47.お土産を渡します。
帰らないで、まだあと何日かは大丈夫でしょ、と縋ってくるエドゥアルトを振りほどいてアンリエッタたちは帰国した。
国境を越えてから言葉をリーシュのものに切り替える。
どこかほっとした。
やはり気を張り詰めていたところがあったのだろう。
約束通りボワ辺境伯家に寄る。
「アン、ルイ、お帰り。よし無事に帰ってきたな」
迎えに出てきたロジェがほっとしたように言う。
アンリエッタは呆れる。
「無事って、別に危険な場所に行っていたわけじゃないのよ」
「隣国までは手が出せないからな。それに聞いたぞ、ワインをかけられたそうじゃないか」
「ちょっと、挑発しすぎてしまっただけよ。かかってはいないわ」
あれは本当に見通しが甘かった。
「かけられそうになったのが問題なんだからな?」
何も反論できない。
「次は気をつけるわ」
「そうしてくれ」
そこにアリアーヌがやってきた。
「ロジェ、いつまでこんなところで立ち話しているつもりなの?」
いつまで経っても入ってこないので様子を見に来たようだ。
「申し訳ありません」
「中で話せばいいでしょうに」
「そうでしたね。つい」
「アンたちもここまで馬車に揺られて疲れているでしょうに」
アリアーヌは容赦がない。
「はい。次からは気をつけます」
「そうなさい」
「はい」
厳しい顔でロジェを見据えていたアリアーヌは一転してアンリエッタとルイに笑顔を向ける。
「お帰りなさい、アン、ルイ」
「「ただいま戻りました」」
「さあ中へどうぞ。皆首を長くして待っているわ」
「「はい」」
アリアーヌの後についていった。
*
翌日。
ラシーヌ伯爵領へと向かう馬車の中にはアンリエッタとルイ、ロジェ、マリーが乗っていた。
ボワ辺境伯家には一泊だけしてラシーヌ伯爵領に向かっている。
ラシーヌ伯爵領でも一泊だけしてサルマン侯爵領でミシュリーヌと合流して王都へと戻る予定だ。
馬車に揺られている間にロジェと近況を話し合う。
「ロジェはどう過ごしていたの?」
「俺はちびどもの相手をしていた」
「それは、大変そうね」
「それほどでもないぞ。肉体的に疲れるだけだからな」
それは大変ではないのだろうか?
それとも普段から鍛えているロジェには肉体的な疲れなんて何でもないのだろうか?
思わず首を傾げれば、ロジェが言葉を足した。
「俺はまあ、身体を動かしているほうが楽だからな」
「脳筋だからね」
「ルイ」
窘めるために名を呼ぶがにっこりと笑うだけだ。
「アン、いい」
諦めたようにロジェが言う。
「ルイはもう。ロジェに甘えすぎよ」
「別に甘えてなんていないよ」
「まあ、ルイも俺にとっては弟のようなものだからな」
「……それは認めてあげるよ。ロジェは僕にとっても兄のようなものだ」
ロジェは意外なことを聞いたという表情になった後で嬉しそうに微笑った。
*
ラシーヌ領とサルマン領に寄り王都に帰ってきたのは学院が始まる一週間前だ。
王都に帰り着いたアンリエッタは早速ミネット様に手紙を出した。
返事には時間がかかると思ったがその日のうちに返事が来た。
そして二日後には王宮へミネット様を訪ねていくことになった。
「ようこそアンリエッタ」
「お招きいただきありがとうございます」
ゆったりとカーテシーをする。
「楽にして。座ってちょうだい」
「はい」
ミネット様の向かいの席に腰を下ろす。
「元気だったかしら?」
「はい。恙無く過ごしておりました。ミネット様もお元気でしたか?」
「ええ。公務も入っていてあまりのんびりはできなかったけど」
やはり王族は忙しいのだ。
「お忙しかったのですね。そんな中お時間を取っていただきありがとうございます」
「わたくしが会いたかったのよ。短い時間しか取れなくてごめんなさいね」
「いえ。お土産をお渡ししたかっただけですから。それに、短い時間でもミネット様にお会いできるのは嬉しいですわ」
「そう言ってくれて嬉しいわ。あら、その髪飾り、可愛いわね」
「ありがとうございます」
今日は三日月に黒猫が座っているデザインの髪飾りをつけてきていた。瞳の色は碧色だ。月の部分は銀細工だ。
これも隣国で買ってきたものだ。
