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3.一方的な蹂躙は許しません。

すうっと一つ深い呼吸をする。

頭を切り替える。

公爵家への詫びは後で考えることにして、今は目の前の状況だ。


この命を差し出すわけにはいかない。

それもまたまずいことになる。

この身を損なうのもまた、危うい状況を引き起こしかねない。


少しでもこちらの条件も整えておかなければならない。

一方的に蹂躙されるわけにはいかない。

そう、これは蹂躙なのだ。


「ただし、条件があります」

「条件?」


当然だ。これはただの第一王子の横暴でしかない。

当然でしょうという顔をすると、第一王子は渋々といった様子で、


「……聞くだけ聞こう」


アンリエッタは一つ頷き、素早く頭の中で譲れない条件を確認する。


「条件は三つです。一つ目はわたくしが冷たくあしらっても不敬罪に問わないこと」

「それはもちろんだ。約束しよう」


この条件は了承されるのはわかっていた。そうでなければそもそも成り立たないことだからだ。問題は次だ。


「二つ目は、このことを公爵家とわたくしの身内、婚約者、それと、婚約を取り持ってくださった方に話す許可をください」


第一王子が眉根を寄せる。


「口外しないという話ではなかったか?」

「それは殿下とベルジュ伯爵令嬢が恋人同士であるということについてだけの話でしたわね。とはいえ、こうなってしまえばその方々には話さざるを得ませんが。口外しないようにはお願いします」

「だがしかし、これは俺とアンリエッタの間の話だ」


何を言っているのだろうか、この方は。


「いいえ。殿下がおっしゃったのですよ、我らが公爵家と我が家の忠誠を疑うと。もう我らが公爵家と我が家も巻き込まれています。わたくしに婚約者がいる以上、彼とその婚約を取り持ってくださった方には誤解を与えるわけには参りません」


公爵家や家を巻き込まなければアンリエッタは絶対に引き受けなかったが、巻き込んだのは第一王子のほうなのだ。

愚かなことをしたものだ。彼女のことを秘密にしておきたければ巻き込むべきではなかった。

アンリエッタだって、巻き込まれなければ第一王子の恋人が誰かなど知らずに済んだし、ここでのことを誰かに話すつもりはなかった。

全て第一王子の責任だ。


第一王子は少し考え込むように黙り込み、それからひたりとこちらを見据える。


「認めない、と言ったら?」

「そうですね、」


アンリエッタはベルジュ伯爵令嬢のほうに視線を向ける。


「あなたなら誰にこの話をしたら有効かわかるのではないかしら?」


すぐに思い至ったのだろう、ベルジュ伯爵令嬢の顔からざっと音を立てて血の気が()せる。


「や、やめて……。お願い……」

「自覚のあるようでよろしいこと」


そう、これは裏切りなのだ。

自分のところの公爵家令嬢の気持ちがどこにあるのかがわかっていて、なおその手を取ったのだろうから。


「リリィ?」


困惑したように第一王子が彼女の名前を呼ぶ。

第一王子は本当に公爵家と他の貴族の関係をわかってはいないようだ。

当然、侯爵家の者であるヴァーグ侯爵令息はわかっている。

これがどういう状況かわかっていないのは第一王子だけだ。


「わたくしは別にどちらでもいいのです。むしろあの方に話してしまったほうがわたくしとしてはよいのですよ」

「それでは話が違う」


と言い立てる第一王子と違い、ヴァーグ侯爵令息は理解を示す。

「やむを得ないでしょうね。彼女にも大切な者を守る権利と、公爵家と家を守る義務がある」

「シアン、お前はどちらの味方だ?」

「それはもちろんクロード様ですが、側近というのは唯々諾々と従うだけの存在ではありません。主を(いさ)めるのも役目です。ましてや彼女は巻き込まれただけの無関係な者です」


