43.飲み物をかけるのが流行っているのでしょうか。
今回長いです。
いつもなら二つに分ける分量ですが、分けられなかったのでそのまま投稿します。
アンリエッタは朝からシュタイン侯爵家にお邪魔して仕度を調えてもらった。
今日はとある公爵家で夜会があり、アンリエッタはエドゥアルトのパートナーとしてそこに参加することになっていた。
着いて早々侍女たちに全身を磨き上げられた。
軽食を挟んで、エドゥアルトの選んだドレスに袖を通した。
素敵なドレスだ。
色はエドゥアルトの瞳の色に合わせた青色だ。
胸元から首筋にかけて繊細な黒いレースで肌を覆っており、代わりに肩は大胆に出ている。
スカートの部分には全体的に小さな宝石が散りばめられていて光を反射してきらきらと光を放っていた。
リーシュではドレスの装飾は刺繍が一般的だが、こちらの国では宝石を縫いつけることもよくある。
髪は複雑に編み込まれ結い上げて髪飾りが飾られている。
首元にはブルーサファイアとエメラルドが並んで嵌め込まれた金細工の首飾り。
耳元にはブルーサファイアとエメラルドの連なる耳飾り。
最後に長手袋を身につければ身仕度は完了だ。
「お嬢様、とてもお綺麗ですわ。会場中の視線を集めることでしょう」
マリーの言葉に手伝ってくれたシュタイン侯爵家の侍女たちも頷く。
「ありがとう。仕度を手伝ってくれた皆のお陰よ」
そう告げれば皆誇らしそうに胸を張った後で頭を下げた。
後は時間が来るまでここで待機していればいいはずだ。
扉が小さく叩かれた。
シュタイン家の侍女が確認しに行く。
扉を開けて確認するとアンリエッタを振り返った。
「エドゥアルト様がお越しです」
準備はすっかり調っている。
「入れてあげて」
「かしこまりました」
侍女が扉を開けた。
エドゥアルトが中に入ってきた。
「リエッタ、どう? 準備……」
エドゥアルトの言葉が途中で途切れる。
「ルト?」
アンリエッタは首を傾げる。
エドゥアルトは入ったところで片手で口許を押さえて立ち尽くしている。
「待って。ちょっと待って。直視できない。本当に待って」
ちょっと何を言っているのかわからない。
困惑した視線をマリーに向ける。
「お嬢様がお綺麗だからですよ」
「ありがとう。どうすればいいと思う?」
「落ち着かれるまで放っておかれるべきかと」
「そう」
とりあえず打つ手はなしということでエドゥアルトが落ち着くのを待つことにした。まだ時間はあるから大丈夫だろう。
そこにまた扉が叩かれた。
同じようにシュタイン家の侍女が確認してアンリエッタを振り向く。
「エヴァ様とルイ様がお越しです」
「入ってもらって」
「はい」
侍女が扉を大きく開いて二人を招き入れる。
「姉上、支度は終わった?」
「ええ、終わったわ」
アンリエッタはルイたちに視線を向ける。
二人とも正装姿だ。
アンリエッタとエドゥアルトが参加する公爵家の夜会に二人も参加するのだ。
ルイは紺色の夜会服に金色の刺繍を入れた華やかな衣装だ。
エヴァは婚約者の瞳の色に合わせた紫色のドレスだ。金糸と宝石を使ったビーズで全体的に刺繍が施してあり華やかだ。宝飾品はブルーサファイアで統一してある。
エヴァのパートナーは当然彼女の婚約者だ。
今回の夜会はパートナー必須ではないから、ルイは今日は叔父とともに参加することになっている。
叔父は仕事場から直接向かうことになっており、ルイはアンリエッタたちと公爵家に向かうのだ。
