3
「未神」
「なに?」
「どうやってティルトローターなんて用意した」
「ふふん」
機内。音速を超えているらしい機体は、ブルーバードという名前らしい。現在シルエスタ上空目掛けて飛行している。
「自分のヘリや、ジェット機を持っている人はそれなりにいるでしょ?」
「まあそうだな」
「でもティルトローターはいない。ぼくの勝ち」
「勝てるか、んなもん」
ちなみに操縦はAIらしい。んなもん軍隊でも持ってるか怪しい。
「さて、作戦を確認するよ」
「ああ」
「機体から降りて着陸後、きみは事前に伝えた10個の軍基地……シルエスタ国内で相応に規模があり、かつ多くの国民を収容しているこれらの場所を順に襲撃。
政府軍の無力化、民衆鎮圧部隊の撤退、戦場の撹乱、拘束された国民の救出を目的とするよ」
「……仕事が多いな」
「実際には10箇所全てを制圧しなくてもいい。出来る限りで。あと捕まっている人々の救出も、困難なら後回しでいい」
「それが優先じゃないのか?」
「そう言いたいんだけど。何人いるか分からない人々を全員運び出すには時間が掛かりすぎる。内戦終結後に民衆自身の手で運び出してもらうことになるかもね。
まずは鎮圧部隊の出動を停止、あるいは帰投させること。これを優先して欲しい」
それでも出来ることなら助けたい。そう思った。
「ぼくはシャトリル大統領と直接お話に行くよ」
「……俺が行かなくても、お前だけでいいんじゃないのか?」
「そうはいかない。ある程度民衆に有利な状況を作っておきたいんだ」
「あとはこいつに任せるとか」
音速飛行を続ける機体の壁をこんこんと叩く。
「単騎でどうにかなるわけないでしょ」
俺は単騎なんだけどなぁ。
「さ、そろそろ目的地だよ」
「もうシルエスタに着いたのか」
期待がプロペラを上に向け、ホバリングする。
「……そういえば、降下方法は?」
未神が機体のハッチを上げた。
「さ、おいで」
腕を引かれる。
「へ」
そのまま2人で宙に舞った。しばらくぶりのダイビングである。
「うわああぁあぁああぁぁぁあっ!」
―――――――――――――――――――――
「……どこだ。ここ?」
山の中にいた。機体から飛び降りたはずだったが……
「テレポートは成功したみたいだね」
すぐ側に未神がいた。
「……そんなことも出来るのか、お前」
ならそもそもそれで来ればよかったのに。
「日本から直接転移するには、距離が遠すぎたんだ」
「心を読むな」
「さて、第一目標はここから1kmほど離れた山中。きみにはここから徒歩で……」
突如、叫び声が聞こえる。
「!」
兵士が2人、ライフルをこちらへ向けていた。まずい、撃たれ……
「えい」
銃声がして、兵士が2人ともその場に倒れる。……振り返ると、未神が銃を握っていた。 視認出来ないほどの速さで2人とも頭を撃ち抜いたらしい。彼女は銃を向けたまま倒れた兵士の方へ歩み寄ると、その身体を蹴った。
「うん。気絶してるね」
「……」
「随分遠くまで見回りに来てるみたいだ」
「その銃、そんな使い方も出来たのか」
「本来の使い道だろ?」
銃を投げてくる。掴んだそれは確かな熱をもっていた。
「さ、はじめよっか。状況を開始する」
―――――――――――――――――――――
基地は目前。何人も見かけた見回りの兵士をやりすごし、外壁のそばまで辿り着いた。
「……」
未神が提示した戦術。基地の建物に侵入、貰った爆薬を使いつつ可能な限りの損害を与え、迅速に撤退、次の目標に取り掛かる。俺の異形にはあのおっさんのような範囲攻撃がない。出来ることは通常人類の行動の拡張でしかない。だがまぁ、やりようはある。
