気になる記憶とならない記憶
こんばんは。
忙しさにかまけて、すっかり更新頻度が週一回になりました。
こちらは楽しみながら書いています。
お付き合いくださる方、ありがとうございます。
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シャルル・ド・ゴール空港に到着するまで、橙子は話しかけてこなかった。いつもの彼女であれば、これまでの行動を振り返ると、国際線は酒がタダなので飲んだくれて寝てしまおうという、非常に悪食な態度だったと予測される。
それなのに子供ができたせいだろうか。
橙子は酒をいっさい口にしなかった。
「ソーダ!」
彼女がビールを我慢して、ソーダを頼んだことに、彼女が背負う命の重みを感じていた。
『ーーどうして、飛行機に乗ってまでフランスに?』
金もなく、ヨーロッパ?
未開の地に行こうというのだろう。
「言ったでしょ! サナレス、あなたが行きたいと言った土地だからよ。フランスの首都パリとか、美術館とか、私にはどうでもいい。あなたが行きたいと言ったアンボワーズに行くつもりだし、天才ダビンチが辿った過去を私もこの目で見てみたいの」
フランスに着くと、アジア人以外の人種が多くて、日本人としてさほど大きくはない橙子は、客観的にみてより小さく、頼りなく見えていた。
英語もフランス語も、できないだろーー。
サナレスは頭を抱えた。
ミャンマーから送った荷物でさえ、ちゃんと空港で受け取れるのかどうか、サナレスも不安だった。
乱暴に扱われるスーツケースが、ベルトコンベアーのようなシステムで流れてくるのを凝視しながら、橙子が平静を装っていても緊張しているのが伝わってくる。二心同体だから、伝わらないはずはない。
『身重の体で、パリまで来たとしても、その後どうやってアンボワーズまで行くっての? ーー日本への直通便でているから、もう帰ろう』
サナレスは橙子に提案した。
「はぁ? あなたがそれを言うのは違う。サナレス、あなたが会いたかった人に会いに来たのよ」
『死んでいるよ』
「違う! あなたは時空を超えてこっちに来たでしょ? 時空軸を破壊しておいて、こっちの概念にハマらないでほしいわよ」
橙子の荷物が流れてくるのを待ちながら、自分たちは議論した。
「多分ね。世界を超えるには制限がある。でも、異世界から来たなら、時空を超えられると、私は仮説を立てている」
『どういう自信?』
橙子は屈託なく笑っていた。
「勘。ーー勘でしかない」
けれど橙子は目を輝かせた。
「でも! わかる。私にもサナレスにも、ダビンチに会いに行くことは、何よりも大事なんだ」
天才と言われていたけれど、死んだ男に会いに行くのが、それほど大事だと主張する橙子に対し、サナレスは苦笑しかできなかった。
『交通手段ーー、電車か車しかないけど……』
「免許なんてないし。だから電車でしょ?」
サナレスは承諾した。車を運転するなんて容易いことだが、橙子は国際ライセンスどころか、日本の運転免許証を所持していなかった。
『今日はパリでゆっくり休む。それが地方に向かう条件だ』
あきらめたサナレスは橙子にそう伝えた。
それでも。
もしこの旅で橙子の身体に何かあれば、サナレスは自分を許せないと思っていた。アンボワーズに向かうことを承諾したとしても、橙子は日本に帰った方がいい。子供まで宿した彼女は、日本の故郷に帰るのがいいと思っていた。
この異世界にいられる時間は短い。
それは察している。
「そっか。じゃあ今晩はパリを楽しもう」
屈託なく橙子は言った。
「せっかく首都に来たんだから、観光して楽しもう!」
歌すら歌い出しそうな軽薄さだ。
『宿は?』
「安いの、色々あるみたいよ」
ちょっと調べたのだと橙子が言った。
サナレスは渋面になる。
八人部屋ってな。しかも男女混合、国籍混合の8人部屋って、どうやってセキュリティ面を確保するんだよ。
心の声が聞こえたのか、橙子は答えた。
「だって、持っている所持金も荷物もほとんどないからさ。取られるものないからいい」
サナレスは項垂れた。
君の貞操は誰が守るのだろう……。
それなのに橙子はサナレスの考えに応えるように、ニヤッと唇の端を上げた。怖い。般若の面のような笑みだった。
