37.祖母からの手紙を渡します。
すいません。
随分と横道に逸れました。
ルイは帰ってきたヘルミーネの息子たちに連れ去られ、アンリエッタはフィデリテに誘われて彼女の自室にお邪魔していた。
忘れないうちに、とアンリエッタは祖母の手紙を取り出した。
「こちらが祖母から預かってきた手紙です」
「ありがとう。エッタが帰国するまでには返事を書くから持っていってもらえるかしら?」
フィデリテもすっかりこの国の住人で、母国の親しい人たちが呼ぶ"アン"ではなく、この国での親しい人たちが呼ぶ"エッタ"という愛称でアンリエッタを呼ぶ。
「勿論です」
「ありがとう。兄やグレース、他の皆も元気かしら?」
グレースは祖母の名前だ。もともと二人は友人同士だったという。
「はい。皆元気に過ごしていますわ」
「そう、よかったわ」
フィデリテはほっとしたように微笑む。
「大叔母様もお変わりありませんか?」
「ええ。わたくしも主人も元気に過ごしているわ」
「よかったです」
アンリエッタはほっとして微笑む。
祖父母に元気だったと報告できる。
他国にいる親戚の様子はなかなか伝わってこないのだ。
下手したら大病しても知ることはないかもしれない。
親戚とはいえ、他国であり別の家であるから仕方ないこととは言える。
家の大事を外に漏らすことはできないからだ。
その情報一つで情勢が変わることさえあるので疎かにできない。
油断大敵で足下を掬われた事例は枚挙に暇がない。
これはラシーヌ家でも同じだ。
状況によっては家人に何かあっても知らせることはできないかもしれないのだ。
我が国は家族間の結びつきが強いとはいえ、どうにもならないことはどうにもならない。
「でもグレースたちにも久しぶりに会いたいものね」
他国に嫁ぐということはそうそう家族には会えないということだ。
嫁ぐほうも嫁がせる家族もその覚悟がいる。
祖父母もフィデリテも直接にはもう何年も会っていないはずだ。
手紙のやりとりは続けているとはいえ、直接会ってゆっくり話したいと思うのも無理はない。
ただ、爵位はお互いに息子夫婦に譲ったとはいえ、社交や領地経営からはまだまだ引退していないのでなかなか会えないのだ。
完全に引退してしまえば、お互いに行き来できるようになるだろう。
ただそれもまだ少し先のことになりそうだ。
どちらもまだ精力的に動いている。
「エッタの結婚式には会えるかしらね」
からかい混じりの言葉に思わず頬が熱くなる。
エドゥアルトとの結婚はアンリエッタが学院を卒業してからとなるが、あと何年もない。
何年もないように努力している。
エドゥアルトもその家族もアンリエッタの状況を理解してくれているから何も言われることはない。
成績不振で、となれば眉をひそめられるかもしれないが、今のところ落とした教科はない。
このまま卒業まで単位を落とさずにいきたいところだ。
そのための努力は勿論厭わない。
フィデリテの顔に微笑ましそうな笑みが浮かぶ。
「そうですね。その時には祖父母も参加してくれるはずですわ」
「そうよね。その時はゆっくり滞在してくれるといいのだけれど」
「伝えておきますね」
「ええ、お願いね」
きっと祖父母たちもフィデリテたちとゆっくりと話がしたいだろう。
アンリエッタとしても久しぶりに会うのだからゆっくり話してもらいたい。
そんな機会などそうそう得られないのだから。
フィデリテはゆっくりとお茶を飲む。
ティーカップを静かに置いてから訊いてきた。
「エッタは学院のほうは順調かしら?」
「ええ、今のところは落とさずに済んでいます」
「それはよかったわ。エッタは優秀ね」
「いえ。ただ必死なだけですわ」
一つでも落とすとそれだけで卒業が遅れる。
引いては結婚も遅れるということだ。
いくら理解があるとはいえそれに甘えてばかりもいられない。
「エッタは努力家で優秀よ」
「……ありがとうございます」
努力は当然のことだった。
褒められるほどのことではない。
貴族は怠惰なもの、という国もあるが、それは我が国ではあり得ないことだった。
上に立つ者が馬鹿だと国が滅びるーー
というのが我が国の考えだ。そのために学問に力を入れているのだ。
そのため学院を卒業しなければ成人とは認められず、家を継ぐことも結婚することもできない。
他国に比べて婚姻年齢が上がる所以となっているが仕方ない。
あまり早く子を成すのは母胎に負担がかかるとの見識もあるのでそれほど早い結婚に拘ることはない、というのもある。
「わたくしもシルヴィー様の輿入れについてくると決めていたからそのための科目を取っていたもの。エッタがどれだけ大変かわかっているつもりよ」
シルヴィー様とはこの国の先代の王妃陛下のことだ。
フィデリテは友人だったシルヴィー様が先代国王陛下に輿入れの際、側仕えとしてこちらについてきたのだ。
そしてシルヴィー様の御傍で働いている時に、夫である前侯爵に見初められ、この家に嫁いできたという。
他国に嫁いだり、渡ったりする場合は、その国と関わりのある国のことについても一通り学ばなければならないので国内での婚姻より学習内容が増える。
その結果として卒業までにかかる年月は増えてしまうことになるのだ。
外交官を目指す者ほどではないが、やはり大変ではある。
「だから、誇っていいと思うわ。エッタの努力は結婚後に必ず貴女の力になるわ」
「ありがとうございます」
経験者であるフィデリテの言葉は心強い。
アンリエッタの表情が明るくなったのだろう、フィデリテが優しく微笑む。
それからティーカップを持ち上げて一口飲み、何気ない様子で告げた。
「ふふ、アンリエッタの結婚式が楽しみね。きっと素敵な花嫁姿だわ」
フィデリテの言葉に思わず頬を染める。
「まあ、可愛いこと」
ころころとフィデリテが笑う。
それからふと呟いた。
「わたくしにもそんな時代が……あったかしら?」
なんとも答えにくい。
「きっとおありになったかと……」
壁際に長年フィデリテに仕えている侍女を見つけ視線を送る。
フィデリテも彼女に視線を向ける。
「サラ、どうだったかしら?」
「ええ、フィデリテ様にもそのような時代がありました。ですが、」
ですが?
