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幻生花園  作者: 時輪 成
5/7

フラワー


 人類の集団意識の片隅にある幻生花園には、人々の意識の花が咲く。

人知れず咲き、散っていく花。

その花々の物語をオムニバス形式でお届けする短編集「幻生花園」、第五話はアンデルセン童話風にまとめた「フラワー」、舞台は中世のヨーロッパです。



 降り続いた雨がやみ、青空が広がっている。

気持ちの良い朝。

昨日の町の市場は激しい雨の中、人も少なく無駄足に近かった。

女の住む村からの道は泥道に変わり、それでも長靴とカッパで出かけたのは、女の薬草を必要としている人たちがいるからだった。

義務感と誇りに支えられて女は村の片隅で植物を育て、雨の日も風の日も町の市場に出かけ生計を立てていた。 

 彼女の痛み止めや安眠茶は特に評判が高く、遠くの街からも薬草を求めて二頭立ての馬車で乗り付けてくる者すらあった。

そのせいか町医者からは嫌われていて、あの女は魔女だ、というような噂をたてられた。が、恋薬などを所望する人も現れて、商売はそれなりに繁盛していた。


 薬草や山草は山にも取りに行ったが、食草は女が庭で育てていた。

 ここ数日の風雨でダメージを受けた植物もあるかもしれない。それをチェックしようと、まず道に面している柵のそばから始めることにした。

柵と言っても低い木の柵である。ところどころ倒れかけていて直さなくてはならないのだが、なんとなく億劫でそのままになっている。

あってもなくても同じような腰の高さほどのゲートも、それを支える柱が腐っている。

 そのそばに見慣れない草が生えていた。広い葉っぱの、なんの変哲もない草である。ちょっと前に見たときはなかったのに、今はロゼット状に広がる葉っぱの中心にツボミがついている。

どんな花が咲くのだろう、と女はその草を抜くのはやめた。根がゲートの支柱の奥まで潜っているようだ。どうせ支柱は抜いて新しいものにしなくてはならない。その時一緒に抜けばいい、と思った。

 小さな庭とは言っても、丁寧に病気の兆候や害虫を調べながら草花を世話するには、時間がかかる。

昼食も取らずに仕事を終えた時には、日はもう傾いていた。

最後にもう一度ゲートのそばの草を見ると、呆れたことに蕾を付けた茎がすっかり伸びて、もうすぐ花が咲きそうだ。

 まあ、まあ、ずいぶん元気で強い草だこと。

愛おしげに女は草を見た。手のかからない食草は好きだ。

環境に適した植物は病気にもかかりにくく、すくすく育つ。そんな草を食べたほうが、体にもいいだろうと思う。だが実際は、強い草はアクも強く、下ごしらえが必要なものも多いので人々は好まないのだった。

 どんな花が咲くのだろう、食べられるだろうか?

そんな事を考えながら女は家の中に入り、夕食の準備をした。


 翌日、朝起きると女はまずゲートの側の草を見に行った。

期待に漏れず、蕾はもう膨らんでいた。しかし花びらはまだしっかりガクに包まれて色の予想はつかない。

 日が昇れば咲くかもしれない。

どんな色だろう、蕾の形からすると花はデイジー型だろうかなどと想像を膨らませながら女は買い物に出かけた。


 戻ってきた女はガッカリした。花は咲いていなかった。蕾はますます大きくなっていたが、ガクは開かず花の色も見えない。

 花は咲きたいときに咲く。果報は寝て待て、というのだ。

無理やりガクを開いて中を見たい気持ちを抑えて、女は待った。


 しばらく経って、ようやく花は開いた。

デイジー型ではなかった。上を向いていた蕾はいつの間にか下向きになり形も変わり、開いてみればどちらかというとヒメスミレのような形。だがそれよりはずっと大きい。花びらは薄く色は白っぽく、中心は黄色。そして芯の周りはすみれ色の、可憐であるが目立たない花だった。力強く育つ様子から、オレンジや黄色の花が咲くのでは、と思っていた女は少し拍子抜けだ。

