48.思いがけず第一王子一行に会いました。
明後日には学院が始まる。
そんな日の午後、アンリエッタは観劇のために劇場に足を運んでいた。
同行者は兄とルイ、ミシュリーヌ、それにロジェだ。
夏休み前によく昼食を食べていた顔触れである。
これなら変な噂を立てられることもないだろうとの判断だ。
ミネット様からいただいたチケットは六人用の個室のものだ。一枚のチケットで六人まで入れる。
最初は家族とロジェで、とも思ったのだが、両親がミシュリーヌを誘って行きなさいと言ったのだ。
本当はミシュリーヌを誘いたかったのを見透かされたのだろう。
ミシュリーヌに連絡したら快諾してくれたので今共にある。
ちなみにロジェはミネット様のところから帰ったら屋敷にいたので家族とともに話を聞いていたのだ。
その場で護衛を兼ねて一緒に行くと力強く主張された。
アンリエッタに否やはなく、兄もルイも反対しなかった。
というわけで今日は五人で観劇に来ているのだ。
人気の演目なのか劇場のロビーにはそれなりの人がいた。
国立のこの劇場はそれぞれのプライバシーに配慮して全て個室であり、チケットの確認が済んだ順に順次案内されていく。
ロビーは案内される前の待機場所なのだ。
ここでは基本的に社交はしない。
人気のない演目などすぐに個室に案内されるのでロビーが閑散としているのだ。
今日は案内されるのは少し時間がかかりそうだ。
雑談をしながら案内されるのを待っていると、
「アンリエッタ様」
不意に名前を呼ばれた。
振り向いたそこにいたのはベルジュ伯爵令嬢だ。
「あら、いらしていたのですね」
周りを見ても連れらしい人がいない。
一人で来たのだろうか?
「はい。あの、ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
何故そうなるのかしら。
「貴女にも同行者がいるでしょう。その方に確認も取らずにそんなことを言うなんて配慮に欠けるのではなくて?」
アンリエッタが何か言う前にミシュリーヌが冷ややかに言う。
「……私は一人で来たので問題ありません」
「まさかチケットを持ってないとか言わないでよね」
すかさず辛辣な言葉を投げたのはルイだ。
「……持っています」
「だったら一人で見なよ。席が空くのは劇場側からしても迷惑だよ」
ルイはにべもない。
確かに空席があると気になるだろう。
反論できないのか、ベルジュ伯爵令嬢は小さく唇を噛んで黙り込んだ。
アンリエッタにも彼女を助けるつもりはなかった。
今回は昼食の時のようにちゃっかりと同席するなどということはできない。
ミシュリーヌたちと目配せしてベルジュ伯爵令嬢から離れようとした。
その時。
「アンリエッタ!」
響いた声に心の中でこっそりと溜め息を吐く。
せめてもう少し声を落としてもらいたい。
周りの視線を一手に集めてしまった。
ここは学院ではないので、訪れている年代層は様々だ。
学院に通っている子息令嬢からの話についてそれ以外の面々が直接目にしたことになる。
本当にこの先どうするつもりなのだろう?
あまりに軽率ではないだろうか?
もう一度心の中で溜め息をついて近くに寄ってきた第一王子とヴァーグ侯爵令息を迎える。
皆で礼を取ろうとするのを第一王子が片手で制す。
「このような場だ。楽にしていい」
「ありがとうございます」
声をかけられたのはアンリエッタだ。
だから、代表してやりとりするのもアンリエッタになる。
「それから婚約者のいる身ですので名前で呼ぶのはおやめください」
ここできちんと主張しておかなければ。
アンリエッタがきちんと一定の距離を取ろうとしているのは示しておく必要がある。
「ああ、すまない」
全然気にしていないような様子にアンリエッタは心の中で溜め息をついた。
それから話の穂を継ぐ。
「殿下もいらしていたのですね」
「ああ。アンリエッタもとは嬉しい偶然だ」
ベルジュ伯爵令嬢がいることもよね。
アンリエッタがいて嬉しいというのは堂々とベルジュ伯爵令嬢に声をかけられるからだろう。
「元気にしていたか?」
「お陰様で恙無く過ごしてございます」
「それはよかった」
第一王子が軽く微笑う。
「殿下はどうしてこちらに? ご公務ですか?」
今日の演目は男二人で見るようなものではない。
ミネット様からいただいた時はどのような演目かはわからなかったが母やミシュリーヌは知っていたので教えてもらったのだ。
だから公務かと聞いた。
ああ、でも、とほんの一瞬だけベルジュ伯爵令嬢を見た。
彼女に会うために足を運んだという可能性はある。
どう連絡を取っているかは知らないが、その手段を確保してあるのかもしれない。
「いや。公務続きだったから息抜きに来たのだ」
息抜きでこの演目を?
やはりベルジュ伯爵令嬢に会うのが本命だろう。
だがアンリエッタは余計なことは言わずに「そうでしたか」とだけ告げる。
第一王子が目線で人数を確認したようだった。
「六人か。なら一緒にどうだろうか?」
勘弁してほしい。
しかもさりげなくベルジュ伯爵令嬢も人数に入れられている。
正直に言えば断りたい。不敬になるだろうか?
