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【名刺作品集】

婚約者は昨日別れたばかりの元カレでした

「なんで……どうして、オスカーがここに?」



 自分でも驚くぐらい、私の声は震えていた。

 目の前にはプラチナブロンドが眩い、綺麗な顔立ちの男性が一人。一見、隙のない理知的な人に見えるけれど、この人の中身が、見た目と全然違っていることを私は知っている。



「随分な言い方じゃないか。――――俺はミアの婚約者なのに」



 オスカーはそう口にし、眉間に皺を寄せて笑う。壁際に追い込まれ、顎を掬われながら、私は首を横に振った。



(嘘よ。そんなのあり得ないわ)



 だってこの男は。オスカーは。

 つい昨日まで、私の恋人だった男だ。



 私の通う学園は上流階級の人間だけが通える名門で、そこに通う生徒たちはさらに階級別に区別される。

 上位貴族や聖女、国に特別に認められた人間だけが属するソレイユ級と、中位貴族や魔法使い達が属するシエル級、それから下級貴族や富裕層達が属するテール級だ。


 学園内は階級ごとに足を踏み入れてよい場所が決まっている。

 教室や校舎、通路や食堂、出入り口や使って良い設備も、何もかもが階級ごとに分けられていた。

 私は最下層のテール級。父親が事業に成功し、一代で財を築いた我が家は、所謂成金というやつで。正直言って私は、周りから浮いていた。

 居心地の悪さから別の学校へ通いたいと何度も思ったけど、娘の私が名門校に通っていることは両親の誇りで。とてもじゃないが、二人に打ち明けることはできなかった。そんなわけで、休み時間は片道20分近く掛けて、誰も来ないガゼボに逃げ込んでいたのだけど。



「――――先客か」


「……は」



 そこで出会ったのがオスカーだった。

 オスカーは明らかに私よりも階級が上で、彼が一言『出ていけ』って言ったら、私はその場を後にしなければならない。けれど、オスカーは何も言わず、休み時間中ずっと何をするでもなく私の隣に座っていた。

 次の日も。そのまた次の日も。

 オスカーはガゼボに現れて、何をするでもなく座っていた。



「何読んでるの?」


「雑誌」



 時々、ポツリポツリと質問をされて、それに答える。私が持参したランチを摘まみ食いされることもあった。

 大した会話をするわけじゃないのに、何となく居心地が良くて。もしかしたらオスカーも、私みたいに学園生活に疲れているのかなぁなんて思って、親近感が湧いた。



「膝、貸して」


「……え?」



 ある日、オスカーは私にそう言った。愚鈍な私には彼が何を求めているか分からなかったけど、気づいたら膝にオスカーの頭が乗っかっていた。オスカーの綺麗な顔が私のすぐ側にあって、何だかとても落ち着かない。

 心臓がドキドキ鳴り響いて、全身が熱かった。息すら真面にできずにいると、オスカーの手のひらが私の頬を撫でた。



「俺と一緒だと落ち着かない?」



 温かな手のひらが気持ち良くて、私は思わず首を横に振った。



「……落ち着かないけど、落ち着く」



 矛盾しているって分かってるけど、それが私の正直な気持ちだった。

 オスカーと一緒にいると、ドキドキして堪らないのと同じぐらい、心が穏やかで温かくなる。

 劣等感で捻くれた私を許してもらえてるみたいで、それがすごく嬉しかった。少しずつだけど、周りと溶け込むための努力をしようと思えたのは、オスカーのお蔭だ。



「俺も同じ」



 オスカーはそう言って、気持ち良さげに目を瞑った。子どもっぽい仕草が可愛くて、胸がキュンとときめく。



(一体どんな手入れをしたら、こんなにサラサラになるんだろう)



 滑らかなオスカーの髪を撫でながら、私は小さく笑った。

 正直私は、オスカーのことを殆ど知らなかった。彼は元々口数が多い方じゃないし、私も尋ねようとしなかった。雲の上の人だって思い知りたくなかったから。



(このままオスカーの側にいたい)



 貴賤結婚や恋愛が認められていないわけじゃない。だけど、物事には釣り合いってものが重要で。身分なんて関係ないって豪語できるほど、私は自分に自信が無かった。



「ミア」



 気づけばオスカーは私のことを真っ直ぐに見上げていた。宇宙を閉じ込めたみたいな綺麗な瞳が揺れていて、私の心臓が大きく跳ねる。



「俺と付き合ってくれる?」



 オスカーはそう言って身を起こし、そっと襟を正す。



(え?)


