻の終わりだ。丸腰の俺で勝てるはずがない。どこかへ隠れるのも手だが……恐怖心が勝る。丁度校庭へ出る玄関がそこにあった。見る限り人影はない。

あまりにも目立ち過ぎるが…………最早他に策は無かった。靴も履かずに校庭へ走りだす。神にお祈りでもするか。知り合いに一人いることだしな。

砂利の上を靴下で踏みつける。もう穴が空いていそうだった。

「……ぐぁっ!」

銃弾が直撃しその場に倒れる。強烈な痛みが身体を走った。

「動くな」

高そうな装備を纏った兵士が三人、銃を向けたままこちらへ駆け寄ってくる。御影の奴らか。……お祈りは効果が無かったらしい。更に数発鉛玉をぶち込んでくる。

「ってぇ!」

「……何故意識がある?」

「知るかよ……」

「黙れ」

お代わりを貰うも、やはり意識は途切れない。

「……連行する。案ずるな、貴様も国民だ。実験動物(モルモット)にする気は…………」

奴らがこちらへ近付こうとした瞬間、獣のような何かが校庭へ飛び込んで来た。

「そいつは渡さん」

雷を纏った異形…………草薙か?

「チッ……手負いめ……」

俺を挟んで両者が睨み合う。形勢を見れば御影が圧倒的不利かに見えたが、草薙は一部再生が追いつかず吹き飛んでいる箇所がある。校内での戦闘で手傷を負ったようだ。

「……残存戦力を校庭へ結集。ターゲット2名を回収する」

……まぁ誰が一番危ないかって、俺なんだが。

「楽しそうじゃないか」

何者かが俺の目の前に降り立つ。セーラー服に長い黒髪、腰に日本刀……誰だ、こいつ?

「何者だ、貴様」

「REx所属、剱沙夜。ただ強いだけの人間さ」

ここで乱入者(イレギュラー)…………REx? 何だそれは?

三つの勢力が俺を中心にトライアングルを描く。皆目的は変わらない。俺を……俺のこの才能(ちから)を欲しがっている。御影も草薙も表情を歪め、剱だけが僅かに笑っていた。

「REx……知らんな」

「再考機関、RE thinks……」

「……目的を述べろ」

「お前らと同じだ。このぼんくらに用がある」

剱が屈む。倒れている俺に目線を合わせた

「やぁ、依途空良。はじめましてだな」

「……」

「面白いことになった。お前には今、3つの選択肢がある。

国の犬に首輪をつけられるか、革命ごっこに尻尾を振るか。或いは、私に飼われるか」

不遜なその態度に余裕が溢れていた。

「どうする?」

「…………」

選択肢。今この瞬間の選択が俺にどれほど大きな影響を与えるか、考えようがなかった。

御影、生徒会、そして目の前のREx……剱とやら。誰を選んでもリスキーで、唯一素性が多少割れた生徒会が安牌と言えた。だが別に、俺はあいつらと戦う意志があるわけじゃない。そもそも俺を拉致したのも生徒会だ。…………分からない。

「それとも飼い主(未神)がいなければ分からないか?」

何か、本質的なことを見抜かれた気がして。声が出せなかった。

「ふん」

剱が刀を抜く……空に放り捨てる。不規則に回る刀身が月光を乱反射し始めた。

「ッ!」

刹那、剱が駆ける。御影の兵の顎を砕く。一人。更に腕を掴み背から大地へ叩きつける。二人。投げた兵の影から鞘を突き出した。三人。

軽々と御影を無力化し、鞘を胸の前に掲げる。空を裂いた刀がごく自然にそこへ収まった。

「……」

舞踏、という表現が余りに似合った。

「そのドスは飾りか?」

「私は強者か下郎にしか剣を振らん。安心しろ、お前はどちらでもない」

「抜かせッ」

雷が剱を刺さんとする。次の瞬間にはその位置にヤツはいない。残像でも見ていたかのように直ぐ右に移っていた。何発撃とうが同じように避け、少しずつ彼我の距離を詰めていく。