こめかみに銃を当てる。引き金を引いた。肉体が膨張し、精神が増長し、存在が誇張される。暴力装置と成り果てる。
「……状況を開始する!」
外壁を跳び越え、内部へ侵入する。地を蹴って駆け、指令機能があると思われる建物へ突撃した。
「はああああぁぁァァァッ!」
跳び上がって、空から蹴りを放った。轟音を放って建築に穴が空く。
「……行けんじゃねぇか」
着地し、その付近をもう一度殴ると音を立てて棟が崩れた。同時にサイレンが鳴り響く。敵が事態を把握したようだった。……早い。
続けて、突っ込んだり叩いたり実に原始的な方法で建物を破壊していく。その度に世界が大きく震え、自身の行為の大きさを叩きつけてくるようだった。
「そろそろか」
未神に渡された爆薬を基地内に放り込み、距離をとって爆破する。相当の損害がでたはずだ。
『依途くん。聞こえる?』
頭の中に未神の声が響く。
「こちらは第一目標をある程度破壊した」
『その基地が最大戦力のはずなんだ。戦車やヘリは?』
「まだ遭遇していない」
『ならそれを一定数破壊したら次の目的に移って』
「了解」
突如銃声が聞こえ、その場を飛び退く。こちらをみつけたらしい兵士たちが、アサルトライフルを連射してきていた。
「こんなもんか……」
内幾つかが当たったようだが無傷だった。便利な体である。未神の指示を思い出す。歩兵は構わなくていい、そう言っていた。兵器や建築を狙い、大規模で分かりやすい被害を出せ、と。
無視してまた基地そのものへ突進する。
「穴だらけだな……ん」
やがてどこからか戦車が現れる。
「こちら未神。戦車が来た」
『うん。じゃあよろしく』
軽い調子の未神。戦車相手に呑気な気もするが、俺も大して怖くなかった。今の俺なら歩兵を仕留めるより楽な仕事に思えたからだ。主砲がこちらへ向くより先に駆け、戦車の懐へ飛び込む。随伴歩兵のライフルは痒くもない。軽く殴って襟を摘んだ。
「にしても兵器ってのはどうしてこうもかっこよく見えるんだろうな? あんたどう思う?」
「〜〜!」
「すまん、分かんねぇわ」
他の歩兵へ叩きつけた。逃げる戦車を追う。
「確か……砲塔をねじ曲げろとか言ってたっけ?」
未神がそんなことを言っていた気がする。確かにそれだけで無力化できるが……面倒だ。
緩旋回しながらこちらを振り切ろうとする戦車の尻を思い切り叩くと、ウィリーでもするかのように前面をはね上げ、空に舞った。天面側から落ちてくる戦車を両手で受止める。
「せー…………」
担いだまま、その場でぐるぐると回転し勢いを付ける。
「のっ!!!」
怪獣でも投げるかのように、戦車を基地へ投げつけた。大きな爆炎が上がる。……なるほど、戦車はこの要領で片付けると効率が良さそうだ。
「……ふー」
ひと仕事終えたかのような達成感が自分の中に湧いてくる。
…………違う。これは正義じゃない。達成感など有っていいはずがない。戦闘はまだ続く。暴力の快感を抑えつけるようにしながら、また暴力を振るわねばならなかった。
―――――――――――――――――――――
『いい調子だ。民衆の鎮圧に出ていた兵たちが基地防衛の為に帰投し始めた』
「市民が撃たれずに済むってことだな?」
『ああ。そのままお願い』
思ったよりも淡々と基地攻略は進み、もう4つ目だった。しかし、少しずつ防衛体制を強固にしつつある。どこまでやれるか……?