「どこに行くの?」



 昼休みはもう残り少なで。そもそも学園内で私がオスカーと一緒に歩ける場所は限られているけれど。



「――――ごめん、言い方を間違えた」



 オスカーは困ったように眉間に皺を寄せ、私に向き直った。その顔がどこか緊張しているように見えて、私はゴクリと唾を呑む。



(まさか)



 心の中で首を横に振りながら、私はオスカーから目を逸らす。

 期待なんてしない。しちゃいけないって分かってるけど、願望が私に夢を見せる。



「ミアのことが好きだから、俺の恋人になってくれる?」



 けれど、夢は夢じゃ終わらなかった。オスカーは私を見つめながら、ほんのりと頬を紅く染める。



(恋人? 私がオスカーの?)



 彼の言葉は真っ直ぐで、勘違いのしようもない。本当に?って疑いたくても、とてもじゃないけど冷静になれなかった。



(どうしよう。こういう時、どうしたら良いの?)



 願望のままに「はい」と答えたい私と、「私には無理だ」と首を横に振りたい私がいて。胸の辺りがキュンキュン疼いて堪らない。



「何とか言ってよ」



 オスカーは私を抱き締めながら、拗ねてるみたいな声を出した。



(あっ……)



 その時私は、オスカーの身体が震えていることに初めて気づいた。自分の身体を支えるみたいに私へ縋りつくオスカーが何だかとても愛しくて。

 気づいたら「はい」って答えていた。


 恋人同士になってからも、私達の関係は大きくは変わらなかった。

 毎日同じ時間にガゼボに来て、どちらともなく少しだけ会話をして。抱き締めたり口付けたり、以前よりも距離は近くなったけれど、会うのは学園――――私達だけが知っているガゼボだけ。それ以外の場所で会うことは無かったし、相変わらず私はオスカーのことをちっとも知らないままで。


 だからあの日、あの場所でオスカーを見かけるまでは、私はちっとも気づかなかった。



「王女様、こちらへ」



 ソレイユ級でも限られた人間だけが立ち入れる、私のいる場所から遠く離れたテラスで、女神みたいに美しい女性をエスコートするその男性は、紛れもなく私の恋人だった。

 私には見せないキラキラした笑顔に優美な物腰、完璧を体現したみたいなその姿に、私の心臓は粉々になる。



「王女様とオスカー様だわ!」


「本当にお似合いよね。婚約も間近って噂だけど」



 少し離れた場所でそう噂をしていたのは、同じテール級に属する貴族の令嬢だった。



「でも、オスカー様ってあまり良い噂を聞かないのよね。王女様以外にもソレイユ級の令嬢や屋敷の侍女、色んな所に恋人がいるらしいわ」


「まぁ、今をトキメク公爵家のご令息ですものね。陛下もそういうことに寛容だって話だし、女遊びをしている方が仕事ができるなんて風潮もあるから……」


「本気にならない前提だったら、良いお相手よね。あの顔、あの身体! 一緒にいるだけでこちらのステイタスまで上がる上、色々と経験値を上げてもらえるし」



 楽し気に笑う令嬢方を尻目に、私の心は冷めきっていた。



(そっか。私は何人も存在する彼の恋人の一人に過ぎなかったのね)



 身を寄せ合い笑い合うオスカーと王女様を遠目に見ながら、私の瞳に涙が浮かぶ。

 いつか別れる日が来るって分かってた。私達は身分が違うし、一緒にはなれない。ちゃんと覚悟していたはずなのに、こんなにも悲しいのは



(彼のことが好きだから)



