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幻生花園  作者: 時輪 成
3/7

義妹

 人間の集団意識の片隅にある幻生花園には、人々の意識の花が咲く。

人知れず咲き、散っていく花。その花々の物語をオムニバス形式でお届けする短編集「幻生花園」第三話は、

 スポーツマンでモテ男、学生時代を堂々と闊歩して順調に社会人になった暁生が選んだ結婚相手は、体の弱いみゆき。子供もできて順風満帆の人生を送ってきた彼に意外な形でやって来た転機を、スケッチ風に描いた「義妹」をお贈りします。



 暁生はいわゆるアルファメールで、高校でも大学でも成績優秀、スポーツ万能のリーダー格であった。

スポーツマンタイプにふさわしい、キリッとした眉、涼しげな目元、小麦色の肌。すらっとした筋肉質で、手足も長かった。

 ガールフレンドにも不自由はしなかったが、モテる分、何年も付き合っているような彼女はいなかった。

就職も順調で第一志望の会社に入社した。

 大学時代からのガールフレンドたちはもちろん、会社でも彼に熱を上げる女性は多く、誰が彼の「生涯のパートナー」に選ばれるのかを競って、バレンタインデーには手作りチョコから高級チョコレートまでよりどりみどりの品揃え。だが、子供の頃からそうだったので、お返しを考えるなどということは念頭にもなかった。


 その彼が選んだのは、みゆきという名の女性で、暁生がスポーツ大会に出場するときは必ずと行っていいほどやって来て応援していた。

 高校の時、下のクラスにいたということだが、暁生は全く覚えていなかった。高校ではバスケットボールチームに所属していたので、決勝戦進出激励会や優勝パーティにも来ていたそうだ。

同じ高校出身と聞いてからは、なんとなく話をするようになった。

社会人になってからは、所属するテニスクラブのトーナメントに出場すると、観客席には彼女がいた。

 彼女は暁生と話すときはいつも頬を染めて、まるで英雄を見るような目で見つめるのだった。

 その理由は~他の人々から聞いたところによると~彼女自身は体が弱くてスポーツを楽しむことができないから、ということらしかった。

 色白でほっそりとしていて、暁生が付き合ってきた級長タイプやスポーツ少女たちとは違って、新鮮に感じられた。

大きな目に筋の通った鼻、ぷくっと膨らみのある唇。美しいというか可愛いというかは人それぞれだろうが、ともかく見目は良かった。

だが、そういった外見よりも何よりも、いつも憧れと尊敬に満ちた目で見つめられることが暁生にとっては快感だった。

大抵の女のコは親しく話をするようになると、そういつまでもうっとりとした目で見てはくれない。イケメンも三日で飽きる、というヤツだ。

 就職してからは特に、自分に与えられた仕事を人並み以上にこなさなくてはという誇りやプレッシャーもあり、柄にもなくめげることも増えた。そんなとき彼女に会って、そんな目線を感じるだけで自信が戻ってきた。


 二人は結婚した。

彼女の両親とは当然、何度か結婚前から会っていたが、妹とは何故か会う機会はなく、結婚式で初めて会った。

 彼女を見て呆気にとられた。

予想とは裏腹、姉とは似ても似つかぬ顔かたち。

 実のところ、ちょっとは期待していたのだ。べつに義理の妹と結婚するわけではないのだから、どういう容姿をしていようと構わないのだが、もし誰かに結婚式の写真を見せて「これ、誰?」と聞かれたとき「俺の義妹」と自慢気に答えられるような女を想像していた。どちらかというと、というかはっきり言って聞かれたくないタイプ。

 スマホに残す写真は、彼女がハッキリ写ってないものを、選ぼう、、。

 顔が特にブサイクとかいうわけでもないが、ともかく地味だった。結婚式で、晴れ着を着ているのに陰気に見えた。その上、義理の両親が「ヌリカベ」と彼女を呼ぶように、首は短く大柄でもないのに肩幅があって、なんとなくのっそりした印象を与える。

 自分の娘をヌリカベと呼ぶはヒドイ、とは思ったが適切でもあった。声も太くボソボソ話すので、とある名の知れた中堅会社で働いていると聞くまでは、頭も良くないのだろうと思いこんでいた。

 結婚後も彼女とは会うことは殆どなかったが、内心、幸いだ、と思っていた。


 みゆきは料理が上手で掃除も丁寧、新婚生活は順調で、不満はなかった。暁生がテニスに行きたい、といえば自分はできなくともお弁当を作って、一緒に出かけてベンチで待っている、というだけで嬉しそうだった。

