幕間 ヴァーグ侯爵令息の心内(こころうち)とルイの溜め息
体調不良で一週間遅れて申し訳ありませんでした。
今年もよろしくお願いします。
久しぶりに見る彼女の姿に思わず胸が高鳴った。
まさか、こんなところで会えるとは思ってもいなかった。
今日はクロード様に言われて付き添いで観劇に来ていた。
クロード様も別に観劇したいわけではない。
クロード様はここにベルジュ伯爵令嬢と一瞬の邂逅をするために足を運ばれたのだ。
無論チケットはきちんとあり、観劇はなさるつもりではあるが。
先日、いつもの曜日、いつもの時間にクロード様は学院の図書館に足を運ばれた。
視察の帰りに少しだけ時間が取れ、立ち寄ることができたのだ。
そこにベルジュ伯爵令嬢がいた。
本当に偶然だった。
彼女に連絡を取る手段は実質なかった。
だから偶然だとはっきりと言える。
だが二人が言葉を交わすことはない。
アンリエッタを間に挟まなければ二人はただの顔見知りに過ぎないのだ。
二人が棚一つ分空けて並び立つ。
二人が視線を交わしたのは一瞬だった。
ベルジュ伯爵令嬢が図書館ということを考慮して簡略的な礼を取る。
「ああ、俺のことは気にしないで構わない」
「はい」
それがクロード様とベルジュ伯爵令嬢がその日交わした会話の全てだ。
クロード様はベルジュ伯爵令嬢から視線を外し、本棚に向き直る。
そこから一冊本を手に取った。
ぱらぱらと捲り、真ん中ほどのページを開くとおもむろに懐から取り出した封筒を挟んだ。
ぱたんという音が思ったよりも響いた。
クロード様は態とそうしたのだろう。
ベルジュ伯爵令嬢の視線をその本に向けるために。
事実、驚いたようにベルジュ伯爵令嬢の視線がクロード様のほうに向いた。
クロード様の視線が数瞬だけベルジュ伯爵令嬢に向けられた。
それから彼女に題名を見せてから本を元の位置に戻した。
その全ては少し離れた斜め後ろにいたシアンだからこそ見えたもの。
シアンは望まれている言葉を口にする。
「クロード様、そろそろ……」
「ああ」
ベルジュ伯爵令嬢に視線を向けることなくクロード様が踵を返した。
その背に従う。
シアンにはクロード様が本に挟んだ封筒に見覚えがあった。
中には舞台のチケットが入っているはずだ。
そのチケットはシアンがクロード様に頼まれて手配したものだ。
無駄になるかもしれないが、とおっしゃっていたが、どうやら無駄にはならなそうだ。
クロード様の後をついて歩きながらちらりと後ろを見れば、ベルジュ伯爵令嬢はクロード様が本棚に戻した本を手に取っていた。
それだけ確認できれば後はもう前を向き、クロード様についていくだけだった。
そして、その観劇の日が今日、この時間の部のものだった。
正直に言ってしまえば気は重かった。
男二人で観る内容の舞台ではない。
クロード様はほんの少しベルジュ伯爵令嬢の姿が見られればいいと舞台の内容は二の次だった。
何なら彼女が一人で見てもおかしくないものなら何でもいいと仰せだった。
割り当てられている公務の調整の関係もあり、候補となった日時はあまりなかった。
その中でベルジュ伯爵令嬢が一人で観に行っても不自然でないものを選んだらこの回の公演だったのだ。
どうせ観るのならクロード様とではなくアンリエッタとが良かったと密かに思っていた。
それがまさかアンリエッタもこの劇を観に来ているとは。
学院がもうじき始まるので王都に戻ってきていること自体は不思議ではない。
だがここで会えるとは思っていなかった。
シアンには誰も何も尋ねる前に席順が決まっていく。
訊くまでもなくクロード様の隣と決まっているのだろう。
それは仕方ない。
シアンの希望など通るはずもない。いや、口にすることさえできない。
ーーアンリエッタの隣がいいだなんて。
ボワ辺境伯子息に促されてクロード様の隣の椅子に座る。
内心で気落ちしながら顔を上げて気づく。
この席も悪くない。
こっそりと気づかれないように彼女を盗み見る。
舞台に夢中になっている彼女はシアンが見ていることにも気づかない。
舞台を観ているふりをして彼女を見ていても誰にも気づかれない。
正直、劇の内容には興味がない。
舞台終了後に誰もシアンに話を振ってこないこともわかっていた。
だから別に観ていなくても誰にも知られることはない。
ただ、あまり見ているとアンリエッタ自身が気づくかもしれない。
だからほどほどにしようとは思う。
だがどうしても無意識に視線は惹きつけられる。
意識的に何とか視線を外しても、気づけば彼女を見つめてしまっている。
何とも贅沢で悩ましい感情だ。
こんな機会が巡ってくるとは思っていなかった。
クロード様にそっと感謝する。
*
時折姉上に向けられるヴァーグ侯爵令息の視線が鬱陶しい。
姉上はあの男にベタ惚れしているから他の男なんかの熱のこもった視線には気づかない。
最初から希望なんてないのに、期待させるだけなのは残酷だろうとは思うが、選んだのはヴァーグ侯爵家だ。
うちが固辞したのを強引に取りつけたのは向こうだ。
うちから強制したわけではない。
だからどうなろうと自業自得だ。
最初からごり押しなどしなければよかったのに、と思うだけだ。
それにしても。
振り返りはせずに意識を第一王子たちに向けた。
まさかこんなところで第一王子一行に会うだなんて考えていなかった。
まさかとは思うが、第二王女の差し金ではないだろうか、とちらりと疑いが脳裏をかすめた。
姉上の友人を疑いたくはない。
でも何とも向こうに都合よく鉢合わせしたのでどうしても疑いは抱いてしまう。
さすがに口には出さないけど。
第一王子もベルジュ伯爵令嬢もお互いしか見えていないからヴァーグ侯爵令息のことは見ていない。
だからヴァーグ侯爵令息が姉上をじっと見ていたことに気づいた様子はなかった。
しかし何とも迂闊な。
誰に勘づかれるともわからないのに。
主と側近というのは似るのかな?