「貴様の理想は認めてやる。弱者の為の国。笑えるほどに美しい理想だ。だが弱者の為の国は、強者にしか創れない」

「……ッ!」

「貴様が弱者とは言わんが……」

拳の間合いに踏み込んだ。草薙が神速の貫手を放つ…………が、剱は既に手刀を振るっていた。振るい終わっていた。

異形が静止する。彼女は背を向け、刀身を拭うようにその手を払う。鮮血が闇を染め戦士が二つに裂かれた。

「その程度の才能(ちから)では私の努力に勝てん」

鮮やかな、赤い雨が辺りに注ぐ。

「残念だな、少年。貴様が悩みあぐねている間に選択肢は消えたぞ」

濡れた剱がこちらへ歩いてくる。本当に……たった一瞬だった。たった一瞬で、二つの勢力を制圧してみせた。御影はともかく、何故生身の人間が異形を倒せる……

返り血を纏って笑うヤツは、鬼という言葉が一番近しいように見えた。

「いや、もう一つあるな。私を倒せば貴様は自由になれる」

「…………」

「どうした? 黙って震えているなら結果は変えられんぞ」

「戦っても変わらねぇよ」

さっきの戦いを見ればわかる。勝てるはずがない。大体、今の俺は変身すらできない。

「ん……仕方無いな」

剱が懐から何か投げて寄越してくる。

「……拳銃。何でお前が」

「掻っ払った」

顎で倒れた草薙を指す。変身が解け、無傷のまま砂利の上に倒れていた。

「さぁ、来いよ。それで戦えるだろ」

……変わらない。手刀の一薙ぎだけで異形を裂くような女に勝ち目はない。

「悪いが勝てないギャンブルをする気はない。連れて行きたければ連れて行け」

鬼が笑う。

「正しい選択だな……ロスブラ以前なら、だが」

「?」

「死というリスクが無いんだ、とりあえず立ち向かってみればいい。しかしそれすらしようとしない。自身の手で結末を変えようという意思がない。こいつらは皆弱かったが、自分の力で状況に作用しようという意思があった」

「……仕方無いだろ、俺はこいつらと違う。ただの一般人だ」

「現実から目を背けるなよ。誰もお前を弱者と認めない。暴力というチケットを得た強者だ」

前にもそんなことを言われた。気にいらないヤツを殴る権利。確かに変身すれば、大概の奴らより強い。国家さえ揺るがすほどに。けれど今の俺に、その力の使い道は無い。

「……未神がいないなら、俺には何をする理由も目的も無いんだよ!」

眼光が鋭く尖る。身体が更に大きく震えた。

「やはり、所詮は未神の犬という訳か」

何が悪い。ただの高校生に意志を求めるな。

「……気に入らんな。矯正してやる」

襟首を掴んで宙に投げられ、米俵の様に担がれる。

「RExの基地に運ぶよう言われていたが……まぁいい。私はお前のその惰弱な精神と駆体とを扱くことに決めた。努力の素晴らしさを教えてやる」

男一人担いだままどっかの民家の屋上へ翔ぶ。そのまま別の屋上へと移り、空を駆けていく。

サンタと呼ぶには赤は濁っていて、プレゼントもチンケだった。


―――――――――――――――――――――


吾妻高校生徒会、そして自衛隊特務機関御影。国を作ろうとした男たちと、国を守ろうとした男たち。つい先日、その2つが激突した。思想、主義、謀略、正義。彼ら彼女らは互いの信念をかけて戦った。

この時点で高度に政治的な、ややこしい話だった。特務機関とはいえ、自衛隊がああも大々的に国民に銃を向けたことがあっただろうか。ことは最早、現代日本における初の紛争であるとすら言えた。公表されたら教科書に乗るだろうし、ノンフィクションにしたら大売れしそうですらある。ケイン辺りに書かせようか。

ともかく、しかしそれら全て、一人の女に打ち砕かれてしまった。生徒会も御影も全滅した。

剱沙夜。曰く、「ただ強いだけの人間」。変異能力を持たず、腰に下げた刀も使わない。己が身一つで全ての勢力を叩き潰す。別に彼らが弱い訳では無い。掲げた信念も本気だろう。ただこの女の方が強いというだけだ。それだけでどんな営みも、無に帰す。そうして俺は、再び拉致られる羽目になった。

……実に混沌としていた昨日までの状況をまとめるに、だいたいこうなる。そして今。何故か俺はその剱の家にいた。大きく、古い日本家屋。良く日の当たる縁側に俺は座らされている。

「どうなっている……」

「まあ疑問は山々だろうな」

「RExとやらの施設に連れて行かれると思っていたが」

「RExの意思でない。私は私の意思で、お前をここに連れてきた」

俺としては檻よりはマシだが。それでも自宅に連れ込まれる理由はわからん。

「聞きたいことはたくさんある。が、それはお前もだろう? 先に質問を受け付けよう。その方がスムーズだろうからな」

そう言われたので、疑問だらけの現状を訊ねてみることにする。

「……そもそも、お前ら何なんだ。RExと言ったか」

「ん、そういえば説明をしていなかったな。

我々はRE thinks……未神蒼という一人の人間が世界を意のままに操れる現状を、再考するための組織。状況再考機関。縮めてRExというわけだ」

「そんなものができていたのか……」

「ロスブラから一月も経っていない。が、人が集まり組織が成された」

「……」

「人数は多くない。戦力の9割は私。けれど、他の組織を画する点が一つある。ロストブラッドを引き起こしたのは未神だ、ということを知っている」

……まあ、組織の成り立ちからして当然ではあるが。一体どこから情報を得ているんだ?

