矛盾している最初の日
「春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ」
これが即答とは「当意即妙」にも程がある。理解度テストも真っ青。しかも記録に残っている。なかなか酷い。
ニュースには「歌会始の儀」が記載されていた。時間経過が早い。手持ち時間の大切さが感じられる。
というか、この儀式、いつ調べても変わった儀式だと思う。何故、一般国民からの詠進が認められているのか。
だが、アメリカ独立戦争から約20年後には一般国民からの詠進が認められている。その当時の流行りだったのだろうか。識字率と教養レベルから考えるとなかなか無理難題ではないか?
レベル差って考慮しなかった偉大なる言葉を使う先達の願いは叶ったのだろう。今は普通に未成年者の一首も選ばれているのだから。
「御製」が記載されている。
随分と近代的なお言葉。
だが、この短い文章で「現在までの苦しみ」「やりきれなさ」と「ささやかな温かさ」が感じられる。「共通認識された現在時間を現す」お言葉を選ばれている。不思議と浮世離れ感がしない。いや、この考えは不遜だな。
この方がお詠みになった以上、将来において「現在期間」を表す「季語」になるのだろう。
いや、なんというか「お気持ち表明」だけで国論真っ二つ、とか、和歌を御詠みになれば「季語」化するとか、もう何も話せない。
「パートナー」を傷つける発言があったと言っただけで国論を巻き起こす。いや、だいぶ控えめな発言である。当たり前じゃない?普通に、大切な人を傷つけないで、って。
当時ニュースをみていたが、職業選択の自由どころか言論の自由すらない方がこの国にいたのか、と驚いた。丁度、成人になったぐらい。
この国でほぼ誰より偉いのに、何より自由がないとか「国民の自由」とバーター取引は「天の自由」か、と思ったのを覚えている。
大体「税金で食べている」で「言論の自由」が取り上げられるなら国会議員からNPO法人まで全部同じ括りだろ。補助金やインフラまで入れたらほぼ全員が「税金で支えられている」。全員黙るのか。まあ、静かでいいな、それ。
無駄かどうかを決めるのは「現地・現物・現場」で確認が必要だ。「無駄な水を流すのはやめましょう」で、沖縄なら年中、必要な分だけ取り出したら蛇口を閉めるとなるが、北海道では冬場に蛇口を締めても閉ざさない。閉したら配管が凍結して割れる。時と場所により「閉ざしてはならなくなる」。決めつけはよくない。
なんというか「伝統」というより、この国の成り立ちそのものを体現されている方であり「一身専属」。ご存在を否定するのは、下手したら国家の否定となりかねない。
歴代と比較するとごく僅かながら「お気持ち」を発言されることがある。リアルに言いたいことを言えない方に対する意見は好き放題。相手が何も言えないからと「何も思わない訳じゃない」と思うのは、間違いなのだろうか。
ネットで更に確認すると、子どもの頃の「あだ名」について話をされたとある。
あだ名つけてくれるような距離感に友達。いるのか?いや、勇気ありすぎだろ、そのご友人。
時代によっては「国家擬人化」してあだ名つけました、とか取られかねない。ある意味匿名必須である。こうしてお言葉にされた以上、許してくださっているのだろうと推察出来るが。いいご友人なんだろう、きっと。まあ、ネーミングセンスは別として。まあ、優しそうな御姿から連想されたのかもしれない。
少なくとも今年が良い時間であってほしいと思う気持ち自体は、誰も反対しない。俺もそう思う。
とりあえず、こうして「言論の自由」を噛み締めている。さて、真面目に仕事する「義務」を果たそう。つい、サボりたくなる在宅勤務に、改めて向き合った。




