32.親友の家族に謝罪します。
何日もかけてサルマン侯爵領に着いた。
領内で一泊してからミシュリーヌの家族の住む領地本邸に向かった。
着いたのはお昼前だ。
「どうぞ一休憩していってくださいませ」
ミシュリーヌがアンリエッタたちに声をかける。
伯爵夫人である母がおり、また家の代表としての声がけなので敬語だ。
ここでの決定権は母にある。
母は微笑んで言った。
「ありがとう、そうさせてもらうわ」
アンリエッタたちにも否やはない。
アンリエッタには心の中で一つ決めていることがあった。
ミシュリーヌの家族には謝罪もしないと。
アンリエッタのうっかりのせいで起こったことにミシュリーヌを巻き込んでしまったのだ。
今のところ、アンリエッタの知るところでは、という話になってしまうが、ミシュリーヌが嫌がらせをされていることはない。
ないが、いつされるとも限らなかった。
アンリエッタがうっかりをやらかさなければそんな事態には陥らなかったのだ。
全てはアンリエッタの責任だ。
母がちらりとアンリエッタを見る。
アンリエッタの考えていることはお見通しなのかもしれない。
「母上? アン? リーヌ?」
扉の外から声がかけられた。
兄の声だ。
いつまでも降りてこないアンリエッタたちにどうしたのかと思ったのだろう。
「今降りるわ」
「開けますよ?」
「ええ」
扉が外から開かれる。
「どうかされましたか?」
「いいえ。貴方たちが早かっただけよ」
「そうですか」
兄が手を差し出し、まずは母がその手を取って降りていく。
次にミシュリーヌが。
アンリエッタも差し出された手を取って降りる。
その手の持ち主はルイで嬉しそうに微笑っている。
「ありがとう、ルイ」
「どういたしまして」
近くでは兄がミシュリーヌと母と話している。
視線を巡らせてロジェを見つけた。
案外近くで佇んでいる。
ロジェはぐったりしていた。
「ロジェ、大丈夫?」
「まあ、何とか、な」
よっぽど大変だったようだ。
アンリエッタは何と声をかけたらいいかわからない。
兄と弟がごめんなさい、と言うべきだろうか?
「アンのせいじゃないからな。それに精神を鍛える修行だったと思えばいい」
本当に一体どんな状況だったのだろう?
ふとリュカたちが不憫そうな顔でロジェを見ている。
事情が見えた。
兄とルイは使用人たちに当たるわけにはいかなかったのでロジェに当たったのだろう。
「ルイ、ロジェに当たったりしたら駄目よ」
とりあえず隣にいるルイを叱っておく。
ルイは邪気のなさそうな顔で微笑う。
「僕はそんなことしてないよ」
この笑顔に騙されてはいけない。
「ルイ」
「姉上は僕を信じてくれないの?」
一転悲しそうな顔で見てくる。
演技だとわかっているが心が揺らぐ。
ロジェが溜め息をつく。
「アン、いい」
「ロジェ、本当にごめんなさい」
本当に何故ここまで姉馬鹿に育ってしまったのか。
母の言だと生まれつきらしいからどうにもならないが。
このままではアンリエッタが嫁いだ後、ルイは大丈夫なのかと不安になる。
今更ながらルイに姉離れさせるべきかもしれない。
「ねぇ姉上何考えているの?」
不穏な気配でも感じたのだろうか、ルイの声が低い。
これ、正直に答えたらまずいかもしれない。
「何でもないわ」
「本当に?」
「ええ」
この問題はアンリエッタだけの手には負えない。
後で家族にそっと相談してみよう。
……もう手遅れかもしれないが。
ルイの疑いの眼差しを笑顔でかわしていると、声が聞こえた。
「ミシュリー、お帰り。そんなところにいないで入ってもらいなさい」
見ればミシュリーヌの家族が玄関先に出てきていた。
ミシュリーヌの両親のほかに兄であるパトリスとその妻であるナタリーもいる。
