幕間 第三王子の嘆息
「本当にクロード兄上は何をやっているんだろうね」
苦い表情でリシャールは呟く。
リシャールは長兄がラシーヌ伯爵令嬢に向かうところからしっかりと見ていた。
いつもと様子が違ったのも気になっていた。
それもあって余計に注視したのだと思う。
ラシーヌ伯爵令嬢に気づいた長兄は真っ直ぐに彼女に向かって歩いていった。
その雰囲気がどこか剣呑さを帯びていた。
そんな雰囲気もあって皆自然に道を開けていた。
ラシーヌ伯爵令嬢を前にした長兄の様子もおかしかった。
向けている視線が到底想いを寄せている相手へのものではなかった。
怪我をしているのにヴァーグ侯爵令息に言われるまで礼をさせたままにしていた。
信じられない行動だ。本当に。
怪我人相手に気遣いも配慮もない。
何が目的だったのか?
恥を掻かせるためだったのか。
それとも怪我の悪化を狙っていたのか。
何のために?
これは考えてもわからないことだ。
最近の長兄は何を考えているのかわからない。
一体何がしたいのだろう?
怪我を悪化させたり恥を掻かせたりした後でどのようにするつもりだったのだろう?
まさかそのような事態を引き起こすかもしれなかったことにも気づかない馬鹿だとはさすがに思いたくはない。
それとも、自分に靡かないことに腹を立てて嫌がらせをしたいのだろうか?
思わず溜め息をつきそうになって堪える。
こんな誰に見られているかわからないところで、長兄を見て溜め息をつくのはまずいだろう。
溜め息を堪えているうちに長兄の側近であるヴァーグ侯爵令息に言われて長兄が立ち去っていく。
授業に向かうのだろう。
長兄は最後までリシャールには気づかなかったようだ。
ヴァーグ侯爵令息も多少はマシになったようだ。
以前の彼なら長兄に声をかけることなくラシーヌ伯爵令嬢たちはあのまま礼を執り続けることになっただろう。
そのほうが長兄の思惑通りにはなったかもしれないが、それはあまりにも悪手だろう。
怪我を悪化させるにせよ、恥を掻かせるにせよ、長兄の評判に傷がつくのは免れない。
王位争いから撤退するつもりなのだろうか?
いや、さすがにそれはないか。
そもそもそんなことが許されるはずがない。
王族の男子に生まれた者の責務だ。
長兄もさすがにそれはわかっているだろう。
……わかっていてほしい。
最近の長兄を見ていると不安だ。
溜め息を堪えて長兄の背から視線を逸らすと、シュエットとクロディーヌが少し離れた場所にいるのに気づいた。
リシャールの視線に気づいた二人が流れるようにカーテシーをする。
手本になるほど見事なものだ。
リシャールは二人に近づいて顔を上げるように言う。
「二人とも授業は?」
「ありません」
「ないですね」
「そう、僕もないんだ。クロード兄上について少し話したほうがいいかな?」
シュエットとクロディーヌは揃って優美に微笑む。
「そうですね。是非」
「ああ。お願いしたいですね」
「わかった。ここでは目立つから場所を移そうか」
二人が頷いたので場所を移動することにする。
側近のジルベールが自習室の空き状況を確認してくれてその一室へと移動した。
席を外そうとしたジルベールにその必要はないと告げた。
ジルベールに話を聞かれても構わない。
むしろ彼には把握しておいてもらいたい。
この先何かと動いてもらうことがあるだろう。
二人に視線で尋ねると彼女たちも頷いてくれる。
ジルベールは静かに頷いた。
それから三人を見渡して告げる。
「お茶をもらってきます」
近くに給湯室があり、そこには侍女が待機していて頼めばお茶の支度をしてくれる。