エヴァは婚約者との参加なので後で婚約者が迎えに来て一緒に向かうことになっている。
「ルイは今日も素敵ね。エヴァもまるで一輪の花のようだわ」
エヴァを盛大に褒めるのは婚約者の役目であり、特権だろう。
「ありがとうございます、お義姉様。お義姉様も大変お綺麗です。まるでお義姉様御自身が光輝いているようですわ」
「ありがとう、エヴァ」
エヴァにふわりと微笑みかける。
いつもなら真っ先に賛辞を贈ってくれるルイは目を瞬かせた後で、ようやく硬直から解けたように声を上げた。
「わぁ、姉上綺麗。今日の会場で一番綺麗なのは間違いなく姉上だね」
「ふふ、ありがとう」
相変わらずルイは大袈裟だ。
慣れているエヴァは特に何の反応もないが。
ふとエヴァの視線が流れ、冷ややかにエドゥアルトを見る。
「それでお兄様は何をなさっておいでなの?」
アンリエッタは曖昧に微笑う。
エドゥアルトは先程からちらちらとアンリエッタを見ては目を逸らしてと忙しい。
マリーの言う通り放っておいているが一向に落ち着かない。
「どうしよう? 本気で誰にも見せたくない」
エドゥアルトが頭を抱えてぶつぶつと言っている。
「御自分の見立てでしょうに」
エヴァが呆れたように言う。
「なら僕が姉上をエスコートしようか? パートナーは体調不良で欠席ってことにして。ふふ、綺麗な姉上をたっぷり自慢してこなくちゃ」
ルイは楽しそうだ。
「リエッタのパートナーはルイにだって譲らないよ?」
エドゥアルトが鋭い視線をルイに向ける。
聞き捨てならないことを言われて落ち着いたらしい。
「だって姉上に近づけもしないんでしょ? 大丈夫、僕がしっかりとエスコートするから」
エドゥアルトがさっとアンリエッタに歩み寄ると腰に手を回して引き寄せた。
それからアンリエッタに甘やかに微笑みかける。
「行こうか、リエッタ」
「ええ」
歩き出そうとしたところでエドゥアルトが動きを止めてアンリエッタを見た。
それから真剣な顔でアンリエッタに忠告する。
「リエッタ、絶対に一人にならないでね」
「うん、姉上それだけは守って」
二人の見解が一致したようだ。
こういう過保護なところは同じなのだ。
だが今回は更にエヴァまでが同意した。
「ええ、お義姉様、お一人になられるのは危険ですわ」
順繰りに三人の顔を見渡すが、三人とも真剣な顔だ。
「ええ、気をつけるわ」
「僕たちもなるべく傍を離れないようにするから」
エドゥアルトの言葉にルイとエヴァも頷く。
ルイはともかくエヴァは無理だろう。
彼女には彼女の社交がある。
「エヴァ、無理しないで」
「大丈夫ですわ。お兄様がお傍にいない時だけでもわたくしをお傍に置いてくださいね」
「エヴァ、頼りにしているよ」
アンリエッタが何か言う前にエドゥアルトが頼んでしまう。
「ええ、お任せを」
「さて遅れるわけにはいかないからそろそろ行こう。エヴァの迎えもそろそろ来るだろう」
「ええ。先に行ってくださいませ」
「うん、先に行っている」
エドゥアルトに促されてアンリエッタも「先に行っているわね」と声をかけて歩き出す。
アンリエッタたちの後ろからルイがついてきた。
*
主催者である公爵夫妻に挨拶をし、エドゥアルトと共に様々な方々と歓談して社交に励む。
特に問題はなく時間は過ぎていく。
このまま恙無く終われると思っていたが、甘かったようだ。
それはエヴァとお花摘みに行って戻ってきた時に起きた。
目の前に令嬢の集団が立ち塞がって行く手を阻んだ。
エヴァと二人足を止めた。
