67.我が家の意見を伝えます
長めです。
空気が固まった。
恐らく、先代国王陛下も第一王子も不満を持とうとも受け入れると思っていたのだろう。
だが事はそう簡単なことではない。
アンリエッタはラシーヌ家としての兄の発言に異を唱えるつもりはない。
むしろ当然だと思う。
ベルジュ伯爵家はアンリエッタを怪我させたことについて何一つ認めていないのだ。
謝罪も賠償も拒否している。
ラシーヌ家はそのままの姿勢を貫くならば司法に訴え出ようかと準備を進めているところだ。
それを娘が王族に嫁ぐからと有耶無耶にされるわけにもいかない。
あの父親のこと、嬉々としてそうしそうだ。
そして自分の言ったことですら都合よく忘れるのだろう。
それはラシーヌ家として許せることではない。
そして臣下としてもそのような家の娘を王族に嫁がせるのを認めるわけにはいかない。
「アンリエッタも同じ意見か?」
先代国王陛下がアンリエッタを見て問う。
アンリエッタは視線を伏せることなく真っ直ぐにその視線を受け止めた。
「はい」
はっきりと肯定する。
第一王子が息を呑んだ音がした。
第一王子にしたら先代国王陛下に異を唱えるなんて有り得ないことなのかもしれない。
だが唯々諾々と従うことが臣下ではない。
家の利害関係なく、必要であれば忠言してこそ真の臣下だ。
先代国王陛下に静かに見据えられる。
それだけで反射的に背筋が伸びた。
それでも視線を伏せることはない。
アンリエッタも兄も真っ直ぐに先代国王陛下を見返す。
先代国王陛下は静かな声で言った。
「……理由があれば聞こう」
兄と視線を交わす。
微かに頷かれたので同じような動作で頷き返す。
ここは兄に任せたほうがいい。
個人としての意見ではなく家としての言葉なのだから。
一令嬢よりは嫡男の言葉のほうが重い。
兄は静かな表情で口を開いた。
「"伯爵令嬢如きが王族の妻の座を狙うなどおこがましい"」
「何?」
「ベルジュ伯爵自身の言葉ですよ。アンリエッタに怪我をさせたことを謝罪に来たのかと思えば、そのようなことを告げて謝罪すら拒否されました」
「……あの男はそのようなことを言ったのか?」
「はい。だから娘の行動は正しいと言っていましたね」
第一王子は驚いている。
知らなかったのだろう。
ベルジュ伯爵令嬢もわざわざそのようなことは話していないのだろう。
それとも、会っていないとか?
アンリエッタを害した後はしばらくその動向に注目が集まっていた。
会うのも難しかったのかもしれない。
まあこれはあくまでもアンリエッタの推測だ。
普通に会っていたが、話していない可能性のほうが高いだろう。
さすがというべきか先代国王陛下は表情を変えなかった。
「……他には何と?」
「そうですね、他にはーー」
曰く、王子殿下ともあろう方が伯爵令嬢ごときに興味があるはずがない。クロード殿下のほうがアンリエッタを口説いているなどという噂を流して自分の価値を高めようとするなど片腹が痛い。
曰く、そもそも伯爵令嬢という身分で王子殿下に色目を使うほうが悪いのでは? 一体どのような教育をしているのか。自分には理解できない。
曰く、そもそもがアンリエッタが身分も弁えずにクロード殿下に付き纏うのが悪いのに、それを諫めたリリアンが罰を受けるのはおかしくないか?