「当面の目的は未神との接触、事情聴取、拘束。そして、彼女と共に行動する関係者も同じ対象となっている……お前だよ、依途」

「!」

「シルエスタで散々暴れたようじゃないか?」

それであの戦場に介入し、俺を確保したわけだ。

「で、わざわざ自宅に連れ込んでまでスカウトか?」

「はっはっは。色仕掛けのほうが好みかね?」

一回くらいされてみたいけどな。

「こんなところに連れてきて逃げられるとか思わないのか」

「逃さないさ。むしろ、私から逃げられると思っているのか?」

……確かに、それはそうだ。

「まあここにいる限りは自衛隊も生徒会も手は出せない。お前の安全は保証される。保護している、とも言えるな。さて、そちらの質問には答えた。今度は私の事情聴取を始めようか」

「……」

「まず聞こう。お前の正義はなんだ」

「あぁ?」

考えていたのと全く方向性の違う質問をされる。禅問答か?

「お前はなぜ力を振るう。何のために戦う」

「……俺の勝手だろ」

「回答次第で、私はお前をどうするか決めるだろう。さあ答えろ」

「……」

「それとも、考えたこともなかったか?」

質問の内容はあまりに抽象的だった。

「本当に事情聴取なのか、これ」

「ま、いいから答えてくれ。何も考えずに未神に従っていたのか、お前は」

「あのままじゃシルエスタの国民がいたぶられるままだったろ?」

「国民の扱いが良くない国家は珍しくないがね。そんなにシルエスタに関心があったのか?」

「……そこが故郷の友人がいる。巻き込まれてこっちに帰国できなくなった」

「シルエスタの騒乱が収まれば、帰って来られるだろうと?」

「ああ」

ふむ、と剱は頷いた。

「信念と言えるほどでは無いが、理由は確かにある。それは理解した。まぁ別にお前の行動が間違っていると言い切る気もない。

……だが考えが足りなすぎる。捕まるなんて考えてもいなかった、そういう顔をしているな。武力介入なぞしておいて」

「……別に考えなかったわけじゃない」

……単に、未神が消えてしまうだなんて思っていなかった。それだけだ。

「なら何故対策を取らない? こうもあっさりと捕まっている?」

「捕まえといて言うセリフかよ」

「……お前だけならいい。友人や家族に累が及ぶ可能性を一片でも考えなかったのか」

「…………!」

やつの視線が険しくなる。

「もしRExがもっと合理的な集まりなら、お前の近くの人間を皆拐って拷問しさらに情報を得るだろう。御影や生徒会の奴らもやりかねんな。そんなこと、気にもしないか?」

「……そんなふうに脅して恥ずかしくないのか」

「違うな。恥じるべきは貴様だ。傲慢な物言いだが、私は脅してるわけじゃない。正しているつもりだ。もう一回聞くぞ。お前はお前を愛する人間の無事など考えもせず安っちい正義を振りかざしたのか?」

その目はあまりに鋭く俺を射る。殺意じゃない。憎悪でもない。それなのに俺は震えていた。

「…………未神がいなくなることは、想定外だった」

「何が起ころうと全て未神が面倒を見てくれると思っていたのか? 指示をしたのが未神だから責任は自分にないと思っていたのか?」

「…………」

拳が俺の方に飛んだ。

「考えの足りない人間が、自分のことを主人公だと思うのはやめろ」

思い切り壁に叩きつけられる。脳が震える感覚がした。

「……シルエスタの国民は救われるべきだった。異存は無い。お前以上の力を持ちながら戦地に向かおうとしなかった私もまた罪を抱えているだろう。だが正しかろうと力を振るえば他人を巻き込む。

覚えておけよ。依途。自身の力と行為に責任を持て。起き得る影響を計算しろ。必要なら対策を取れ。……お前にとって大切なもののことを忘れるな」

いつか、ケインが言った。力は自由の為のチケットだと。こいつの言っていることと矛盾しているように見えて、していない。俺は自由かもしれないが、守りたいものがある。俺はそれが守られるようにするために自由を行使しなければならなかったのだ。

「頭を冷やせ」

剱が部屋を出ていく。縁側に一人残される。頬が痛む。こんなに誰かに叱られたのは久しぶりだった。いや、初めてかもしれない。キレられたんじゃない。叱ったのだ。心配する必要もないはずの、俺とその周囲の為にあいつは俺を殴ったのだ。

