宛名のない手紙
自分と向き合う。
自分を精査する。
自分を分解し、再構築する。
言葉にするのは簡単だが、実際に行うのは大変難しい。
ただ、文章というものが「為人」を現すのであれば、文章を書くということは自分と向き合うことなのかもしれない。
文章を書き始めた理由は、思考回路の整理と記録。公表した理由は、たぶん、知ってほしかったから。自分が何故、辞めてしまったのかを。
言えなかった「何か」が偶然、いつか、海岸に辿り着いたメッセージボトルのように、読んでもらえたら、だと思う。
専業作家になりたい、というより、そういう人たちが見てる景色が見てみたい。いろいろな人の手で作品が変わっていく様は、どのような美しさなのか。
誰かの心に響く文章が書きたい。
ライトノベル系の説明書には収益化とかあるけど、そんなに人気作品を書ける気がしない。
収益上がるなら、そろそろ「伊達直人」さんの季節である。全国で多発するランドセルとか入学祝いを置いていく「テロ」に参加しようと思う。毎年恒例な「匿名テロ」。一度は参加したかったが、年度末は忙しくてそれどころじゃないから、気がつくと過ぎてしまい参加出来ていない。
最近は「寄付金」ですら「真っ赤」である。
本当に「いただけない」。よって、参加するなら「無政府主義者」として「タイガーマスク運動」にする。
別に特技がある訳でもない。だから、社会に依存したマジョリティとして「存在」している。
この文章含めて、自分自身に向き合う時間を過ごしているというだけなんだろう。
だから、改めてSNSの鍵を外した。
死んだアカウント。ただ「ある」だけ。
だけど、自分自身。だから「ある」だけ。
マジョリティの構成員。
何一つ、個性がない「俺自身」。
ようやく、何者にもなれない自分を受け入れられる気がしてきた。緩やかに「死んでいく」自分自身を見つめる。
想いのままに書き綴る。
雑多なデータとして、処理される「単なる背景」。だからこそ、俺だけは、自分自身を見つめる。
言葉と向き合う。
言葉を精査する。
言葉を分解し、再構築する。




