村から外れた女の子
ミウキの一件ですっかり夕暮れ。市場を回れず落ち込んでいたハナメを待っていたのは、小さな女の子との出会いでした。
お昼を食べるだけのつもりがすっかり長居してしまった。もう日が傾きかけている。茜色に染まりつつある太陽に急かされて私はラルドの手をぐいっと引く。
「大変! 早く市場回らなきゃ!」
さんざんオレを待たせたくせにまだ行く気あったの? という顔でラルドが眉を寄せる。
「え、もうすぐ日没だぞ?」
「まだエルフ様やドワーフ様のお店に行ってないじゃない!!」
今朝出かける前に抱いていた引っ込み思案なんてもうどこにもない。たとえ初対面でもエルフやドワーフとならすぐ仲良くなれる気がした。本の中でいつもお話しているからかもしれない。
私は友達が欲しい。エルフやドワーフの。頭の中じゃなくて、リアルに目の前でしゃべってくれる本物の友達を人生で初めて、自分の手で作るんだ!
弾丸のように駆け出した私の体はしかし、たくましい腕に抱きとめられた。
「探したぞラルド、ハナメ! レストランにいたのか」
ダン様だ。たった数時間しか離れていなかったのにまるで久しぶりに会った親戚のようにくしゃくしゃと私達の頭をなでてくれる。
う、嬉しい……まるでダン様の娘になった気分! でも私は友達作りを……。
「そろそろ帰らねぇと暗くなる。行くぞ」
特大級の大岩で頭を殴られたような、絶望。え、え、私の小さな冒険はもう終わり? もっともっとたくさん見て回るつもりだったのに、たくさんの人とお話しするつもりだったのに……! 私はショックでカタカタと震えながらダン様の胸にすがりつく。
「あ、あとひとつだけ店を見てはいけませんか? 神様仏様ダン様……」
「んあ? まだ回りたいってか?」
「レストランでご飯も食べそびれてるし……何よりまだエルフやドワーフの友達が……」
ひと粒、ふた粒と涙がこぼれ落ちる。私は、私は、何のために市場へ来たの? せっかくファンタジーな村の人とお近づきになれるチャンスをもらったのに! 何のために船酔いまでしてはるばるここまでやってきたの!? 涙がどんどんあふれて頬をつたい胸にこぼれていく。
ダン様はうーんむと眉毛を曲げて腕を組む。
「お前らがどこにいるかわからねぇから、漁の仲間にも会わせてやれなかったしなぁ……」
「あ! 仲間って、ドワーフですよね!?」
「おう、そうだ」
一縷の望み、希望の光! 漁師のドワーフってなんとなく気性が荒そうで怖いなって実は思ってたけどこうなったらもう誰でもいい。ダン様のお仲間さんだもん、きっと優しくて豪快で笑顔がチャーミングな人達ばっかりのはず!
「行きましょう今すぐ! ぜひお会いした―――」
「いい。また今度ゆっくり会えばいいじゃん」
即座にラルドが割って入った。そ、そんな! なにもバッサリ却下しなくてもいいじゃない! 私のしたいことわかってて言ってるの!? 残酷すぎる!
後ろにあったダン様の荷物チェックを始めるラルドに私は持てる全てをぶつけてごねる。
「なんでよラルド!? 行こうよ、ガルンおじさんとアドお兄さんのところ!」
「名前よく一発で覚えてたな……ハナメ連れてくと話が長引いて、家に帰れなくなるだろ?」
「大丈夫、手短に、挨拶だけ!」
「信用ならない」
「バッサリひどい!」
「それに、夜の海は怖いんだよ。昼にはいなかった危険な魚も出るし、何より真っ暗だし」
「ミナトは?」
「そういや連れて来なかったな」
「なんでぇ……」
ここまで言われちゃもうやり返す気力はない。残念だけど、ファンタジーな友達探しはまた今度にするしかないみたい。がっくりとうなだれつつ私はダン様とラルドに連れられて、おとなしく帰ることにした……がーん。
港に泊めてある船へ向かう途中。私は浜辺にうずくまっている女の子を見つけた。
猫耳も、とんがった耳も、角も何もない普通の女の子。年はミウキちゃんと同じくらいかな。近くに親もいないし、一人で何をしているんだろう?