「…………くっそー」

だっせぇな、俺。


―――――――――――――――――――――


しばらくして、剱が部屋に戻ってきた。皿を卓に置く。上におにぎりが五つ乗っていた。茶も添えられている。卓を挟んで俺の前に彼女が座った。

「さあ、食うといい」

「いや、ほんとどういうことだよ……」

「なんだ、握り飯が嫌いか?」

「そうじゃない。今ここに至るまでの状況の推移が理解に苦しむんだ。……なぜ俺は拉致された女の家でおにぎりを出されている」

しかもさっき殴られたんだぞ、俺は。

「ふむ…………確かに、それは不可解だな」

剱はそう言うとおにぎりの山から一つ取り、齧り付いた。

「だが仕方ない。第一に私は貴様を鍛えることに決めた。第二に共に飯を食らうのは相互理解の魁として大変に有効なのだ。まあ黙って食え、人の握った飯は食えないという性分か?」

1つ手に取って食べてみる。

「……美味い」

「そりゃ結構」

今まで食べたおにぎりの中で一番美味かった。具も何も無い塩にぎりがここまでとは……

「憎くて殴ったわけじゃない。握り飯くらい作ってやるのもやぶさかではないさ」

そう言ってもう一つ掴む。そちらには海苔が巻かれていた。

「なぁ、依途。RExに入らないか?」

「はぁ?」

あまりに唐突に、剱はそうのたまった。

「……おにぎりで買収するつもりだったのかよ」

変な笑いが出る。今どき食い物で釣る組織も無いだろう。

「馬鹿を言うな。握り飯は単に親睦を深めるためにさ」

「変わらないだろそれ」

「いや、違う。RExではない。私がお前と仲良くするためのツールだよ。それでどうだ? うちに入る気はないか?」

「よく考えろ。どうして反未神を掲げる組織に俺が入らなきゃいけない」

視線に、先のような冷たさが混じる。

「そもそもお前は何故未神に従う?」

「それは……」

「……ただ一人の人間が、世界を自由に創り変える。そんなことがあっていいと思うかね?」

それは最もな異論だった。

「ロストブラッドには頷ける部分がある。人が死ぬのは悲しいことだ。……だがそれだって、多くの失業者、シルエスタのような政治的混乱、そして、究極的な文明崩壊の可能性。あまりにも多くの問題を抱えている」

「……」

「更にはシルエスタ介入の件をみるに、未神は今後も世界に作用し続けるだろう。お前はその度に、奴の望む世界のために人を殴るのか?」

気付いてなかったわけじゃない。未神のやっていることが決して肯定されることでないのは。それでも、俺は彼女の言う通りにした。他国に攻撃をした。

「弱みを握る、金を積まれる、快い理想を掲げてやる。人を動かす方法は多くある。

が、お前はそのどれでもなさそうだ。…………自己顕示欲でもくすぐられたかね?」

動揺しているのが自分でも分かる。

「そう、例えば……自分とくれば主人公になれる、とかな」

何でこいつ、こうも鋭いんだ。文言までほぼそのままだ。

「そうだ、草薙にもスカウトされたようじゃないか?」

「知ってたのか」

「いや。きっとそうだろうと思って言った。そうしたらお前が肯定した」

「……カマかけやがったわけか」

「それにはどう答えたんだ?…………お前のことだ。断るか、答えを保留したままだろう」

「お前、思考でも読めるのか」

「いや。だがお前のことならある程度分かるようになってきた」

まるで、古くから俺を知っているかのような精度でこちらのことを言い当ててくる。本当に何なんだ、剱とやらは。

「野心だとするなら草薙に靡くのは不思議じゃない。が、そうしなかった。なら未神に靡いたのは……まあそういうことか」

「何だよ」

「惚れてるんだろ? あいつに」

「……つまらん冗談を」

俺は金持ちに養われて三食昼寝付き専業主夫になると決めている。よりによってあの訳の分からないのを好む理由がない。そこだけは予想を外したようだった。

「その上でもう一度言おう。RExに入れ。女なら紹介してやる」

「……才能(ちから)があるってのはこういうことなのか」

「ん?」

「そいつに、価値が生まれる」

無価値のはずの俺に。傲慢でなく、多くの者が俺を欲していた。つい先日まで自分の無才さに死のうとしていたのに。

「違うな。お前の才能(ちから)などどうだっていい」

「じゃあ何だ。この力以外の何に俺の価値がある」

「こちらについてくれれば、お前を斬らずに済むだろう?」

そう言って不敵に微笑む。似ても似つかないその笑顔が未神に似ているように思えた。

「お前には今幾つもの選択肢がある。生徒会についてもいい。私についてもいい。変わらず未神に従い続けてもいい。自衛隊に降伏して国益の犠牲となってもいいだろう。お前を求める手を全て跳ね除けるだけの力があるなら、一人でいてもいい。どうする? お前は何を選ぶ?」

