義妹 2
人間の集団意識の片隅にある幻生花園には、人々の意識の花が咲く。
人知れず咲き、散っていく花。その花々の物語をオムニバス形式でお届けする短編集「幻生花園」第六話は、「義妹2」です。
スポーツマンでモテ男、学生時代を闊歩してきた暁生が選んだ結婚相手は、体の弱いみゆき。子供もでき順風満帆の人生を送ってきた彼に、腎臓摘出手術という形でやって来た転機。妻は元気になったものの、逆に体の衰えを感じる暁生はこれからの結婚生活に不安を覚える。
会うのもイヤだった義妹へ親しみを感じ始めた男の姿を描いた物語を、お贈りします。
えっ?といった暁生の表情を誤解したらしく、みゆきは言い訳するように、
「ヨコちゃん、先週忙しくって会えなかったの。お願い!」と手を合わせた。
この間のロングウィークエンドは、家族で小旅行に行った。
生ものはよせと言ったのに、半生菓子だから大丈夫とみゆきは、彼女がヨコちゃんと呼ぶ妹、陽子のために一つづつ袋に入ったフルーツケーキを買った。
それを仕事帰りに妹のところに寄って渡してほしい、というのだ。自分は娘を連れて「結婚して地方に住んでいて、何年もあってない高校の友だち」とお出かけだ。
「乗り換え駅だからいいけどさ。話題のレストランでテイクアウト買って、陽子ちゃんと食べる」
と言うと妻は意外そうな顔をした。
それはすぐすまなさそうな顔に変わって、
「一人で食べるって味気ないものね。ゴメンネ。でも今日会う彼女とは本当にずっと会ってないのよ」
「いいよ、別に」
今日会う彼女とは「本当に」ずっと会ってない、という部分はちょっと引っかかったが、暁生はそれには気づかなかったように答えた。
陽子のマンションについた。
いらっしゃいと言ってドアを開けてくれた彼女は、花模様のエプロンドレスを着ていた。
居間のカーテンやクッションは春を意識した色になり、テーブルのプレースマットも葉っぱが花に変わっていく木の模様だ。
コースターは小鳥が寄り添っている絵で、すでにナイフやフォークが並べられている。
肉の焼けるいい匂いがする。
テイクアウトを買って行くよと言ったのだが、先日奢ってくれたから今日は手料理を振る舞う、と言われたのだ。
忘れないうちにと思い、お土産を渡して礼を言った。
「陽子ちゃんのアドバイスのおかげで調子がいい。
ロングウィークエンドは、家族で温泉につかって森林浴やヨガもやった。リラックスしたし、なんとなく体も軽くなった」
会社の、ランチタイム メディテーションにも参加している。今日は陽子の家まで歩いてきた。
いつもは会社に一番近い駅から電車に乗って、陽子のマンションのある駅で乗り換えるのだが、ちょっと長く歩けば乗り換えずにすむのだ。適度な運動になるので丁度いい。
「テニスもしたんだって?お姉ちゃん、喜んでた」
ラケットの握り方もよく知らないみゆきに教えるのは簡単だった。久しぶりに彼女の尊敬の眼差しを浴びて、暁生は大満足だ。
娘の愛にもラケットを持たせて動画や写真を撮った。
みゆきと同じく陽子も料理が上手だった。
きのこのスープも肉に添えたペッパーソースも、市販のものではなく自分で作ったと言う。付け合わせの温野菜は色鮮やかで、別盛りの野菜サラダもエディブルフラワーできれいに飾られていた。
お世辞ではなく、とても美味しいと思った。
メインが終わると、居間の白いソファに移ってデザートを出してくれた。
デカフェコーヒーとミルクのツートンカラーのゼリー。申し訳程度のホイップクリームの上には、スミレの花の砂糖漬け。シロップの入ったガラスのミニピッチャーも可愛い。
お土産のフルーツケーキも勧められたが、暁生はそれは断った。
陽子は自分用にコーヒーゼリーとフルーツケーキ、その横に「残った」ホイップクリームを絞り出して載せた。
彼女がそれを全部、苦もなくたいらげる様を、暁生は感心してみていた。甘いものは別腹とは言うものの、メインよりカロリーが多いのではないかと思ったが、その言葉は飲み込んだ。
「家にあまり帰ってないんだろう?」と言った。
「家って、実家のこと?」
あ、そうか、と暁生は気づいた。陽子が家を出て小さなマンションに移ったのは何ヶ月も前のこと。家というのは彼女にとってはマンションのこの小さな一室のことなのだ。
「みゆきと先日、遊びに行ったんだ。義父さんも義母さんも淋しがってたよ」
「淋しい?どうしてか知ってる?」
「そりゃ、娘がふたりとも家を出れば淋しいからだろう?」
義妹は、くくっという鳩のようないつもの笑いで応えた。
「私はね、中学生の頃から家事の殆どをやってきたの。お姉ちゃんは病気がちで両親は忙しかったから、それが当然というふうだったし私もそう思っていた。家族って助け合うものだって。