船に荷物を積んでいるラルドとダン様に一言断りを入れてから、私はその子に声をかけた。
「どうしたの? もうすぐ暗くなるよ」
振り向いた女の子の顔を見て、私は驚愕した。ぜ、絶世の美少女。触れると崩れてしまいそうな純白の肌にアメジスト色の物憂げな瞳。髪色は淡いピンク、透き通っているんじゃないかと思うくらいつやつやとした綺麗な髪だ。
小さな子。なのについ敬語になってしまう。
「お母さんはどちらにいらっしゃいますか? お迎えを呼びましょうか?」
きっといい家柄の子だから対応は間違っていないはず、と自分にフォローを入れる。女の子はためらいがちに小さく首を振った。
「だ、大丈夫です。自分で帰れます」
うーん、どうもこの世界の子ども達はみんな大人ぶってて大変よろしくないな。私はしゃがんで女の子に目線を合わせると諭すように言った。
「たとえ無事に帰れたとしても、ご両親は心配しますよ。親に迎えに来てもらうのも子供の仕事だと思います!」
こんなことを子供に諭せるとは私も大人になったなぁ。幻獣ノートを通して命を学び、母になり、色々と経験しているのがいい成長になっているのかな。うんうん。
すると女の子は急にもぞもぞし始めた。どうしたんだろう?
「お手洗い? 近くにあるか――」
「ち、違うんです」
ぷるぷると首を振った後、女の子は非常に言いにくそうに村はずれの家を指さした。
「わ、私の家、あそこなんです」
距離およそ歩いて1分。
………。
「あ、あー……そうだったのね!?」
私ってば致命的ミス! 迷子かもしれない子に対して家はどこなのか聞くのを忘れるとか普通あり得る!? ポカミスにもほどがあるでしょう! 何が大人になっただよ、千年早いわ!
恥ずかしさで煙が出ている頭を抱えて今度は私がうずくまる。うわー、この記憶、この出来事、最初から全部抹消したい……。
すると女の子が急にフフフと笑った。私が顔を上げると可愛らしい顔が目の前で。
「ちょっと話したいことがあるんですけど……聞いてもらっても、いいですか?」
女の子が背中の後ろからそっと見せてくれたのは、絵本だった。パステル色のユニコーンに乗った王子様がとてもカッコいい。
内容がものすごく気になる! 私は女の子に問いかける。
「素敵な絵本ですね! 読んでもいいかしら?」
「う、うん」
なぜかおずおずと渡されたその絵本を受け取り、私はわくわくしながらページをめくった。
『昔々あるところに、とても変わった王子様がいました―――』
小さな頃から花が大好きで、花を見たいと森に行っては迷子になってしまうので、お城の人たちはとても困っていました。
でもそれは本当の理由ではありませんでした。王子は森にいるコロポックルのお姫様に会いに行っていたのです。
「今日も来てくださったのですね」「ええ、もちろん。あなたと話すひとときが僕にとって一番の幸せなのですから」
二人は互いに惹かれあっていました。
しかし人間とコロポックルでは住む世界が違っています。大人になるにつれそれを知った王子様は、ある日からぱったりと森に来なくなりました。