こいつの言う通り、俺は今分岐路に立っていた。自由のチケット。それを切って何を選ぶのか。けれど、可能性を考えるたびに彼女の姿が頭から離れなかった。

「それとも……やはり未神がいなければお前は何も決められないのか?」

「…………」

「ま、いい。時間はやる。今は私の握り飯を食え。茶も飲め。よく食べてよく動いてよく寝れば、人はだいたい快活になる。才能(ちから)なんぞより、ずっと大切なことだ」

握り飯をもう一つ手に取る。受け入れられないけど、きっと俺より正しいだろうと思った。

「そうだ、この後のトレーニングだが……」

「トレーニングぅ?」

「言ったろ。貴様を鍛え上げると」

「何のために」

「……依途空良、お前、絶望しているのだろう?」

何を言ってるんだ。そう反応するのが正しいはずなのに。俺は頷きそうになっていた。

「何らか……暴力じゃない、自分の才能の欠如に」

……何でお前にそれが分かるんだよ。

「無才を克服するには、その絶望を殺すには、別の幸せを見つけるか努力するほかない」

「お前の言う通り俺が絶望してたとして。身体を鍛えて何になる。それは俺の不足している才能と何の関連も無い」

「じゃあお前の欲しい才能とは何だ。言ってみろ」

…………沈黙を続けてみる。が、ヤツは目を逸らさない。

「……執筆だ」

「物書きというやつか」

「ああ」

「悪いが、そのことに関して私が教えてやれることはない。だからその肉体と精神を強靭に鍛えてやる。自身の脳味噌で選択する意志と、その為の選択肢を増やすだけの努力を。努力にて才能を凌駕する成功経験を。お前にくれてやる」

「分からん。どうしてお前が俺にそこまでするんだ」

「……さぁな。いいから立て。先ずは基礎の片足スクワット、腕だけ伏せより始める」

未神は俺に才能(ちから)を与え、絶望を殺そうとした。こいつは俺を努力に導くことでそうしようとしている。

……よくもまぁ、妙な女に目を付けられるものである。


―――――――――――――――――――――


「……ッ!」

顎を目掛け放った右のアッパーが空を切る。刺しこんだ左肘は掠めすらせず、やけくそのタックルはいなされて足をかけられた。受け身を取って立ち上がる。

「遅いな」

剱は息すら上がらずに、余裕の視線をこちらに向けている。この家に来て一週間。こうして剱に鍛えられていた。修業の日々である。

「どんな反応速度してんだよ、お前……」

「依途も中々頑張っているぞ。だがまぁ、努力が足りない」

「うるせぇ!」

地を蹴って、剱へ水平に跳ぶ。摩擦で庭の草が燃える。そのまま胸元へ抜手を放った。

「ふむ。多少は速くなった」

正中線を反らされ、蹴り上げられる。地面に落ちてくる頭部へ回し蹴りを叩き込まれた。

「うがっ!」

庭の地面に叩きつけられる。

「くっそー……」

頭を押さえて立ち上がった。

「残念だったな。あともう少し早ければ乳房くらいは拝めただろうに」

そう言ってランニングの胸元を摘み上げる剱。無駄にでかい。

「見られてもいいわけ?」

「努力を効率的にさせるには幾つか手段があるが。罰を与えて強制するより、褒美の為に頑張らせるほうが健全だろ?」

豪胆な女である。が、乳房がどうこうとか考えている余裕はあまり無い。

「ってぇ……本気出さねえっていうから訓練してやってるのに」

「嘘は言ってない。本気なら頭が弾け飛んでいる」

草薙との戦闘を思い出す。あれですら本気でないなら、俺の1人や2人造作も無いだろう。

「さぁ、授業の成果を見せろ。私を倒せ」

「無理言うぜ……」

ヤツが俺に教えたことは精神論を除けばそう多くない。が、無いわけでもない。身体を巡る生命エネルギーとその使い方。庭の砂土を蹴り払い、目をくらます。スライディングで滑り込むように懐に飛び込む。ヤツに教わったように気を高め、右腕に集中させた。

「オラァッ!!!」

エネルギーごと剱の腹に拳を叩き込む。

「!」

弾け飛ぶ右腕。微動だにしないあいつ。

「痛ぇ……」

「ふむ……合格とは言わんが、まぁ及第点か」

「どこがだよ。自爆してるんだぞ」

「一週間で気を操れること自体、よくやったと言っていい。並の敵なら問題なく倒せる」

そう言うものの、剱は服が破けただけで平然としていた。

「効いてないわけじゃないぞ。耐えただけだ」

嬉しそうに俺のグロテスクな頭を撫でてくる。

「よく頑張った。お前は努力した。偉いぞ」

「……はは」

馬鹿馬鹿しいのに、実際何だか達成感があった。認められた、という喜びがあった。

「そういえば、家族にはちゃんと連絡入れてるんだろうな」

「いれてるよ。友達のところにいるっつってある」

学校を出るときに、スマホも拳銃も剱が回収してくれていた。何でもあともう少しで捜索願が出されるところだったらしく、姉からのメッセージは30件を超えていた。随分心配をかけたようで申し訳無い。