突如バタバタとプロペラの音が耳をつんざいた。
「チッ、ヘリかよ!」
とうとう他基地から戦闘ヘリを寄越すようになってきた。
「…………ッ」
基地を背にして走る。こうすればフレンドリーファイアを恐れ、ミサイルは撃てない。だいたい、基地内の歩兵相当のサイズの敵にヘリを出したところで無駄なのだ。何となくいっぱい戦力送っとけばいいみたいなその発想はお笑いだぜ。
「……あれ?」
おいおい、普通にミサイル撃ってきやがった。どうすんだよ。
「クソがっ!」
思いっきり横に飛んで基地の壁へ突っ込む。さっきまで俺のいた場所が爆ぜていた。
「ちっくしょ……いてー……」
直撃は避けたものの、右半身が焼かれていたようだ。
痛くないわけじゃないが、思ったほど大きなダメージでもないようだった。まじでバケモンだ、俺。近くの瓦礫から手頃なサイズを拾う。壁に大きく空いた穴の向こうに、ヘリが見えた。
「……フンッ!」
機銃が放たれる前に、瓦礫の破片をキャノピーへ投げつける。
「おう……やるな、俺」
ガラスが割れ、コクピットへコンクリートが深々と刺さった。ヘリが螺旋を描いて堕ちていく。地面へ接触すると、回転していたブレードが叩きつけられて折れ、大きく飛んで基地へ刺さった。
「ブラボー」
この基地もこんなもんで良いだろ。次に行くか。抵抗虚しく、こちらへライフルを撃ってくる兵士たちの姿が悲しく見える。
……この異形の姿になれば、軍隊ですら簡単に破壊できてしまうらしい。そんな力を何となく手に入れ、あっさりと行使出来てしまうとするならば。
俺は本当に、特別になってしまったのか?
「ぐあッ!」
どこかから大きな衝撃に襲われ、その場に倒れる。
「が……」
再び衝撃。3発、4発、続けて同じ方向から攻撃される。逃げようとしても、地べたに這いつくばった。何だ、この攻撃……衝撃の方を振り返る。
「あはは……なさけなーい」
長い茶髪の女がでかい銃砲を担いでこちらに来た。
「何だ……お前」
「んー♡」
銃口を俺の背に突きつけ……
「うがぁッッ!」
先程までとは程度の違う衝撃に襲われる。
「だっさーい」
「くそ……どうなってやがる……」
「ありもしない才能を振りかざすからそうなるんだよ」
「……うるせぇ!」
跳び上がり回し蹴りを放つ。
「のろいなぁ」
あっさりと避けられる。
「何なんだ、お前……」
「あたしはねー。あんたと同じで、あんたより強い」
ナイフを取り出した。…………トリガー!?
「遊んであげるッ!」
女が首を掻っ切る。血よりも黒い何かに包まれた。異形の化け物が姿を現す。
……何なんだ、この女。何の用だ。
「あんた、シルエスタの関係者か?」
答えが帰ってくる前に、俺の側頭部に蹴りが入っていた。
「ぐっ……」
「ほらほら、喋ってる暇無いよ?」
受身をとって立ち上がる。余程戦いたいらしい。
「ふんっ」
地面を蹴り上げた。土煙が舞う。奴とは逆方向に思いっきり走る。
「付き合ってられるかよ……」
さっさと逃げて作戦を継続しよう。まだやることがある。
「……ちっ!」
上から女が跳んでくる。空中で身体を翻し、こちらへ何かを振り下ろした。
「逃がさないよ……!」
「何か」が俺の胸を掠める。……血のような液体が滴った。
「剣……いや、刀か?」
「どっちでもいいよ」
やつが腕から生えた刀を振り回す。どうやら食らっちゃいけないタイプの攻撃らしい……どうにか回避する。
「いちいち動きが温いんだよぉッ!」
「なっ……」
早い、そう感じた次の瞬間には……
左腕が無くなっていた。
「アハハハハハハ!」
強烈な痛み。流れ落ちる血。…………落ち着け。実際の腕が切られたわけじゃない。元の姿に戻れば腕も戻るはずだ。
「はぁ、はぁ……」
「つまんなぁい。もっと喚いてよ、喘いでよ。痛い痛いってさぁ!」
だが、片腕であいつに勝つのは不可能だろう。かといって逃げることもままならない。
「…………」
「気付いた? もうお前には逃げ場なんて無いの。無能がいきがった報いよ♡」
……もし、ここで負けたら。俺はどうなるんだろう。この女に散々いたぶられるのか、軍の奴らにコンクリにでも固められるのか。どうすればいい。どうすればこの危機を回避出来る?