アンリエッタがきょとんとするのもお構い無しにサラは力強く言い切る。
「僭越ながら大旦那様のほうがお可愛らしい反応をされておりましたので、フィデリテ様のお可愛らしい反応など霞んでしまわれましたわ」
アンリエッタは目を丸くしてしまい、慌てて扇を広げて顔を隠す。
あの無口でいつも厳格な顔をなさっている前侯爵が可愛らしい反応を?
はっきり言って想像ができない。
だがフィデリテは楽しそうにころころと笑う。
「確かにそうね。あの人の可愛かったこと。ああ、エッタ、顔は隠さなくていいわ。驚くのもわかるもの」
そう言われれば扇を下ろすしかない。
そろそろと扇を閉じる。
フィデリテもサラも楽しそうに笑っている。
「ふふ、あの人はああ見えて可愛らしいところがあるのよ」
「そ、そうなのですね」
それしか言えない。
フィデリテは楽しそうに話を続ける。いや、惚気ているのだろう。
「やっぱりあの人のほうが年下だからかしらね。必死な様子も頼れる男になろうとして空回る様子も微笑ましくて可愛らしかったわ」
あの前侯爵が。
全然想像がつかない。
「えっと、それはいつ頃のことなのでしょう?」
好奇心に負けた。
他国に嫁ぐなら取得すべき科目は多いのでどうしても卒業までに年数がかかることになる。
先代王妃陛下とともにこちらの国に来たのであるから下手したら二十歳を越えていた可能性もある。
前侯爵とはいつ会ったかは知らないが、可愛らしいという年齢ではないような気がする。
「わたくしが二十二の時に初めて会ったから、ああ、あの人は十九歳だったわね。お互い若かったわ」
どう考えても可愛らしいという年齢ではない。
それが表情に出ていたのだろう、またフィデリテがころころと笑う。
「エッタも若いわねぇ。男はね、どんな年齢でも可愛らしいと思える瞬間があるのよ。可愛らしいと思えるようになったら愛しさが増すわよ?」
「そ、そうなのですね」
いつかエドゥアルトのことも可愛いと思える日が来るのだろうか?
楽しみなような、少し怖いような。
アンリエッタの様子を見ていたフィデリテが楽しそうに微笑う。
「ふふ、ますますエッタの花嫁姿が楽しみになったわ」
今までの会話の中のどこに楽しみが増すところがあったのだろうか?
でも、とフィデリテは頬に手を当てて言う。
「花嫁衣装のデザインは揉めそうね」
「そうでしょうか?」
アンリエッタは首を傾げる。
「きっと口出しする者がたくさんいるはずよ」
「そう、でしょうか?」
「両家の母親は勿論、ボワ辺境伯家の女性陣も出てくるのではないかしら? まあ一番はエドゥアルト様でしょうけれど」
言われれば確かに皆それぞれ意見がありそうだ。
そして誰も譲りそうにない。
え、誰がまとめるの?
アンリエッタの衣装なのだからアンリエッタしかいないと思うが、できる自信がない。
「きっとミーネも参加するでしょうから、わたくしも一緒に参加しようかしら」
ミーネとはヘルミーネの愛称だ。
フィデリテの目は楽しそうに輝いている。
そして気づいたように言う。
「ああそうね。その時ならアレクシアにも会えるわね」
フィデリテから見て母は甥の妻との立ち位置だが、仲がいい。
母とヘルミーネも姉妹のように仲がいい。
だからこそ安心してここで出産し、産後の体調が安定するまでこの屋敷で過ごさせてもらったのだ。
「そうですね。母は参加するでしょう」
娘の花嫁衣装決めに参戦しないほど冷えた親子関係ではない。
むしろ誰よりも張り切って参加するのではないだろうか。
「そうよね。やっぱり参加させてもらいましょう」
まだ先のことなのにこの時点でフィデリテの花嫁衣装選びの参戦が決定したようだ。
たとえ断ったとしても何かしらの手段を使ってでも参加するだろう。
嫌ではないのでいいが。
何だかんだでエドゥアルトも許可しそうだ。
家同士の関係性もあり断らないだろう。
だが今のところまだ仕立てる予定は立っていないのだが、いいのだろうか。
「エッタ」
静かにフィデリテに呼ばれて思わず背筋が伸びる。
一転してやけに真剣な目をしたフィデリテがアンリエッタに助言する。
「でもいい? 大事なのはエッタの気持ちよ。自分が気に入ったものを選べばいいのよ」
「は、はい」
果たして挙げられた女性陣を前にして自分は意見を貫けるだろうか、と不安になりながらもアンリエッタは頷いたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
誤字報告をありがとうございました。修正してあります。