「私、妊娠してるんでしょ? この状況で襲われてもさ。子供の生産工程が積んでるんで。生殖行為は無効」
『ーー』
言い方に歪んだ知性が使われていて、サナレスは言葉を無くした。100年という経験を積んでいない若かったサナレスなら、爆笑していたところだ。
言い得て妙……。
「ついでに男に、やったら経済的援助要るよって脅せば、私の貞操は安全だと思う。それの英語とフランス語覚えとこか? あ、性病って単語の方が効くかな??」
殺されない限りな。
サナレスは現実的に状況を判断していた。橙子が言うように、人を殺してまでの犯罪はそうはなかったので、無惨に身重の橙子が襲われる可能性は低いと判断できた。
『地方にホテルは少ないよな。首都パリから地方へ電車で行って、そこからホテルまでどう行けばいいのか、今晩私が調べよう』
「よろしく〜!」
橙子はヒラヒラと手を振っている。
こいつーー、年を経るごとに大胆になっているようだった。
パリ市内の治安に悪い区域まで、私たちはメトロに乗った。
橙子は本当に怖くないのだろうか。
サナレスの魂が側にいるとはいえ、わずかな荷物と身重の日本人。客観的に見れば東洋人は小柄で、メトロ内は様々な人種が乗り降りしている。そもそも東洋人の体格は小さい。スリも多い。
そんな圧迫される空間で、橙子はわずかな荷物すら守る意識も見せず、鼻の下までずり下がったサングラスを鼻先で弄びながら、メトロを乗り降りする人を観察しているようだった。
夕方のメトロは混んでいた。サナレスとしては安定期でもない彼女の身体に、無関心な乗客がぶつかってこないかが気掛かりで、これまでの経験やガネーシャから聞いた内容を総括して、この世では御法度だとは思いながらも、橙子の周囲に精霊を呼び出しだ。
不自然じゃない範囲で守るというのは、本当に難しい。
『ホテルは?』
こそっと聞くと、橙子は鼻を鳴らした。
「パリのホテルなんて高価すぎるでしょ」
『安全区域にも宿泊せず、ホテルでもないって?』
「大丈夫。ちゃんとレビュー見て予約はしたよ。コンドミニマムの8人部屋」
ーー橙子!
メトロを降りて地下鉄を乗り換え、橙子は貧しい地区の宿に足を運んだ。
地下鉄を出て、ホテルまで徒歩で向かう間、橙子は物騒で無粋な視線に晒されていた。
そしてついた宿泊先は、案の定酒場だった。
サナレスの経験上、安い宿泊先の入り口は、たいてい食堂兼酒場になっていて、ろくな食事は出てこない。ーーそして泊まるところは、単に寝るスペースだけがあるだけだ。
「こちらの空間でお楽しみくださいね」
「はーい」
チェックインした時に橙子は笑顔で対応したけれど、「酒飲めないでしょうが今……」とサナレスはため息をついていた。
『こんな共同部屋? そんなに安くもないし……』
「これでもまだ安いよ。明日には地方に行くし、寝るだけならいいでしょ?」
サナレスは納得した。
今夜は橙子が眠ったとして、この世界で橙子の身体を自由にできたとしても、一睡もせず護衛だと諦める。
「サナレスってさ、なんでダビンチ好きなの? モナリザとか絵画に興味ある?」
8人部屋の2段ベットに登ってから、橙子に聞かれた。
「モナリザってのは美術館に飾られてるから、それ明日見る?」
特に必要ないと断りたかったけれど、橙子が期待して提案してきたので、サナレスは『そうだな』と答えた。
『それに知りたいんだ。私は彼が生涯を閉じた場所について、どうしてか興味がある』
偽りの神々シリーズ紹介
「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢
「封じられた魂」前・「契約の代償」後
「炎上舞台」
「ラーディオヌの秘宝」
「魔女裁判後の日常」
「異世界の秘めごとは日常から始まりました」
「冥府への道を決意するには、それなりに世間知らずでした」
「異世界で勝ち組になる取説」
シリーズの8作目になります。
異世界転生ストーリー
「オタクの青春は異世界転生」1
「オタク、異世界転生で家を建てるほど下剋上できるのか?(オタクの青春は異世界転生2)」
異世界未来ストーリー
「十G都市」ーレシピが全てー