 いつの間にか、こんなにも好きになっていたから。



(ちゃんと、何度もシミュレーションしていたはずなのに)



 さよならを言う練習を。さよならを言われる練習を。彼と幸せなひと時を過ごすたびに私は繰り返していた。

 けれど最近は、オスカーと一緒にいることがあまりにも幸せ過ぎて。自分が置かれている立場も何もかも忘れて、ただ胸をときめかせていたこともまた事実で。



(悪いのは私だ)



 涙でぐちゃぐちゃな視界が、オスカー達の姿を覆い隠した。




「話があるんです」



 翌日、私はオスカーにそう切り出した。



「俺も。ミアに話したいことがある」



 オスカーは唇を真一文字に引き結び、躊躇いがちに私を見つめる。いつもとは異なるその様子に、彼が別れを切り出そうとしているのだとすぐに分かった。



(嫌だ、聞きたくない!)



 もう私は、オスカーの側にはいられない。どちらから切り出しても結果は変わらないけれど、オスカーの口から『遊びだった』だなんて聞きたくない。嘘でも『愛されていた』って思っていたかった。



「ミア。俺と――――」


「私はもう、ここには来ません」



 必死の思いで、私はオスカーの言葉を遮った。オスカーは目を丸くし、私を真っ直ぐに見つめている。



「もう、来ないって……」


「オスカーに会うのも今日が最後。今まで本当に、ありがとう」



 深々と頭を下げると、地面にポタっポタっと涙が零れ落ちる。

 だめだなぁ。最後は毅然と笑顔で別れるって決めていたのに。やっぱりシミュレーション通りには進んでくれない。



「――――――どうして?」



 身体中が凍り付くぐらい冷たい声がして、私はハッと顔を上げた。

 見ればオスカーは眉間に皺を寄せ、私のことを睨みつけていた。プライドが傷つけられたのだろうか。



(私と別れることはオスカーの中でも決まっていたことのはずなのに)



 あまりの迫力に身が竦んだ。



「――――婚約が決まったんです」



 大きく息を吸い込んで、私はそう口にする。私の言葉に、オスカーの瞳が大きく揺れた。



「父が決めた縁談で、相手のことはよく知りません。けれど、縁談が決まったからには、もうフラフラ遊んでいるわけにはいきませんから」



 昨夜、折よく父から持ち掛けられた縁談に私は飛びついた。これまでだって、縁談話が来ていなかった訳じゃない。貧乏男爵だとか子爵だとか、財力を持つ私との結婚を望む貴族は結構多くいるのだ。



(私はもう、愛を求めたりなんてしない)



 こんなにも悲しみと隣り合わせならば、私はもう恋なんてしない。夫には相互にメリットがあるぐらいの相手の方が良いと思った。



「俺とのことは遊びだったってこと?」



 オスカーは私の肩を掴み、そう尋ねる。



「ーーーーーそうよ」



 答えながら私は大きく息を吸った。

 違う。本当は遊びなんかじゃない――――本気の恋だった。

 けれど、本当のことを口にしたらみっともなく取り乱してしまいそうで。オスカーだってそんな私は見たくないはずだ。後腐れなく綺麗に別れたいから、必死に虚勢を張っているだけだった。



「嘘吐き。ミアはそんなことできる人じゃないだろ」



 オスカーの手のひらが私の頬を覆って、胸の辺りが焼けるような感覚に襲われた。誰のせいで!って言い返すだけの強さを私は持っていない。

 私だって嘘だと思いたかった。オスカーはそんなことする人じゃないって。そう思いたいのに、彼を信じて今以上に傷つくことが怖かった。



「人は見かけによらないものよ」



 そう言い残して、私はその場から走り出した。



「ミア! 俺の話がまだ――――」



 オスカーの声が小さく聞こえる。

 ごめんなさい。オスカーの話を受け止められるほど、私は強くない。結果が同じなら、どうかこれで許してほしい。もう二度と会うことも無いんだから――――そう思ったのが昨日の話。


