幕間 "南"の公爵令嬢の忠告
「クロード殿下、少しよろしいだろうか?」
声の主は夜空のように深く輝く黒髪に海のような真っ青な瞳を持つ女性ーー"南"の公爵家のクロディーヌ・スュッド公爵令嬢だ。
クロードの母親が現スュッド公爵の姉に当たるため、彼女とは従兄弟の関係になる。
シアンが無言で頭を下げる。
「ああ、構わない」
今は急いでいないので了承する。
「シアン、お前にも話がある」
シアンはクロードを見て窺ってきたので頷いた。
「はい」
「後で別に時間を取ってもらう必要はない。クロード殿下への話と関連がある」
「……わかりました」
「場所を移そう」
クロードの言葉に二人は頷いた。
三人で移動し、適当な空き教室に入る。
「それで話とは?」
「クロード殿下、まずは座られたらいかがだろうか?」
「長くなるのか?」
「クロード殿下とシアン次第、だろうか」
シアンが無言で椅子を動かす。
「クロード様、姫様どうぞ」
「ああ」
クロードが座ると、頷いたクロディーヌが対面に座った。シアンは無言でクロードの斜め後ろに立つ。
誰かが教室に入ってきたとしても、この位置取りなら何かを話し合っていると悟り、すぐに出ていくだろう。
シアンも同席しているので変な噂を立てられる心配もない。
「それで、話とは?」
改めて訊く。
クロディーヌは力強い瞳でクロードを見据えた。
「今日は従妹として忠告させていただこう」
クロディーヌはどちらかと言うと男性的な言葉遣いだが、何故そのような言葉遣いをするのかを聞いたことはない。
"南"は唯一港を有している地域だ。
海の男は荒くれ者が多いとも聞く。
彼女はよく"南"の領地を回っていると聞いているので、そのせいもあるのかもしれない。
「従妹として、か」
それはまた、珍しい。
それほど普段の彼女はきっちりと線引きしている。
「場合によっては不敬罪になるかもしれないからな」
「不敬罪なんて取るつもりはないが」
シアンにちらりと視線を向ければ、彼も頷く。
「それは有り難い。では早速、本題に入らせていただく」
「あ、ああ」
改めて言われると妙に緊張する。
クロディーヌは一拍間を置いて単刀直入に訊いてきた。
「ラシーヌ伯爵令嬢を本当に大切に想っておられるのか?」
アンリエッタをリリアンに置き換えれば考えずとも答えは出る。
この従妹は鋭いから嘘をつけばすぐに気づくだろう。
ならば、アンリエッタのことを訊かれたら全てリリアンに置き換えてしまえばいい。
「勿論だ」
この先はアンリエッタのことに対するクロードへの小言だろう。
クロディーヌは微かに眉間に皺を寄せる。
従妹として接しているからこそ出している表情だろう。
「それならば、どうして守ろうとしない?」
守ろうとしている。
だがそれは、アンリエッタではなく、リリアンを、だ。
この従妹の目も誤魔化せているのであれば、その目論見は成功しているのだろう。
そして、アンリエッタのことについて問われたその言葉には答えを持ってはいなかった。
クロードはアンリエッタを守ろうとはしていない。
その必要性を考えたことがなかった。
黙ったままのクロードに何を感じたのか、クロディーヌはシアンに視線を向けた。
「……一応、手配はしてあります。表立ってはできないので、限界はありますが。できるだけ。ただ……噂まではどうにもなりません」
シアンの言葉に密かに驚く。
シアンがアンリエッタの身の安全に気を配っていることに気づかなかった。そんな報告も受けていない。
「シアン、根本的なところで間違っている。そもそもお前がクロード殿下をきちんと諌めていればこんな事態になっていない」
「言い訳のしようもございません。申し訳ありません」
シアンがクロディーヌに深く頭を下げた。
「謝る相手が違うのではないか?」
「勿論、一番に謝るべきはラシーヌ伯爵令嬢ですが、姫様の忠告をきちんと受け止めることができていませんでした。申し訳ありません」
「もっと早く気づいてもらいたかったが」
「返す言葉もございません」
クロディーヌの苦言にもシアンはただ頭を下げる。
それに、クロードは衝撃を受けると同時にシアンへの申し訳ない気持ちが沸き起こってくる。
再びクロディーヌの視線がクロードに向く。
「クロード殿下はどうされたいのか?」
「どう、とは?」
クロディーヌは軽く片眉を上げる。
「ラシーヌ伯爵令嬢とのことをどうされたいのか?」
リリアンとのこの先など決まっている。
クロードはうっすらと微笑った。クロードらしからぬ微笑みだった。
「なあ、クロディーヌ、シアン、俺はこの想いの先に未来がないことはわかっている。その先に手を伸ばすつもりは始めからない。ほんの一時の、想い出だ」
そう、ほんの一時の夢、のようなものだ。
王位継承順位がどうなるかはまだわからないが、政略結婚をする、あるいは独身を通すということは決まっている。
伴侶を得ることも含めて自分では決められないのだ。