「試しに女の子の家に居るとでも言ってみろ。面白い反応が見られるかもしれんぞ」

「……そう言われればそうと言えなくもない状況だったな」

「安心しろ。私は未成年だ」

「だめだろ」

「お前もガキなんだ。問題無い」

剱がどこかへ歩いていく。

「風呂入ってくる」

「……なぁ。まだ外に出ちゃいけないのか? ここに来て1週間になるぞ」

「ふむ……確かに引き籠もってばかりもいられんな。風呂から出たら買い物にでも行こうか」

足音が遠ざかっていった。

……そうじゃない。俺は家に帰りたいのだ。あとどれくらい、姉に嘘をつき続ければいい。手元に落ちている拳銃が黒く光った。


―――――――――――――――――――――


夕暮れ。自動ドアが開き、剱の後ろを追ってスーパーに入る。

「なんでこんな遅い時間なんだ」

「諸々安くなるからな」

こいつがどうやって収入を得ているのか知らないが、まぁ節約は大事なんだろう。店内にはそれなりに客がいた。

「何か食いたいものはあるか?」

「リクエストする権利があるのか?」

「まぁ聞くだけ聞こう」

そうだな……普段あんまり作らないものにしてもらおうか。

「オムライスが食いたい」

「ほう。かわいいものじゃないか……うむ、長葱が安いな。炒飯にしよう」

「おい」

「まぁ作るのは私だからな」

そう言われると弱い。作るやつは偉いのだ。

「……なぁ、俺はいつ家に帰れるんだ?」

「生徒会と自衛隊が諦めるまで、だな」

「それ、いつになるんだよ」

この一週間ほど学校にすら行っていない。行きたいかと言われれば微妙だが不健全ではある。

「生徒会はともかく、自衛隊の方は捕まえた研究サンプル……それも自国に害した存在をどうするかわからん」

「害?」

「この国はシルエスタから多くの原油を輸入していた。知らないか?」

そうだ、未神ともそんな話をした。電気代が上がるかもとか、そんな話。

「実際にシルエスタからの原油輸入量が減少している。混乱の最中だから、とも考えられるが……。ともかく、向こうからすればお前を狙わない理由は無い。一生実験動物にされるかもしれない」

「な、何もそこまで……」

「無いと言えるか?……お前は国家どころか、世界すら揺るがしかねない要因(ファクター)なんだぞ」

剱が俺の肩を掴んで耳元で囁く。

「……」

「もし、お前の存在が他の国にはっきりと知られてみろ。確実に政治的な働きかけがあるだろう。最悪、お前を巡って戦争が起こるかもしれない。だが確保して研究すれば、多大な国益を生むかもしれない。このリスクとリターンの塊を自由にしてやる理由がどこにもない」

そこまで言われて、自分という存在やそのやったことの意味をはっきり自覚したような気がした。家に帰れないことなど、大した問題でないのだ。むしろこうして安全が確保されている状況すら剱の善意によるもので、そうでなければ俺はとっくにどうなっていたか分からない。

身震いがした。

「未神……」

お前は分かってて、俺に戦わせたのか?

「依途。お前は子どもだろうが、私はお前を馬鹿にする気はない。自分のやることの意味を、全く考えないとも理解出来ないとも言う気はない。だからお前の行動の責任はお前にある。未神でもない、まして親でもない」

「……分かってる。未神のせいにはしない」

「ならばよろしい」

剱がケチャップを籠に入れた。

「……なに、お前の行動が全て間違いとは言わん。あの国の国民への弾圧は許されることでは無かった。立ち上がったのはお前と未神だけ……本来、お前より強い私は何もしなかったんだ。他国への武力介入は正しくない、という常識を振りかざしてね。かと言って平和運動でもしたわけじゃない」

「……結局、叱りたいのか褒めたいのか、どっちなんだよ」

「自分でもよく分からん。だが放り出すのが一番良くないような気がする」

親かよ。


会計を済ませ、外に出る。薄明の空が広がっていた。

「日が長いな、この季節は」

剱が買い物袋を下げてそう呟いた。

「袋、持とうか?」

「いや。これもまた鍛錬だ」

袋の中には米やら油やらが入っていたが、まぁこいつには重くもなかろう。

「……」

「憂鬱そうだな」

「ああ。自分の愚かさ加減が嫌になった。家族まで巻き込みかねないなんて」

このまま、何もできないのか? 俺は?