 けれどオスカーは今、私の目の前にいる。父から『婚約者』として紹介された男性。それが他ならぬオスカーだった。



***



「ミア、オスカー様と知り合いだったのかい?」



 尋ねたのは父だった。私達を席に誘導し、穏やかに首を傾げながら私とオスカーを交互に見る。



「それはっ……」


「えぇ。学園で顔を合わせる機会がありました」



 オスカーは朗らかに微笑みながら、私のことを見つめた。学園で見せる何処か気の抜けた表情じゃなくて、一部の隙も無い完璧な笑み。こんなの、私が知ってるオスカーじゃない。そう思うと胸の辺りがモヤモヤとつっかえる感じがした。



「そうですか。いや、実はこれまでも娘には縁談が来ていたのですが、本人が嫌がりまして。オスカー様との縁談はすぐに快諾したものですから――――」


「たまたまタイミングが被っただけ。相手がオスカー様だと知っていたら受けなかったわ。だって、私と彼とじゃあまりにも釣り合わないもの。公爵家のご令息と成金娘じゃ、ね」


「ミア」



 父は咎めるような表情で私を見た。そりゃぁ相手は格上も格上、公爵家の令息で、こちらから縁談を断れるような相手じゃない。だけど、公爵家が私みたいな爵位もない成金と縁談を持ち掛けるなんて、とてもじゃないけど信じられなかった。



「釣り合いだなんて……御当主の事業の手腕は素晴らしいし、ミアは俺には勿体ないぐらい素敵な女性です。それに、俺の父は今、身分制度の見直しを進めている所でして」



 オスカーはまるで教科書でも朗読するかのように、そんなことを言う。普段は言葉数が少なくてどちらかというと寡黙な印象なのに、今日は妙に饒舌だ。



「そうですか。いや、本当にミアは良いご縁に恵まれました」



 父はそう言って席を立つ。私も慌てて椅子を引いたら、オスカーの手が私を制した。



「ミアはここに残って。話がまだ終わっていないから」



 ニコリと人当たりの良い笑みを浮かべるオスカーに、父が穏やかに微笑む。それから無情にも、私とオスカーは二人きりにされてしまった。

 しーーんと、不気味な程の沈黙が流れて、私はひたすら俯く。心臓が嫌な音を立てながら軋んだ。気を抜くとすぐに涙が零れ落ちてしまいそうで、必死で気持ちを奮い立たせた。



「…………優しそうなお父さんだね」


「え?」



 どんなことを言われるんだろうって戦々恐々としていた私は、オスカーの言葉に拍子抜けした。

 まるで、ガゼボで二人、ポツリポツリと会話を交わしていた頃のような、そんな口調や話題。思わず顔を上げたら、そこにいたのは変にキラキラしていない、いつものオスカーだった。



「敏腕事業主だって言うから、もっと厳しそうな人を想像してたけど、俺にも優しく接してくださって、安心したよ」



 胸の辺りがギュッて握られるような感覚がした。

 そんな風に嬉しそうな表情をしないでほしい。勘違いなんてしたくない。まるで好きな人との結婚の許しを得られたみたいな言い方して、私を揺さぶらないでほしかった。



「父は……オスカーには関係ないわ」


「関係あるよ。俺の妻になる人の父親だもの」



 オスカーはそう言って私の手を握った。拒否しようにも、オスカーの大きな手のひらが私の手のひらをすっぽりと覆ってしまって、退けようがない。首を横に振ってみても、オスカーの表情は揺らがなかった。



「私達、もう別れたのよ?」


「俺は承諾した覚えはないよ」



 オスカーの言葉がじりじりと心臓を焼く。



(何で? オスカーは王女様と結婚するはずじゃ……)