女の蹴りをくらい、地面に叩きつけられる。刃を首に突きつけられた。
「どうする? 私はモブですごめんなさいって脚舐めたら下僕として飼ってあげるけど?」
「悪いな……もう飼い主はいるんでね」
「じゃ、死んで」
刀が突き立てられる。首を逸らして身体を起こした。
「なっ」
奴の首元へ齧り付く。
「あっ、ああ!」
油断したお前が悪い。
「はな……せ」
身体を何度も刺される。それでも離さない。生にしがみつくように、才能に齧り付くように。歯は奴の首に食いこんで、知らない血の味がした。
「離せ、不細工がよォッ!」
奴がもがく。首の肉が千切れた。
「チッ……まじぃ」
汚い肉を吐き捨てる。
「殺してやる……殺してやる……ッ!」
「おー……こわ……」
首が半分になってなお、奴は憎悪を滾らせている。……だが、足元がふらついているのが分かった。
「切り刻んで……形も無くなるほど……」
「ミンチか?……お前には姿造りなんか似合うと思うけどな」
奴が再び刃を掲げて突進してくる。が、その刹那やつが弾丸の嵐に呑まれた。
『……依途くん! 聞こえてる!?』
「ああ」
『早く退避して!』
「……そうさせてもらう」
遠くから飛ばしてくるティルトローターに向かって走る。間一髪で未神の援護が間に合ったようだ。……あと少し遅れていたら。
「待てよ………待てよおおおおおお」
噴煙の中からボロボロの刃物女が飛び出してくる。
……速い、追いつかれる!
奴が振りかぶって、刃を俺の背に。
「…………じゃま」
未神が俺の背に立っていた。光の壁を貼って斬撃を防いでいる。
「寝ててよ」
光の壁が破裂し、奴を吹き飛ばした。
「助かったぜ、女神さんよぉ!」
固定翼モードのまま飛行する機体に跳びかかり、残った片腕で底部を掴んだ。
『離脱するよ!』
おまけと言わんばかりにミサイルを基地の方へ流し込みながらブルーバードが高度を上げていく。機内に入りハッチを閉めた。
「はぁ、はぁ……」
無線が聞こえる。
『速報です。現在発生中の軍と民衆の激突ですが、政府は軍に停戦命令を出しました。拘束中の人々も即解放するとのことです。国民の皆さまにおかれましては直ちに行動を停止し、冷静になって頂きますよう』
メディアも大慌てなのか、冷静でない文言を読み上げている。……未神が、やったのか。
そのまま何も考えられなくなり、意識が薄れて、途絶えた。
悪夢を見た。いつのことか、どれほど先のことか分からないけれど。或いは既に過ぎたことなのかもしれない。
俺が死ぬ夢だった。
時期も理由も分からないが、とにかく死んでいた。死だけがあった。ひたすらに怖かった。
変な話だ。つい最近、自分から死のうとしてたじゃねえか。
どうしてこんな夢を見たんだろう。分からない。けれど、ただ一つはっきりしているのは。
死ぬのは怖かった。
「……くん」
声が聞こえる。震えるような、泣いているような声。
「……どうしたんだ?」
瞼を開けると泣きそうな顔をした未神がいた。声も、瞳もあまりに近い。
…………膝の上のようだった。
「……起きたんだね」
「どうにかな。ここは?」
「日本海上空。もう暫くしたら着くよ」
腕を眺める。どうやら姿も元に戻っているようだ。
「オペレーション・ポピーシードは完遂された……」
そうだ、さっき停戦命令がどうってニュースが流れていた。
「きみの傷も治っている」
左腕も治っていた。
「分かってても怖いもんだな」
「ごめん……ぼくのせいで」
「しおらしいな。珍しい」
未神もこんな表情をするのかと新鮮さすら感じた。
「あんなやつがいるって分かってたら、きみを戦わせたりしなかった」
「あいつ、何者なんだ?」
「……まだ分からない。けど」
「けど?」
「あいつには異形……変身者を殺す能力がある」
「は?」
「あの剣はきみを殺し得るんだ」
自分の首を触る。
「へ?……俺、生きてる?」
「生きてる。大丈夫」
体温が低くなる。……俺、死ぬところだったのか。そうとも知らず呑気に戦っていたが。
「あのクソ女、本気で俺のこと殺すつもりだったわけか」
「……この作戦に本来、大した危険はなかったはずなんだ。異形の力さえあれば現行兵器の軍隊なんて木偶の坊でしかない。それにもし、問題が起きたのならことが終わったあとにぼくが助ければいい。そう思ってたんだ」
「…………」
「それがあんなイレギュラーが起きるなんて……これは失態だよ、許されることじゃない」
思ったよりも気にしている様子だった。何かフォローするべきなんだろうか?