パトリスとナタリーは昨年一緒に卒業して結婚したのだ。
母と兄が挨拶をしている。
謝るのなら今だ。
アンリエッタは背筋を伸ばして彼らのもとに歩いていく。
何かを察したのか、ルイとロジェはその背に付き従うように歩み寄った。
いつもと様子が違うのを感じ取ったのか、サルマン侯爵たちが訝しげな視線をアンリエッタに向けてくる。
アンリエッタは少し離れたところで立ち止まり、背筋を伸ばして告げた。
「おじ様、おば様、パトリスお兄様、ナタリーお姉様、いえ、サルマン侯爵、侯爵夫人、次期サルマン侯爵、次期侯爵夫人、ミシュリーヌを巻き込んでしまい、申し訳ありません」
アンリエッタは深く頭を下げる。
アンリエッタだけではない。
母も兄もルイも、そしてロジェまでも深く頭を下げる。
貴族は簡単に謝罪してはならない。だけど、ここは謝罪すべき場だ。
「アン、何を言っているの!」
ミシュリーヌが声を上げる。
だけどこれはアンリエッタのけじめだ。
そのまま頭を下げたままでいると、
「アン、他の皆も頭を上げてくれ」
ミシュリーヌの父親であるサルマン侯爵の声が聞こえた。
「身内同然の相手に頭を下げられ続けられるのはつらい」
そう言われれば頭を下げ続けるわけにはいかない。
アンリエッタはゆっくりと顔を上げる。
サルマン侯爵は真面目な顔をしていた。ただその瞳は穏やかだった。
そのまま口を開く。
「アンに非はない。姫様が宣言なさった通りだ。だから謝る必要はないよ」
「ですが、」
「どのみちミシュリーは自分からアンを庇いに向かっていくだろう。それなら事情がわかっている今の状況のほうがいい。むしろサルマン侯爵家を身内としてくれたことが嬉しかったよ」
そう言われてしまうとアンリエッタにはそれ以上何も言えない。
ぱんとサルマン侯爵夫人が手を叩く。
「さて、この話はここまで。アンも気持ちの整理をつけてちょうだい」
「はい」
意地を張る場面でもない。
「疲れたでしょう。皆様中にどうぞ」
サルマン侯爵夫人に促され、皆で移動する。
ミシュリーヌがアンリエッタの傍に寄ってきた。
「アン、次にあんなことしたら怒るからね?」
「でも、ミシュリーに余計な負担をかけているわ」
ミシュリーヌが溜め息をつく。
「私たちは親友でしょう。それにいずれ義姉妹になるのよ。手を貸すのは当然でしょう」
「ミシュリー……ありがとう」
「でもずっとそんなふうに思っていたの?」
「だって、わたくしだけならともかく、一緒にいるミシュリーにまで被害が出たら申し訳なくて」
「わたくしだってそれなりに自分で対応できるわ。それに、いくら悪評を流されたとしてもエディとの婚約がなくなるわけではないとわかっているから大丈夫よ」
「当たり前だ」
ミシュリーヌの隣から兄が言う。
今更何があっても兄がミシュリーヌを離すことはないだろう。
もともと政略結婚でもなく兄が乞うての婚約だ。
そのためパトリスとも勝負をした。
……兄の圧勝だったが。
「だからアンはこれ以上気にするな」
ぽんと兄の手がアンリエッタの頭に乗る。
「そうそう。ミシュリーに意地悪すれば兄上がバレないように徹底的に仕返ししてくれるよ」
「そうだな。公表していいなら堂々と庇うが、今は時期が悪いからな」
第一王子の件があるので今はこれ以上目立たないほうがいい。
それと第一王子にサルマン家を身内扱いして事情を話しているとは知られないほうがいいだろう、というのが家族の総意だ。
というか、第一王子は身内をどこまでだと思っているのだろう?
傍にいてくれるロジェのことはどういう認識なのだろうか?
アンリエッタが思うことではないがあの王子は大丈夫なのか?