「ふむ。解決策が無いわけじゃないぞ?」

「そうなのか!?」

いつものように、豪快に剱が笑った。

「強くなれ。努力しろ。お前やお前の大切なものを狙う、全てを捻じ伏せられるくらい」

「いつもそれだな、あんた」

「当然だ。私がお前や草薙のような異能者より強いのは単純に鍛え続けたからだ。お前だってこの一週間、鍛え続けてやったらなかなか強くなったぞ?」

ばんばんと背中を叩かれる。痛い。

「かつて私たちの時間は有限だった。人は老い、いつか死ぬ。それが限界だった。幾ら努力をしてもそこで能力は失われる。だが今は違う。いつまでだって続けられる。いつからだって挑戦できる。……私はな、未神の横暴には反対するが。ロスブラ自体は肯定しているんだ」

「そうなのか?」

「ああ。死なないなら、努力の累積が失われることもない。才能に乏しい者も、就職だ年齢だと努力をやめずに済む。夢に呪われなくて済む」

「そんなもんか……?」

いささか理想論が過ぎるように思える。

「まぁ、そもそも努力には才能がいるんだけどな」

お前がいうのか、それ。

「お前、色々言いたがる割には結論がはっきりしないよな」

「うるさい。馬鹿者。私だって所詮、十幾つのガキだ。お前みたいな面倒なやつを迷いなく導くには若すぎる」

吹き出した。正直なやつだなと思った。けれど断言出来ないその情けなさは、むしろ誠実だとすら思えた。薄明が闇に覆われていく。またこうして、一日が終わるのだろう。

「……依途。止まれ」

剱が俺を制止した。

「何か来る」

「何だよ……」

「分からん。……自衛隊か、生徒会……いやそれ以外か」

次の瞬間、前方の空間が歪みだした。光と音を放ちながら少しずつ広がっていく。バリバリと、弾けるように膨れていた。

「どうなっている……」

こんな現象を起こせるとしたら、草薙か或いは……

「未神……?」

歪みが弾け飛ぶ。その中心に誰かがいた。未神じゃない。禿げた、黒い服の男。

「よぉ、久しぶりだなぁ」

いつか街を焼いた、あの男だった。

「何でお前が……」

「んー?」

既に警察に突き出した、そう未神が言っていたはずだ。脱走したのか?

「……知り合いなのか?」

「まあ、な……」

「お前ら二人…………そうか、ふははは」

何を言ってるか分からない。が、このまま挨拶して終わりってわけにはいかなさそうだった。

男がこちらへ歩いてくる。

「依途。あれはなんだ」

「やつあたりのおっさんだよ……」

男の体が燃え始める。……異形化するつもりか!?