 まあ、可愛いかな、、。

食べられるかもしれないが、一つしかない。葉っぱはすでに齧ってみたがともかく苦い。数株あれば葉を集めて茹でてみただろうが、そうするかいもなさそうだった。まあそのうち増えるだろう、と思った。


 不思議なことに、その花はいつまで経っても咲いていた。新しい蕾がつくわけではない、同じ花が開いたり閉じたりしながらいつまでも咲いているのだった。

一ヶ月経っても二ヶ月経っても変わらなかった。もともと白っぽい花は色褪せもせず、かと言って黄ばむわけでもなかった。

 秋が来れば実もつくだろうと思い、雨が降らない時期が続けば水もやった。

だが花は変わらなかった。同じ一つの花が雨にも風にも臆することなく、いつまでも咲いていた。

秋が過ぎて、冬が来ても同じだった。

 その頃になると、さすがに近所の人も気がついた。

はじめは雪の中でも咲いているので気づいたようが、これは何だ、と聞くほどになった。もちろん女には答えられなかった。

雪が溶けて春になっても、花は同じように一つだけで咲き続けた。


 ある日、女は市場で「王妃様の具合が悪くて、王は遠く異国にまで使者を送って医者を探している」と聞いた。

王妃様は妊娠していた。跡継ぎが生まれることが第一、と考えている王族はもちろん、国民も心配している。

だが、日々の生活に大変な村人たちにとっては、王家の話題はただ退屈で時には辛い日常から逃げるための夢想であり、心から同情しているわけではなかった。

「大変」だわ「心配」だわと言っても、自分たちとは全く違い、暖炉にくべる薪を心配することもない生活を送っているお妃様を、自分たちがなぜ心配しなければならないのだ?というのが本音だ。

 召使いたちにかしずかれ、他の者が料理や洗濯をしてくれるのに、子ども一人も産めない女ではどうしようもない。

 美しい異国の娘に恋い焦がれた王が、大枚の結納金を払って迎えた王妃。その美しさに国民も一時は熱狂したが、その王妃の贅沢に税金は重くなるばかりで生活は良くならず、熱狂は嫉妬に変わり嫌悪となった。彼女がただの村娘だったら、見かけばかりで全くどうしようもない嫁だ、と言われるのが関の山の王妃だった。

 ともかく女には何の興味もないこと。

だが災難は向こうからやってくるものなのだ。


 ある日、王命と称して兵隊たちが現れた。

彼らは女に何を言うのでもなく、柵の外の草を根こそぎ引き抜いて去っていった。柵の支柱も拔き、それをもとに戻すこともなく謝りもしなかった。なにしろ「王命」なのだ。名も無い村の女など、人間とすら思わぬようだった。

 草と支柱の残した大きな穴を呆然と見つめる女に近所の人々は、あの草は「不老不死の花」と街まで評判が伝わっていた、と言った。

世話はしたとはいえ柵の外の花、女には文句を言う権利すらないのだ。

女は黙って支柱を埋め直した。新しいものに変える気力もなく、壊れたゲートも紐で縛り付けただけで済ませた。ゲートを出入りするたびに花のあった場所を見やった。

 少し根が残っていて、また芽が出るかもしれない。

だが、それはただの儚い希望、実際は起こりようもない夢想。

 王室付きの医者が花を煎じて王妃に飲ませ、残った株は植えたものの根づきもせず枯れてしまった、と噂に聞いた。

 王妃は元気になり赤ん坊も産まれた。村でもお祝いの行事をした。

だがそんなことは女には何の関係もないことだった。女の暮らしや沈んだ気持ちが、よくなるわけではなかった。

 

 ある時、女は山に山草を採りに行った。かすかな泣き声が聞こえて森の中を探すと、なんと赤ん坊がいた。

 捨て子だろうか?それにしても山奥に捨てるなど、なんと無情なことをする親がいるものだと思って、山草採りのとき使う、掘っ立て小屋につれて帰った。あまり泣くので子守唄を歌ってやると、赤ん坊は静かになった。

