安全装置
人が多い。新宿駅。
平日昼間なのに、マスク以外は以前と何ら変わらない。ニュースは疫病の爆発的感染を示しているが、もうみんな嫌になったのだろう。個々の自分勝手な考えの方向性が一致した。
しかし、3年経っても無力なら、刹那的な考えになっても仕方ない。魔法の言葉「もうどうにでもなーれ」。マジョリティがこれだと、マイノリティは厳しいだろう。圧殺されかねない。
いつも疑問なのは、どうやってマジョリティはマジョリティ足り続けるのか。
調べて、納得できる回答が常にマジョリティだとは思わないんだが。単なる景色でありながら、なかなか景色との同化に苦戦する。
そんな電車内。デジタル広告。
どっかの大学は二連覇を逃した、とある。
ニュースを調べると部内選考会にピークをもってくる選手の話があった。まあ、そうだろうな。走れるか、人生掛かっている。
「チームのため」。わかっていても、20歳前後で自分の人生掛けてまで、それが出来るほどの人格形成は厳しいだろう。生徒だって人間だ。先生は大変だな。
「もう入賞で喜べるチームじゃない」。
生徒や先生からしたら、そうかもしれない。だからこそ、周りの人達はそれでも応援していてほしいし、俺はそうありたい。
頑張ったことに賞賛したいし、単なる結果を持って、石を投げたくはない。反省なんぞ、真剣にやっていたら、勝手にするのだ。周りは泣き止んだ時に声を掛けて手を差し出していればいい。それすら、まあ、厳しいんだが。
そう考えると、企業駅伝で過去所属した会社が走っていた。少なくとも一社は、精一杯走ったことに意義を見出して、誰一人責めないだろう。鉄鋼マンは感動屋が多い。
工場が雨漏りしてようが、床はピカピカだし、高価な安全装置を同業他社が費用対効果で買わないのに、下請け分まで全部買っている。
「なくなった命は買えないが、まだある命は買える」当時の部長は言っていた。
所属当時、毎年、他社はこの装置がないことに起因する死亡事故を何件か発生させているが、導入しなかった。死傷者は揃えたように下請け社員。
意識としてわかってはいても、自分ごとにならないと、人はどうしても自分勝手になる。
そんなとき、どうやって他人を考えることができるのだろうか。
停止装置が鳴り響いている駅。止まった電車。