ジルベールが一度部屋を出ていく。
自分がいては話せないことを今のうちにどうぞ、ということなのだろう。
「優秀な側近ですね。うちのとは大違いだ」
クロディーヌの告げる"うちの"というのが誰かわかるが敢えて触れはしない。
兄の側近のことについては口を挟む権利はない。
だから彼のことについては触れない。
「そう言ってもらえると嬉しいね」
「私も誇らしいな」
ジルベールは"西"の者なので褒められたシュエットもどことなく嬉しそうだ。
「うちのもあれくらい気が利くといいのだがな」
クロディーヌが嘆息する。
「ジルベールの爪の垢でも飲ませてみる?」
「それもいいかもしれないな」
シュエットはおやおやという顔だ。
リシャールは何も言わない。
下手に何かを言うわけにはいかないのだ。
長兄の側近に対して不満を持っているあるいは見下しているなどと噂が立つのは困る。
この二人ならやらないとは思うが慎重には慎重を重ねたほうがいい。
だから微笑い合う二人をただ見ていた。
特段ジルベールに聞かせられない話はない。
二人にもないようだ。
だからこんな雑談めいた話に終始する。
扉が叩かれ、短い応答の後、ジルベールがティーワゴンを押した侍女と共に入ってきた。
「お待たせしました」
わざと少し時間をかけたのだろうことは予想がつく。
「大丈夫だよ」
とりあえず許しを与えておく。
ジルベールが無言で頭を下げた。
手早くお茶の支度を調え、それぞれの前に饗した侍女がティーワゴンを押して退室していく。
「ジルベールも座りなよ」
「ありがとうございます」
ジルベールが静かに腰を下ろす。
きちんとジルベールの分もお茶は置かれている。
話の前にまずは喉を潤そうと各々がティーカップを手に取る。
リシャールはちらりとシュエットとクロディーヌを見た。
優雅にお茶を飲む姿ですら隙がない。
僅かに緊張感を孕みながらもそれをおくびにも出さずにリシャールはティーカップを傾けた。
温かいお茶が喉を通っても緊張感は緩むことはなかった。
リシャールがティーカップを置くと、三人もそれぞれ音も立てずに置いた。
自然と視線がリシャールに集まる。
リシャールは全員の顔を見回して口を開く。
「さてそろそろ本題に入ろうか」
すっと全員が姿勢を正した。
「先程のクロード兄上のことを見ていた?」
「はい」
「偶然ですが」
二人の肯定にリシャールは軽く頷く。
それから言った。
「言いたいことがあれば聞くよ」
シュエットとクロディーヌが一瞬視線を交わした。
「ではお言葉に甘えまして」
クロディーヌが口を開く。
リシャールは真剣な顔でクロディーヌを見る。
「リシャール殿下に言うことではないかもしれませんが、クロード殿下の振る舞いは少々品位に欠けているのでは?」
「品位、か」
「ちょうど先日話していたところだったのです。怪我をしている者に何かを仕掛けるというのはあまりにも品位に欠ける行いではないか、と」
「ああ……」
そんな話をしていたなら先程の長兄の行為など品位に欠ける行いと言われて当然だ。
足を痛めているラシーヌ伯爵令嬢に礼を執らせたままにした長兄の姿にリシャールも思わず眉をひそめたのだ。
リシャールだけではない。
あれを見ていた何人もの者が内心で眉をひそめていたことだろう。
それにも恐らく長兄は気づいていなかった。
いやラシーヌ伯爵令嬢しか意識になかったのだろう。
視野が狭すぎる。
以前の長兄ならもっと視野が広かったはずだ。
周囲から自分がどのように見られているか考えていただろう。
それがどうしてこうなったのだろう?
やはり恋は盲目、ということなのだろうか?
