17."北"の公爵令嬢にお呼ばれしました。
「お嬢様、こちらが届いております」
家令が差し出した銀のトレーの上には一通の封筒が載っていた。
「一応中は確認させていただきました」
手紙を手に取り裏返して差出人を見る。
えっ、何故?
差出人はミレーユ・ノール公爵令嬢ーー"北"の姫様からだった。
「お嬢様、ご確認をお願いします」
「ええ」
一体どういう御用事なのだろう。
家令の様子を見る限りは悪い内容ではないようだが。
ノール公爵令嬢と言葉を交わしたのは学院で一度だけだ。
忠告された一度だけ。
それ以降は特に接触はなかった。
封筒から便箋を取り出し、開いた。
目を通す。
「……お父様はご存知?」
「はい。お嬢様の判断に任せる、とのことです」
「そう」
「どうされますか?」
少し考える。
考えても結論は同じだ。
断れない。
「参加するわ」
「承知しました。旦那様と奥様にもそうお伝えしておきます」
「ええ」
一礼して家令が部屋を出ていく。
「さて、返事を書かなくてはね。マリー、便箋をお願い」
「はい。どのようなものを御用意致しますか?」
「そうね、」
アンリエッタは少し考えてから答える。
「"北"の姫様からのお手紙なの。持っているもので最上級のものをあるだけ出してくれる?」
「まあ、"北"の……。承知しました。すぐに御用意致します」
マリーが便箋と筆記具を用意してくれている間にもう一度届いた手紙を見る。
それは、ノール公爵令嬢からのお茶会への誘いだった。
***
あっという間にお茶会当日を迎えた。
アンリエッタは姿見で自分の装いを確認していた。
今日は青磁色のドレスだ。スカートの裾に向けてだんだんと刺繍が多くなっていくデザインだ。
小振りのサファイアの首飾りに翡翠の耳飾り。
今日は髪飾りはなく代わりにリボンが使われている。
公爵家のお茶会でも使える質の高いリボンを何本か使って髪を結われた。その中に一本こっそりと婚約者にもらったリボンを紛れ込ませてもらっている。
華美すぎず地味すぎない装いだ。
「大丈夫そうね。ありがとう」
「いいえ。お嬢様、お綺麗です」
「ふふ、ありがとう」
そこへ。
扉を叩く音がしてすぐに、
「姉上、いい?」
誰何をする前にルイの声が聞こえた。
「いいわよ」
着替えを手伝ってくれた侍女の一人が扉を開けに行き、ルイが入ってきた。
ルイはアンリエッタに歩み寄ってくるとその周りをくるりと一周した。
正面でまじまじとアンリエッタを見つめたルイが微笑う。
「先日も綺麗だったけど、今日も綺麗だね」
「ふふ、ありがとう」
「あいつのリボン、つけていくんだね」
アンリエッタは唇の前で人差し指を立てた。
「お守りよ」
くっと悔しそうにルイが顔を歪める。
「姉上、気をつけてね。それから今度僕もリボンを贈るから」
「え?」
「そうしたら僕の代わりにお守りとしてこういう時に身につけていってくれるでしょ?」
「え、ええ。でも、」
「大丈夫。あの男のリボンと一緒に使えるものにするから。だから、使ってね?」
「いいわよ」
なんというか圧に負けた。
どうしてもアンリエッタは彼のものを優先的に身につけてしまうだろう。
それがわかっているからだろう、一緒でもいいと言ってくれる。
それならば気持ちを受け取ろう。
ふわりと嬉しそうにルイは微笑う。
「それから、」
きゅっとルイに手を握られる。
「姉上、帰ってきたら僕ともお茶してね」
第一妃とのお茶会で遅くなってよほど心配させてしまったようだ。
早く帰ってきてほしいとねだってそんな約束をしようとしているのだろう。
「ええ」
「約束だよ。お茶のできる時間までに帰ってきてよ?」
「なるべくね」
絶対とは言えない。
普通のお茶会であれば可能だろう。
だがほとんど面識のないに等しい格上の相手からの誘い。
どのようなものになるかわからない。
それはルイもわかっているのだろう。
だから不満そうながらもそれを言葉にすることはない。
そこへ扉が叩かれ、アンリエッタが目線で許可を出してから侍女が扉を開けた。
入ってきたのは母だ。
「アン、そろそろ時間じゃないかしら?」
「ええ。ルイ、手を離してくれる?」