仕事はアルバイトくらいしかしたことはなかったが、暁生は稼ぎが良かったので彼女が働く必要はなかった。

 しばらくして生まれた娘は可愛く健康で、会社では出世し順風満帆な人生だった。三年目はもちろん、七年目も無事クリアした。自分に、家族に、仕事に、、全てに満足していた。

だが、転機が訪れた。

妻は体に変調をきたし、腎臓移植が必要となった。


                 ***


 みゆきに、娘の愛を連れて高校時代の友だちと食事に行く、遅くなるかもしれない、夕食はどうする?と聞かれたとき、暁生はためらうことなく自分でなにか考えると答えた。それは妻に対する思いやりでもなんでもなく、自分も同僚たちと久しぶりに飲みにでも行こうと考えたからだった。

 腎臓摘出手術を受けてからは飲むと気分が悪くなるような気がして、そういう誘いはいつも断っていた。

 しかし同僚たちはその日に限って残業や用事があり、暁生は仕方なく、弁当でも買って家で食べるかと考えを変えた。

同じ部署の女の子たちが、新しくできた高級中華レストランはテイクアウトもあり、容器もきれいでともかく美味しい、というのだった。

もっとも彼らのお目当ては、その中華屋とは思えないような内装のレストランにカレと行くことで、テイクアウトはその下見、というか味見のためのようだった。


 夕暮れの街を、店を覗きながら歩くのは久しぶりだった。

摘出手術をしてから、なんとなく体調が良くない。手術後の経過は良く、定期検査も正常、何の問題もないはずだった。なのに疲れやすくなった、という感覚から抜け出せない。

はじめは同情してくれた肉親も友人も、そのうち気のせい、と言って話を聞いてくれることすらなくなった。

 妻はすっかり元気になり友人と出かけることも多くなって、家族で外出することは少なくなり、もうすぐ来るロングウィークエンドの計画を立てることすら億劫に感じていた。


 店構えからして中華風ではない。名前もカタカナで、その上にイノベーティブチャイニーズと英語で書いてあるのを見逃せば、フレンチかイタリアンと思うだろう。受付の奥にバーが見える。

夜は予約制なので、早く来ればまずバーで食前酒ということらしい。その奥は見えなかった。

 店には中庭があって、夜はフェアリーライトで飾られる。

「ものすご~く、ロマンチック」なのに席は指定できないのだそうだ。

店に入ってからラッキーなものだけが、中庭席をオファーされる。夏には、ホタルが放されるイベントが予定されているらしい。


 テイクアウトと言っても安くない。容器は噂の通りきれいだった。手提げ袋もその店の名前が入った洒落たものだ。

 暁生は高級ディナーセットを二つ買った。

若い男ならともかく、子供のいる年の自分が一人分だけ買う、というのがなんとも惨めに感じられたからだ。

馬鹿げた見栄と思いながらも店を出て繁華街を歩く。

 あちこちの店を覗いているうちに駅を通り越してしまった。Uターンする代わりに裏道を見てみようと思って角を曲がると、眼の前に石の壁が現れた。擁壁だ。

ナントカ坂という地名だから元々、坂の街なのだ。

見上げれば擁壁の上には低い垣根が左右に続き、こんなところにあるとは思えないような広い敷地なのがわかった。もちろん建物は見えなかったが、垣根から溢れるツツジが、今を盛りと咲いている。

一色ではなく、おなじみの紫はもちろん、ウサギの耳のような白地にピンクの花、そして紅色。かすかな香りがする。なんと見事なのだろう、と見とれていると、

「あら、暁ちゃん、こんなところで何しているの?」

 と声をかけられた。驚いて振り向くと義妹が立っていた。

「あ、陽子ちゃん」

 はっきり言って皮肉な名前だ。陰気な陽子と陰口を叩くものがいるのを暁生は知っている。

だが彼女は陰気ではないのだ。そう見えるだけだ。姿かたちが良かったらおとなしいね、と男どもは好意的に言ったろう。

「陽子ちゃんこそ、どうして」

 と言いかけて思い出した。

みゆきが、妹は実家を出て一人でマンションに移ったと言っていたのを。

1LDKだが賃貸ではなく買った、という。

小さな中古とはいえ、こんな繁華街の近く、女一人で大したものだ。

しかし、暁生は彼女に対して良い感情は持っていなかった。

それは腎臓の適合テストを彼女が受けなかったからだ。

 肉親のほうが、ずっと適合する可能性が高い。

それを姉のためにもしない、というのが酷いことどころが犯罪のように感じられた。

みゆきは、妹は健康診断で異常があるほどではないけど、昔から生気がなくて自分と同じように無理はできないから、と彼女を責めるようなことは一言も言わなかった。それは妻の心根の優しさを表しているのだと暁生は解釈して、義理の妹の健康状態などは考えもしなかった。