曰く、リリアンがしたことに対して感謝されることはあれど、処分を下される筋合いはない。
曰く、そもそもリリアンは身の程知らずだということを教えたに過ぎない。
曰く、アンリエッタを怪我させた一件はリリアンは何も悪くないと。そもそも伯爵令嬢程度がクロード殿下に付き纏うのが悪いのだから。
等々。
兄は淀みなく告げていく。
アンリエッタは口を挟むことはない。
兄が言ったことはすべて実際に言われたことだ。
先代国王陛下は無表情に聞いており、何か言うことはなかった。
兄が一旦言葉を切った。
「リリアンは、何と……?」
思わずだろう、その隙に第一王子が尋ねてくる。
ベルジュ伯爵令嬢も同じような考えなのかどうか知りたかったのかもしれない。
その顔色は真っ青だ。
兄がアンリエッタに視線を向ける。
ベルジュ伯爵令嬢についてはアンリエッタのほうがしっかりと見ていた。
「青ざめていましたね。それから否定するように首を振ってもいました」
さすがにあれは本心だろうと思う。
神経が図太いとは思うがそこまで性格が悪いわけではないと思う。
ルイたちに言わせれば甘いのだろうが。
「そう、か……」
ほっとしているのだろうか、表情が少し緩んだ。
恋した相手がそのような人物でなくてよかったと思ったのだろうか。
それでも彼女がしたことは事実として変わらないのに。
ベルジュ伯爵令嬢がしたことを知った時も第一王子はアンリエッタを責めるように見ていた。
本当にこの男の恋は愚かしい。
ある意味お似合いの二人かもしれない。
だとしても、彼女が王族の相手に相応しいかといえば否となる。
個人の相性と資質は関係ない。
第一王子が王籍を抜けるのなら問題ないだろうが、この国では王族が王籍を抜けるのは基本的に婿入り嫁入りする時だけだ。
あとは余程のことをして生涯幽閉になった時に剥奪されるくらいだ。
さすがにそれほどのことはしていない。
第一王子がしたことはーーアンリエッタを巻き込んだだけだ。
自分の私利私欲のために。
それに付随して起きたことは、直接的には第一王子は関与していない。
もともとの目的通り、ではあるが。
ベルジュ伯爵令嬢がこのような目に遭わないようにするために盾にされたのだから。
だからと言ってアンリエッタに嫌がらせをしてきた者たちにそうしろと命令したわけではないのだ。
あくまでも彼ら彼女らは自主的に行動したのだ。
第一王子とは全く関係なく。
だから王籍を抜けるほどの失態ではないのだ。
落ち度はあったにしろ。
そういう判断もあったから第一王子は王位継承権を剥奪されることなく三位に落ち着いたのだろう。
第一王子はもう話は終わりだというように思っているようだ。
だが、ここで終わりではない。
兄はまだ話していないことがある。
「ああ、そうそう。このようなことも言っておりましたよ」
兄は静かな声で言って二人の視線を集めた。
一つ呼吸を置いて告げた。
「"そもそも伯爵令嬢風情が王子殿下の寵愛を得ようというのが身の程知らずですよ。まさか妃の座に納まろうなどと浅はかな考えでも持っているのでは? 身の程知らず過ぎて片腹が痛いですよ"とも言っていましたか。もしかしたらベルジュ伯爵家のほうから辞退するかもしれませんね」
よくそのように一字一句きちんと覚えているものだ、とアンリエッタも感心してしまう。
それほどの怒りを覚えたということの証左かもしれない。
アンリエッタは全く傷ついていなかったが、兄は妹が侮辱されたことが許せなかったのかもしれない。
ベルジュ伯爵令嬢が青ざめていたのは父親の暴言のためだけではないはずだ。
父親の言葉が自分への痛烈な批判になっていたからでもあるだろう。
ベルジュ伯爵が全く気づいていなかったことが余計に滑稽に思えた。
兄が静かに先代国王陛下を見据えた。
「その場合はどうなさるのかと、お訊きしても?」
「……修道院行きを勧める」
驚いたように目を見開いた第一王子はしかし何も言わない。
少し前なら声を荒らげていたように思う。
修道院行きは彼女にとっても温情かもしれない。
彼女に来る縁談はまともなものはほぼないだろう。
よいものでも年老いて引退した者の後妻、悪ければ素行に問題のある者の妻、というところか。
この話がいけばもしかしたらベルジュ伯爵は王族からの縁談が来るような娘だと売り込むかもしれない。
当然、そのようなことになる前に王家は対応するだろう。
下手なことをされれば困るのは王家のほうだ。
「そうですか。確かにそのほうがいいでしょう」
淡々と兄は返す。
「しかし、怪我をさせたことに対する話し合いでそのようなことを言うとはな」
先代国王陛下がぽつりと言った。
信じられない、という様子だ。
良識があればそのようなことは言わない。
だが残念ながらベルジュ伯爵はそのようなことを言う人物だった。
息子はまともだったのだが。
ベルジュ家の嫡男からは個人的な謝罪の手紙が届いていた。
真摯な様子で父親と妹のことを詫びていた。
あくまでも家の代表は当主であるベルジュ伯爵なので家としての正式な謝罪とはいかなかったが。
彼が当主であればすんなりと謝罪と賠償が行われただろうに残念だ。
「お疑いでしたら立会人をつけて話し合いをしましたので記録があります。調べていただければ」
「正確に知りたいから後で問い合わせることにしよう」
鵜呑みにせずに確認することは当然のことだ。
だが今この発言が出たということは問い合わせていなかったということだ。
ベルジュ家との確執というべきものなのに。
それとも確認する暇もなく、今日アンリエッタたちが来ることは決まっていたので慌てて来たというのだろうか?