アンリエッタの手はまだルイに握られたままだ。
渋々といった様子でルイが手を離す。
近寄ってきた母がざっとアンリエッタの全身に目を通した。
「大丈夫なようね。気をつけていってらっしゃい」
「はい」
「姉上、帰ってきたらそのまま僕とお茶してね」
「ええ」
母が頷く。
「そうね。みんなでお茶にしましょう」
「母上!」
不満そうにルイが声を上げる。
「情報共有は必要なことよ、ルイ。諦めなさい」
母がぴしゃりと言う。
「ルイ、二人でのお茶会はまた今度ね」
「本当? 約束だからね!」
目を輝かせてルイが言う。
「ええ」
「さあ、アンそろそろ行かないと」
「はい」
「姉上、気をつけてね」
「ええ」
家族に見送られて馬車に乗り込んだ。
***
ノール公爵家の屋敷は王城近くの一等地にある。
当然ながらその敷地は広い。
屋敷も大きい。さすがにラシール伯爵家の屋敷と比べるべくもなかった。
玄関を入ったエントランスでノール公爵令嬢自らが出迎えてくださった。
今日の装いは薄紅色のドレスにガーネットの首飾りと耳飾りを身につけ、髪は紅色のリボンで纏め上げていた。
「よくいらしてくれたわね、ラシーヌ伯爵令嬢」
「御招きいただきましてありがとうございます」
アンリエッタはスカートをつまみ、頭を下げた。
「今日は二人だから気を楽にしていいわよ」
それはそれで緊張する。
それに、ますます今日呼ばれた理由がわからなくなる。
アンリエッタに微笑みかけているその顔に不穏なものは感じられない。
アンリエッタは曖昧な微笑みを浮かべた。
ノール公爵令嬢はそれを気にしなかったようだ。
「さあ、案内するからついていらっしゃい」
「はい」
いつぞやと同じようにノール公爵令嬢の後についていく。
そして案内されたのは、まさかの自室だった。
"北"の貴族に恨まれそうね。
それだけ自身の姫様の私室に入ることは特別なことだった。
そもそもどの貴族もよほど親しくなければ自室に招き入れることはない。
失礼のないようにしようと思ったが、ついそっと部屋の中を見回してしまった。
部屋は白を貴重としてピンクと茶色で可愛らしくまとまっていた。
意外と、と言ってしまうと失礼だが、可愛らしいものがお好きなようだ。
「珍しいものでもあるかしら?」
ノール公爵令嬢にしっかりと見られていたらしい。
「申し訳ありません。可愛らしくて、つい」
「ふふ、意外かしら?」
先程は意外と思ったが、部屋の中に立つノール公爵令嬢を見るとしっくりときた。
「あっ、いえ、何でしょう、とてもお似合いだと思います」
「そう? ありがとう。貴女が言うと何故かお世辞には聞こえないわね」
「本心ですので」
「そう。ありがとう。嬉しいわ」
部屋に置かれているテーブルのほうに促される。
「立たせたままにしてごめんなさい。どうぞ、おかけになって」
「はい」
ノール公爵令嬢の向かいに座る。
ノール公爵令嬢が控えている侍女に合図を送り、お茶とお菓子が饗される。
先日の第一妃とのお茶会も緊張したが、今日も今日で緊張する。
やはりどうしても"姫様"という存在は特別だ。
前にお会いした時に告げたことは余計なお節介だっただろうか。
アンリエッタは必要だと思ったから申し上げたが、どうだったのだろう?
「どうぞ召し上がって? "北"のものだから口に合うといいのだけれど」
「いただきます」
ティーカップに口をつける。
ふわりと華やかな香りが鼻を抜け、口内を香りを裏切らない味が満たす。
「美味しい……」
思わずこぼれた。
「ふふ、口に合ったようでよかったわ」
ノール公爵令嬢はどこか嬉しそうだ。
御自身もティーカップに口をつけ満足そうに微笑う。
「貴女と二人でお茶会だなんて知られたらシュエットに怒られてしまいそうね」
「大丈夫ですわ。我らが姫様は寛大な方ですので」
シュエット様は"西"の者すべてを気にかけてくださる素晴らしい方だ。他地域の者、それが御自身と同格の公爵令嬢とだろうと交流を持つのを咎めるような心の狭い方ではない。
「ふふ、意地悪を言ったわ。シュエットには言ってあるから大丈夫よ」
……また何かを試されたのだろうか?