その通りだが、諫め方が足りない。

彼がきちんと止めてくれれば今こんなことにはなっていない。あるいは今からでも第一王子の発言を撤回させるように動いてくれればいいのだがその様子もない。

彼はいつも出遅れており、場当たり的に対応している。


第一王子はちらりとベルジュ伯爵令嬢を見る。

彼女は本気で怯えた様子でこちらを見ている。

まるでアンリエッタが(いじ)めたようだが、むしろ被害者はアンリエッタのほうだ。

それだけ自身の公爵家令嬢が怖いのだろう。

あの方は苛烈な性格だと聞く。


第一王子はふむと一つ頷く。


「それを了承する前に、婚約者は誰だ? どこの家の者だ?」


アンリエッタは笑みを張りつける。


「正式に国には届けてありますから、お問い合わせなさってみてはいかがでしょう? 正当な理由があれば開示されるでしょう」


十中八九開示されることはないだろう。王族の権限を使っても無理だ。

(くだん)の暗黒時代、王族もまたその権力を使い、お気に入りの相手の婚約者を排除したり嫌がらせをしたりしていたのだ。


第一王子が渋い顔になる。問い合わせても開示されないことが彼にもわかっているのだろう。

懸念しているであろうことに一言入れておく。


「このことを知っても悪用するような人ではないことは保証しますわ」


この身を損なわなければ、の話だが。

知らせなかった時の荒ぶりのほうが恐ろしい。


「それも懸念の一つではあるから、それが本当ならいいのだが」

「それは信じていただくしかありませんわね」


それが無理なら即刻やめるべきなのだ。

第一王子は一つ頷き、もう一つの懸念を口にする。


「アンリエッタの婚約者に言いがかりをつけられたり、妙な動きをされても困るのだ」


だったらこの話をなかったことにすればよいのだ。

何度でも思うし、これほどやめるべき条件が揃っているのに何故頑ななまでにそれに拘るのだろう。

アンリエッタは内心の溜め息を(こら)えつつ口を開く。


「その心配はございません。彼は今、この国にいませんので」


第一王子の片眉が上がる。


「……本当に婚約者がいるのか?」

「おりますわ。明かせとおっしゃられても明かすつもりはございませんから、ベルジュ伯爵令嬢に本当に婚約者がいないのか、ということと同じくらい信憑性はないかもしれませんが」

「……いません」


ベルジュ伯爵令嬢が小さい声で反論する。


「そして、そうならないために説明しておくことが必要なのです」


説明しても荒ぶりそうだが、説明しておかなければその比ではないだろう。


「……わかった。ただし、その者たちのみということは徹底させろ」

「承知しました」


これで少しは抑止力にもなるだろう。

第一王子は溜め息をつきながら、


「三つ目の条件は何だ?」

「それを書面にしていただきたいのです」


第一王子の眼差しに警戒の色が乗る。


「……何故だ?」

「ここには殿下の味方ばかりで、わたくしの味方は誰もおりませんもの。反古にするのも、内容を変えられるのも、殿下の思うがままです」

「そんなことをするつもりはない」


アンリエッタはただ唇の端を引き上げた。


そんなの信用できるわけがない。

第一王子はこれだけの会話の間にアンリエッタにとって信用すべき相手ではないと証明した。

だからこれはアンリエッタの命綱であり絶対に必要なものなのだ。

アンリエッタはただの伯爵令嬢であり、相手は王族だ。口約束ではどうにでもなる。限られた中で最大限に自衛するのは当然だ。


伝わるかはわからなかったが第一王子には伝わったらしい。


「……悪用はするなよ?」


溜め息を押し殺すように念を押された。


「勿論ですわ。これで公爵家と家に説明しやすくなります。信じてもらえずに咎められれば殿下の意には添えなくなりますから」


それっぽい後付けの理由も足しておく。


「アンリエッタ?」

「公爵家に睨まれれば、我が家は生きていけません」


アンリエッタ一人が伯爵家から放り出されて済む問題ではない。いや、公爵家に対してはそれで済むかもしれないが、婚約者のほうは逆にその対応ではまずいかもしれない。ことは婚約者の家にまで波及する恐れがある。


「……わかった。後で、と言えばこちらが反古にされかねない。すぐに作成しよう」


第一王子がヴァーグ侯爵令息に合図をし、紙とペンを用意させる。

第一王子は椅子に座り、意外にもと言っては失礼だが、今の要件をすべてきっちりとまとめて抜けのない書類を作ってくれた。

自分の署名だけではなく証人としてヴァーグ侯爵令息にも署名させた。

このあたりはさすがに有能だと言われるだけのことはある。

アンリエッタも署名を済ませる。

第一王子は書類を二部作成し、割り印までした正式なものを調えてくれた。


インクを乾かした書類の一部をアンリエッタに渡し、もう一部をヴァーグ侯爵令息に預ける。

そこまできちんとしてくれるのは意外だった。


「……ありがとうございます、殿下」

「くれぐれも紛失はするな。人の目に触れないところで厳重に保管しておけ。決して盗まれるなよ?」

「はい」


保管しておくようにと渡された書類を精査していたヴァーグ侯爵令息が口を開く。


「この内容でしたら、ラシーヌ伯爵令嬢がもし婚約破棄された場合、いえ、破棄までいかなくとも、家同士のことですからね、不利な条件になった場合も同等以上の補償はクロード様に請求できますよ」