迂回してもいいのだが、それはそれで面倒なことになりそうだ。
エヴァが前に出ようとするのを制する。
真っ直ぐに真ん中に立つ令嬢を見れば、彼女は唇を微かに歪めた。
「わたくしが誰かはわからないでしょうから名乗って差し上げますが、シュトローム侯爵が長女、ツェツィーリよ。ああ、貴女は名乗らなくて結構よ。アンリエッタ・ラシーヌ伯爵令嬢でしょう? エドゥアルト様の婚約者の」
黙って軽く頭を下げるに留める。
「ツェツィーリ様がお声掛けしているのよ。何か言ったらどうなのよ?」
取り巻きの一人が喚く。
傍に置く者の品によってその程度が知れるというもの。
「……どのようなご用件でしょうか?」
じろじろと無遠慮に上から下まで眺められる。
それからふんっと鼻を鳴らした。
随分と高慢な態度だが、馬鹿にした様子ではなかった。
文句をつけようとしてできなかった、というところだろうか。
今日はマリーたち侍女の渾身の仕上がりだったし、ルイもエヴァも太鼓判を押してくれたのだ。
……エドゥアルトの反応は大袈裟だと思うが。
だから堂々としていればいい。
たとえ貶されたとしても真に受ける必要はどこにもないのだ。
だが容姿で貶すのはやめたようだ。
取り巻きの令嬢たちがちらちらと彼女を見る。
「貴女はもうデビュタントを済ませているのよね? それなのに何故まだ嫁がないのかしら?」
存外まともな問いが来た。
この国での友人たちは次々と結婚している。
アンリエッタの歳であれば、この国では嫁ぐのが当たり前とも言える。
長年婚約を結んでいるのなら尚更だ。
だがそれはあくまでもこの国の貴族なら、だ。
そもそもリーシュ王国では学院を卒業しないと一人前とは認められず、結婚などができない。
だからまだ学生のアンリエッタでは結婚できないのだ。
我が国では常識である。
それを彼女は知らないのだろう。だからそんなことを言ったのだろう。
だがそれは、リーシュ王国のことを知らないことも示していた。
隣国の友好国であるにも関わらず、だ。
アンリエッタの感覚からしたらあり得ない。
だがそれもリーシュ王国の常識だということもわかっている。
ぱらりと扇を広げて口許を隠す。
「我が国では学院を卒業しなければ婚姻できないのですわ」
「まあ!」
シュトローム侯爵令嬢は扇を少し開いて口許に当てる。
少し考えるような間を空けてから彼女は言葉を継いだ。
「貴女、エドゥアルト様の婚約者を辞退すべきだわ」
存外真面目な声で言われる。
「シュトローム様には関係のないお話ですわ」
アンリエッタの言葉に間髪入れずに続いてエヴァが追撃する。
「全くです。他家の婚約への口出しをするなど一体どのようなおつもりですの? 我がシュタイン家を侮っておられますの? 正式に抗議させていただいても?」
「まあ! わたくしは親切で言っているのよ? いつまで経っても嫁いでこない婚約者など迷惑でしょうに」
「シュタイン家は納得の上ですわ。部外者にとやかく言われる筋合いはありませんわ」
「まあ、シュタイン家は騙されているのではなくて?」
取り巻きたちが追随して「何てことを!」「外見に拠らず随分と腹黒いこと!」などと騒ぎ立てながらアンリエッタをにらんでいる。
……シュタイン家まで一緒に貶めていることに気づいているのだろうか?
「騙してなどいませんわ。国が違えば法律が違うのは当然ではありませんか」
「まあお義姉様、正論ですわ」
ころころとエヴァが笑って追撃する。
……もしかしてエヴァはシュトローム侯爵令嬢が嫌いなのかしら?