「あー……そうだな」
「……」
「あんまり気にするなよ。元から死んでるはずの人間なんだからさ」
「……それ、どういうこと?」
「いや、だからさ。そもそも自殺志願者なんだ。死にそうなくらい、大したことないだろ?」
「ふざけないでよっ!」
「はぁ?」
「それが嫌だから……嫌だから世界を変えたんだ! ぼくは!」
「なんだよ……フォローしたのに怒るなよ……」
「……ごめん」
未神が黙り込む。機内にプロペラの音だけが響く。……どうしたらいいんだ、これ?
「でも……ぼくはきみが死ぬのはいやだ……」
この前部室で俺に囁き、惑わしたあの姿とはまるで違う人間のようだった。
この二面性というか、本心のつかめない感じ……俺は知っている気がする。どこかで……
「!」
ああ、そうだ。こいつに感じた既視感。デジャブ。俺の小説だ。屋上から投げた、あの……
「どうかしたの?」
未神の目がこちらを見つめている。今考えると言動、容姿、雰囲気……どれもあの小説のヒロインによく似ていた。俺の気持ち悪い勘違いかとも思ったが……多分違う。劇中に、ヒロインが主人公に囁くシーンがある。
別に怪しい部活に引き込むわけじゃない。死にたがっている主人公に、ヒロインが頰を撫でながら言うのだ。
『いっしょに、いこ?』
そのまま、二人で旅に出る。主人公は希死念慮よりも強い火力で脳を焼かれその女に付いていく。そういう話だった。
「未神……お前は、誰なんだ……?」
何か夢でも見ているのか。あるいは幻か。
あんなヒロインはフィクションに過ぎない。存在しない。俺の頭がおかしくなって、都合の良い夢を見ているんじゃないか。
「言ったでしょう?……ぼくは未神蒼。きみの物語を紡ぐ者」
じゃなきゃ本当に……俺の小説からヒロインが現実世界に飛び出してきたとでも言うのか?
「はは……」
そんなはずはない。分かっている。現実的にありえない。……けれど既にもう、その現実とやらが虚構と融け合い始めている。人は死ななくなり、人は異形と化し、俺はたった今武力介入の果てに死にかけた。こんなのもう、現実と呼んでいいのか?
「未神蒼」は何者で、何故俺の前に現れた。分からない。何も。
顔をキャノピーの方に向けると、陸地が見えてくる。日本領土内に入るようだ。……この後、どうなるんだろうか。俺は元の日常に帰れるのか?