いや臣下としては王族の判断力が甘いというのは本当に困る。
しっかりしてもらいたい。
兄とミシュリーヌの婚約は、まあ公表しなくてもいいか、という軽いものなので必要になれば公表しても構わなかったのだ。
サルマン侯爵家はミシュリーヌを使ってまで結びつきたい家はないそうだ。
パトリスの妻のナタリーは第三妃を出した侯爵家の娘で、恐らくそれ以上の政略はいらなかったのだろう。
とはいえ、パトリスとナタリーは婚約時代から仲がいい。
早目に婚約をしたので十分に交流期間があったのもよかったのだと思う。
ナタリーは親戚になるのだからと、ミシュリーヌだけではなくアンリエッタのことも妹のように可愛がってくれている。
有り難いことだ。
「話なら中でしなさい」
立ち止まって話していたアンリエッタたちに声がかかる。
「行きましょう」
ミシュリーヌの言葉を合図に兄はミシュリーヌをエスコートして先に歩き出す。
さっと横に来たルイにアンリエッタはエスコートの手を預けた。
そのまま歩き出す。
すっと隣に並んだロジェがちらりとアンリエッタを見て言う。
「アン、ボワ辺境伯家には謝らなくていいからな?」
ボワ辺境伯家には隣国に行く前に寄ることになっている。
その時に謝るつもりでいた。
「え、でも……」
「本当にいい。うちは完全に身内だろう。むしろ蚊帳の外にされていれば俺が責められただろうよ」
「そんなことは……」
「ないと言えるか?」
アンリエッタは口をつぐむ。
ないとは言い切れなかった。
「だからむしろ謝るな」
「……ええ」
それなら謝ることは諦めよう。
水臭いと言われるだけだろうから。
なんなら身内だと思っていなかったのか、と落ち込まれそうだ。
「……本当に身内扱いしてもらってよかったよ」
なんか無駄にロジェに負担がかかっている気がする。
「ロジェ、貴方にばかり負担がかかっているわね。ごめんなさい。ありがとう」
ロジェが驚いたように軽く目を見開いた後に、微笑う。
「アンが気にすることじゃない」
ぽんとロジェの手がアンリエッタの頭に乗る。
ルイがその手を一瞥し、素っ気なく言う。
「今回はまあ許してあげるけど、あまり気軽に姉上に触れないでよね」
「まあ、アンは淑女だしな」
微笑ってそう言い、ロジェの手が離れた。
「アルトには言うなよ?」
「言わないよ」
ルイがあっさりと言う。
「姉上が誘拐されても困るし」
「そうだな」
「え?」
アンリエッタは思わず淑女らしからぬ間抜けな声を上げてしまったが、二人は本気だ。
「何か結婚後が心配になってきた。姉上、監禁なんてされないよね?」
「されないわ。大丈夫よ」
ルイが立ち止まってきゅっと手を握ってきた。
「姉上、本当にされそうになったら周囲に助けを求めて。勿論、僕にも知らせて。助けに行くから」
「本当に大丈夫よ。ルトはそんなことはしないわ。」
「アン、いいか、アルトに丸め込まれるんじゃないぞ。不穏な気配を感じたら周囲に相談するんだ」
「ロジェまで。大丈夫よ、本当に」
微笑って言うと二人に溜め息をつかれた。
「とにかく! 少しでも身の危険を感じたら周囲に相談すること。それだけ約束して」
ルイとロジェに真剣な顔で迫られてアンリエッタは頷いた。
「わかったわ。身の危険を感じたら周囲に相談するわ」
「アルトのことだけじゃないからな」
「ええ」
今の状況もあり、過保護になっているようだ。
「心配をかけてごめんなさい」
二人は驚いた顔をした後で微笑った。
「気にしないで。家族でしょ」
「ああ、気にするな」
「ありがとう」
アンリエッタは本当に周囲に恵まれている。
見捨てずに手を差し伸べてくれる。
本当に有り難い。
その気持ちを忘れないようにしないと。
「あなたたち何をしているの? 中に入りなさい」
母の声が聞こえてはっとする。
他の皆はすでに屋敷の中に入っている。
アンリエッタたちがここで立ち止まっていては迷惑になる。
「今行きます」
アンリエッタは二人を促して歩き出した。
読んでいただき、ありがとうございました。
エドゥアルトはヤンデレではないので監禁はされないと思います。たぶん。
パトリスとナタリー、当初は台詞があったのですが、入れられませんでした。
誤字報告をありがとうございます。訂正しました。
度々ありがとうございます。訂正しました。