お姫様はとても悲しみ、小さなお城から出て来なくなってしまいました。家来もなんと励ましてよいかわかりません。お姫様が部屋の中でしくしくと泣いています。
家来たちは立ち上がり、王子様に手紙を出そうと思いつきました。
『お花の好きな王子様へ。お姫様はとても寂しがっておられます。どうか一度だけでも姿を見せてください。あなたの顔を見るだけで、お姫様は救われます』
書いた手紙を角に巻きつけ、ユニコーンは王子様のお城へと駆け出していきました。
さあ、お城は大騒ぎ。見たこともない生き物が城へとまっすぐ向かってきます。倒さなければ、王子様が危ない! とっさに弓矢を構えた家来を王子様は止めました。「あれは僕が乗っている馬だ」と。
王子様はユニコーンを見ただけでお姫様からの使いだとすぐに気づいていたのです。
手紙を読んだ王子様はすぐに森へ向かい、お姫様に会いました。そしてお姫様の変わらぬ愛らしさに涙を流しました。
「こんなに愛おしくて大切な君に寂しい思いをさせて、本当に申し訳なかった」
「いいえ、来てくれただけで……私はとても嬉しいのです」
「もう君に寂しい思いはさせたくない。どうか、僕と結婚してください」
人間の王子様と、手のひらに乗るほどの小さなお姫様。二人はユニコーンに乗って人間のお城へ帰り、王様の許しを受けて結婚することができました。
とても純粋で、夢のある物語! あまりの感動でもう一度読み返す。身分差の両想い、よくある話だけどこういうのが一番ときめくの! 手紙をユニコーンに託すのも印象的でとっても良き……! 撃たれてしまうっ! ってハラハラさせてからの「僕の馬だ」は反則だよぉ~!!
「あ、あの……」
夢中になっている私の耳にか細い声が入ってくる。私ははっと我に返り、あわてて絵本を返した。
「とっても素敵なお話でした! 読ませてくれてありがとう」
女の子はほっとしたように絵本を胸に抱きしめ、口元を緩ませた。
「……私、このお話が一番好きなんです。私はコロポックルじゃないけど、こうしてお花を眺めていたらそのうち王子様が来てくれるような気がして」
ふんわりと微笑む女の子にふと小さな頃の自分を思い出した。そう、私もこんなおとぎ話が大好きでたくさん絵本を集めたっけ。幼稚園では庭でボール遊びをしているみんなをよそに部屋の中でずっと園にある絵本を読みふけっていた。
「……でも」
女の子が口を開く。
「周りの友達はもう誰も絵本なんて読んでなくて。子供っぽいとか、つまらないって言われるんです。同じお話を何度も読むなんて変だって……」
寂しそうなアメジスト色の瞳。胸がきゅっと締めつけられた。私と同じ悩みを、こんなに小さな年から抱えてる。まだ夢に浸っていたって誰にも怒られない年なのに。
私は決意した。この子に幻獣を作ってあげよう!
「ねえ、……あなた、名前はなんて言うんですか?」
女の子は目をぱちくりさせて答える。
「……ユリネです」
ギュピーン! と脳天に走る稲妻。ユリネ! 百合の根!? 私と同じ植物系の名前じゃない! これは運命、神様がこの子を救ってほしいと私に託してくれたんだわ!