 王女様だけじゃない。他にも色んな所に恋人がいるって噂なのに、敢えて一番ハズレの私と婚約を結ぶだなんてあり得ない。



「それにミアが言ったんだろう?」


「……え?」


「婚約をするから、遊んでいられないって。――――これまでのことが遊びだったのなら、それでも良い。だけど、ここから先はダメだ」



 気づけばオスカーの顔がほんの数センチ先まで迫っていた。

 なにを言われているのか、なにを言わんとしたいのか、ちっとも理解が追い付かなくて、私は必死に後退る。



「俺を好きになって。もっとちゃんと、本気で好きになって欲しい」


「……っ!そんなことできるわけ――――――」



 私の懇願は、最後まで音になることは無かった。唇を塞がれて、甘くて苦くて。そんなの、言葉なんて呑み込まざるを得ない。

 痺れるほどに吸われた唇がジンと疼く。息を吸いたくて口を開けば、すぐに隙間を埋められて。苦しくて苦しくて堪らない。

 これまでは、オスカーに触れられることが、ただひたすら嬉しかった。

 キスの後に見せてくれる嬉しそうな笑顔が、優しい眼差しが、あまりにも好きで。口数の少ない私達だけど、触れ合うことで互いの気持ちを伝えている。そう思っていたのに。



(この人はどれだけ私を苦しめたら気が済むんだろう)



 本当はもう、これ以上無いほどにオスカーのことが好きだった。だからこそ、こんなに苦しいのに。もう苦しまなくて良いように、手を放そうとしたのに。それすら許してくれないなんて。



「――――明日からも、いつもの場所で待ってるから」



 オスカーはそう言って私の頭を撫でると、一人部屋を後にした。


 だけど翌日も、その翌日も、私はガゼボには行かなかった。

 代わりに、これまで利用することのなかった食堂に赴けば、自然とそれまで入ってこなかった色んな情報が入ってくる。



「王女様とオスカー様が」


「いよいよ発表まで秒読み?」



 王家の私生活への関心は、いつの時代も相当強いもので。そのお相手であるオスカーの噂も、それに比例するかのように多かった。全部、私が知らなかっただけだ。

 今頃オスカーはあのガゼボに一人でいるのだろうか。私のいないあの場所で、一体何を考えているんだろう。



(こんな風に四六時中誰かに噂されてたら、きっと息が詰まるよね)



 そう思うと心が揺れた。

 

 そんなことが続いたある日のこと。信じられないことが起こった。



「失礼……ミア様ですね」



 テール級の学舎には似つかわしくない、王家の紋章を身に着けた男性が私に声を掛けてきた。恭しい態度、身のこなしは、一目見て騎士だと判別できる。



「突然申し訳ございません。主があなたと話がしたいと申しておりまして、ご同行願えますか?」


「え?」



 現在この学園で王家に属するのは、王女様ただ一人。この騎士の主は王女様ということになる。

 当然断れるはずもなく、私は騎士の後に続いた。



「あなたがミア様ね」



 初めて間近でお会いした王女様は、まるで物語の中から飛び出してきたみたいな、可憐で美しい方だった。少し近づくだけでめちゃくちゃ甘い香りがしそうな、男心を擽るタイプだと思う。



(平凡な私とは正反対)



 そう思うと、封印していた劣等感が少し疼いた。

 王女様は騎士を下がらせて、私と二人きりになった。正直、一生お目にかかることはないと思っていた存在との対峙に、緊張が走る。粗相をするのではないか、不敬に当たる言動を取ってしまうのではないか――――そう思うと、ダラダラと汗が流れ出た。



「そんなに緊張しないで。わたくしはただ、あなたに謝りたかったのです」


「……え?」



 初対面の、それも王女様に謝られるような覚えは私にはない。そっと小首を傾げると、王女様は困ったように笑った。



「オスカーのこと……彼はあなたの婚約者なのに、まるでわたくしと婚約するかのように噂されてしまって、ずっと申し訳なく思っていました」


(え?)



