ISO/IEC Guide 2:2004
きょうばし〜
どうしても会って見たかった方にお会いできた。
LINEで話はしていたけど、お会いしたことがなかったから、会って見たかった。
文字よりも一層、素敵な方だった。
ついでに取材という訳ではないが、知りたい情報について聞いてみたところ、不思議な発言があった。
「表現者になるのは難しい」
彼女は笑顔。何故?今、彼女は俺に対して「表現者」足り得ているのに、何故、その認識となる?
これがたぶん、認識齟齬な気がした。
人が「表現者」足り得るのは、別に「不特定多数」ではなくていい。「表現」して「賛同者」が現れれば「表現者」足り得るとする俺との認識齟齬。
要は「表現者」≒「芸能人」≒「著名人」≒「お金」。だから「不特定多数」≒「知名度」≒「お金」。
パパラッチや追っかけ、炎上マーケティングが絶えないのはこの辺りなんだろう。「無関心」が一番困るのだから。
「関心」を集め過ぎれば「監視」。
今度は「聖人君子」か「極悪非道」か選んで、間違えたら「バッシング」。
「極悪非道」は耳目を集めるためにエスカレートして破滅。「聖人君子」は世論読み間違えたら破滅。
最適解は、自分のやり方を認めてくれるギリギリな人数を見極めて、細々と好きなことをし続ける。
自分の承認欲求に打ち勝ち、さらに周りを納得させ、周りの承認欲求を満足させられる人って現実にいたら自己超越段階の人だろう。
ずっと文字だけとはいえ、やり取りしてきた人でもこんな風に認識齟齬が起きる。
言葉の定義とはかくも難しい。
華やかな街が、街灯を灯し始めた。