だからこそ、手放した後のためにリリアンの名誉を守らなければならない。そのためには彼女のことは隠し通さなければならない。
二人共にある未来があり得ないからこそ。
「誰かを想えたという想い出だ」
そして、想いを返してもらったという想い出。
恋が成就した幸せな記憶。
クロードに残るのはそれだけだ。
シアンは息を呑んでいたが、クロディーヌは溜め息をついた。
「クロード殿下は周りにどのように映っているか、わかっておられるのか?」
リリアンさえ守れれば、クロード自身の評判はどうでもいい。
……というのは、恐らく王族としては失格だろう。
それはさすがに口に出してはならないことだとわかっている。
「……どう映っている?」
「率直に言わせてもらえば、"愛していると言いながら、守ろうとはしない。ひいてはこの国を守る気はあるのだろうか? 口先だけで何もしないのではないか?"と」
「ーーっ」
クロディーヌは冷静な表情でクロードの反応を見ていた。
「自覚はおありではなかったようだ」
そのままクロディーヌはシアンに視線を流した。
「伝えていなかったのか? いや、把握していなかったのか?」
「いえ、把握はしていたのですが……」
シアンの歯切れが悪い。
それなりに付き合いは長い。
シアンがどう報告しようかと頭を抱えていた様子がありありと思い描ける。
だがシアンを見るクロディーヌの目は厳しい。
「シアン、お前は何のためにクロード殿下の傍にいる? 主をきちんと諌められない側近に何の意味がある? 必要な情報を主に上げられない側近は必要か?」
「申し訳ありません。以後精進します」
それでもなおクロディーヌのシアンを見る目は厳しいままだ。
クロディーヌが口を開きかけるのに、咄嗟に割って入った。
「クロディーヌ、あまりシアンを責めないでやってくれ。シアンやニコラ、他にも諌めてくれたのだが、聞かなかったのは俺だ」
はぁとクロディーヌが溜め息をつく。
「それで、どうされるおつもりか?」
「そうだな。もう少しわかりやすくアンリエッタの身の安全を図ろう」
アンリエッタを諦めるとは言えない。
彼女には悪いが最後まで付き合ってもらう。
クロディーヌはクロードの真意を測ろうとするかのようにじっと見てくる。
「何か企んでおいでか?」
「さあ、どうだろう?」
「すっかり調子を取り戻されたようだ。これは追及してもはぐらかされるばかりだな」
クロードは唇だけで笑んだ。
やれやれとクロディーヌは肩を竦める。令嬢らしからぬ所作だが不思議と品の悪さを感じない。
「厄介な男に惚れられたものだ。ラシーヌ伯爵令嬢は大変そうだな」
「そうだな」
本当に。アンリエッタには同情する。
今さら逃がしてやることはできない。
リリアンにさよならを告げるその時まで付き合ってもらわねば。
クロディーヌはクロードを真っ直ぐに見て忠告するのを忘れなかった。
「御自分の立場を努々(ゆめゆめ)お忘れなきよう」
「ああ、忠告に感謝する」
「それでは私はこれで」
「ああ」
最後に見事なカーテシーをしてクロディーヌが教室を出ていく。
その足音が十分に遠ざかってからシアンに向き直った。
「すまない、シアン。いろいろ手を回してくれていたのだな」
「側近の役目ですから。それに、クロード様を止めきれなかった私の責任でもあります」
「いや、止めてくれていたが、聞かなかったのは俺だ」
ただ、どれだけ止められたとしても、やはり同じ選択をしただろうと思う。
「俺はいろいろ考えが足りていなかった」
リリアンを守れればいいと思っていたが、それだけでは駄目なのだ。
アンリエッタを巻き込んだ以上は彼女も守らなければ、少なくとも守る姿勢は見せないと駄目だったのだ。
ニコラとアンリエッタが話していた時にも掴みかけていたことだったのに。
それを、深く追求せずに有耶無耶にしてしまった。
クロードがアンリエッタの身の安全など考えていなかったから、シアンも大々的には動けず、報告もしてこなかったのだろう。
その結果、シアンがクロディーヌに叱責される事態を引き起こしてしまった。
公爵家は他の貴族にとって特別なものだと聞いている。
令嬢は"姫様"と呼ぶほどに大切にしているのだ。
そんな彼女に叱責されてしまったシアンに申し訳なくなる。
だがシアンはそれを気にしていないかのようにクロードを真っ直ぐに見ている。
そして進言してきた。
「ラシーヌ伯爵令嬢を解放してあげたらどうですか?」
それが本来は一番いいことなのはわかっている。
「それは、できない。俺にはアンリエッタが、必要だ」
リリィを守るためにーー唇の動きだけでそれを伝える。
シアンが小さく溜め息をつく。
「アンリエッタの身の安全をこれまで以上に頼む。みんなにも伝えておいてくれ」
「承知しました」
シアンが頭を垂れる。
悪いな、アンリエッタ。
心の中で謝罪する。
不本意だろうが、最後まで付き合ってくれ。
読んでいただき、ありがとうございました。