「依途ォッ!」

刹那、剱が俺に覆い被さる。白とも赤ともつかない光が世界を埋め尽くした。


「…………起きろ」

頬を叩かれる。目を開くと、剱の向こうに紅く燃える街が有った。立ち上がる。

「……おいおい」

以前とは違う。いくら見渡しても視界にある全てが燃えているか、焼け焦げていた。世界が赤く、揺らめいていた。

「まさか、こんな……」

建物が焼けていく音の中に、悲鳴が混じっている。苦痛が聞こえる。街も人も焼けていく。融けたビルのコンクリートが倒れた誰かをどろりと覆った。

「火だ。報復の火だ」

異形と化した男が炎を上げながらそう喜んでいる。

「剱。やるぞ」

「ああ」

頭に鉛玉をぶち込む。剱が刀を抜く。……ぶっ殺してやる。爆炎を上げるヤツへ殴りかかる。助走をつけ顔面へストレートを叩き込んだ。

「……いてぇなぁ!?」

両手で頭を掴まれる。拘束から逃げようと藻掻くが、逃れられそうにない。刹那、刃が奴の背を裂いた。怯んだ瞬間に顎を蹴りつけその(かいな)から脱出する。

「んなもんで俺が切れるかよッ!」

殴打も蹴りも避けひたすらに刀身で皮膚を薙いでいく。だが血が噴き出すことはない。

「どうなっている……」

放たれた炎から間合いを取る。が、奴から噴出す炎は更に激しくなっていく。

「……クソ!」

こちらへ背を向ける奴に飛び込み、蹴りを叩き込む。

「ぐっ…………うぉらぁっ!」

奴のパンチを受け止める。

「てめぇ……あんなに弱かったくせに……!」

「報復は、終わらねぇ!」

口から熱線を吐いてくる。回避が間に合わず、左腕が肩ごと吹き飛んだ。もろに食らっていたら終わっていただろう。

「だまれ、クソジジイ!」

大きく開いたその口へ右の抜手を叩き込む。指先が後頭部を貫いた。呻き声が上がった。

「フン!」

俺の手を噛み切られる。奴から離れ、両腕をどうにか再生させる。気力が失われる。

剱が男へ斬撃を浴びせながらこちらへ跳んでくる。

「おい、依途」

「なんだ」

「どんな理屈か知らんが、私の攻撃はあれに通じん」

謙遜でなく、俺の貫手が効く相手に剱の剣技が効かないなど通常なら有り得ない。

「私が隙を作ってやる。お前があれを潰せ」

剱が駆ける。男の反応を振り切り奴の背後に回り込んで頭を蹴りつけた。

奴が体から常に放つ炎は避けようともせず、そのまま格闘戦で圧倒していた。剱の攻撃こそ効かないものの男の打撃や掌から放つ火焔は掠りもしない。

「はぁ……」

大きく息を吸い、丹田に力を込める。剱に教わった気というやつだ。体内を巡るエネルギーを加速させ、昂らせ、凝固させる。

「……貴様、まさか」

剱と奴が互いの拳を叩きつける。衝撃で周囲の融解したコンクリートが蒸発した。

「はぁ、……クソアマがッ」

「お前は、この街が憎いのか?」

「んん……?」

「それとも誰か殺したい相手がいるのか?」

「違う。こいつらのことなどどうでもいい」

「なら何故こんなことをするっ!」

「その才能(ちから)が俺にあるからだが?」

「そんなものは理由ではない!」

「価値観を押し付けないといられないのか、馬鹿が」

異形の腕を膨張させ振り下ろす。剱がそれを片手で受け止めた。

「……ッ」

地面が陥没し爆炎が吹き上がった。空いた片手で腹に刃先をぶち込む。

「ぐ……あ……そんな、ばかな……!」

「やれぇッ! 依途ッ!!」

コンクリートを削る様にスライディングし懐へ潜る。地を蹴って体を跳ね上げ、その勢いのまま両腕の掌底を胸へ叩き付けた。

「……ぁ………………」

掌は胸部を貫通することなく、全身に衝撃と気を伝導させる。……「入った」。

粘土に手形をつけるように掌を放す。剱が刀を引き抜く。

「やったな。依途」

刹那、風船が割れるように奴の体が弾けた。血が吹き出して俺達を濡らす。勝った。

「……消えた?」

奴の姿が無くなっていた。確実に倒した感覚はあったが、どこにも姿はない。逃げられた……? 或いは消滅した……?

「依途。動けるか?」

「ああ、どうにか」

「ならば消火作業を始める。このままではどこまで燃え広がるか……」

血を塗りたくられた顔のまま剱が街を見渡す。お前こそ何で動けるんだ……と思ったその矢先。先ほどと違う光が俺たちの直ぐ側に現れる。輝き、はためく両翼。翼が失せ少女は地に降り立った。

「未神……」

彼女は何も答えず、ただ掌を空へ掲げる。その瞬間雨雲が膨張を始め豪雨を降らし始めた。陽炎を貫いて雫たちが炎を殴る。すぐに辺りは雨音に支配された。

「大丈夫、消火はいい。……久しぶりだね」

「おまえ、どこ行ってたんだよ!」

「ごめん……」

未神蒼が目の前にいた。あの日消えたはずの未神が、俺の傍にいた。

「謝って欲しいんじゃない、教えてくれ」

「全部明日教える。今日は帰宅して、明日学校に来て」

「待て。自衛隊と生徒会がこいつを狙っている。このまま帰すわけには……」

剱がそう遮る。

「……剱沙夜ちゃん、だね。はじめまして、ぼくは未神蒼」

「……」

「まずはお礼を言わせてほしい。ありがとう、依途くんを守ってくれて」

「どうしてお前に礼を言われる?」

「ぼくが守りたい人を守ってくれたから」

未神がいつもの微笑みを浮かべた。

「……分からんな。守りたいのなら何故こいつを戦わせようとする?」

「正しいね、きみは…………生徒会と自衛隊はぼくがこれから話し合いに行く。もう依途くんに危害を加えたりしないようにね」

「できるのか、そんなことが?」

「世界を書き換えるよりは簡単さ。じゃあ依途くん、また明日ね」

「おい、待て!」

未神の姿が雨の中に消える。……明日、本当に会えるんだろうな。

「……あれが未神蒼、か」

「見たことなかったか?」

「写真でしか……ああも普通の子どものようだとは……」

「まぁ、ネバーランドの主らしいからな」

剱は暫く戸惑っていたが、突然何かに気づいたようにどこかへ走っていく。

「どうしたー?」

剱は何かを探すように地面を見つめると、やがて何かを掴んでこちらへ投げてきた。

「っと。何だこれ」

ケチャップ。シールの印刷は少し焦げているがボトルは融けていない。

「結局オムライスは作ってやれなかったからな。自分で作れ」

「はは。そうするよ」

「ケチャップから炒めて作るんだぞ……さ、早く帰って家族に顔を見せてやれ」

「ああ」

背を向けて歩き出す。けれど二、三歩歩いたところで足が止まった。

「どうした?」

「……礼はいつかする。またな」

「ああ。いつまででも待っていよう」

雨の中を歩く。火は潰えていた。


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