勿忘草
『requiescat in pace』
としか、言えない。
この国は災害がある前提で成り立っているといえ、28年前に起こった阪神・淡路大震災。
横倒しになった高速道路に潰されたバス。
衝撃的な写真だった。
あの日、何していたのか覚えていない。
たぶん、いつも通りに過ごしていた気がする。
第三者が黙祷を捧げたところで、生き残った当事者が会いたい人に、会える訳ではない。
祈りは、どうやっても死者には届かない。
「繰り返さない」
それを誓うか、願うか、祈るしかない。
それは、結局のところ、生きている人に、生きることを諦めないで欲しいと伝える効果しかない。
28年。普通に考えれば、風化されてしまう時間。人は忘れる生き物。だが、自分の知り合いのように「該当時間」で大切な方をなくしてしまった方は、その時間が終わるまで、忘れないだろう。
何が出来たんだろう。28年間に、何が出来たかな。所詮第三者でしかない景色は、時間経過と共に徐々に気にならなくなっているのかな。
なんとなく、この前の「アウティング」を思い出す。不用意に相手を傷つけた言葉を使ってないかな。
気にならなくなったら、なったで「当事者には痛い」言葉を使ってしまう気がする。
名誉毀損には刑事と民事がある。
例え適示した事象が真実だとしても「公共の利益」に適さなければ適用範囲だ。
刑法に問うのは案外厳しい。
情報が事実であること
情報を発信に公益があること
情報が公共的に明らかにされるべきもの
上記条件を満たしたときは、本人がムカついても刑事罰としての名誉毀損「罪」には問えない。
上記を満たさなければ、なんとなく誰か想起させられるような文章だけでも最判昭和28年12月15日刑集7巻12号2436頁から普通に刑事罰が発生する。人物批評であっても最決昭和43年1月18日刑集22巻1号7頁にあるようにダメである。
判例が必ずしも同一になるとは限らないが、最高裁判所の判例は、下位裁判所を縛るし、なかなか引っくり返すのは容易ではない。
呟きなど、本当に「気狂いに刃物」である。
俺の書いた文章など、警察に相談されたら一発で取っ捕まる。よくまあgossipなんざ書けるもんだとある意味尊敬する。
良くも悪くも、相手を尊重していない言葉はダメなんだが、どうしてもコミュニケーションが難しい。
ぼんやり本屋に立ち寄った。なんで本屋ってCDショップと大体、併設か隣接しているんだろう。
目立つ場所にあるセンセーショナルな雑誌はたぶん、28年経っても変わっていない。ただ、体感的に社会の寛容性は下がった気がする。
なんだろうか。上手く言葉にできないが、檻の外側から観ている感じ。スマホの弊害かもしれない。「どっちが檻の中なのか」。
所詮、他人。わかってはいる。でも、明日地震が発生し怪我をしたときに、手を差し出して「もらえなかった」と、全く思わないでいられる自信がない。
醜い自分を理解させられる。
とりあえず、該当地域にふるさと納税でもしようかな。
やれることをやればいい。
分相応ってやつで、できる範囲で。忘れないように。