それでもさすがに手落ちのような気がする。
「私も、一緒に確認してもいいですか?」
第一王子が真剣な目で先代国王陛下を見て訊く。
どうでもいいことだが、さすがに第一王子も先代国王陛下相手では一人称は"俺"ではなく"私"になるようだ。
先代国王陛下は第一王子をじっと見た後で頷いた。
「よかろう」
「ありがとうございます」
それからアンリエッタと兄に視線を定める。
「理由は、わかった」
「はい。ベルジュ伯爵は伯爵令嬢が王族に嫁ぐのを認めていません。それを止めるためなら暴力も厭わない思想の持ち主です。そのような家の娘は第二妃とはいえ王子妃として認められません」
兄がきっぱりと告げる。
「そうか」
先代国王陛下は一つ頷いた。
所詮は一伯爵家の意見だ。
どうせ決定は覆らないのだろう。
もう確定事項として伝えられたのだから。
理由も一応聞いたという体裁も取れている。
それならば。
「そもそもベルジュ伯爵令嬢は瑕疵のある令嬢ですが、それはよろしいのでしょうか?」
疑問をそのままぶつけてみる。
ベルジュ伯爵が言ったことはあくまでも側面的なもので、そもそもの話、ベルジュ伯爵令嬢がアンリエッタを害したことが発端だ。
「……三人の王子のうちの王位継承権最下位であるクロードの第二妃であれば辛うじて」
第一妃では駄目だし、彼より上位の継承権を持つ者では駄目だということだ。
そこまでしてベルジュ伯爵令嬢を娶らせたいとなると何か理由があるのかもしれない。
だがここまで明かされないのならアンリエッタたちに明かされることはないのだろう。
先代国王陛下は更なる条件を告げてきた。
「ベルジュ伯爵家を優遇はしない、と言っても駄目か?」
「と言いますと?」
「そのままの意味だ。たとえ縁付いたとしてもそれによる利益はベルジュ家にはもたらさない」
「それでベルジュ伯爵は納得するでしょうか?」
「瑕疵のついた娘を手放せる最後の好機だ。修道院かクロードの結婚の二択しかない」
「……それほど貰い手がないということでしょうか?」
「嫡男が必死で探しているようだがどこにも断られているようだな」
まあ、それはそうだろう。
いつ身内に牙を剥くかわからないのだから。
良識のある貴族ならそんな不良物件を引き受けることはしない。
「ただ、何でもやらせられる駒として狙われている可能性がある」
第一王子の顔から血の気が引く。
だが誰も第一王子の様子を気にかけず無視した。
「そのような話が?」
「ああ。どうやら水面下でいくつかの家が企んでいるような話があるようだな。そんな家に嫁がれて社交界を掻き回されるくらいならクロードに娶らせたほうがマシだ。上にエスト公爵令嬢もいる。今度こそ馬鹿な真似はさせないだろう」
先程のアンリエッタの問いの答えがここでもたらされる。
先日アンリエッタを害した三人は修道院行きが決定していてそういう駒としては使えない。
たとえそうでなかったとしてもあの三人は何でもやる、ということはない気がした。
少々いやかなり考えが足りなそうではあったが。
いや騙されて気づかずにやらされたということはあるかもしれないが。
そういう意味では修道院に行くのは彼女たちにとっては救いかもしれない。
そういうわけで狙われるとしたらベルジュ伯爵令嬢だったわけだ。
あの三人とは違い、ベルジュ伯爵令嬢は明確にアンリエッタを害してきたのだから。
アンリエッタも兄も肯定も否定もしない。
一応は納得できる言い分ではある。
だがそれでベルジュ伯爵が調子に乗りそうなことではあった。
娘がやったことを正当化して終わらせようとするだろう。
「シエンヌ・エスト公爵令嬢を妃にすることは大々的に発表する。だがリリアン・ベルジュ伯爵令嬢については一応告知するだけのこととする」
それは結局はベルジュ伯爵令嬢を利することになるのではないだろうか?