刃物女に狙われたりしない、平和な日々に。ていうかそもそも帰りたいのか? 何も無い平凡な日々に。
そうだ。ケインはどうなった。あの国は解放されたようだがやつの行方までは分からない。
「あーくそ、考えること多すぎるだろ……」
出発前と何も変わらない。問題は減らないどころか、命の危険まで増えやがった。
「…………」
未神はまだ塞ぎ込んでるし。
「あー、バトルものならもっとシンプルにしろよ!」
馬鹿なことを叫んで見たが無駄だった。……分からないわけじゃない。誰かをぶん殴ってオールハッピーなんてのはフィクションの中だけなんだ。この世界は、俺にとってフィクションじゃない。バトルものなんてカテゴリもない。
なら、シンプルになんてなってくれるはずもないのだ。
―――――――――――――――――――――
「……13時か」
月曜日。本来学生と労働者が絶望しながら社会に赴く日であるのだが、俺は未だこうして布団の上にいた。
昨日あんな戦いがあった後で登校など出来るはずもない。てかしたくない。朝方起こしに来た姉に「むりぽ……」とだけ伝えて二度寝に入った記憶がうっすらある。
スマホを開くと何件かメッセージが入っていた。
「……未神と姉貴」
姉貴に適当に返信を済ませる。未神は……
『学校、やすみ?』
ふむ。
『むりぽ』
まあこれでいいだろ。
「ん……電話?」
下の階のの固定電話が鳴っている。やけに連絡の多い日だ。階段を下りて受話器を取る。
「はい?」
『こちら……って? 依途か?』
「そりゃ誰が出ても依途でしょうよ」
声は氷室担任のものだった。
「それもそうだ」
「どうかしましたか?」
「いや、ケインからメールが来てな」
「本当ですか!?」
「ああ。ニュース見たか? シルエスタのゴタゴタが収まったらしくてな。
近いうちに帰国できるって話だ」
安堵の息が漏れた。
「ご家族も無事らしい」
「何よりです」
「……ところでだが」
氷室の声が一段下がった。どうしたのだろうか。
「お前のご家族から今日の欠席は法事だ、と聞いている」
「…………あはは、それはそれは」
「留守電でも残そうと思ったら元気な生徒の声が聞けた。全く嬉しいものだな」
「すみません……」
「まあいい。サボりに寛容な御家族に感謝しておけ。じゃあな」
電話が切られる。……体調不良辺りにしておいて欲しかったものだ。飯はいいや。寝よう。部屋に戻る。昼寝にでも興じようと布団に身を投げた瞬間、叩き起すようにスマホが振動し始めた。
「……なんだ、未神か」
日に2回も電話したくないんだが。仕方無く出ることにした。
「依途くん。起きてる?」
「起きてるから出てるんだろうが」
「そう言われればそうだ」
氷室にしろこいつにしろ、あまりに間の抜けた会話である。
「切っていいか? 寝たいんだが」
「ううん。シルエスタの顛末と、部の今後について話がしたいんだけど」
「明日でいいだろ」
「情報共有は早めにすべきだよ。特に刃物女の対策なんかはね」
……まあ確かに。そりゃそうだ。
「今から学校、来れる?」
「授業休んで部活にだけ行くやつもいないだろ」
「じゃぼくが行くよ」
「はぁ? 行くってお前……」
「15分くらいかな」
通話が切られる。おいおい。まさかこの家に来るつもりか?……いや、まさかな。
言うまでもない。そのまさかであった。あれから10分。インターホンのカメラに映る少女の姿は紛れもなく未神である。
「…………」
ピンポーン。再びチャイムが鳴る。……出なきゃダメか、これ?
「未神ですがー? 空良くんいますかー?」
「……」
「依途くんー? そこにいるよねー?」
……仕方ない。ドアを開ける。
「おはよう。依途くん」
「……おう」
「上がるね」
そう言って未神が靴を脱いだ。リビングに通す。と、未神が何か俺の胸に押し付けてきた。
「はい。詫びの品」
「はぁ?」
「昨日。ぼくのせいできみの命が脅かされたから」
「はぁ……」
「こんなものじゃ許されないけど。それでも」
まぁ、そこまで言うなら家屋侵入の菓子折として貰っておこう。
「しかし、本当に来るとはな」
「来ないと思ってたの?」
ていうか、何で来れてるのか分からないっていうか。
「まあいい。それで、何のようだったっけ?」
「シルエスタの件と、今後の活動」
「ああ、そうだったな。ま、とりあえず座ってくれ」
未神を椅子に座らせる。氷を入れた麦茶を出した。
「お構いなく」
「お前、そういうの言えるんだな」
「うるさい」
未神が麦茶を一口すする。
いつも部室やら機内やらで不思議な雰囲気を放っている人間が目の前にいると、何と言うか。
「実在感が増すな」
「え?」
「いや……」
変なことを言った。沈黙しておく。
「シャトリル大統領だけどね、亡くなってたよ」
「……は?」
唐突に未神は本題に入った。……急展開過ぎやしないか?