「嫁いでくるのであれば我が国の法律に合わせるべきなのでは?」
アンリエッタは扇を閉じて頬に手を当てる。
「この国のどこかの家に養子に入れば可能かもしれませんが」
それではこの政略の意味がなくなってしまう。
そもそもお互いの文化や法律を尊重できないのであれば、国を跨いでの政略結婚などできない。
「すればいいのではなくて? ああ、そもそも貴女を養子にするような家がないのね」
くすりとシュトローム侯爵令嬢が嗤うと、取り巻きが同調してくすくすと嗤い出す。
調査不足だ。
養子になるなら親戚に頼めばいいだけだ。
「それでは意味がないので」
淡々とそれだけを告げる。
わざわざ情報を与える必要はない。
だが淡々と返したので図星だったのだと思われたようだ。
くすくす嗤いが大きくなる。
図に乗ったシュトローム侯爵令嬢がとんでもないことを言い出す。
「政略というのならわたくしの家とのほうが利があるのではなくて? 侯爵令嬢であるわたくしのほうが身分的にも釣り合いが取れるもの。それに、わたくしだったらすぐに嫁げるわ」
あり得ない。
政略の意味がわかっているのだろうか?
ただの身分上の釣り合いだけでは回らないのだ。
それを本当にわかっていないのだろうか?
仮にも侯爵令嬢が?
だとしたら随分と、甘やかされている。
「まあ。政略の意味がわかっていらっしゃらないのですね」
「まあ。勿論わかっているわ」
「まあ、あまりにも稚拙な提案をなさるので政略の意味もわからないお子様なのかと」
くすりと笑ったのはエヴァだ。
「まあお義姉様ったら。さすがにそれは言い過ぎですわ。シュトローム侯爵令嬢が可哀想ですわよ」
みしりとシュトローム侯爵令嬢の持つ扇が音を立てた。
これくらいで煽られてこの先やっていけるのだろうか?
「伯爵令嬢風情が調子に乗って!」
シュトローム侯爵令嬢が取り巻きの一人が持っていた赤ワインを手にした。
恐らくエドゥアルトたちが警戒していたのはこういうことではないと思う。
シュトローム侯爵令嬢はアンリエッタに向けてワインをぶちまけてきた。
エヴァを庇いつつ後ろに下がって避ける。
やりそうだと思っていたので予め少しずつ下がっていたのが功を奏してアンリエッタのドレスにはワインは見たところかかっていない。
「エヴァ大丈夫? かかっていないかしら?」
「わたくしは大丈夫ですわ。お義姉様は大丈夫ですか?」
「大丈夫だと思うわ」
「よかったですわ。それより、シュトローム侯爵令嬢、どういうおつもりですか?」
エヴァが抗議する。
「あら、手が滑っただけよ」
「まあ、でしたら謝ったらいかがです?」
シュトローム侯爵令嬢は扇を広げて口許を隠した。
謝る気はなさそうである。
手が滑ったと主張するなら形だけでも謝っておけばいいのに。
そうしないならわざとだと公言しているようなものなのだ。
実年齢など知らないが、この突発的な行動からしても、彼女の精神は実年齢より幼い。
夜会で騒ぎを起こせば主催者の顔に泥を塗りかねないとわからないのだろうか?
これは後でアンリエッタも主催者に謝らなければならないかもしれない。
ここまで短絡的だと思わずつい自国の令嬢相手と同じ対応をしてしまった。
これ以上騒ぎを大きくするわけにはいかない。
「リエッタ、エヴァ」
エドゥアルトが人の輪を抜けて駆けつけてくれる。
「大丈夫? 何があった?」
「ええ、大丈夫よ」
エドゥアルトは床の絨毯のワインの染みで状況を察したようだ。
アンリエッタを庇うように立ち、険しい表情をシュトローム侯爵令嬢に向ける。
「どういうつもりだろうか?」
対するシュトローム侯爵令嬢は笑顔だ。淑女の微笑みではなく本物の笑顔のように見える。
エドゥアルトに声をかけられて嬉しいとか思っているのだろうか?
そこまで接点がないのにエドゥアルトの婚約者の座を狙っていたというのだろうか?