最近、試されることが多い。
貴族など常に試されているようなものだが、今の状況はおいそれと気が抜けない。
「お菓子もどうぞ」
「はい、いただきます」
フォークを持ち上げ、ケーキを一口に切り分け口に運んだ。
見た目よりずっと軽く口当たり滑らかだ。
「どうかしら?」
「美味しいです。口当たりが軽くていくらでも食べてしまいそうです」
「まあ。いくらでも食べていいのよ?」
ノール公爵令嬢は楽しそうに言う。
「それはちょっと……」
さすがに食べ過ぎはよくない。
身体にも体型にも……。
それをわかっていて勧めてきているのだろう。
「まあ貴女の気持ちもわかるわ。わたくしもつい食べすぎてしまいそうになることがあるもの」
頬に手をあて困ったようにノール公爵令嬢は言う。
やはり美味しいものというのはどんな女性も惑わせるものなのかもしれない。
アンリエッタは思わず微笑う。
はっとしたがノール公爵令嬢は気にした様子もなく微笑った。
「まあ、好きなだけ食べたらいいわ。たまにはいいんじゃないかしら」
「ありがとうございます」
少なくともこの出されている分だけでもきちんと食べよう。
再びケーキにフォークを入れて一口大に切って口に運ぶ。
やはり美味しい。
思わず顔が綻ぶ。
それをノール公爵令嬢が楽しそうに見ていた。
しばらくたわいもない話をしてからノール公爵令嬢は切り出した。
「わたくし、貴女の忠告を受けてしばらく観察していたの」
「はい」
この話がしたいがために自室にアンリエッタを招き入れたようだ。
確かにあまり人に聞かれていい話ではない。
部屋に残っている侍女一人には聞かれても構わないということか。それだけ信を置いている侍女ということだろう。
ノール公爵令嬢は真面目な顔で確信を持っているように告げた。
「クロード殿下は貴女を本気で口説いているわけではないのね。それどころかあまり関心がない、そうでしょう?」
アンリエッタははっきりと肯定するわけにはいかないので曖昧に微笑む。
だがそれに気づいたということは、アンリエッタの忠告は功を奏したようだ。
咎める調子ではないので余計なお世話でもなかったようだ。
それにほっとする。
肯定も否定もせず、曖昧に微笑うだけで何も言わないアンリエッタにノール公爵令嬢は悟ったようだ。
「……何か事情があるのね」
疑問を示しているわけではなく確信を持った言い方だ。
それもはっきりと肯定するわけにはいかない。
じっとアンリエッタを見ていたノール公爵令嬢が一つ頷く。
「いいでしょう。無理に聞き出すつもりはないわ」
そう言ってくださってほっとする。
契約に抵触することは話すことはできない。
「わたくしは貴女から話を聞き出すために呼んだのではないの。貴女に伝えたいことがあったのよ」
自然とアンリエッタは背筋を伸ばした。
ノール公爵令嬢はアンリエッタを真っ直ぐに見て告げた。
「"北"はわたくしの名で抑えたわ。貴女に嫌がらせするような者がいたら遠慮なく言ってちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
声が震えてしまった。
まさかそこまでしてくださるとは思わなかった。
「そもそも貴女は何も批判されるようなことをしていないじゃない。シュエットが宣言したことが正しいのよ」
きっぱりと言ってくださる。
嬉しい。
これで"北"の貴族を警戒しないで済む。
本当に有り難かった。
警戒をしなくてはならないのは変わりないがその対象が減るだけでも負担は減る。
深く頭を下げた。
本当に有り難い。
「さあ、真面目な話はここまでにしましょう。わたくし、貴女とおしゃべりしたかったのよ」
雰囲気を変えるようにノール公爵令嬢は言った。
恐らくアンリエッタを気遣ってくれたのだろう。
適当なところでお暇させていただこう。
だが結局、アンリエッタが屋敷に帰り着いたのは、夕方になってからだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
わかりにくい場所を訂正しました。