思わず両手首をがしっとつかむ。びくんと肩を震わせるユリネちゃん。
「私はハナメ。花の芽のハナメ! ぜひ仲良くしましょう、ファンタジーオタク同士!」
「ふぁ……? お、おた……?」
「私も絵本やおとぎ話が大好きなの。小さな頃に集めた絵本はゆうに100冊はある!」
ユリネちゃんの目に星がキラッと輝いた。
「えっ、すごい……! どんなお話を持ってるんですか?」
「そうね、悪い魔女に毒リンゴを食べさせられたお姫様を王子様がキスで救うお話とか、人間に恋をした人魚姫が魔女と取引して、足を手に入れる代わりに声を失うお話とか……」
ごく一般的なおとぎ話をすらりと答えるとユリネちゃんは息をのんで私に抱きついてきた。
「すごい、すごい! 私が知らないお話ばっかり! その本、読みたいです……っ!」
もしかしてと思ったけどやっぱりこの世界にはないお話だったみたい。思い切り食いつかせておきながらもう手元にその絵本はない。しまったー、と思いつつ私は謝る。
「ごめんね、今はすごく長い旅をしているから絵本は持ってないの。でもね、その代わりにとっても素敵なプレゼントをしてあげる」
しゅんとしてしまったユリネちゃんの頭をなでてから、私はノートを取り出した。ユリネちゃんの瞳は星を取り戻す。
「すごく綺麗な本……」
「これは幻獣ノートっていうの。私がこのノートに特徴を書き込むと、どんな幻獣でもすぐに生み出すことができるんだよ」
えっ、とあがる小さな声。
「それって……ユニコーンでも?」
にっこりと微笑みかける。
「うん、もちろん」
ユリネちゃんが再び抱きついてきた。
「私、ユニコーンが欲しい! 薄い虹色のユニコーン!!」
待ってましたそう来なくっちゃ! うんうんと私はうなずいてみせる。そして期待に弾けるユリネちゃんの笑顔の隣でノートにペンを走らせた。私の前にカラフルなユニコーンの輪郭が浮かび上がってくる。
「『ユニコーン』!」
名前を呼ぶとその輪郭が光りするどい角、さらさらとしたたてがみ、つややかな体が立体的になってとすん、と地面に蹄を降ろした。
光の加減で繊細に色の変わる虹色の体。風になびくたてがみはまるで天の川をまとっているようだ。薄紫に光る角は神聖なる使いの証。
ユリネちゃんと私、ふたつの感嘆のため息が漏れた。なんて綺麗でファンタジックな生き物なの!
「すごい……本物のユニコーンだぁ……!」
「生み出した私も感激で涙出そう……」
さらにカツカツと地面を蹴りヒヒィィンとユニコーンがいななくものだから、ユリネちゃんも私も思わず悲鳴をあげてしまった。
「「カッコイイ~!!」」
長年の研究が実った科学者と助手のように抱き合ってしまう。ユニコーンが不思議そうにサファイアの瞳でこちらを見つめる。その凛々しい顔にまたため息が出てしまう。
「おーい、ハナメー!! いつまで油売ってんだよー!!」
その時なの、もーしもし君達帰りなさいーと……ラルド警部に大声で呼ばれてしまった。私達これからマジでいいところなのに……! たまらず唇を噛んでじだんだを踏む。お願いだから空気読んであと10分黙っててほしかった……!
ユリネちゃんが頭を下げた。
「すみません、遅くまで引き留めてしまって……」
悪いのはラルド警部……じゃなくて、うん、少なくともユリネちゃんではない。私は全力で首を振る。
「いいの全然そんなこと気にしなくて何ならユリネちゃん家に泊まって夜通しファンタジーを語り合いたい……」
「えっ」
「ごめん冗談です」
残念だけど帰らなくちゃ。私はユニコーンに歩み寄り、たてがみを優しくなでながら目の前のユリネちゃんを手で示した。
「この可愛くて綺麗な女の子がこれからあなたのご主人様だよ。仲良くしてね」
『ブルルッ』
ユニコーンが鼻を鳴らす。そしてゆっくりとユリネちゃんへ近づいた。あまりの美しさに緊張しあわあわと目をしばたたく小さな顔に、そっと頬ずりをする。
「……!」
『ブルッ』
君に従うよ、と言うようにさらりとしっぽを振ってみせ、ほら乗ってと背中を向けた。い、イケメン過ぎかよ……! キュンキュンする胸を押さえながら見守っていると、ユリネちゃんはこくんとうなずき背中によいしょと乗った。
ユニコーンは高らかにいなないた。
『ヒヒィィ――ン!!』
絵本を胸に抱いて首につかまったユリネちゃんを落とさないように前足を蹴り上げ、パカラッパカラッと軽快なリズムでユリネちゃんの家へと向かっていく。
人間の足でも1分の場所だからすぐ着いちゃうけどね。
「ハナメさん、ありがとうございました! また、おとぎ話聞かせてください!!」
ユリネちゃんが手を振り明るい声でさよならを言う。けれどユニコーンのカッコよさにすっかりあてられ卒倒していた私の耳には届かなかったのでした。