だが、長兄がラシーヌ伯爵令嬢に恋しているようにはどうしても見えないのだ。
前に長兄がラシーヌ伯爵令嬢を見ていたのを偶然見た時のことを思い出す。
ラシーヌ伯爵令嬢は"東"の令嬢に絡まれていた。
ラシーヌ伯爵令嬢はうまく撃退していたがそれを長兄は上から見ていた。
普通ならラシーヌ伯爵令嬢が心配になる場面だろう。
長兄のせいで絡まれているのだろうから助けに行こうとしてもおかしくはない。
だがそんな様子は見られなかった。
冷静な目でただ見ているだけだった。
それどころかうっすらと微笑んでさえいた。
とてもではなく心配をしているようには見えなかった。
自分の思惑通りに進んでいて喜んでいるような様子だった。
それは恋慕っている相手に向けるようなものでは決してない。
あれを見てしまえば長兄の行動に裏があるのではと考えてしまう。
そして、今回のことだ。
どう考えてもラシーヌ伯爵令嬢に恋などしていないし、恐らく彼女のことを利用していたのだろう。
「クロード兄上には言っておく」
「お願いします」
「クロード殿下の振る舞いは、少々、目に余りますので」
本当は、少々、ではないのだろう。
ラシーヌ伯爵令嬢は"西"の貴族だ。
彼女への仕打ちにシュエットが腹に据えかねているとしても無理もない。
「それも伝えておくよ」
「ありがとうございます」
果たして長兄にどこまで伝わるだろうか。
できる限り伝わるように告げるしかない。
以前ならこんな心配をすることはなかった。
「本当にクロード兄上はどうしてしまったのかな」
思わずぼやきが漏れた。
本来ならこんなところでぼやくなんてしないほうがいいのだろうことはわかっている。
それでも堪えきれなかった。
「恋とは、人を狂わせるもののようですよ」
「恋、ねぇ」
それにはどうしても懐疑的な目を向けてしまう。
長兄が恋していると言っているラシーヌ伯爵令嬢にはそのような感情は持っていないだろう。
もうそれは半ば確信している。
かといってラシーヌ伯爵令嬢が長兄を恋慕って自主的に何かをやっているようにも見えない。
彼女は長兄を恋慕ってなどいないだろう。
以前に見かけた時の様子やつい先程見かけた時の様子からもそれがわかる。
それなのに長兄に利用されている形になっているのは何故だ?
長兄の口説き文句に対してはきっぱり拒絶しているのに、何回も繰り返されることに抗議している様子はない。
あれだけ迷惑を被っているのなら王家に家から抗議が来てもおかしくはないのに。
王族だから遠慮した?
だが実害が生じている。
何かしらの手を打たないのはおかしい。
だとしたら、何かある。
一体何がーー
「殿下?どうなさいました?」
クロディーヌの声で思考を中断する。
「いや、少し考え事をしていた」
「それはお邪魔して申し訳ありません」
「いや、いいよ。僕のほうこそ無作法だった」
「いえ、大丈夫ですわ」
それに微笑で返した。
彼女たちが浮かべるのも淑女の微笑みだ。
「では我々はそろそろ」
「うん。時間を取らせたね」
「お話しできてよかったですわ」
クロディーヌが立ち上がった。
続けて立ち上がったシュエットがつとリシャールを見た。
「ああ、もう一つだけ、クロード殿下にお伝えいただけますか?」
「聞くよ」
その視線に自然に背筋が伸びる。
「アンリエッタの怪我を悪化させたり、これ以上の怪我をさせるようであればウエスト公爵家として措置を取らせていただきます、と」
これは相当怒っている。
無理もない。
"西"の令嬢が王族にいいように扱われているのだ。
「わかった。伝えておくよ」
「ありがとうございます」
シュエットの淑女の微笑みが深くなる。
これは忘れずにしっかりと伝えないと。
心にしっかりと刻んでおく。
「それでは失礼致します」
優雅にカーテシーをしてシュエットとクロディーヌは部屋を出ていった。
少し待ってからジルベールがリシャールに訊く。
「他の側近たちと共有しておきますか?」
「いや。必要なら僕から伝えるよ」
「承知しました」
共有するならばもう少し確信がほしい。
長兄とラシーヌ伯爵令嬢の間に一体何があるのか。
少し調べてみたほうがよさそうだ。
今回の話し合いの場にいたジルベールに付き合ってもらうことになるだろう。
ジルベールがシュエットとクロディーヌが使った茶器を片し始める。
リシャールは温くなったお茶を飲みながらこれからどう動くか思考を巡らせた。
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