 正直言って、何から驚けばいいか分からなかった。

 王女様が私とオスカーの婚約やご自身とオスカーとの間に流れている噂をご存じなこと、それでいて私に申し訳なく思っているだなんて、想像したことも無かった。

 そもそも私は、どうしてオスカーが未だに私との婚約を解消しようとしないのか、理解ができていない。縁談が出たこと自体が理解できていないのだから当たり前だけど、例えば王女様との噂を緩和したかったにしても、私以外に都合の良い女性は沢山いるだろうし。仮初だとしても、私と婚約を結んだことは、王女様との婚約に差し障るように思える。



「あの……結婚するんじゃないのですか?」


「え?」


「オスカーと。結婚なさるのだと思っていました」



 私は思い切って疑問を口にした。

 王女様はキョトンと目を丸くして、それから首をブンブン横に振った。



「違うわ、違う。まぁ……オスカーったら、大事なことをちっとも話していないのね」



 王女様は私の元に駆け寄ると、そっと手を握った。



「彼はね、わたくしの恋を応援してくれただけなのよ」


「え?」



 困ったように微笑みながら、王女様はチラリとドアを顧みる。私を連れ出した騎士が立っている辺りだ。



「わたくしにはね、ずっと、ずっと好きな人がいるの。けれど、彼は自分の身分が低いからと、どうしてもわたくしの想いに応えてくれなくて……。思い詰めたわたくしが取った行動が、幼馴染のオスカーと親密に振る舞うことだったの」



 王女様の瞳は悲し気に揺れていた。何故だかそれがオスカーの姿に重なって、私は胸が苦しくなった。



「オスカーとの仲を噂されればされるほど、わたくしの想い人は焦れていった。彼は確かにわたくしを想ってくれている……それが分かるだけで嬉しくて。ごめんなさい。オスカーの優しさに甘えたわたくしが悪かったのです。わたくしのせいでオスカーは、人々の耳目を集め、あることないこと言われてしまって」



 気づけば王女様の瞳から涙が溢れていた。目の前で蹲る王女様の背中を撫でながら、私まで目頭が熱かった。



「彼の出世を嫉んだ誰かが『遊び人』なんて嘘の噂を流しても、オスカーは一言も否定しなかった。わたくしとの噂だって、否定も肯定もせずに、ずっとずっと沈黙を守って――――そんな彼が辿り着いたのが、ミア様の側だったの」



 思わぬ言葉に、心臓がドキンと跳ねた。



「オスカーから想い人が出来たって――――恋人ができたって聞いた時は本当に嬉しく思いました。ミア様と一緒にいると心穏やかに過ごせるんだって」



 気づいたら私の瞳からも涙が零れ落ちていた。



(全部全部、私の勘違いだった)



 喉の辺りが焼けるように熱くて、苦しくて、叫びだしそうになる。

 噂をうのみにしてオスカーの話を聞かなかった。信じなかった私が今更謝るなんてむしが良すぎる話だ。

 けれど、今もあのガゼボで待っているかもしれないオスカーを想うと、胸の辺りがグッと熱くなる。



「ミア様、わたくしはね、オスカーの婚約を機にもう一度、わたくしの想い人ときちんと向き合うことを決めました。たとえ受け入れてもらえなくても、何度でも想いを伝えるって」



 王女様は大きく息を吸い、前を見据える。瞳は泣きぬれていたけれど、表情は明るく、力強い笑みだった。



「ありがとうございます、王女様」



 私はそう言って立ち上がり、涙を拭った。迷っている暇なんて無い。私の足は自然、オスカーの元に向かって走り出していた。



***



「オスカー!」



 人気のない庭園で、私は彼の名前を呼ぶ。

 けれど辿り着いたその場所にオスカーはいなかった。

 


「オスカー……」


(もう遅いのかな)



 彼の話を聞くことも、謝ることも、好きだと伝えることも、もうできないのかもしれない。止め処なく零れ落ちる涙を拭いながら、私は俯いた。



(ううん、それじゃダメ)



