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01

 頭の中を整理するために、これまでの経過を記しておこうと思う。そうしないと、ちょっと理解が追いつかない。


 この出会いが、私の人生にもたらされたことの意味。


 いずれ必ずやってくる、「いつか」のための備忘録。


 この手紙を読む「未来の私」は何者で、どう思うのだろうか。その時までに、ボールペンから出ている、この(つや)のある黒は、どれくらいの白を取り込むのだろう。


 あいつと出会ったのは(この表現が正確なのかは微妙なところだけど)、大学というものに対する期待外れが大きくなった夏休み明けのことだった。


 大学の授業は、しれっと始まる。高校までの新学期には始業式があり、それが「はじまり」の合図だった。前期授業の前には入学式があったので意識しなかったが、大学1年後期が「普通」に始まったことに、これまでとの大きな違いを実感した。


 これからの大学生活は、合図がないまま、始まる……。


 部活やサークルに所属しない私には、後輩を勧誘する必要がない。したがって、2年生以降、入学式とは無縁になる。誰かと「はじまり」を共有しない生活。私の大学1年の後期は、これに気づいたことから始まった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 いつものママとのやりとりに、何とも言えない重圧を感じたのは、きっと私の問題。駅へと向かう歩幅は日に日に短くなり、それゆえ、増えた歩数分だけ頑張らないと目的地にたどり着かない。


 ……こんなはずじゃ、なかったのにな。


 少なくとも入学した時点では、やる気に満ちあふれていた。充実したキャンパスライフにふさわしい心理状態にあった。そのための準備をしてきた自負もある。受験勉強のつまらなさを隠そうと、この大学に入りたい気持ちを、毎日のように言葉にしてきたのだ。


 何よりも私にとって重要だったのは、無骨で硬派な学風という評判。社会正義の実現のために、権力と戦って弱者を救うヒーロー(しっくりこないけどヒロインって言うべきなの?)を目指すのにふさわしい。


 自分をだますための嘘。


 本当はただの成績の都合なのに、この大学で学ぶべきだと言って、頑張る自分に嘘をつき続けた。でも、いつのまにか本当の気持ちになっていたのが不思議なところ。自分をだますのは実にたやすい。私は世界を変えてやる。


 ……無理があったんだろうね。頭の中だけで創りあげた理想像は、それが具体的であればあるほど強いモチベーションになるけど、失望にもつながる。


 高校のおじいちゃん先生(いわ)く、この大学は、学生運動が盛んだった。そういう経緯もあっての硬派な印象。でも、今やその名残はネットにしかない。校舎はオシャレで都会的で、洗練された軟派な学生がヘラヘラしていた。


 あらゆる物事と同じで、過度な期待は不幸の素だ。


 ガラス張りのエントランスが開放感を演出している図書館に対し、「これじゃない感」を追及したって仕方がない。これはこれでいい。そう思わないと、(たくさんの税金を費やして建てられた)せっかくの贅沢(ぜいたく)な施設から足が遠のいてしまう。それでは、時間とお金をかけて手にした学生証がもったいないじゃないか。


 そう。毎日、私が途中下車せずに通えたのは、大学図書館のおかげだ。


 小学生以来、図書館は、私にとって最も重要な社会機構だった。流行ってる本はなかなか順番がまわってこないけど、そんなのに時間を使う必要はない。すでに多くの名著が存在していて、それを読むのに、おそらく人生は百回あっても足りないだろう。


 なのに、大学に入ってから、図書館は、本を読む場所ではなくなってしまった。


 居心地の悪い大学で、話す相手もいない。一人で黙って過ごしていても、少しも変じゃない場所。私にとって図書館は、それだけの価値しかなくなってしまった。


 1ページ目から読む気なんて起こらず、分厚い本の3分の2くらいのページを開いて読んでるフリ。ただ、そこにいる口実が、周りの人から見えるようにしたいだけ。


 高校の友達と大笑いした夏休みが明け、また意味のない図書館通いをする毎日が始まる。始まってしまうのだ。


 ……(けが)している。


 書籍を独り占めせずに公開し、知を広く共有する。崇高な理念の結晶である図書館を、私は穢してきた。


 市立図書館が、家から徒歩圏内にあった。だから、私はたくさんの本を読めた。周りの子と比べて裕福ではなかったが、精神的には豊かでいられた。何かを学ぶのにも不自由せず、劣等感に悩むことなく過ごすことができた。すべては図書館があったから。


 念願の大学生になった途端、それまでに受けてきた恩恵を忘れ、私は図書館を穢してきた。


 後期初日の昼休み。


 アンパンを牛乳で流し込み、私は「やり直そう」と決意した。


 この時の気持ちを忘れないでいよう。


 せっかくの若者時間を無駄にせず、きちんと本を読んで勉強する。資格試験に合格するためには、大学の授業だけでは足りない。お(かね)的に予備校には通えないんだから、これから放課後は図書館で必死に勉強する。特別なことではない。中高の時と同じこと。


 大学図書館の蔵書をまともに確認したのは、その日が初めてだった。前期の間、私は図書館で何をしていたんだか、まったく。


 それにしても驚いた。刑事訴訟法って書いている本だけでも、棚いっぱい。大学の図書館は、市の図書館とはレベルが違う。


 状態がキレイなのを選んで読んでいたら、週末、誰かに借りられてしまった。図書館で読むことに意味があるんだから、売れ筋のを読み進めるのは得策でない。改正してても、基本的には昔からある法律だし、古びた本にしようと決めた。新しい情報は、そのうちインプットすればいい。


 それにしても、誰も気づかなかったんだろうか。


 一見、本のようだけど、紙を(ひも)でまとめたお手製のノート。出版物じゃないのが、本棚の奥に(まぎ)れ込んでいたのだ。


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