第一王子とベルジュ伯爵令嬢もミシュリーヌやロジェがいるのに何の躊躇いもなく隣同士に座ったし。
こんな迂闊な者たちばかりで姉上の苦労が忍ばれる。
これ以上姉上に苦労をかけないでもらいたいよ、まったく。
だから皮肉も込めて
「まあ、王族の方と同席して観劇する機会なんてそうあるものじゃないから浮かれる気持ちもわかるけどね?」
と告げてみた。
残念ながら彼らに皮肉は通じなかったようだ。
それどころか第一王子は感謝するような眼差しを一瞬向けてきた。
別に第一王子の失態をフォローするためのものではなかったのに、何ともおめでたい頭をしている。
姉上のことは無理矢理協力者に仕立て上げたが、姉上以外は協力する義理はないのだ。
それに気づいていなさそうなのが何とも頭が痛い。
簡単に人を信用して大丈夫なのかを一度きちんと考えたほうがいい。
そういうところも本当は側近であるヴァーグ侯爵令息が動かなければならないところだが気づいていなそうだ。
この主従は本当に大丈夫だろうか?
ルイが心配することではないが。
姉上に迷惑さえかからなければ。
いや、国として問題があれば困るが。
さすがにそこまで行くまでに周囲が手を打つだろう。
そこまで王家も甘くない、と思う。
第一王子が姉上を横にと言う前に、姉上とミシュリーヌに前の席を勧めた。
第一王子は気にした様子はなかったから気を回し過ぎたようだ。
ただ姉上たちにどうせなら前列で見てもらいたいのは本音だった。
そのほうが余計なものを視界に入れずに楽しめると思ったから。
せっかく来たのだから楽しんでもらいたい。
第一王子一行に会ったのは想定外だったが元々二人とも楽しみにしていたのだ。
その予定までも崩されたくはない。
これ以上余計なことで煩わせたくない。
ロジェのお陰でヴァーグ侯爵令息が姉上の隣に座るのも阻止することもできた。
隣に座られれば姉上も気になるだろう。
まあさすがにヴァーグ侯爵令息だって姉上の隣に座れるとは思っていなかっただろうけど。
億分の一の可能性も潰してくれてよかった。
もともと姉上の隣を譲る気はなかった。
ただ、ヴァーグ侯爵令息の席からは姉上が見放題だ。
あの男ならこの席位置を利用して大いに牽制するだろう。その資格もある。
だけど弟であるルイがやったところで効果は薄い。
そのことが正直言えば悔しい。
だけど終わった後には話しかける隙など与えない。
さすがに迂闊なことはしないと思うが、つい感想を話しかけた、くらいは不自然ではない。
そんなことすらさせたくはないのだ。
これ以上姉上を煩わせないでほしい。
ヴァーグ侯爵令息の気持ちなど姉上には邪魔なだけだ。
ちらりと姉上を見る。
姉上はさっさと意識を切り替えていた。
さすがだ。
それにしても。
ルイの頬が緩む。
劇に夢中になっている姉上は可愛い。いつも凛としているのにこういう時は可愛い人なのだ。
ミシュリーヌの隣で兄もきっと婚約者のことを同じように思っている。
第一王子もベルジュ伯爵令嬢もヴァーグ侯爵令息も、兄を見習ってせめて表に出さないようにする努力くらいしてもらいたいものだ。
読んでいただき、ありがとうございました。