こちらを不憫に思ったのか、あまりにも自身の仕える王子の要求が目に余ったのか、ヴァーグ侯爵令息が口添えしてくれる。


「シアン!?」

「補償は当然でしょう。貴方は忠誠を盾に一方的に搾取するおつもりですか?」

「そんなつもりでは……」

「ですが、彼女にとってはそうなのでしょう。だから身を守るために画策したのですよ」


そこに思い至っていなかったのであれば、本当にいろいろ足りない。


第一王子がこちらを見てきたのでにこりと笑っておく。

アンリエッタにも守るべきものはあるのだ。

だからこそ、搾取する側に立ったもう一人からは同等分もらわねばならない。

アンリエッタは第一王子に庇われる位置にいるベルジュ伯爵令嬢を見据える。


「それからベルジュ伯爵令嬢、あなたには貸し一つですからね。いつか必ず返していただきます」

「アンリエッタ!? 何を言っている!?」


王家への忠誠とこれは別だ。


「当然ですわ。顔見知りでもない、同格の伯爵家の者に無償で力を貸すわけがないでしょう。それもこちらが不利益を被りますのに」


そもそも第一王子の婚約者でもない以上、王妃候補ですらないのだ。


「当然だろうな」


ヴァーグ侯爵令息もさすがにこちらの言い分に頷く。


「シアン!」

「当然でしょう。家同士の話ですらない。不本意な状況で一方的な不利益を被るのですよ。これで彼女が婚約破棄などされた場合、それと同等以上の利益を補償するのはクロード様ですが、ただ守られているだけのベルジュ伯爵令嬢が何もしないのは許されることではないはず。不名誉な噂話を払拭もしなければならないラシーヌ伯爵令嬢からすれば、貸し一つというだけでもずいぶんと譲歩していると思いますよ」


第一王子とベルジュ伯爵令嬢が付き合うことは容認できたのかもしれないが、他者を巻き込んだことは許し難いのかもしれない。

それも脅すような真似をして。


アンリエッタからしても、理不尽すぎるので貸し一つとしても容赦するつもりはなかった。

彼女は第一王子を止める素振りも見せなかったのだ。手心を加える必要はないだろう。

彼女への貸しの取り立てがどれほどのものになるのかは、第一王子次第だ。

彼女が貸しなどにしないと主張しても問題はない。重要な秘密を握っているのだ。いかようにも使いようはある。


弱みを掴まれている状態よりも貸し一つにしておいたほうがまだましだと、彼女もわかっているのだろう。


「……わかりました。借りは必ず返します」

「よい心がけですわ」

「リリィ……」


気遣わしげに第一王子が彼女の愛称を呼ぶ。


「大丈夫ですわ、クロード様。彼女の言っていることももっともなことですもの」


気丈に微笑んでみせるベルジュ伯爵令嬢は、確かに守ってやりたくなるくらい儚げだ。

だが第一王子と付き合えるくらいだから見た目通りではないのだろう。


「この件は俺が証人になろう」


ヴァーグ侯爵令息が申し出てくれる。

「まあ、ありがとうございます」


ベルジュ伯爵令嬢に対しては思うものがあるようだから、第一王子に命令でもされない限りは何かあった時は証言してくれるだろう。


「シアン……」

「ヴァーグ侯爵令息様が証人になってくださるのなら一筆書いていただく必要はなさそうですね」


一応援護しておく。

書面にしてしまえば、場合によっては家に紐づいてしまうことになる。

それが回避できてベルジュ伯爵令嬢もほっとしたようにヴァーグ侯爵令息に頭を下げている。

二人がいいのならと第一王子も文句は言わなかった。


もういいだろう。

今まで表立って交流のなかった相手を急に口説き出す理由は御自分たちで考えるだろう。

それはアンリエッタが考えてやることではない。


もういいですよね? という意味を込めて第一王子に視線を向けると、第一王子も頷いた。


「……では、明日からよろしく頼む」

「承知しました」


目を伏せて了承し、視線を上げて唇の端を上げる。


「それでは御前失礼いたします」


本と念書を抱えているので、片手でスカートを摘まみ、丁寧にお辞儀する。


「ラシーヌ伯爵令嬢、すまない。後でクロード様には御自分がどんなことをなさったのか丁寧に説明しておく」

「……お願いします」


それでどこまで御理解いただけるかは甚だ疑問だが、言わないよりはマシだろう。

小声でそんなやりとりを交わし、ヴァーグ侯爵令息が開けてくれた扉から部屋を出る。

扉が閉まるのを確認してから、いつも使っている隣の部屋によろよろと向かう。

明日からのことを思い、内心で深く深く溜め息をつく。

札を使用中にして部屋に入ると、床にへたり込む。


疲れた。


最大限の譲歩は引き出せたが、交渉には神経を使った。

明日からの令嬢からの攻撃は正直どれほどのものかはわからない。

"東"の公爵令嬢は確実に気分を害するから穏やかなものではないだろう。

だがそれは嫁いだ時の予行練習でも思えばいい。

嫁ぐ相手は王族ではないのだから、これからのものより苛烈な嫌がらせは受けないだろう。そう思いたい。

なら、これくらい何でもないわと笑えるための下準備だと思えば何てことはない。


そんなことよりも、家族への説明と公爵家への謝罪のほうがよほど気が重い。


どう償えばいいのかわからない。

命を差し出すわけにもいかない。

本当にどうすれば……。


アンリエッタは兄弟が迎えに来るまでその場で(うずくま)っていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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