ちらりと兄たちを窺うと全員が全員とも断りたいという顔だ。
それを周囲にわからないように取り繕ってはいる。
アンリエッタは長い付き合いでわかるだけだ。
ベルジュ伯爵令嬢はそわりとしている。
彼女としては一緒に観劇できる好機だろう。
だがアンリエッタにはそれを叶えてやる義理はない。
そこまでの協力は約束しなかった。
うまく断れるだろうかと考えを巡らせる前に第一王子が言葉を継いだ。
「男二人であの個室は広いと思っていたのだ。一緒に観てくれれば助かるのだが」
先手を打たれてしまった。
だったら最初から少人数用の個室を押さえればいいのに。
……王族ともなるとそうもいかないか。
これではよほどのことでなければ断りにくい。
内心で渋面を作ってしまう。勿論表には出さない。
兄たちを見れば微かに頷かれる。
兄たちの内心も同じようなものだろう。
「光栄ですわ」
第一王子が、ついでにベルジュ伯爵令嬢も嬉しそうに微笑う。
「そうか。嬉しい」
アンリエッタは静かに微笑むに留める。
そこへ静かに劇場の従業員が近づいてきた。
「クロード殿下、お待たせ致しました。ご案内致します」
運がいいのか悪いのか案内の順番が回ってきたようだ。
「ああ、彼女たちも一緒に」
「かしこまりました。お嬢様方、チケットのほうをお預かり致します」
「はい」
ベルジュ伯爵令嬢がチケットを彼に渡す。
アンリエッタもチケットを取り出した。
そのチケットも受け取った彼が席を確認して頷くと上着の内ポケットに仕舞った。
「ではご案内致します」
「ああ」
第一王子が歩き出し、ヴァーグ侯爵令息が続く。
アンリエッタたちは目線でベルジュ伯爵令嬢に譲る。
ベルジュ伯爵令嬢が続いた後を少し離れてアンリエッタたちもついていく。
周りの視線を感じる。
ベルジュ伯爵令嬢との観劇と周りの注意をアンリエッタに向けること。
第一王子はその両方をうまく成立させた。
まんまと利用された形だ。
心の中でこっそりと溜め息をついた。
案内されたのは八人用の個室だ。
だがさすが王族の使う席だ。中はゆったりとしている。
……ここに男二人というのもどうかと思うのだが。
椅子は前後二列に四脚ずつ、互い違いに並んでいて後ろの席でもちゃんと見えるようになっている。
これは大人数用の仕様で少人数用の個室ではここまで席は離れていない。
案内人が恭しく頭を下げて扉を閉めた。
個室に入ってしまえば中は見えない。
普通の劇場ならば下から見れば個室の中が見えることもあるが、ここでは無理だ。
全席個室であり、他の席から中が見えないように配慮された作りとなっている。
第一王子とベルジュ伯爵令嬢は奥側にある椅子に並んで座った。
ミシュリーヌやロジェもいるのだがいいのだろうか?
少々、考えの足りない行動に冷ややかな視線を向けてしまうのは仕方ないだろう。
「まあ、王族の方と同席して観劇する機会なんてそうあるものじゃないから浮かれる気持ちもわかるけどね?」
ルイの言葉にはっと我に返ったようだ。
はしゃぎ過ぎだろう。
「も、申し訳ありません。舞い上がってしまって、つい」
「いや、私もあまり考えていなかった」
第一王子が助かったというように一瞬ルイに視線を向ける。
ルイの発言は二人を助けるためではなく、ミシュリーヌやロジェが二人の関係を知っていることを隠すためのものだ。
「まあいいんじゃない。こんな機会は滅多にないもんね」
「そうですね。あの、殿下、構いませんか?」
「あ、ああ。構わない」
「ありがとうございます」
ベルジュ伯爵令嬢がはにかんだように微笑う。
第一王子も同じように微笑い返している。
本当に考えが足りない。
第一王子がアンリエッタは隣に、と言い出す前にルイが言ってくれる。
「姉上とミシュリーはせっかくだから前のほうで観るといいよ」
「ええ。ありがとう」
アンリエッタはミシュリーヌと前列の中央の席に並んで座る。ミシュリーヌが奥側だ。
特に何の反応も示さなかったのでそこまで考えが及んでいないようだ。
隣にと言われるのは正直に言ってごめんなので今回ばかりはその足りなさが逆に有り難い。
ロジェが口を開く。
「ベルジュ伯爵令嬢が奥に座るならエドとルイも前に座るといい。俺は後ろでいいから」
第一王子の隣はもうヴァーグ侯爵令息で決まりだろう。
残り一席は入り口に一番近い席となる。
護衛をするなら一番守りやすい席なのだろう。
この中では間違いなくロジェが一番腕が立つ。
第一王子がいる以上、ロジェが護衛の役割を果たさなくてはならないだろう。
それぞれの連れてきた護衛は基本的に個室までは入れない。
とはいえ、王族なのだから護衛を入れても問題はないはずだが。
「じゃあ遠慮なく」
さっさとルイがアンリエッタの隣に座る。
苦笑した体で兄がミシュリーヌの隣に座る。
「ミシュリー、隣に失礼するよ」
兄が幼馴染みの距離感を保っている。愛称も普段の"リーヌ"ではなくアンリエッタたちと同じように"ミシュリー"だ。
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」
ずっと一言も喋らなかったヴァーグ侯爵令息がロジェに促されて第一王子の隣に座る。
それからロジェも座った。
それからしばらくお喋りをしながら待っていると。
開幕のベルが鳴り、客席の明かりが落とされた。
読んでいただき、ありがとうございました。




