40.出掛ける前から大変です。
短めです。
「変じゃないかしら?」
鏡の前で右に左にと身体を揺らして自分の服装を確認しながらマリーに訊く。
「大丈夫ですわ。エドゥアルト様もお嬢様に惚れ直すこと間違いなしですわ」
マリーが微笑ましそうな顔で言う。
「本当?」
「ええ、勿論ですわ」
「ありがとう、マリー」
何だろう、昨日も同じ会話を交わした気がする。
今日は真っ青な外出着だ。ところどころに金色と緑色の糸で刺繍が施されている。
耳飾りは小振りなブルーサファイアだ。
首飾りはやはり小振りなエメラルドを使った金細工のものだ。
公の場に行くわけではないのでこのくらいの宝飾品でいいのだ。
当然、髪にはエドゥアルトから贈られたリボンが結ばれている。色は珍しくもアンリエッタの瞳の色の碧色のものだ。青いビーズで花が刺繍されている。
マリーは大丈夫だと言ってくれたが、そわそわとまた鏡をのぞいてしまう。
マリーは気に障った様子もなくますますにこにこと微笑ってそんなアンリエッタを見守っている。
そこへ、コンコンと扉が叩かれた。
「姉上、いい?」
「ええ、いいわ」
扉が開かれる。
入ってきたルイはアンリエッタの全身を上から下まで眺める。
ぶすり、となった表情にどこか変かと不安になる。
「ルイ?」
「姉上、そんな綺麗な姿をあいつに見せるのは勿体ないよ」
……変ではないようだ。
「ねぇ、今から着替えたら? まだ時間はあるでしょう?」
「ルイ、何を言っているの」
「だって姉上が綺麗すぎるんだもの。あいつのためにそこまで綺麗にしなくていいと思う」
ルイは不満げだ。
「わたくしはルトの目に映るなら綺麗なわたくしでいたいわ」
「甘いよ、姉上」
「甘い?」
何がだろうか?
女性にとっては普通の考えのはずだ。
アンリエッタは首を傾げる。
「認識が甘すぎるよ、姉上」
「甘い、かしら?」
「甘すぎるよ」
「どこがかしら?」
わからないので素直にルイに訊く。
「綺麗すぎる姉上を見たらあの男は暴走するに違いないよ。もっと危機感を持って」
ルイの目はどこまでも真剣だ。
本気でそう思って言っているのだ。
「ルイ……」
先日といい、ルイの目にエドゥアルトはどう映っているのだろうか?
訊けば同じ言葉を返されそうで怖いのだが。
「姉上はもっと自分が魅力的だと自覚を持って?」
むしろ何故か諭されている。
それはさすがに姉馬鹿の贔屓目だろう。
どうやってルイを窘めるか考えていると扉が叩かれた。
許可を出せば扉が開き、使用人が入ってきて一礼した。
「失礼致します。シュタイン侯爵令息様がお見えになりました」
「早くない?」
ルイは今にも舌打ちせんばかりだ。
さすがにお行儀がよくないことはわかっているようでしないが。
わかっているようなので注意はしない。
それにしても約束より早い時間に来るなんて何かあったのだろうか?
