枕中記
今、この国は週休2日制で動いている。
だが、これはこの80年ぐらいのことで「サラリーマン」という仕組み自体も新しい。
人は区別がつかなくなった。
仕事、生活、現実、仮想、休日、自分、家族、友達、知人、他人、公人、私人、時間、睡眠、欺瞞、隠蔽、国家、国境、人種、性別、年齢、身長、体重、恋人
本来なら自分を中心として立体的に配置される物事との距離感がわからなくなっているのに、無理矢理線を引いたり、飛び越えたり、無秩序に近い感覚。
秩序と自由。揺れる天秤。
せめて、多少はバランス感覚を磨きたい。
もう一昨日だが、随分と「音」を浴び続けた。
何故か胸騒ぎがしている「外からみれば奇行が目立った作曲家」様が協力された美術展に行ってきた。いいからパズルピースを組み立てろと何かに急かされている。
超指向性のあるスピーカー。各地の音が聞こえるか聞こえないか、そんな音が流れ、また空間を漂う信号など、掴めそうで掴めない問いかけをするアート。
らしいのだが、めちゃくちゃうるさい。
録音された音が「拍子」のような感じで重なり合って空間を漂っている。更に来場者の生音がリズムを狂わせてくる。
空間自体も明滅した文字や記号が流れて脳を刺激してくる。聴覚と視覚が信号という情報で埋め尽くされた空間が形成されている。
ほっとしたのは四隅にスピーカーが一つしかない空間のスピーカーから2mから3m前。
信号が真空になった空間があった。これがソーシャルネットワークを現しているなら、そうなんだろう。非常にうるさいし、神経が削られた。疲れた。
今回の作曲家様はWikipediaの記述だけでも大変尖りすぎた書生のような半世紀を過ごされている。過ごされた時間を外から見れば完全に変人。振り切れ過ぎである。
アルバムから聞き取れた感覚は、精神的潔癖症。アーサー・エディントン様が想起させられた。どうも過去には天体観測してたら横に宇宙人とか、酷いジョークが発生したご様子。何も言えない。
そんな疲れた足で、もう一つの目的地へ。
「ライブハウス」
俺からすると見たこともないし、入ったこともない、どこにあるのかすら知らない場所。
都会の住宅街のビルの地下。
階段降りると入り口横に喫煙所。入る前に煙を浴びる。勘弁してほしい。俺はタバコも酒も炭酸もダメなんだ。
中は薄暗い。背景は月のステージ。大変狭い。
座席はランク別けだけで好きな場所に座っていいらしい。
バーが併設されており、温かいジャスミン茶を頂いて、1番端に座る。不思議過ぎる空間。
寸劇と音楽が組み合わさったライブらしく、よくわからないまま始まった。
会場は全部で50人ぐらい。会話からすると2/3は知り合いなどの様子。とにかく、距離が近い。
音が信号として、物理的に刺激してくる。
だが、物語が降ってこない。前もそう。文章にならない。これだけの人数がいる。少なくとも俺よりは間違いなく、歌は上手いし素晴らしいのに、文章が降りて来ない。描けない。何かが足りない。
日記程度であれば書ける。だが、物語が描けない。さっきの情報で疲れ過ぎたのか。
俺が回らない思考回路に混乱していると、隣の人が急に手を叩いて、身を乗り出した。酔っ払い。
その時、思った。
この時間が、この人にとっての「ハレ」。つまりどこかで止めている自我を解放する時間であり、音楽はそれの導き手なのだと。
「祭囃子」が誘うように、音楽とは「ハレ」の日にあるもので「ケ」の日には「ハレ」を思って、聴くものだったのかもしれない。
アーティスト達は地方に「巡業」する。
そして、録音した音楽を発売する。
さっきの大量の情報で埋め尽くされた空間は「アンチテーゼ」。受け取り手であった俺は完全に麻痺した。
これが「ハレ」と「ケ」か。
人はみたいと思うモノしかみない。
「真実」は「事象」の一面であり、感想でしかない。
叫んだところで、結末は変わらない。
アーティストに向かって手を振っている酔っ払いをぼんやりみていた。