「アンリエッタはそういうものを見つけるのがうまいわね」
「ふふ、ありがとうございます」
それからしばらくお茶を飲みながらお互いの近況を話していた。
「ミネット様」
話の切れ目で女官の一人がそっと声をかけた。
ミネット様の視線がそちらに向く。
女官が一礼して口を開く。
「こちらの確認は全て終わってございます」
アンリエッタが持ち込んだ品は全て不審物がないか確認されていたのだ。
「ありがとう。ごめんなさいね、アンリエッタ」
「いえ、当然のことと思います」
王族に贈るのだから不審物がないか確認するのは当然のことだ。万が一のことがあってはならない。
「アンリエッタは理解があって助かるわ」
ということはそれに対して不満を持つ者もいるということだろう。
アンリエッタからしたら問題なしと保証されるほうが安心できていいと思うのだが。
「見させてもらうわね」
「はい。気に入っていただけるといいのですけれど」
「あら。わたくしはアンリエッタの目を信じているわ」
喜びと同時に重圧も感じる。
「あ、ありがとうございます」
侍女が品を持ってこようとするのをミネット様が手振りで制した。
「ああ、いいわ。わたくしがそちらに行くわ」
ミネット様がさっと立ち上がり、土産物を広げて検分していたテーブルに歩み寄った。
アンリエッタもついていく。
「ふふ、いろいろあるわね」
「これでも厳選に厳選を重ねたのですけれど」
「責めたわけではないわ。いろいろあって楽しいわね、と思って」
ミネット様は本当に楽しそうだ。
一つ手に取る。
「これは何かしら?」
「オルゴールですわ。小物入れとしてもお使いいただけます」
ミネット様がねじを巻いて蓋を開けた。
柔らかい音でゆったりとした曲が流れ出す。
ミネット様が目を細める。
「あちらの国での子守唄だそうです」
「まあ」
ミネット様の目が輝く。
こういうもののほうが喜ばれそうだと思っての選曲だったのだが、どうやら当たりだったようだ。
「素敵なものをありがとう。わたくし、こういうものが欲しかったの」
「喜んでもらえて嬉しいです」
ミネット様の視線が本の置かれている一角を捉える。
「本は後でゆっくりと見させてもらうわね」
「はい。後程ゆっくりと楽しんでくださいませ」
「ええ、楽しみだわ」
楽しそうに告げられる。
本当に楽しみにしてくださっているようだ。
それなら時間のある時にゆっくりと楽しんでもらいたい。
できるだけ隣国らしいものや意匠のものを取り揃えた品々を見ていたミネット様が視線を止めた。
「あら、この髪飾り」
ミネット様がその髪飾りを手に取る。
そしてアンリエッタがつけている髪飾りと見比べる。
アンリエッタはにっこりと微笑った。
「僭越ながらお揃いです」
意匠は少し違う。
ミネット様のものは満月の中に黒猫がいて、背を向けて尻尾を揺らすデザインのものだ。月の部分は勿論銀細工だ。
猫の瞳の色で何か勘繰られないように背を向けているデザインのものにした。
「その髪飾り、一目見た時から気に入っていたの。友人とお揃いというのも嬉しいわ」
「光栄です。喜んでもらえて嬉しいです」
ミネット様は早速髪を結い直して髪飾りをつけてくださった。
「どうかしら?」
「よくお似合いです。お可愛らしい」
「ふふ、ありがとう」
本当によく似合っている。
一目見た時から似合うと思っていたが、アンリエッタの目に狂いはなかった。
心の中で一人で満足して頷く。
ミネット様が女官の方に合図する。
静かに寄ってきた女官がミネット様に何かを渡して下がっていく。
「お礼になるかわからないけれど、国立歌劇場の六人用の個室のチケットよ。よかったらもらってくれないかしら?」
差し出されたチケットを受け取る。
「気に入る演目だといいのだけど」
「ありがとうございます」
チケットに視線を落とす。
知らない演目だ。新作なのかもしれない。
隣国に行っていた分、最新の情報には少し疎くなっている。
「どうぞ楽しんできて」
「はい。ありがとうございます」
ミネット様が選んでくれた舞台だ。きっと面白いに違いない。
わくわくした気持ちのままミネット様へと笑顔を向けた。
読んでいただき、ありがとうございました。