 金髪ですみれ色の目をして白い肌、ふくよかな頬はピンク色で見れば見るほど可愛らしい女の子だった。

だが裸で、毛布の切れ端に包まれているだけだった。よほど貧しい親だったのかもしれない。

 町の役場につれて行こう、と思いながら日は経って情も移った。女は娘にフラワーという名をつけた。

 近所の評判になり、またあの花のように誰かに奪われてしまうかもしれない。女はそれを恐れ、山の掘っ立て小屋で彼女を育てることにした。

村に帰っては山羊の乳を求め、また山に帰るのは大変な上に心配でもあった。皆が窓も閉める寒い時期になってから、ようやく村の家に連れてきた。

しかし大変な思いをしたかいあって、赤ん坊はすくすくと育った。


 歩けるようになると家の中に閉じ込めておくわけにもいかず、親戚の娘を預かっている、と近所の人に言い訳した。なるべく山の小屋に連れて行って育てた。

 森の中で娘は「危険」を学んだが、高い木のてっぺんに平気で登るお転婆な子でもあった。

「あれなあに、これなあに」と走り回る好奇心に溢れた活発な仕草は、愛されて育った子どもの自信で一杯だった。

 何でも興味のある年頃になり、家に一人で残されることを嫌がるようになった。町には怖い人がいる、という説明には納得せず、市場を見たいとつきまとい女を困らせた。

連れて行ってくれないなら一人で行く、とまで言われ、女は仕方なく町の市場につれていくことに同意した。


 フラワーの髪を草で染めた。キラキラ光る淡い金色の髪は金茶になったが、それでも美しかった。髪を上げて、茶色の帽子をかぶせて顔が見えないようにした。それでも彼女は可愛かった。女はため息をついた。

 顔に泥をつけようかとフラワーはウキウキと言ったが、どんなにしても娘は可愛い、と女は思った。

仕草が可愛い、笑い声が可愛い。

 大人しく座っているように言いつけて、二人は市場に出かけた。

途中、娘は野原を転げ回り泥や草の実などを体中につけて、これで誰もワタシを見ない、と言った。それがまた愛らしいのだった。


 周りの市場の仲間には、親戚の娘を預かっていると言い訳した。

お昼ご飯を食べ終わる頃になるとフラワーも緊張がとけて、つい笑い声を立てるようになった。女はその度、娘を諌めたが、そのようなことで静まる年頃ではない。膝をついてテーブルの下を歩き回ったりするうちに、茶色の帽子が脱げてしまった。

 金茶の髪、すみれ色の大きな目も、田舎娘とは思えないような白い肌も丸見えだ。女は急いで帽子をかぶせたが、周りの人々は驚いたように見ていた。コソコソ囁く声も聞こえた。だが、女には何も言わなかった。


 数回、フラワーを市場に連れて行った。彼女は市場に慣れ走り回った。女がいくら注意しても、帽子を脱ぐこともしばしばだった。

ある夕方、女がそろそろ店じまいしようかと思う頃、誰かが薬草を積み上げてある女のテーブルの前に立った。

見上げると立派な貴族風の服を着た男がいた。後ろに兵隊を連れている。

 男は何も言わずテーブルの後ろに入り込み、座っていたフラワーの帽子を取った。フラワーは驚いて男を見つめている。

 編んで上に上げた髪をほどくと、金茶の髪は夕日に映えてキラキラ光った。

男は彼女の首を傾げさせ、耳の後ろを見ているようだった。それから兵隊を見て頷くと、兵隊たちもものも言わず女に近づき、彼女の両手を後ろ手に縛った。女には何が起こっているのかかわからなかった。

