そのモノ、極めて凶暴に憑き
「よっわぁ。めちゃくちゃ雑魚じゃん」
けらけらと笑う少年がいた。
その足元には、満身創痍の異形がいた。
日本有数の繁華街の薄暗い路地裏での一幕。
「歌舞伎町で女食いまくってる妖がいるって聞いて来て見たら、こんな雑魚とか。天下の妖の都も落ちたものだねぇ」
ローファーのつま先でちょいちょち小突きながら、少年はあからさまな嘲笑を自分が嬲った妖怪に向ける。
「ちょうしに、乗るなよ! 餓鬼ぃい!」
しかし伏せていた妖怪は、破裂すように異様に長い腕を伸ばして少年の顔を握りつぶそうとした。
「はあ? 調子に乗ってるの、どっちが?」
少年の顔を潰そうとした腕は、すぐに動きを止めて動かなくなった。
「ぼくの顔見て、逃げなかった、無能の雑魚のくせに。なにがちょーし乗ってるって?」
見えない何かに阻まれた妖怪は、力を込めては押し返され、それでも進もうとしてびくびくと痙攣し始める。
「な、なんだ、くそ、くそ!」
「ばぁか。ざぁこ。ごみ。お前みたいな雑魚妖怪、価値無いんだから、早く死んだら? あ、いいや」
「ぐ、くそ。殺す! 殺す! 殺してやる!」
「あほだなぁ。殺すんじゃないよ」
少年は嘲笑を顔に浮かべたまま、手で複雑な印を組んだ。
「ぼくに、殺されるんだよ」
「ぐ、ぁ。は、ぁ……あ」
じゅうと音を立てて、妖怪の体がみるみる溶けて崩れていく。
「あ、は。きったな。マジきも。これだから妖怪は大っ嫌い」
瞬く間に消滅した妖怪に吐き捨て、少年は踵を返して大通りへ出ていく。
派手なネオンの光が、整い過ぎた少年の顔を照らし出す。
繁華街に場違いな詰襟の学生服。しかしその姿を見てとがめるものはいない。
そこに人込みをかき分けて二メートル近い大男が突っ込んで来る。
「若! また勝手に」
「おっそおい! おそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそい! おっ! そっ! いっ! のーろま! むのー! ポンコツ!」
色白の顔はにっこりと人好きのする笑みを浮かべているが、従僕である大男への非難を浴びせた。
「何のためのボディガードなわけ? 後からついてくるなら、本家で飼ってるチワワのぽちたの方が全然ましなんだけど? ね。そのデカい体ってなんのためにあんの?」
「す、すまん」
「それともあれ? ぼくみたいな超絶天才美少年に跪いて罵られるのが好きなの? 雇用主を歪んだ性癖の対象にしないでもらっていいですかぁ?」
声さえ聞こえなければ、にこにこと楽しそうに語り掛けているように見えなくもないが、その実ただの罵詈雑言を護衛に浴びせかけているだけだった。
「まあ、いいや。美弥子さんの所寄ってから帰ろー」
「若! お待ちを!」
人込みを縫うように、小さな体ですいすいと歩いていく少年。その後を慌てて大男が追っていく。
※※※※※※
全身がひどく痛んだ。
「い、たぁ……」
少年は体を起こそうとして、指先すら動かない事に気付いた。
「どうせ、麻痺使うなら、痛覚にも使えよ、無能」
すぐさま状況を把握した少年は嘆息して、呼吸を整えた。
半身で横たわっているのはわかる。暗くてどこにいるかすら分からない。顔の左半分は床か何かのせいで見えない。
行きつけの店に行き、店主である美弥子と雑談していた。そろそろ補導される時間だからとやんわり店を追い出されて帰路についていた。
それから暗い道を一人で歩いていたら、瘴気を感じ咄嗟に臨戦体制を取ったがすぐに視界が暗転した。
そして目覚めたらここにいた。床に転がされているのだろう。冷たい感触をかすかに感じた。
「これから殺されるのに、ずいぶん余裕じゃの」
「これから殺される? このぼくが? 冗談はおまえの頭の悪さだけにして欲しいね」
まともに動く目だけで回りを見回しても全く見覚えのない部屋。声の主は全く見えない。
おそらくどこかの雑居ビルで、キャバクラかホストのどちらかが入っていたテナントだろうと予想。
「痛みだけはわかるようにしておいた。これから指先から順番に解体していくらかのう。せいぜい可愛らしく鳴いてみせい」
「あは。いかにもばかっぽいセリフじゃん。やれるものならやってみたら?」
先ほどから聞こえるしわがれ声の姿は少年からは見えない。
念のためにこちらから見えないようにしているのはわかる。いかにも長生きしか能がない妖怪のやりようだと嘲笑しようとしたら、衝撃が全身を貫いた。
「ぐっぅ」
「ほれ。先ほどから口だけは達者なようじゃが、指一本、動かせはしまい? ほれ!」