「まぁ、薄々そんな気はしてたんだけど……」
「どういうことだよ?」
「彼が死んだと分かれば政治体制が刷新されかねない。そうなると既得権益が脅かされる、そう判断した人が多かったのさ」
「……だから、生きてることにしていた?」
「うん。特定の誰か一人が断行したわけじゃない。関係者が協議しあって決めたことだ」
悪の親玉だと目されていたシャトリルはそもそも死んでいた。随分あっけない結末である。
「暗殺防止のため、そう言って大統領は国民の前に顔を出していなかったんだけど……実際のところ、その利益関係者の団体が大統領に成り代わっていた」
「しかし、それが何で国民の弾圧に繋がる」
「元々シャトリル大統領の生前時から、政権批判を繰り返してきたグループがあった。
時折見せしめに短期間拘束するくらいだったんだけど、ステークホルダーたちの一部はこの団体を鬱陶しがったんだ。彼らはシャトリルの権威を保ちたいわけだからね。
それでそいつらを潰そうとしたら軍の方にも犠牲者が出ちゃったりして、いつの間にか騒動が大きくなってしまった。そういうことらしい」
結局、これもそうだ。シャトリルをぶん殴って終わりなんてシンプルな話にはならない。
「それで、この後どうなるんだ?」
「ぼくが彼ら利益関係者とお話し合いをして、当然だけどシャトリル大統領の死はつまびらかになることになった。彼らの政権も国民への弾圧も終わる。この後の政治がどうなるかはこれから決まることだけど。シャトリルの生前ほど安定する可能性は低いだろうね」
「ほんっと、SFみてぇな話だな……」
規模が大きく、舞台が遠い。そんな状況に関わっていたなんてあまり信じられなかった。
「そう遠い話でもないよ。日本にも関係してくる」
「そうなのか?」
「うん。日本もこのシルエスタから結構な量の原油を輸入してたんだ。シャトリルが親日派だったこともあってね、便宜を図ってくれてた。これらの方針は利益関係者たちも保っていた」
「……とすると、今後の向こうの方針次第では」
「電気代、上がるかもねぇ」
「随分所帯染みたSFだな、おい……」
「ふふ。そうだね」
彼女が笑う。
「でもこれは、きみとぼくが世界に作用した結果だ。ぼくたちが世界を変えれば、それはぼくたちにも還ってくる。それがどういう形であれ……」
気の重い話ではある。が、そんなことを言う権利は無い。俺自身が選んだのだから。
「はぁ……」
「?」
このイカレポンチに着いてくことを。
「ま、ありがとうな」
「なにが?」
「色々教えてくれて」
「……この前も言ったかもしれないけど。必要なことだから。きみには知る権利……いや、義務がある。教えてあげてるんじゃなくて、当然の情報共有をしてるんだ」
「そうか」
「勘違いしてない? ぼくが主できみが従じゃない。対等だ。2人で世界を変えるんだよ」
本当に、そうなのか? いや。仮に、そうだとして。俺は世界を変えたいのか?
確かに、シルエスタの人々は助けなければならなかったと思うが。
「そうだ。俺を襲った敵……あの通り魔みたいなやつだけど」
未神がコップの氷を揺らす。カラカラと音を立てた。
「彼女はきみに随分執着してたよね? 下僕にする、だとか」
「それなんだよ。向こうは俺を知っていて、何か知らないがこちらに拘っている」
「んー。どこかで女の子にちょっかい出したりしたんじゃないの?」
「出した記憶もなければ出された記憶もねぇよ」
しかし、あれの正体は未神でも分からないわけか。はっきりと変身前の顔まで見ていないが、若そうな雰囲気だった。近しい歳だろうか?
