02
どこからどう見ても、古い。表紙の厚紙はボロボロで、角の部分は丸い(変な表現だ)。
開いてみると、鉛筆書きがとても薄くなっていて、ほとんどライトグレーの、とめ、はね、はらいのしっかりした字が並んでいた。
ずっと昔の先輩の、懸命に勉強したことが書いてあるのだろう。紙いっぱいに広がる丁寧な筆跡は、書き手の勤勉さを、これ以上ないってくらい伝えてくれた。
これは使える!
まず思ったのは、これ。
私は焦っていた。大学に適応できてないことは自覚している。高校までと何が違うのか、と考えなかった日はない。
行き着いた結論は、「評価されていない」ということ。自信のない私は、常に萎縮しているようなものだった。
大学に合格して以来、優秀だと評価されることなんてまったくなかった。この大学には同じような学力の人ばかり。その中で一目置かれるのは、うまく立ちまわって、講義中に気の利いた発言ができる人。私は違う。
教科書の内容を覚えて書くことはできる。それが優秀ってことだと思っていた。でも、それだけじゃあ、どうやら足りない。記憶力と勉強量が同じなら、誰にでもできる。そんなのは評価されない。
他の学生が言えないようなことを言えれば、きっと私は評価される。中高の時みたいに、「できる子」って思ってもらえる。一度でいい。その一度があれば、私は、これまでのリズムを思い出せるはずだ。
でも、私は、自分で考えてってタイプではない。
埃まみれのお手製ノートは、ずっと昔の先輩、しかも、きっと優秀な人が書いたもの。ありがたいことに、キーワードのまとめ集ではなく、きちんと文章が書かれている。随所に「僕」という一人称が登場するから、誰かの受け売りではない、学んできた人間の思考が綴られている。
これを使えば、教官に「この子は違うぞ」と思ってもらえるのではないか。
最初の数ページは、そんな期待に応えてくれるものだった。なるほど、そういう事情があったから、こんなルールができたのか、と。同じような説明は大学で買った教科書にもあるけれど、ずっと昔の肌感覚が残る言葉(いや、言葉は同じであっても、ずっと昔に書かれていたことを推察させるノートの見た目)は、切実さを伴う説得力があった。
これは使える!!
その確信が最高潮に達した途端、「ん?」という疑問符が頭の中を占める。高校の倫理で習った、思想家の名前が頻出したのだ。登場する人名は、聞いたことのあるものがほとんど。だけど、私が記憶しているキーワードとの関連は薄く、しかも、人名の後に「〜的」となれば、何を言っているのか、さっぱりわからない。
日本語話者であることの自信が揺らぎまくっていたとき、ようやく政治的主張が前面に出ていることに気づく。
もしかして、これは学生運動の人が書いた……。
この大学は、昔、荒れに荒れていた。当時を知る人は、「決して自分のことではないけれど」という留保をつけながら、嬉しそうでもなく、楽しそうでもなく、でも、どこか誇らしげに語っていた。一種の陶酔感だろう。その表情は、とにかく気持ちが悪かった。
権力者の横暴に抗う反骨心そのものは、私好みの気風のはず。それなのに、過去を振り返る学生運動家の顔は、気持ちの悪さが第一印象となり、覆ることないままに終わる。
高校生の頃は不思議に思っていた。
もしかしたら、本質的に私には反骨の精神なんてないんじゃないか。長いものには巻かれろって本能的に感じているんじゃないか。
でも、今は違う。
孤独なキャンパスライフを送る私は、同じような格好の子らが塊になって歩く姿を観察して、「昔の学生運動家もこんなのだったんだろう」って思い続けてきたから。
「特別なことをしている」という連帯感。それを身にまとうことがファッションになり、そうでない人を下に見る。若い頃に国家権力と戦ってきたと強調する世代は、ずっとずっと年下の若い人を見てバカにする。
当時の議論状況がどんなものだったのかを、私は知らない。大学生という身分の意味も、今とは大きく違うのだろう。
でも、私の中で、学生運動に熱中していた人に対するネガティブな評価は、もう確定している。偏見と言われたって、一向に構わない。
学生は勉学に励むのが仕事。いい歳して働かずに堂々としていられるのは、学んだことを将来の社会に還元するから。社会が先行投資しているのだ。
同じ年齢、いや、年下の子でも働いている人がいて、(嫌な言い方だけど)歯車として社会を維持し、動かしている。たくさんの税金も納めてる。
それなのに、大学の授業を受けずに、言いたいことを声高に主張して、さらには火炎瓶を投げたり、機動隊の仕事を増やしたりと、やりたい放題して偉そうに国家天下を語る。そんな人を、私は、心底、軽蔑する。
ノートを読み進める気が失せ、ため息をつきながら、ただただパラパラとページをめくった。もう少し図書館で時間をつぶさないと、駅まで歩く私の姿は、大学に居場所のない子そのものになってしまう。
ーー意見があれば、頂戴したい。
この一文の後、(変色しているけど)白紙が続く。
なに、これ?
文通のつもり?
バカじゃないの。こんなノートに書かれた、あんたの考えに、誰が興味をもつと思ってんの。実際、誰も何も返事をしないまま何十年も経って、こんなボロボロになってんじゃん。ここまでたどり着いたのも私だけでしょうね。そんな私も、ただ手を動かしてただけで、読んでないわよ。
これを書いた人は、誰にも相手にされないノートを、何度も何度も確認したのだろう。その度、どんな思いをしたのだろうか。私だったら、恥ずかしくてたまらない。
なのに、処分せず、この本棚の奥に隠していたってわけ?
……それとも、回収することができない事情ができた。
近くの机には誰もいなかった。遠くの席のカップルのひそひそ声がかすかに聴こえる。まだ帰るには早い。ペンケースには、奮発して買った(家庭教師のバイト半月分の)新しいボールペン。
ほんの戯れ気分。
図書館の本棚に入っているものに、書き込むこと。ルール違反。だけど、これは本ではないし、意見を頂戴したいって持ち主が頼んできたのだから、まあ、いいか。
程よい背徳感を味わいながら、私は書いてやった。