 幸いみゆきと暁生とはマッチした。彼女の母親もマッチしたが、歳を考えると結局、夫である彼が摘出手術を受けた。

 愛する妻のため、子どものためというヒロイックな気持ちの上に、スポーツマンでならした自分の強い腎臓で妻はきっと元気になる、という自信もあった。そして一緒にテニスやスキーに行って、より一層充実した生活を楽しむのだという妄想に取り憑かれて、危険性や手術前後の注意事項はうわの空で聞いていた。


 現実は違った。後悔しているわけではない。妻は元気になった。小さな娘を母親のいない子供にしたくない、という一番の危惧は去った。

だが、夢想と現実は違ったのだ。

自分の健康な腎臓は妻を元気にしたが、残された腎臓は自分の片割れが取りさらわれたのを知っているかのように、、、気落ちしているように思えた。

 はっきりテストで異常が証明されれば、妻ももう少し自分をいたわってくれるのではないか?事あるごとに友人たちと出かける生活にそろそろ飽きて、家族団らんを中心に考えてくれていいのではないか?

だからと言って小さい頃からあれはできない、これはできないと我慢し続けてきた妻が人生を楽しむのを止めるのも、自分が惨めになるだけのように思われたのだ。

義妹をさげすむことに救いを求めたのかもしれない。

「見事よね、ここのツツジ。大きな花、、ヒラドツツジかしら」

 そういえばツツジ神社のツツジとは違い、花が大きい。

「ふ~ん、、陽子ちゃんは引っ越したんだってみゆきが言っていた。この近く?」

「まあ、近いといえば近いわ。駅から歩ける距離」

 陽子は相変わらず地味な服装をしていた。

濃い灰色のスーツに白いシャツ。制服と変わらないようなのに私服である、というのが笑える。

だが前よりは顔が明るいし、話し方も変わってボソボソした感じがない。肩までの髪、その髪に隠れて殆ど見えない耳には小さなピアスをしている。芯が淡いサーモン色の白い花。銀色の指輪にも同じ花がインレイで入っていた。七宝焼だろうか?

白と思ったシャツは、白に近いサーモンピンクのストライプだと気がついた。

「お姉ちゃんは、愛ちゃんとお出かけ?」

 暁生はうなづいてテイクアウトの袋を見せた。

「二人分あるんだけど」

 陽子はフフっと笑って、

「暁ちゃんって見栄っ張り。でも、いつも誰かと一緒に食事していると、一人で食べるって嫌なものだというのはわかるわ。私も慣れるのにちょっと、かかったもの。ウチまであと十分位よ」

 と先に立って歩き始めた。

 いつから彼女は自分を暁ちゃんと呼ぶようになったのだろうか?

暁生は覚えていない。会った当初はお義兄さん、と呼ばれたような気がする。自分は嫌そうな顔をしてしまったのではないだろうか?

なんと呼んでも気に入らないだろう、だったら勝手に呼ばせてもらう、と思ったのではないか?

 だが、暁ちゃんというのは自分を可愛いがってくれていた祖母が、彼が大きくなってからもずっと使っていた呼び名だった。

 見知らぬ道を、陽子に従って歩いた。

小さなマンションの前で止まった。古くて小さいからアパートという方が適当かもね、と陽子は言った。

「でも、外装工事をしたばかりだからきれいでしょ」

 カーサ ナントカという名前がついている。駐車場もあるのが贅沢だ。建て替えて大きなビルにすれば、場所がらすごい高値がつくのではないかと暁生は勝手に思った。


 二階の彼女の部屋に入って驚いた。

 木の床に壁は白く家具も全て白だったが、カーテンやクッションはストライプや花柄でどれもうきうきと明るく、彼女の着ている地味でシンプルな服からは想像もつかない。

かといってうるさく飾られているわけではない、適度な華やかさだ。

いずれにしても、味も素っ気もなく、塗り壁などと呼ばれている義妹のイメージからは程遠い。

 リビングにはツーシーターのソファ。大小のクッションがいくつも置いてある。もう一つのソファは、アクセントソファとか呼ばれるデザインの違う一人用。これは白ではなく、生成りに植物図鑑風の草花模様だ。

 キッチンは小さいがオープンプランで狭さは感じられず、白い棚とステンレスの電気器具が、明るい感じをかもし出している。見せる収納式で、キッチン用品はフライパンまで白、木のハンドルが付いていた。