背中から蹴り飛ばされたんだろうと漠然と考えながら、決して呼吸は乱さないように衝撃に堪えた。
もう一度襲った衝撃。床を体が滑っていく。顔が激しく痛むが、それ以上にあばら骨が折れるぼきぼきという音が聞こえた。
「何もできずいたぶられる気分はどうじゃ?」
「は、っ。指先からやるんじゃなかった? ああ、無能でおばかだから、自分が言った事わすれちゃったんだ。言った事覚えられないとかかわいそー」
喋ると猛烈にせき込みたい衝動を感じるが、それをねじ伏せて少年は嘲笑を浮かべた。
「この状況で、よくさえずりおる……」
「うれしいだろう? ぼくみたいな超絶天才美少年の美声に罵られて。ぼくはやさしいから、おまえみたいな罵られるのが大好きな変態ざこにも、ちゃあんと相手してあげるんだ」
そこで急に少年の視界が開けた。
腕を掴まれて持ち上げられた。
目の前に、老人の顔をした鬼がいた。
年老いて腰は曲がり、腹は醜く膨れ上がった姿。しかし額には少年の腕よりも長い曲がりくねった角が生えていた。
嗜虐的な笑みを浮かべて、どこまでが皺なのか分からない目をきゅうを弧を描かく。
「望み通り、指先から順番に痛みつけてやろう。まずは、爪からじゃ」
べり、べりと音が聞こえ、その度視界に何かが落ちていくのが見える。
「っ……。あは、ほんと、おまえら雑魚って無能だよね。どいつもこいつも同じような、ありふれた方法。ぼくなら呪詛で血流逆走させて、生きたまま指先から破裂させるけど。あ、ごめんね。おまえらにそんな高等技術なかったね」
「減らず口めが……ッ」
額に脂汗が浮かぶが、絶対に声は出さない。少年は嘲笑を張り付けたまま、指がつぶれる感覚と痛みを事務仕事のように処理して無視した。
「ここまで顔色ひとつ変えなかったおぬしの傲慢さ、褒めてやってもよい。さて、腕が千切れてもまだその態度を保てるかの? いやはや、楽しみじゃ」
「あは。ばぁか。もー、ラッキータイムは終わりだよ」
「は? ッ!?」
その瞬間、老獪な鬼は少年を手放して驚くべき速度で部屋の隅に跳んだ。
「ほんっとに、無能ばっか! どいつもこいつも。仕事がおっそい!」
「はは、若。せめてその短くて棒切れみたいな足で立てるようになってから言った方がいい」
「ふん。ほら、これでいい?」
少しだけ膝が笑っているが、少年はその場から起き上がり、立ち上がった。
「馬鹿な。術はまだ効いておるはずじゃ」
「あは! お前の術なんてとっくに解けてまーす。ただちょっと毒抜きが面倒だっただけだよ」
「馬鹿な」
顔の前に手を広げて、青紫色になった指を見て軽く嘆息した少年は、部屋の入口に立つ大男に目もくれず語り掛ける。
「おまえが来るのが遅すぎて爪剥がれて指を八本折られた。ほんと、おまえいっつもおそい!」
「若がいたぶられている様が、今の俺の唯一の楽しみなんだ。すまん」
「ほんと、鬼ってどいつもこいつもつも変態しかいないの?」
「お、鬼? 貴様、式神か。陰陽輩に下った恥さらしめが!」
「あは! 恥さらしだってさ。まあ、その通りだけどさ」
「これからくたばる有象無象の負け惜しみだ。好きに言わせておけばいい」
「徐角され、どうせ一割も力がだせぬだろうて! せいz」
熟れたトマトがつぶれるように、老獪な鬼の体がつぶれていた。
「ああ、一割も満たないな。忌まわしい」
「どれだけ落ちぶれても、おまえみたいな無能とは格が違うんだよ。このぼくが使役してあげてるんだからさ」
大男は突き出した拳にさらに力を込める。
まるで握りつぶされているかのような老鬼の首が千切れて落ちた。
「き、きさ、ま。まさか、六手」
「うるさい」
べしゃっと音を立てて、落ちた首もつぶれた。
「へえ、まあ無駄に歳は食ってそうだったし。おまえの事知ってるか。気付くの遅すぎだけど」
「おや、指がつぶれている。どうだ、俺が引き抜いてやろうか。その方が早く生え変わるかもしらん」
「おまえのカエル並みの脳みそじゃ分からないかもしれないけど。ぼくみたいな美しくて複雑で優れた体を持つ高等生物は、一度千切れるとそうそう生えてこないんだよ。君らみたいなトカゲのしっぽみたいな生き物と違ってね」
嘆息して少年は部屋を出るため踵を返す。その後を大男が付いていく。
「やはり今すぐ俺が」
「あは。できる事を言いなよ。ざぁこ。無能。のろま!」
「ぬぅう」
「あはは。ぬううだって。牛みたい。あ、ごめんね。角、ぼくが切っちゃったら子牛かなぁ?」
「貴様ぁッ」
「あははは」