36.親戚に会いに行きます。
次の日には親戚の家に向かった。
勿論、先触れは昨日のうちにしてある。
この国でのアンリエッタの後見の家なので決して疎かにできないのである。
この後見があるかないかでやはり違う。
きちんと挨拶には赴かなければならない。
勿論ルイも一緒だ。
ルイにとってもこの国にいる間の後ろ楯になるのだ。
「エッタ、ルイ、よく来たわね」
出迎えてくれたのは父の従弟の妻であるザイデ侯爵夫人のヘルミーネだ。
何故か実際に血縁関係のある侯爵よりヘルミーネのほうが実のおばのようである。
アンリエッタたちが侯爵ではなくヘルミーネのほうの親戚だと思っている者も意外と多い。
ヘルミーネは生粋のこの国の貴族であるというのに、何故か。
「ご無沙汰しております、おば様。お変わりないようで安心しました」
「エッタはますます綺麗になったわね」
「ありがとうごさいます」
「ルイもまた背が伸びたかしら?」
「はい。まだまだ伸びます。成長期ですから」
もう身長も並んだルイをあっという間にアンリエッタが見上げることになるのだろう。
「頼もしいわね。さあいらっしゃい。お茶でも飲みながらゆっくり話を聞かせてちょうだい」
「はい」
踵を返したヘルミーネの後にアンリエッタとルイは続いた。
案内されて着いたのは親しい者たち用の応接室だ。
ルイと並んでヘルミーネの対面に座ると侍女たちが静かにお茶の準備を整え下がっていく。
「ごめんなさいねぇ。今日は夫も息子たちも皆出掛けているのよ」
「仕方ありませんわ」
「とても残念がっていたわ。だから二人とも夕食は是非うちで食べていってちょうだい」
アンリエッタとルイは視線を交わす。
何も言ってきていないので屋敷のほうで夕食の準備はなされるだろう。
それもわかっているのだろう、ヘルミーネが言う。
「大丈夫よ。うちのほうで連絡はしておくわ」
アンリエッタとルイはそれならと頷いた。
「よかったわ。昨日連絡を受けてからそのつもりで用意させていたから断られたら無駄になるところだったわ」
これは断ったところで何だかんだと説得されていただろう。
まだまだ若輩者の二人では太刀打ちできない。
いずれは対等に渡り合えるようにならなければならないが。
本当によかったこと、ところころとヘルミーネは笑う。
ええ、本当に、と合わせてアンリエッタとルイも笑う。
しかし侯爵と子息たちは出掛けていると言っていたが、前侯爵夫妻はどうしたのだろう?
今は社交シーズンで王都にいると聞いていたのだが。
その疑問に気づいたかのようにヘルミーネが言う。
「お義母様もそろそろ帰っていらしゃると思うわ」
「出掛けていらっしゃるのですね」
「ええ。お友達とお約束があるとかで朝早くからお出掛けになったわ」
「そうだったのですね」
前侯爵夫人も出掛けていたようだ。
祖母から預かってきた手紙はその前侯爵夫人フィデリテ宛だ。
前侯爵夫人であるフィデリテは祖父の妹に当たり、前侯爵に見初められてこの家に嫁いだのだ。
祖母とも仲が良かったようでこの国を訪れる時によく手紙を頼まれている。
今日のうちにきちんと手紙を渡せそうでほっとする。
なるべく早く渡したいと思っていたのだ。
侍女が静かに近づきヘルミーネに耳打ちする。
「噂をすればね。お義母様が帰っていらしたわ」
アンリエッタは頷いた。
「後で顔を出すそうよ」
「わかりました」
帰ってきたところならすぐには顔は出さないだろう。着替えたりいろいろあるからだ。
あとはどのタイミングで手紙を渡すかだ。
普通の私信のはずだ。
祖母からは特に秘密裏にとは言われていない。
だから家族の前で普通に渡したところで問題はないはずではある。
ない、とは思うができれば家人のいない場で渡したい。
私信だからこそ気兼ねないほうがいいのではないかと思う。
なるべく家族の目に止まらないように渡そう。
そうひっそりと決めた。
「お義父様は忙しくしていらして、でも今日は夕食までには何としても帰ってくるとおっしゃっていたわ」
「そうですか。では夕食は皆で頂けますね」
「そうね」
ヘルミーネは眉尻を下げる。
「ごめんなさいね、皆出払ってしまっていて」
「いえ、もっと早く訪問したい旨をお知らせすればよかったですね」
「あら気にしないでちょうだい。そもそもいつ来たの?」
「昨日王都に着きました」
「なら本当に気にしないでちょうだい。むしろ昨日の今日なら疲れているのではなくて? 大丈夫なの?」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですわ」
隣でルイも頷く。
「こちらの国に滞在できる時間は限られていますから」
「ああ、貴方たちはまだ学生だったわね」
「ええ。ですので時間を無駄にはできませんの」
「あらだったら夕食まで付き合わせてしまうのは時間を無駄にさせているかしら」
悪戯っぽく笑って言うので本気ではないのだろう。
「いえ、とんでもないです」
「僕たちにとっても大変有意義な時間ですよ」
ヘルミーネは頬に手を当てる。
「でも、限られた時間を無意味に浪費させるようで心苦しいわね」
「いいえ、そんなことはありませんわ」
「そうです。どうか気に病まないでください」
「でも所詮、親戚のご機嫌取りでしょう? この国での貴方たちの後ろ楯でもあるし」
一体急にどうしたことか。
「いえ、本当にお会いできて嬉しいですし、こうやってお話しさせていただくのも楽しいですわ」
「お世辞はいいわ」
「お世辞ではありませんわ。本心です」
「お話しさせていただくのを楽しみにしてきましたから」
「本当かしら? 適当に言っているのではなくて?」
「そんなことはございません」
その後も似たようなやりとりが続いた。
いくら言ってもヘルミーネは信じてくれない。
ああ、どうしてこんなことに……?
