lach kaputt
賞は結果であって、目的ではない。
それすらわからないのが「消費者」。
目の前には「クロワッサン」。
明日のカフェ飯動画に備えて、改めて食べてみる。口に含む前からバターの香りがする、噛むとパサついた小麦粉を焼いたもの。
別に味覚が消えた訳ではない。
書き言葉として何も残らないだけである。
村上春樹様ではないのだ。クロワッサン一つで、あのあまりに特徴的な文章など書けるわけがない。
最近、本屋で短編集をお見かけした。夏には長編が出るとの告知。短編集をチラ見したが文体が戻っておられた。作品から感じられる感覚は初期に近い。
随分と挑発的というか、意欲作である。想定される読者が求めるご自身の言葉をどうやら意識的に変えられたようだ。
賞レースなんて総なめな、それは素晴らしい作家様であるが、オシャレな意識高い系のイメージであり、文章が特徴的すぎて食わず嫌いしている。
・・・毎年、ノーベル賞のシーズンになる度に信者様に祭り上げられて、モノを表現するとは本当に大変、というか、気の毒に見てる。
応援している作家様のご栄達を願ってしまうのはわかるんだが、取り立ててファンでもないのにそれに乗る我々は本当に醜い。
せめて、消費者としてファンになってから期待したいと思うので、買うか迷っている。なんとなく、が働いている。
好きな作家様は明日のカフェ飯動画の方なんだが。何せ世界が明るい。いろいろ浮き沈みはあるけど、なにはともあれ前向きだ。どうせ読むなら洒脱で気だるげな耽美世界より現実的で前向きな・・・?
・・・なんだろう。この感じ。なんか、いろいろと性癖暴露な文章感がする。
まあ、世間的には形容詞たっぷりで情緒的な文章の方が人気なんだろう。意識高い系ローファンタジーだと思えば、人気なのもうなづける。
まあ、大切なことは「結果」と「経緯」。
「努力」した。それは「自分に返ってくる」。
この方だとて、初めからノーベル賞候補として騒がれた訳ではないだろう。
結果だけ追い求めると、成功したとしても次に繋がらない。きちんと経過を考慮しないとPDCAが回らない。とりあえず、明日考えよう。
毎日、少しずつ。久しぶりに食べたクロワッサンは相変わらず、無味無感。まあ、いいや。
今日はさっさと寝よう。
おやすみなさい。
なんだろう、今日は良い夢見れそう。
あなたも、良い夢を。