 最初から線を引いて諦めるなんて、もう止めた。

 だって私は――――。



「オスカーの側にいたい」



 昔の私だったらきっと口に出せなかった願望。自分に自信が無くて、卑屈で、ずっとそんなこと望んじゃいけないんだって思っていたけど。



「ここだけじゃなくて、二人でもっと色んな場所に行きたい」



 身分の垣根を越えて、オスカーと一緒に居たいって思っていた。恋人らしく過ごせたらどんなに幸せだろうって、ずっとずっと思っていた。だから――――。



「――――――だから婚約を急いだんだよ?」



 その時、背後から優しく抱き締められて、心臓が大きく震えた。それが誰かなんて、振り返らなくても分かる。涙が勢いよく込み上げた。



「オスカー」


「……ミアにとって、身分の違いが大きいって分かっていたから、どうしてもその壁を取り払いたかった。俺がどれだけミアを想っているか、ちゃんと伝えたかったんだ」



 オスカーの腕に包まれたまま、私はクルリと身体の向きを変える。見ればオスカーは困ったように笑っていて、胸の辺りがキュッと締め付けられるみたいに熱くなった。



「ごめんなさい、オスカーのことが遊びだなんて嘘なの。私、オスカーが王女様と婚約間近だって……他の女性とも遊んでるって聞いて、一人で勘違いして、あなたを沢山傷つけた。謝って済む話じゃないかもしれないけど……」


「ううん。俺もミアが何も知らないからって、事情を一切話していなかった。そんな状態で噂を聞いたらミアがどう思うか、ちっとも考えてなかったんだ」



 オスカーは私の涙を拭いながら、何度も頭を撫でてくれる。



「他の人にはどんなに誤解されたって構わない。だけど、ミアにだけは、きちんと全部を話さなきゃならなかったのに」



 ごめんね、と口にしながら、オスカーは私の額に口づける。途端に全身がじわじわと痺れて、胸がいっぱいで堪らなくなった。



「ミア……あの日できなかった話の続きをしても良い?」



 オスカーは私を抱き締めながら、いつもみたいにポツリと尋ねた。

 心臓が早鐘みたいに鳴り響く。オスカーに聴こえちゃうぐらい大きいんじゃないかなぁって思ったけど、ふと気づけば、私と同じかそれ以上に早いオスカーの鼓動が聞こえてきた。



「俺はミアが好きだよ」



 勘違いしようがないように、オスカーは心を砕いて言葉を紡ぐ。実直で温かいオスカーの言葉が胸に蓄積されて、ポッと温かくなって、それが私の自信となる。



「はい」



 もう彼の気持ちを疑うことも、釣り合わないなんて思うこともしない。真っ直ぐにオスカーを見つめると、彼は照れくさそうに、けれど幸せそうに笑った。



「これから先もずっと、俺にはミアだけだ。だからミア――――俺と結婚して?」



 身体中にオスカーの温もりと幸福感が広がって、胸がときめく。こんな甘やかな鼓動の高鳴り、絶対オスカーとしか味わえない。



「喜んで」



 そう口にして、私達は顔を見合わせて笑うのだった。

 この度は本作を読んでいただき、ありがとうございました。

 感想やブクマ、評価【☆☆☆☆☆】等いただけますと、創作活動の励みになりますので、よろしくお願いいたします。


 また、

【新作短編】ポンコツ魔女の惚れ薬が予想外に効果を発揮した件について

等、他にも色々と作品を書いておりますので、気が向かれたらそちらもお付き合いください。


 改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み進めていく都度、主人公の心の内がありありと伝わってきました。 私は小説や文章については詳しくありませんが、きっとこういうのが上手な文章なのかなと思いました。
[良い点] お互いに圧倒的に対話をしようという姿勢や言葉が足りないのでこれからは話をしながら傍にいられたら良いですね。 オスカー自身も言ってましたが、自分の行動でミアがどう思うかを考え当たらなかったあ…
[一言] 最初にネタバラシがあるから、ストレスなく楽しめました。 すれ違い部分も、10代ならではの臆病さと頑固さなら納得。 最後に2人がコミュニケーションの大切さに気づいた点も良かった。 誤解が解けた…
感想一覧
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