並んでいるカップやソーサーは形も色も違ったが、どれも花模様だ。

無駄なものは何もなく、スッキリ見えた。

 白いブレックファーストテーブルと、これまた白とステンレスのスツールが三つあるが、ダイニングテーブルはなかった。

「LDKといっても狭いし、人がたくさん来るわけじゃないもの」と陽子。

 気分で色を変えるの、と言うキッチンマットは青く、タンポポの綿毛が飛んでいる。コースターはタンポポの花模様、キッチンタオルもタンポポだ。

 花は模様だけではなく、本物の花が小さな鉢にくつも植えられて窓際に並んでいた。

「アフリカンバイオレットと言うのよ」

 陽子は渡されたテイクアウトの袋を覗きながら、花の名前など興味はないだろう、と言った調子でつぶやいた。

ピンクに紫、一重のものやギザギザの花びらのや八重咲き、と種類も豊富だ。 両側には大きなビーカー型の金魚鉢が二つあった。花のように美しい魚が入っているが、一つの容器に一匹だ。どうして一緒にしないのだろうという疑問に答えるように、

「それは闘魚。一緒にしておくとボロボロになるまで戦うっていうから、別にしておくの。スゴイ!フカヒレスープ付きだわ」

 これはディナーセットの話だ。

 陽子はしばらく、そのスープの入れ物を見ていた。

「容器のまま温められるみたい。もったいないから、このままでいいわよね?」

 もったいないというのは、鍋に移して温めて入れ替えると、その分減る、という意味だろうと解釈した。

長方形が三つに仕切られた容器に入っている前菜も、このままの方が良いと言って移し替えなかったが、メインはわざわざ皿を取り出して盛り付けた。その皿は、有名ブランドの金縁に小花模様のボーンチャイナだ。

 「独りだからって、鍋から直接食べるようなめんどくさがり屋にはなりたくないの。そういうのって、簡単になれちゃうから」

 彼女はまず、料理の見た目の美しさに感心していた。それから一つ一つ味わって食べて、色々感想を述べた。

「見かけがきれいなのは多いけど、その分、たいていがっかりしちゃうのよね。ここのは、どれも本当に美味しいわ。店ができたのは知っていたけどテイクアウトも高いとも聞いてたし、入ったことはなかった」と言った。

 ご馳走様、と言った声も顔も本当に満足しているのがわかった。微笑む表情が少しだけみゆきに似ている、とも思った。

前菜を三種選んだので、セットのデザートは小さなクッキーだけだった。陽子は自分が作ったという杏仁豆腐を出してくれた。これには花の形に抜いたりんごが入っていて、暁生は思わず微笑んだ。


 クッキーはリビングで食べよう、と言う。

真新しい白いソファは、座るのがもったいないようだった。

夜だから、と淹れてくれたノンカフェインのハーブティーは、天然とは思えない青い色。レモンをいれるとピンクに変わったが、暁生は断って青いままのお茶を飲んだ。青空を飲み込んでいるような気がした。

「ポケットティッシュが貰えるだって。これが小吉?」

 フォーチュンクッキーの紙を読みながら、暁生は言った。

最近は、ビラしか配らない店が多いから小吉なんだろうか?

「フカヒレディナーを買う人に、れはないわよね。フォーチュンクッキーって、もう少し人生の教訓になりそうなことが書いてあるんじゃないの?」

 一人分づつ包に入ったクッキーは形も色もとりどりに飾られていたが、フォーチュンクッキーは一つだった。

「私のは、電車に乗り遅れない、だって。深い意味でもあるのかしら?」

 甘い物をあまり食べない暁生も、興味本位で食べてみた。甘すぎずスパイシー、たしかに美味しい。一つだけ、と思ったのに他のにも手を伸ばす。

開くと五弁の花の形になる紙の包みも凝っている。

 陽子は壁時計を見て、これは見逃せないといってテレビをつけた。

それはクイズ番組で、有名人やスポーツに関するクイズはさっぱりわからないし興味はない、でもこれは常識と理論で答えがわかるので見ていると言った。

 たしかに常識問題、はじめの方はなぜこれを間違える?というような質問だ。だんだん難しくなって、たまに引っ掛け問題もあり、あの質問の仕方は変だ、紛らわしいと意見する義妹につられて、そこがミソだ、確かにそうだと暁生も意見を述べた。

 最後に一人だけが残った。つまり一人で賞金を全て貰える。

「すでに百万貰えるのに、それを捨ててトップ1%の人だけが答えられる問題にチャレンジする人って、欲深なのかチャレンジすることに意義を見出しているのか、といつも不思議に思うわ」