確かにシュタイン家は侯爵家であり、領地も豊かだ。そして何よりエドゥアルトは見目麗しい。性格もよく優しい。
シュトローム侯爵令嬢が憧れて婚約者の座を狙う気持ちはわかるのだ。譲る気はないが。
エヴァからも呆れたような気配を感じる。
シュトローム侯爵令嬢が嬉々とした様子で口を開きかけた。
その口から言葉が発される前に、
「おや、うちの姪が何かしましたか?」
叔父がルイと共にやってきた。
わざとかと思うほど絶妙なタイミングだった。
状況を見て取ったルイが素早くアンリエッタの傍に寄ってくる。
「姉上、大丈夫?」
「ええ。わたくしもエヴァもかかってはいないわ」
「よかった」
ほっとしたように少し微笑ったルイはすぐに微笑みを消し、シュトローム侯爵令嬢を見据える。
それでもシュトローム侯爵令嬢は動じた様子もなく堂々と立っている。
さりげなく囲む輪を見ればエヴァの婚約者の姿もあった。
ちらりとエヴァを見れば視線で自身の婚約者を押し留めている。
彼まで参戦してしまえば騒ぎが大きくなり過ぎる。
これ以上の騒ぎになると主催者の顔に泥を塗ることになりかねない。
遠くからこちらを窺っている主催者の姿も見える。
今は静観しているようだがこれ以上騒ぎが大きくなれば介入してくるだろう。
あと来るとしたらーー。
さらにもう一人父親と同年代くらいの男性が輪の中から出てきた。
「ツェリ、何があった?」
「お父様……」
彼が彼女の父親のシュトローム侯爵のようだ。
さてシュトローム侯爵は娘を際限なく甘やかすような人物だろうか?
「シュトローム侯爵、貴方の娘がアンリエッタにワインをかけたのですが、どうなさるおつもりか?」
エドゥアルトが厳しい表情でシュトローム侯爵に迫る。
「ツェリ、それは本当か?」
「それは……」
煮え切らない娘の態度にシュトローム侯爵は辺りを見回し、アンリエッタのドレスと床の絨毯のワインの染みに目を留めた。
アンリエッタのドレスにワインはかかっていないが、絨毯の染みはそこで何があったかを雄弁に物語っていた。
「ツェリ? 本当のことを言いなさい」
「……手が、滑っただけですわ」
あくまでもそれで押し通すつもりのようだ。
はぁと溜め息をついたシュトローム侯爵がアンリエッタに向き合った。
「ラシーヌ伯爵令嬢、娘が申し訳ない」
軽く頭まで下げる。
侯爵家の当主が他国とはいえ伯爵令嬢に軽くとはいえ頭を下げるとは、さすがに状況がしっかりとわかっているのだろう。
アンリエッタは穏やかに微笑って頭を上げてもらう。
「まあ、子供のやったことですし」
被害も出なかったので両国のために穏便に済ませることにする。
子供と言われてシュトローム侯爵令嬢はアンリエッタをにらんでくるが状況がわかっているのだろうか?