一体何がヘルミーネの気に障ってしまったのだろうか?
考えてもわからない。
考えてもわからないものは考えても仕方ないので、この後どうやって機嫌を直してもらおうかと思考を切り替え、頭を働かせる。
だが突然、ヘルミーネはにんまり、といった感じの笑みを浮かべた。
思わずアンリエッタはルイと共にきょとんとしてしまう。
「こうやって揚げ足を取られることもあるから言葉には十分気をつけなさい」
やはり全然勝てない。
「はい……」
「気をつけます……」
ころころとヘルミーネは笑う。
「それはそれとして。きっとうちの家族は皆楽しみにしているわ。悪いけど付き合ってね」
「悪いだなんてとんでもない。光栄なことです」
「僕たちにしても楽しみなので気になさらないでください」
「もう、堅苦しいわね。親戚なんだからもっと気楽にしてちょうだい」
きちんとしようとして肩肘を張りすぎたようだ。
もとよりアンリエッタにしろルイにしろ、赤ん坊の頃からの付き合いだ。
アンリエッタなど実はこの屋敷で生まれていたりする。
母がアンリエッタを身籠っていた時に、この屋敷を訪ねていた間に産気づいてしまったのだ。
まだその時は叔父はこの国に赴任していなかった。
そのため母はこの屋敷でアンリエッタを産み、しばらく療養させてもらったと聞く。
そういう経緯もあり、アンリエッタなどこの家の娘のような気持ちを持たれているようだった。
ヘルミーネの子供も息子二人だ。
娘がいないので余計に娘同然に思われるのだろう。
ふっと肩から力が抜ける。
隣でルイの肩からも余分な力が抜ける気配がしたので、ルイも同じだったようだ。
「そういうふうにきちんとしようとすることも大事よ」
ヘルミーネは気づいていたのだろう。フォローまでしてくれる。
「はい、ありがとうございます」
「ルイはきちんとしようとするあまり口数が減ってしまっていたわね。貴方の長所が消されてしまっていたわ。勿体ないわね」
ルイには助言までしてくれる。
「長所……」
ヘルミーネは一つ頷いて続ける。
「言葉で翻弄して相手の懐に入るのが得意でしょう」
確かにルイにはそういうところがある。
笑顔のルイと話しているうちに会話の主導権を取られたり、気づけば丸めこまれているのをよく見かける。
アンリエッタも時々やられる。
わかって気をつけているのだが、気づけばルイの思惑通りになってしまうのだ。
アンリエッタが頷くのをちらりとルイが見た。
「姉上もそう思っているの?」
「ええ。頼もしいと思っているわ」
ルイの顔に喜色が滲む。
ヘルミーネが楽しそうに微笑う。
「きちんとした態度で同じようにできたらかなり優位に物事を進められるようになるわ」
ルイの瞳が生き生きと輝き出す。
「ふふ、いい表情ね。息子たちが帰ってきたら聞いてみるといいわ。嬉々として教えると思うわ」
ヘルミーネの息子二人にルイは可愛がられている。
特に弟が欲しかった次男のルイの可愛がりが凄い。
普通なら相手に優位になれる技術をおいそれと伝授などしないだろうが、ルイを可愛がっている二人ならヘルミーネの言う通り、嬉々として教えてくれそうだ。
「はい、訊いてみます。ありがとうございます」
ヘルミーネは鷹揚に頷く。
そして。
「さあ、次は貴方たちの近況を教えてちょうだい」
微笑って言われたヘルミーネの言葉に、アンリエッタとルイも笑顔で頷いた。
読んでいただき、ありがとうございました。
誤字報告をありがとうございます。訂正してあります。
名前が間違っていましたので訂正してあります。
祖父の妹 フィデルテ→フィデリテ
申し訳ありません。




