わかるということ
なるほど。大変わかりやすい。
「エコー効果」。「「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである」。
上記の効果に、AIの進歩でより興味がありそうな考えを集めていたのか。自分の文章と似たような文章が書いてある気がしていた、のではなく、そういう文章を推薦されていたのか。
・・・怖すぎる。このまま突き進んだら、自分が正しいとして、他者の意見を聞かない人が出来上がる未来が容易に想像がつく。
見えないうちに情報制限がかけられている。
知ったふりをしているだけで、何もわかっていない。
フリだけである。恐ろしい。
人は理解した気になり、理解できないとわかり、理解しようと歩き続け、わからないまま、終わるという文意を遠い昔すぎるぐらいに昔に教授に聞いた。
教授ですら「わからない」のか、と当時、不思議だったのを思い出した。
先生、まだまだ、わからないことしかわかりません。
そう問えば、何かしらは教えてくれるのかもしれない。どこか困った声が聞こえてきそうだ。
しかし、まずは自分なりの答えを見つけないと、相変わらず合わせる顔がない。今もない。いつもない。迷惑しか掛けてない。
真実はあくまで事象の多面的一面であり、得られた情報に偏向がある。この前提を忘れてはならない。
その上で、改めて情報を精査し、考える。どれを選ぶか。
自分勝手になって、誰かを傷つけるのは、もう嫌だ。
わかっていないのに、わかったように振る舞うのは、不誠実で格好悪いから、嫌だ。
受動的にただ誰かに従って惰性で生きるのは、性に合っているが、それはたぶん、つまらないから、嫌だ。
努力は必ず叶う訳じゃない。でも、自分に対して誠実であることぐらいは、せめて自分なりの答えは、見つけたい。そしてあくまでも、それは自分の考えとして分けて、話が出来るようになりたい。確かに話し合えない人はいる。だけど、初めから拒否はしたくない。
AIが選ぶ「自分好みの」世界で、生きていきたくない。そんなのは、つまらない。知らないことを知る楽しみがない。
自分を生きていくのは、こんなに難しい。
知識に果てがない。人生は本当にゲームだ。暇つぶしには、事欠かない。