シュトローム侯爵は娘を見てぎょっとした様子で「ツェリ!」と名を呼んで咎める。
親は道理を弁えているようだ。
ちらりとエドゥアルトと叔父を見れば二人とも頷いてくれる。
ここの差配はアンリエッタに任せてくれるようだ。
有り難いが責任重大だ。
あまり騒いでは国際問題になりかねない。
リーシュとエーヴィッヒは対等な立場での友好国なのだ。
その関係に小さくでも罅を入れるわけにはいかない。
アンリエッタは少しだけ考えて口を開く。
「手を滑らせて盛大に撒き散らすというのは子供のようですけど、幸いにもわたくしもエヴァもドレスにかかりはしませんでした。ですので謝罪していただければ結構ですわ」
エドゥアルトや叔父に視線を向ければ頷いてくれる。
及第点はもらえたようだ。
それからエヴァに視線を向ける。
「エヴァもそれでいいかしら?」
エヴァも当事者の一人だ。アンリエッタとしてはこれで手打ちとしたいが、エヴァにはエヴァの意向があるだろう。
「わたくしもそれでよろしいですわ」
「ラシーヌ伯爵令嬢、シュタイン侯爵令嬢、ご温情に感謝します。この度は娘が申し訳ありませんでした。謝罪します」
シュトローム侯爵は格下であるアンリエッタたちに頭を下げて正式に謝罪した。
驚いたのはシュトローム侯爵令嬢とその取り巻きだ。
「お父様!?」
顔を上げたシュトローム侯爵は厳しい瞳で娘を見る。
「ツェリ、手が滑ったというのならきちんと謝るのが筋というものだ」
そこまでの余裕がなくなったのか、シュトローム侯爵令嬢は扇で隠すことなく小さく唇を噛んだ。
「シュタイン侯爵令嬢、ラシーヌ伯爵令嬢、申し訳ありませんでした。ドレスにかからなくて幸運でした」
不本意そうではあるがシュトローム侯爵令嬢はきちんと頭を下げた。
お互いを窺っていた取り巻きの令嬢たちも同じように頭を下げる。
まさか彼女たちまで頭を下げるとは思わなかった。
それだけシュトローム侯爵令嬢は慕われているのかもしれない。
エヴァを見ればしっかりと頷いた。
「謝罪を受け入れますわ」
「わたくしも受け入れますわ」
「ありがとうございます。ご厚情に感謝致します」
シュトローム侯爵令嬢が顔を上げる。
取り巻きの令嬢たちも顔を上げた。
「騒ぎを起こしたのだ。公爵夫妻にも謝罪に行かねばならん」
「はい」
「ラシーヌ伯爵令嬢、シュタイン侯爵令嬢、本当にすまなかった。これで失礼する」
アンリエッタとエヴァは黙って淑女の微笑みを浮かべた。
シュトローム侯爵が歩き出すとシュトローム侯爵令嬢とその取り巻きの令嬢たちも後に続いた。
行く先には主催者である公爵夫妻が待っている。
「リエッタ、エヴァも何事もなくてよかったよ」
「お義姉様が庇ってくれましたから。そうでなければドレスにワインがかかっていたことでしょう」
「もともとエヴァを巻き込む形になってしまったのだもの。庇うのは当然だわ」
「まあお義姉様は何も悪くはありませんわ」
「そうだよ。姉上は巻き込まれただけだ」
「うん。もっと扉の近くで待っていればよかったよ」
エドゥアルトがいたからといって先程の件が避けられた保証はない。
「エヴァも一緒にいてくれたし、ルトが気づいて来てくれて心強かったわ。ありがとう」
「当然だよ。もうこれからは離れないようにするよ」
「ありがとう」
アンリエッタはエドゥアルトに微笑む。
それからあれでよかったのかと確認のために叔父を見ればしっかりと頷かれる。
「アンはよくやったよ。アンのドレスにワインがかかっていたら抗議しないわけにはいかなかったからね」
その理由が婚約を破棄させようとしてのものだったので、そうなっていたら確実に国際問題に発展していた。
本当に危ないところだった。
「エヴァのドレスにもかからなくてよかったわ」
そうなってしまったら事態はさらにややこしくなっているところだった。
「本当に幸運でしたわ。お義姉様が庇ってくださったお陰ですわ。ありがとうございました」
「当然のことよ」
周りをさりげなく見回す。
遠くでひそひそとやられているがそれだけだ。
さすがに先程の騒ぎがあったので今日はこれ以上絡んでくる者はいないだろう。
絶対ではない以上気は抜けないが、少し肩の力を抜いても大丈夫だろう。
「大丈夫。僕が傍にいるからね」
見透かしたようなエドゥアルトの言葉にアンリエッタは「ありがとう」と言って無意識に力を込めていた身体から力を抜いた。
シュトローム侯爵一行が立ち去ってからエヴァの婚約者も合流して主催者の公爵夫妻に謝罪に行き、無事に許しを得ることができたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