「じゃあ彼女とか?」
「んなわけあるか……俺に女の知り合いはいない」
未神の麦茶が切れてるようだった。やつのコップにおかわりを注ぐ。珍しく俺にしては気が利くなと自画自賛してみるが、未神の反応は芳しくない。それどころか何かおかんむりのようだった。
「依途くん。ぼく……いや、わたしはきみの交友関係に入っていない。そういうことかな?」
「はぁ?」
「まだわからないかな。きみは今、相当失礼な発言をしてくれたんだけど」
……ああ。そこでやっと気付く。未神が言わんとすることに。
「…………いや、違う。悪かった」
「よくないね。これは」
先程注いだ麦茶を口に含みながら俺から視線を逸らしている。まずい、怒ってらっしゃる。
「すまん、そういう時代が長かったんだ」
「……ま、いいよ。「わたし」は心が広いから許してあげる」
根に持っているのが俺にも分かった。まずい。
「申し訳ない。平に謝る。土下座も辞さないが、今は話を進めたい。刃物女について」
「……まぁそうだね。この話はまた後にしよう」
どうにか話を反らす。このまま忘れてくれるといいのだが。
「奴の正体はさておき、あの刃は異形に対し致死性がある。斬撃をもろに食らうとまずい……対策をとる必要がある」
「具体的には? 白刃取りの練習でもすればいいのか?」
「概ねそう。さらに強くなるために訓練を行う」
……マジかよ。
「昭和スポコンじゃねえんだからさ……なんかこう、無いの?」
「無い。鍛錬あるのみ」
「ていうかおかしいだろ。あのおっさんは火が出せて、あの女は剣が出せる。なんで俺には何もないんだ」
「だから鍛えるんだよ。才能の差すら殴り飛ばしてやるために」
脳みそ筋肉だぜ、まったく。
「思春期同好会の次の作戦は彼女の撃破、及び拘束、尋問ってことになるかな……」
「たっだいまー!」
姉貴が玄関からリビングに飛び込んでくる。
「あきらー! ラブリーシスターの凱旋だぞーっ…………ん?」
俺の前で氷を鳴らす小柄な少女に気が付き、フリーズした。
「おねえさん、固まってるけど大丈夫?」
よほど衝撃的だったのかもしれない。
「あ、あきらが女の子連れ込んでる…………そんなばかな……」
よほど衝撃的だったようだ。
「これからはラブリーシスターじゃなくて……ラブリーハニーの時代なのね〜〜!」
姉貴が訳のわからないことを言って撃沈した。……そうなのか?
「そうかもね」
そう言ってコップを持ち上げる未神へ、黙ってお代わりを注ぐ。姉貴は彼女に興味津々のようで、質問攻めし始めた。
「あきらのお友達? それとも彼女? あ、お名前伺ってもよろしいです?」
「未神蒼です。依途くん……空良くんには良くして頂いています」
「おまえ、そんな態度取れたのか」
「な、なんて丁寧ないい子……」
未神が近くにあった菓子折を手に取った。
「こちら、粗末なものですが。突然のお訪ねのお詫びです」
おいそれさっき俺に渡しただろ。
「こ、こちらも何かお返ししないと! そうだ、アイスもってくるね! 待ってて!」
姉がだばだばと冷蔵庫へ走っていく。
「騒がしい人で悪いな」
「ううん。やっぱりいい人だなって」
姉とそうやり取りをしているのを見ると、尚更未神の実在性が強まったような気がした。
「なぁ、未神。お前は現実なのか?」
俺の小説から出てきたなんて、そんなのあり得ないのに。そう聞いてしまった。
「現実じゃないとしたらなに?」
「いや……」
「ぼくもこの世界も現実だよ、依途くん。たしかにここにある」
「そうだろうけど……都合が良すぎる」
「都合が悪かったり、優しくなかったり、つまらないものだけが現実じゃない」
未神が立ち上がり俺の胸に手を当ててきた。ほのかな、けれど確かな温もりが伝わってくる。
「大丈夫。ぼくはきみの隣にいる」
何も言えずにいると、そのまま姉が戻って来た。
「み、未神さま! お収めください!」
そう言って両手で差し出したのはハーゲン……高いやつだった。
「こいつにはガリガリくんで十分だろ」
「うるさい、あきらはこっち!」
あの真ん中で割るアイスを突きつけてくる。
「すみません。こんないいもの貰っちゃって……」
ぐいっと姉が未神に顔を寄せた。
「未神ちゃん! あきらがバカなこと言ったりしたらいつでもわたしに言いつけてね!」
「あー、そういえばついさっき……」
とりあえず、あまり連携しないで欲しい。
その後だが、姉貴による未神への質問攻めによって訓練どころでは無くなってしまった。
まあきっとそのうちやるだろう。多分。