でもお母さんが仕事をやめても、お姉ちゃんが嫁いでからも同じだった。お姉ちゃんがたまに帰ってくれば、体が弱いのによく頑張っているね、と上げ膳据え膳」
陽子は暁生をちらりと見て続けた。
「お父さんが引退して、お姉ちゃんが移植手術を受けて元気になってからも同じだった」
みゆきは元気になってから外出が増えていた。
腎臓摘出を受けた自分は体調が悪いのに、と暁生は不満に思っていた。
先日の小旅行では、随分リラックスした気分になったので少し真面目な話をした。
みゆきは、移植を受けた自分が元気になって、腎臓を提供した暁生がだるそうにしているのを見るのが心苦しかったのだと言った。しかし彼女はどうやって夫をいたわっていいのかわからず、逃げていたのだった。
地に落ちた英雄、というところだろうか?幸いその英雄は自ずと力を取り戻し、英雄の座に返り咲いた。
長い人生、この先が不安であるが、仕方ないことと不満まじりの不安を暁生は胸の奥に押し込めていたのだった。体の弱いみゆきを選んだのは自分なのだ。一生守ると誓った。
彼女が元気になったからと言って、じゃあ、今度は君が俺の面倒を見る番だとは、プライドの高い暁生は口にできなかった。
「私が家を出てから、父と母は言い争いばかりしてるんだって。誰が家事や家計のやりくり、庭仕事をするのかって」
「そういえば、みゆきが一人で実家に帰ったとき、ひどく散らかっていて、昼食がインスタントラーメンだったと言っていた」
暁生が一緒に訪ねたときは、外で食事をしたのだと思い出した。お茶を出してくれた居間はきちんと片付いていた。
「知ってるわ。お姉ちゃん、もう帰れないわ、だって。少し手伝うとかいう気持ちもないのよね」
「家ではちゃんとやってるけど、、」
と暁生は妻を弁護する。
「当たり前でしょ。専業主婦なんだもの。今どき専業主婦でそれに満足しているなんて、お姉ちゃんはハッピーな人間よ」
と陽子は言い切った。
「私の両親が、はじめからあんな風だったとは思わない。不満を言わずに耐えた私が悪いのかもしれない。でも、子供には、親や周りの大人に気に入られたい、という本能があるのよ。その本能に逆らうには、かなりの経験と決意が必要なんだわ。普通は追従してしまうものよ。そして大きくなっても、型にはまってそこから逃げられなくなるの。
私の両親は一家のリーダーで、私はフォロワーだった。感謝もされずヌリカベと言われ蔑まされても、ただ盲目的に従うフォロワーだった」
陽子はそこで言葉を切り、暁生をまっすぐ見た。
「でもそのフォロワーは去り、好き勝手に人生を楽しんでいた二人のリーダーは、誰が家事をするのだとケンカばかり。
ソーシャルメディアならともかく、家庭のリーダーはフォロワーに背かれるようなこと、するべきじゃないって覚えておくといい。
リーダーがフォロワーをかえりみなければ、型にはまってしまった四角四面のヌリカベですらゆっくりながらも自分のバカさ加減に気づく。バカさ加減に気がついて、いつか自分の一歩を踏み出す!」
リーダーか、と暁生は考えた。子供の頃からリーダシップを発揮してきた暁生。みゆきには、いつも英雄のように見つめられ嬉しかった。だが、英雄にだって、たまには休養が必要なのだと最近知った。みゆきが娘を面倒見るように、自分にもちょっとは気を配ってほしいと思っていたところだ。
「どうすればいいのかな?陽子ちゃんのほうがよくわかってるみたいだ」
義妹というよりは姉の意見を仰ぐように、暁生は聞いた。
義妹は、またクックと笑った。
「結婚もしていない私が、暁ちゃんにそんなアドバイス、できるわけないじゃない。でも、こういう言葉がある。Grow together or grow apart」
暁生も聞いたことがあった。
人はだれでも変わっていくのだ。
一緒に同じように変わって仲良く暮らすか、別々に変わって身も心も離れ離れになるか。他人ならともかく夫婦や家族だったら、個人尊重などといって変化を放っておくのはただの怠惰だ。成り行きに任せるわけには行かないことなのだ。
「結婚はゴールじゃないって、よく言うわよね。そこからがスタートなんだって。夫婦は一心同体、家族は運命共同体。でも家族だからって以心伝心なわけじゃない。
バツイチ、バツニは箔が付くと思っているなら別だけど、暁ちゃんは離婚は敗北と考えてるみたいだから、ウチの両親みたいなことにならないように、今のうちにちゃんとお姉ちゃんとの協力体制を整えておくのね。彼女は元気になって張り切っているから、今がチャンスよ」
そう言って陽子はガラスのカップに入った青空色のお茶を、乾杯でもするように上にあげてから飲み干した。
今月、「バク 悪食の幻獣」を単発で発表します。R18に投稿する予定ですので、18歳以上の方はぜひお読み下さい。