「何かあったのかしら?」
「どうせ待ちきれなかったんでしょ」
呆れた声だ。
マリーも頷いている。
少しくらい何かあったのかと考えてもいいのではないだろうか。
これもエドゥアルトの普段の行いのせいなのだろう。
「まあ、早く着いたのは向こうの責任だし? 待たせておけばいいよ。だから姉上早く着替えて」
まだルイは諦めていないようだ。
「いいえ、このまま行くわ」
「姉上!」
ルイが悲鳴のような声を上げる。
「だって変ではないのでしょう? 用意もできているし、ルトも来たから行くわ」
告げて扉に向かう。
「あ、姉上!」
ルイが悲鳴のような声で呼ぶが、今回はルイの言う通りにする必要はない。
アンリエッタの意志は硬いと悟ったルイが隣に並んで軽く腕を差し出してきた。
「せめてあの男の所までエスコートさせて?」
「ええ、お願いね」
アンリエッタはルイの腕に手を添えた。
玄関ホールでエドゥアルトは待っていた。
応接室にでも通しておいてくれればよかったのに。
アンリエッタは焦った。
「ルト、待たせてごめんなさい。
「ううん、僕がリエッタに早く会いたくて早く来ちゃっただけだから。仕度は終わった?」
「ええ、終わっていたわ」
「よかった。じゃあ行こうか」
「ええ」
アンリエッタはルイの腕から手を離し、差し出されたエドゥアルトの腕に手を添えた。
エドゥアルトとルイの顔に一瞬不満そうな表情が浮かんで消えた。
どちらの不満もアンリエッタはあえて拾わなかった。
気を取り直したようにルイが言う。
「気をつけていってきてね、姉上」
「ルイも出掛けるのだったわね。気をつけていくのよ?」
ルイが嬉しそうに微笑う。
「うん」
すっと執事が玄関の扉を開けた。
「行ってくるわね」
「いってらっしゃい、姉上」
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
玄関ホールに見送りにきた使用人たちが一斉に頭を下げる。
アンリエッタはそのまま玄関扉をくぐり、外に停まっている馬車にエドゥアルトの手を借りて乗り込む。
エドゥアルトが向かいに乗り込み、マリーもアンリエッタの隣に乗り込んできた。
まだ未婚のためーーというよりはエドゥアルトの信用度のため第三者として同乗しているのだろう。
馬車がゆっくりと動き出す。
「まずは宝飾品店に行こう。予約してあるんだ」
「わかったわ」
「今日の装いも素敵だね。昨日も綺麗だったけど」
改めて全身を見たエドゥアルトが褒めてくれる。
「ありがとう。ふふ、でもね、ルイが着替えろなんて言ったのよ?」
エドゥアルトが頷く。
「僕に見せたくなかったんだろうね」
「よくわかったわね」
「わかるよ。僕だって綺麗なリエッタを誰にも見せたくないって思いはあるんだから」
「まあ、じゃあ、ルイの言う通り着替えたほうがよかったかしら?」
「それじゃあ僕が見られなかった。今日はこの綺麗な女性は僕の婚約者なんだぞ、と自慢するつもりでいるよ」
「ふふ、褒めてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「ルトの今日の装いも素敵だわ」
落ち着いた色合いの灰色のジャケットとズボン、中のベストも同じ色だ。ネクタイは碧色でアンリエッタの色だ。ポケットチーフも碧色で揃えてある。
「ありがとう。リエッタの今日の装いを想像してそれに合わせるようにしてみたんだけど、これなら並んでいてもおかしくはないね」
「そうね。あら、ネクタイに刺繍が入っているの?」
エドゥアルトの顔が綻ぶ。
「よく気づいたね」
エドゥアルトが上着のボタンを外してネクタイを見せてくれる。
ネクタイの下半分には金糸で蔓草模様が入っていた。
さりげなくアンリエッタの瞳と髪の色を入れていたようだ。
じんわりと頬が熱くなる。
悪戯が成功したような顔でエドゥアルトが微笑う。
「そ、そういうふうにさりげなく取り入れるのも素敵ね」
「うん、ありがとう」
「わ、わたくしも今度はそういうふうにしてみようかしら?」
「まあ、それもありだとは思うけど、」
その視線にどことなく色気を乗せてエドゥアルトは告げる。
「リエッタには僕の色を纏っていてほしいな」
頬が熱い。絶対に真っ赤になっているだろう。
エドゥアルトは嬉しそうに微笑っている。
思わず視線を逸らす。
扇で顔を隠せばいいだろうか?
だがすぐに取り上げられそうな気がする。
「リエッタ」
どこか甘く名前を呼ばれる。
顔を見られない。そう思うのに引き寄せられるようにエドゥアルトを見てしまう。
あざとく首を傾げ、色気ある視線で訊いてくる。
「駄目?」
「うぅぅ」
思わず唸り声を上げ、それから消え入りそうな声で「駄目じゃないわ」と告げた。
「ありがとう」
嬉しそうに微笑むエドゥアルトの姿に、とうとうアンリエッタは手で顔を覆った。
いつになってもエドゥアルトに勝てそうにない。
読んでいただき、ありがとうございました。