「う~ん、確かにトップ1%にチャレンジしたい気持ちはわかる。正解なら賞金一千万、加えて自分の能力を証明したいって。でも百万も、はした金じゃない」

「大金よ!ワタシだったら確実な方を選ぶわ」

 彼女の場合はそれ以外考えられない。だが自分はどうだろう?家族連れての海外旅行はめちゃくちゃ魅力的だが、自分を証明したい気持ちはまだ残っている。

「陽子ちゃんは、マンションローンの返済にあてるのかな?」

「半分はね。あとの半分は使うわ。現在と未来のバランスを取ることにしたの。中学の頃から、家のことやらされて遊びにもいけなかった。ずっと家の頭金を作ることだけ考えて働いてきたわ。やっと、今を楽しめるようになったのだもの」

 家のことをやらされた?ふと疑問が湧いたが聞き返しはしなかった。


 帰り際に、これ、あげる、と陽子が引き出しからクリアホルダーを取り出した。誰でも知っているゴッホのひまわりの絵がついている。

「彼はひまわりの絵をたくさん描いたけど、中には枯れたひまわりとかもあるの。これは一番、活力に満ちているわ」

 そして、暁ちゃん、元気なさそうだから、と付け加えた。

 黄色やオレンジのヒマワリが、熱さと激しさに身悶えしているように見える。内なる葛藤が吹き出して来るようだ。それでも咲き続ける力強い花。

「絵画の解釈は十人十色だし、同じ人でも気分によって変わるでしょうね。

でも、気分で色を変えるというのは、逆に言えば色には気分を変える力があるということよ」

「そんなに落ち込んで見えるのか?」

 よりによって陽子にそう言われるのが、なんとも情けない。

「落ち込んでいるというよりは、、不安そう」

 う~ん、、、。自分でもよくわからないのだ。

「腎臓摘出のあと、十分静養しなかったんじゃないの?」

 図星である。

「術後は通常より早く回復した。最近のテストでも異常はなかった」

 痛みも腫れも早くひき、やっぱり自分はスゴイという自信にもつながっていた。無理したつもりはないのだが、、?

「悪いものを取るのは仕方ないけど、もともとあるものを取っちゃうって、体にはとんでもない負担なのよ。最近の研究では、脳にも変化が現れるというから気分にも影響を与えるのでしょう。テストで異常がなければいい、というものじゃないわ。それに筋肉、だいぶおちたんじゃない?」

 これも図星。運動するのが大義になって、今まで気にしたこともなかった腹も出てきた。年相応、もっと出てもいいと同僚にからかわれた。自分でもそうなのだろうか、と思い始めていた。

「筋肉には、体の免疫を高める物質を作る働きがあるともいう。家族で森林浴にでも行ったら?ジョギングはお勧めしないわ。走る前に、歩くことから始めるのね」

 運動していないということを見透かした、あまりに、もっともなお言葉であった。


 暁生は、久しぶりに腹だけでなく心も満たされて陽子のマンションをあとにした。なぜだかわからない。

滅多に会わない義妹と楽しく時を過ごした事自体が画期的なことだったが、それ以上になにかホッとしていた。

体の不調の愚痴をこぼしたわけでもないのに、理解してくれる人がいた、ということに安心したのかもしれない。

 ただの気のせいだ、とあしらわれず、手術を受けて脳にも変化が起こった、気のせいだというならその気を変えなくてはならない、、。

それは今までだったら、自分の中の自分が助言してくれるはずのものだったのではないか?

 二つあるから上げましょう、などという軽い気持ちで手術を受けた訳ではないが、今までの環境から根こそぎ動かされた腎臓と残された腎臓には、人間が意識的には認知しない繋がりがあったのかもしれない。

そのように考えたことはなかった。

 意識しては、5%くらいしか使われていないという人間の脳。偉そうに体の上部に鎮座している。その下で、病気にでもならない限り存在も認められずに懸命に働いている内臓や筋肉を想像して思わず苦笑した。

意識には届かぬ声で、彼らもささやきあっているのだろう。

彼らの不満が潜在意識に広がり、それがわけのわからぬ不安として感じられるのかもしれない。

 ゴメン、俺の腎臓。みゆきに元気になってもらいたくてしたことなんだ。二つあるから、一つは無用だと思ったわけじゃない。

 ふと振り返ると陽子の住むアパートマンションは、わきにある街路灯で照らされているだけで薄暗く見えた。

だが暁生はその中の一室がやけに明るく、まるで花園にいるような雰囲気で満たされているのを知った。

 貰ったクリアホルダーをビジネスバッグに入れず、時折それに目をやりながら駅に向かった。




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