「お母さん!助けて!」

 フラワーが叫ぶ。男が彼女を両手で抱き上げたのだ。

周りの人々がただ驚いて見ているうちに、女は引きずられて馬に繋いだ檻のようなものに放り込まれ、フラワーは男に抱かれたまま別の立派な馬車に乗せられたのだった。

「お母さん!ごめんなさい、ごめんなさい!」

 と叫ぶフラワーの声が、女の耳の奥にいつまでも残っていた。


 暗い石の牢獄に女は放り込まれた。何の説明もなかったが兵隊や牢番の罵りから、事情がわかってきた。

 産まれて少ししてから、王女は拐われたのだった。

王妃によく似た金髪、すみれ色の目の赤ん坊。その姫の耳の後ろには花びらのようなあざがあり、情報を提供するようにとの仰せが国民にも伝えられていた。

 そういえばそのような話を聞いたような気がしたが、ともかく女はフラワーを育てるのに大変で、王族の事は彼女の記憶には止まらなかったのだ。

フラワーは髪や目だけでなく、顔も王妃にそっくりに育っていたのだった。

 町医者が女は魔女だと証言し、女は自分が死刑になるのだと知った。


 ある日唐突に、女は釈放された。

事情はやはり知らされなかったが、牢番たちの噂話から、フラワーが泣き叫び続け食事もとらずやせ細っていくので、王と王妃は自分たちを父母と呼ぶことと食事をちゃんとするなら女を釈放する、と約束したのだとわかった。

 女はフラワーに別れを言うことも許されず、それどころか国外追放となって身ぐるみ剥がれて国を追い出された。

 隣国に行って森を彷徨っているうちに、炭焼小屋を見つけてそこで暮らしはじめた。山草や木の実で命をつないだ。

なぜ自分がこんな目に合うのかわからなかった。小さなフラワーは自分のことはすぐに忘れてしまうだろう、だが、王の城で彼女はきっと幸せに暮らせるだろう、とそれだけを救いに日々を過ごした。


 山草や薬草を集めて売るほどの量がたまると、それを道端で売った。

そんなある日、女はフラワーの運命を知った。

 せっかく見つかった隣国の姫君は、養母が追放されたと知って何度も城を脱走しようと試みて塔に閉じ込めらた。その塔からツタを伝って逃げようとして、地面に落ちて死んでしまったのだ、と。

 ショックで王妃は死に、王は気が狂ったようになったと聞いたが、女は自業自得だと思った。

 間もなく、女のいた国と今いる国の間で戦争が起こった。

狂気の王は兵力もないのに隣国に攻め入って逆に攻められ、兵隊たちは投降し、王自身は貴族たちの手によって自害を強要され死んだ。

 国は滅びた。国境はもうない。

 

 女はしばらくぶりに自分の元いた家に戻った。もともとボロ家だったが、今は柵は倒れ屋根も落ちていた。隣人はいなくなっていた。戦火がそこまで押し寄せたのだ。

 少しずつ、女は屋根を直し壁を直し、しばらくしてようやく家は住める状態になった。庭も昔の「雑然とした調和」の状態に戻った。隣人たちも戻ってきて、ボロ家だが懐かしい家で女は昔のように暮らした。


 ある日、女が家の扉を開けると、入口の石畳の横にロゼッタ状に広がる大きな葉の草が生えているのに気がついた。

えっ、と思った。まさかあの草ではなかろうか?

 女は花が咲くのを待った。

前と同じにあっという間に蕾を付けた。前と同じに気をもませるほど長く花は開かなかった。

 そして、しばらくしてようやく、前と同じにうつむいた頭をもたげて白い花が咲いた。芯が黄色く、その周りがすみれ色の花が。

 やっぱりお前だったね、女は囁いた。

すると、長い間考えないようにしてきたフラワーのことが心に押し寄せてきて、女の目を濡らした。

「フラワー、フラワー、私はとても淋しいよ」

 女が言うと、

「うん、お母さん。私も淋しかった。恐ろしくて辛かった。お母さんの言いつけを守らなかったバチが当たったと思って辛抱した。でもやっとお家に帰れた」

 女は驚いてあたりを見回した。

フラワーが実は生きていて、家に戻ってきたのかと思ったのだ。

だが周りには誰もいなくて、風が梢を揺らしながら通り過ぎていくだけだった。開いたばかりの花も一緒に揺れている。

まるで何かを催促しているようなその様子に、女は思わず昔、娘に歌ってやった子守唄を口ずさんだ。

すると花はまるでその歌に聞き入っているかのように、今度は満足げに揺れるのであった。



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