先日アンリエッタを害した三人との処分の差に納得がいかない者もいるだろう。
そんな者たちに嫌がらせをされる可能性は高い。
かといって別に彼女がひどい目に遭えばいいとは思っていない。
まあ、王族の妃に第二妃とはいえ内定している者に身体に直接危害を与える者は、余程の馬鹿か家も我が身も顧みない程の強い憎悪を持つ者くらいしかいないだろう。
「そうですか」
静かな声で兄が言う。
やはりもう内定している以上は覆ることはないのだろう。
理由が理由だ。
それも仕方ないことかもしれない。
これ以上の争いも騒ぎも避けたいのだろう。
一応ラシーヌ家の意見も聞いた体裁は取れている。
どう意見したかなど伝えなければ知りようがない。
これで沈静化させるつもりなのだろう。
それならそちらに関しては我が家ではこれ以上何もできない。
沈黙するしかないだろう。
意見を聞かれただけでも温情かもしれない。
だが、我が家とアンリエッタの体面はまた別の話だ。
兄が淡々と告げる。
「我が家はベルジュ伯爵家とリリアン・ベルジュ伯爵令嬢を訴える準備を進めているところです」
「なっ……」
第一王子が驚いた様子を見せた。
何故驚くのか。
むしろ当然のことだろう。
王族の妃云々はこれには関係なく家の体面がある。
やられただけで引き下がればラシーヌ家が軽んじられることになる。
それは、許せない。
「それを、やめろ、とは言えないか」
本当は止めたいのだろうが、先代国王陛下はその辺りはきちんとわかっているのだろう。
だから苦々しい表情ながら止めようとはしない。
「はい。こちらもアンリエッタに怪我をさせられ、アンリエッタと家を侮辱したことを無条件に許すことはできませんので」
「それは、そうだな」
さすがに訴えられれば、ここぞとばかりにベルジュ伯爵令嬢を第二妃にすることを反対する声を上げる家が出てくるだろう。
淡々と兄は続ける。
「どうしても、とおっしゃるのでしたら愛妾にでもなさればよろしいのでは?」
それくらいならば反対はしない、と兄は言外に告げていた。
それならば利用されることもないだろう。
それに反対する家も第二妃を出すよりは少なくなるだろう。
たとえ我が家に訴えられて瑕疵ができたとしても何の権限もない愛妾ならそれほど問題にならないだろう。
だが先代国王陛下は首を振った。
「愛妾では枷としては足りない。いつでも解消できるからな」
それは第一王子が手放す、ということではない。
ベルジュ伯爵令嬢側からの申し出でも可能ではある。
耐えられなくなるか、何かしら脅されたり、心の隙を突かれて狙っている者に心を奪われて、など十分考えられる。
そう考えると確かに弱い。
「だから、頼む」
先代国王陛下が深く頭を下げる。
アンリエッタも第一王子も息を呑む。
そこまでするとは思っていなかった。
ただ兄だけは静かにその様子を見ていた。
そして兄は静かに顔を上げてもらう。
「……そもそもラシーヌ家の同意など必要ないではありませんか」
兄の言うことももっともだ。
アンリエッタが巻き込まれたとはいえ、ラシーヌ家は一臣下の家に過ぎない。
先代国王陛下は緩く首を振る。
「いや。それでは駄目なんだ。それでは、暗黒時代と同じことになる」
それほどまでに暗黒時代は王家にとっては傷となり、忌避すべき事柄なのだろう。
「そうですか」
兄がちらりと視線をアンリエッタに向ける。
ここまで言われてしまえば兄も頑なに反対はできないのだろう。
先代国王陛下はラシーヌ家を立ててくれたのだ。
意見を聞くだけで無視してもよかったのに。
アンリエッタは全てを兄に託すことにした。
アンリエッタは兄が決めたことに従う。
だから小さく頷いた。
兄も小さく頷き返した。
それから先代国王陛下に視線を向ける。
兄が深く溜め息をついてから告げた。
「ベルジュ伯爵が発言を撤回し、謝罪と賠償をしっかりとしてくれるのであれば、訴えることはせずに静観します」
それが最大限の譲歩だ。
賛成も支持もしない。
だが表だって反対はしない。
先代国王陛下はほっとした表情になった。
「ラシーヌ家の忠信に感謝する」
兄共々静かに頭を下げた。
すぐに上げるように言われる。
その言葉に従って顔を上げた。
「ありがとう」
第一王子からも礼を言われる。
そちらには目を伏せることで返礼とした。
そして改めて先代国王陛下に視線を向けた。
先代国王陛下は一つ頷き、視線を第一王子に向ける。
「クロード、ベルジュ伯爵の説得はお前がするように」
「承知しました」
そう言って第一王子は静かに頭を下げた。
読んでいただき、ありがとうございました。
アンリエッタから見た見解です。
次回は日常回です。
誤字報告をありがとうございます。訂正してあります。




