押入れの花園
人類の集団意識の片隅にある幻生花園には、人々の意識の花が咲く。
人知れず咲き、散っていく花。その花々の物語をオムニバス形式でお届けする短編集「幻生花園」第四話。現実と狂気の間にある「押入れの花園」です。
女は、安普請の家に一人で住んでいた。
大した家具もなく殺風景な寝室が二つと居間、小さな台所に風呂とトイレがあるだけの家だった。
短大を出たものの就職してすぐ、倒れた母の介護をすることになり、仕事を辞めるハメになった。
体の悪くなった母はわがままになり、感謝の気持ちすら持ち合わせないようだった。感謝どころかバカにされ、この家に住めるだけで幸せと思えと暴言を浴びた。
楽しいことなど何もなかった。
自分の母親でなかったら、さっさと逃げ出しただろう。
だが、どこへ行くあてもなく社会に出た経験も少ない彼女は、耐えることだけを学んだ。
友人たちとは疎遠になり彼らが結婚して子供が出来る頃になると、年賀状のやり取りさえなくなった。
お金もなく、なんとかしなくてはという気持ちから、ネットで株の売買をして大儲けが出来ると言う謳い文句につられて講座などを取ってみた。
短い就職期間に得た、なけなしのお金はそれでほとんどなくなった。
講座は大失敗だった。
その会社は通信講座やチャートなどをネット販売して儲けているのだった。人を雇う必要もないし、自分のようなカモを見つけてネットで教材を配信するだけだから、彼らは大儲けするのだろう。本当に彼らの方法で儲けることができるなら、それを秘密にして稼いだ方が理にかなっているのだと、あとから気づいた。
社会勉強の費用と思っても諦めきれず、無料のアドバイスなどを見ながらコツコツと株取引を続けた。
大した儲けなどはなかったが、配当などを含めると損をすることも少なくなった。
そのお金で、花などを買った。
ガーデニングが女の唯一の趣味となっていたのだ。長い時間、外出ができない彼女にはそのヒマがあったし、適度な運動にもなったからだ。
日当たりの悪い庭に、美しい花々を植えた。
当然、花は長くは保たず、結局、鉢植えにしてそれを日向を追って移動させる方法に落ち着いた。
ネットの園芸サークルでは、ヒマありすぎ等々、事情を知らない人々の批判も浴びたが説明する気はなかった。
言い訳と取られるのが関の山、悪意ある人間を相手にするような心のゆとりはない。
ただの嫉妬と割り切り、ますますたくさんの美しい花の咲く庭の写真を載せた。自分のような立場の者に嫉妬する人がいると思うと、苦い笑いが込み上げた。
それに実は、女自身も時折バカバカしい気がしていたのだ。
だが、薄暗い庭に咲く明るい色の花々は女の心の慰めであった。
コントロールできない現実の中で、庭は唯一自分の思い通りにできる空間であった。育たない花は捨て、新しい花を買えばよかった。
近所の人には褒められ、家につきっきりのような彼女の事情を聞いてくれる人もいて、そんな僅かな世間とのつながりが女には貴重に感じられたのだ。
あの伝染病がやって来た。
国中どころか全世界がヒステリー状態になり、あれもこれも危険だと規制され、人々は家に閉じこもった。経済活動が凍りついた。
それ自体は世界中が女と同じになったようなもので、かえって気が楽になった。
しかし女がコツコツ買っていた株が大暴落し、ショックで何もできぬうちに何ヶ月も過ぎた。
すぐにこの病魔は収まる、と思っていたがとんでもない、ますます酷くなっていった。人の交流どころか、物品の流通も滞るようになったのだ。
女の庭も荒れていった。花を買う金すらなくなった。
心配したらしい近所のおばさんと話をするうちに、彼女が種や挿し芽を分けてくれることになった。
彼女のお陰で、女はガーデニングを続けられた。唯一の心の拠り所が、まだ残っていた。
美しい花が咲いては散り咲いては散り、そして盛りを過ぎると捨てられていった。
株での大損害からネットからも遠ざかり、社会が変わっていくことすら気づかぬ間に、あるいはそれを知ってももう追いついていくこともできないままに、女はその日常の型にはまって月日は流れた。
母の最期を看取ったときには、女自身もおばさん、と呼ばれる歳になっていた。
母の葬式は雨に祟られた。その後も何日も雨が降り続き、女は暇な時間をもて余していた。
花が雨に打たれて、うなだれている。
花びらが長雨で溶けていく。
だが軒下はもういっぱいで、雨よけの覆いをかけるような気力はなかった。
女は花が泣いているような様子に、庭から目を逸らした。
家の中をボンヤリと見る。
そんな女の目に止まったのは、色褪せた壁紙だった。そのみすぼらしさ。おまけに紙の端が剥がれかけている。
女は何を思ったのか、壁紙の端をつまんで烈しく引っ張った。
驚いたことに壁紙の下は白い壁ではなく、赤や黄色、緑といったカラフルな色に覆われているのだった。抽象画のようでもあり、女は一体誰が何を描こうとしたのだろうかと、ぼんやりと考えた。
長いことそれを見ていて、女はようやくそれが何であるか気がついた。
それは色とりどりの、、、カビであった。
女は仰天した。
カビ取りに適したものを探したが何もなく、ともかくなんとかしなくては、とマスクとゴム手袋で武装し、漂白剤で壁を拭き始めた。
しかし擦るにつれてカビは広がっていくばかりか、色が混ざり合って紫やオレンジとも言える色になっていくのであった。
女は意地になってますます強くこすった。力を入れすぎたのか、バリッと音がして壁に大きな穴が空いた。
覗いてみると、それは隣にあるはずの寝室でもトイレでもない、小さな真っ暗な部屋であった。
隠し押し入れであろうか?
と女が懐中電灯で中を照らしてみると、床のあるべきところは一面、大小さまざま、色さまざまのキノコが生え、発光きのこやテングタケまであった。壁にはサルノコシカケなどがくっついている。
ぐわあぁ~!
女はこれは夢に違いない、と思った。
夢の中でまで掃除をするなんて、一体これを夢占いではなんと解読するのだろう、バカバカしい限りだと手袋をとると、なんと手が鮮やかな黄色に染まっているではないか!
手だけではなく腕までが色鮮やかに染まっている。
いや、足も、、、黄色だけではない。それこそオレンジ、緑、青、といった色が、競うように腿に向かって伸びているのである。
女は服を脱いで鏡を見た。
ああっ!
女は声にならない悲鳴を上げた。
女は恐怖に駆られ、雨の降り続く庭に飛び出した。
夢なのだと自分に言い聞かせても、恐怖が先行する。体が震える。自分を抱えた腕の色とりどりなさまに、途方に暮れて空を見上げると、目の中に雨のしずくが入った。
ああ、、。
両手を空に伸ばして雨が体を滴り落ちるままにした。
そうしていると何故か心が落ち着いた。
そうだ、花を咲かせなくちゃ、、。
女は沢山のしょぼくれた花に混ざって、絵の中にいる美しい女性たちのようにポーズをとり、静かに自分の花が咲くのを待った。